サンチョパンサの憂鬱

正しいことを

正しい事を言う人は何処か?何故か?恥ずかしい。

それは取りも直さず……その正しさには何か?何処か?トンでもない欠陥が隠されているからなんだけど……。

布教に努めるフランシスコザビエルかの如く、その人は妙に熱を帯び、使命感に燃えているとでもいった風情を漂わせているから余計に正視するに忍びない雰囲気になる。

一番、この手の人間に多いのは、小学校のHRで ……先生!僕はヨイコでしょ?的なウケ狙いの発言をするこまっしゃくれたガキがよく居るけれど、ソイツがそのまんま大人になった様な稚拙な動機で喋ってる輩である。

ま、誰もが人前ならそう言うわなぁ?……のうわべの正論である。そうは運ばない様々の事情を掘り起こして見ましょうよ?とやってるのに、殴りあいはイケないと思いますと幼稚な紋切り型で悦に入ってくれてる。
ミサイル撃つなんて金正恩は悪い人です!なんてのがこの部類だ……。

いい歳をして、まあまあ、皆で仲良くやりましょうよ!とこれまた反論許さないよ!的な正論でイイ人を自認してるおバカも恥ずかしい。

普通にある程度を経験して育てば『皆で仲良く』なんてのはお伽噺の中にしかない事を知っている筈なんだけど……。

イサカイを起こしモメるのが人間社会の常だけど……上手くモメようね!と話してる時に、こんなド外れたガキの正論を宣うのである……ああ、恥ずかしい。

断定的にモノ言う狭小な親に育てられ、早くから自己満足して大人になると、人は裁判官型のモノの見方、言い方をする様になる。
絶えず人を裁いているかの様に生きる勘違い人間である……。

こんなのがとても多く、恥ずかしい正論はそこら中で語られ、世の中を生き辛くしているのである。彼等、彼女等にはその自分の姿の恥ずかしさは見えないのである。だから何時も悦に入っている……。

間違えても、何とか復元し真っ当な人間を演りながら生きたければ……『犯罪者型人間』を生きる事だ……。
自分は何か、間違えてはいないか?人に害を与えてないか?……絶えず自己チェックできるからである……。

恥ずかしい正論は、必ず被害者を演りながら生きてる人が口にする。
現実的で人に優しい暴論は……加害者を意識している人から話されるモノだ。

大抵恥ずかしい正論は、困窮している人の為にと提案される加害者型人間の
一見暴論と見えるけれど、現実的に役に立つであろう提案を悉く邪魔してみせるのである……。

本人の自己陶酔を他所に……その論は薄っぺらい正論を装いながら傍若無人に、現実的には本当に有用、有効な論を踏み潰しているのである……。
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