午下がりのサンチョパンサ

所詮人間……我田引水である

何処まで生きても人間は……所詮、我田引水を演る動物である。

盗人だって三分の理を百の正義に誂(あつら)えて生きて行く……。
その態度……あたかも神仏かの如しである。

人は出会いイサカイもあり、共鳴もし、共感し反目もする。
気が付けば離れた人多く……その時々に去来した感情も忘れ去る。

激して離反したコトは記憶にあれど……その経緯(いきさつ)なんぞは消え去っている。

時に神仏の如く怒り、時に捨てられた子犬の様に哀しく虚しさの虜になりながら……旅は続くのである。

何が言いたいか?……一つのコトに何時も関わった人の数だけ正義もあると言いたかった。

神を仏を気取ろうと……所詮その各々の正義は各々に欠陥を持っている。当たり前の話である。『だって人間だもの❗❗』だから……。

後になれば……誰でも分かる。
正義云々より……ソコに自分は『自分の限り』を尽くしたのか否か?
所詮、自分は、我田引水を演ったのだと……。

自分の『我田引水』に納得があれば良いのである。人間同士だからお互いの我田引水の取り組みなのだから……。

人多く……後になって、自分の権利に比して相手にその何倍もの義務を要求していたコトに赤面する……。

所詮、不完全な人間だからこそ……『その時』、『そのコト』に、『その人に』、『その関わり』に『自分の限り』を尽くしたい❗と思う……。

『一期一会』ってつくづく怖い言葉だと思う……。

『自分の限り』って奴は……『自分の悪人振り』にかなり深く気付かないと出来るモンじゃないのである。

大抵の場合、自分の無意識で『安易な我田引水』が罷り通るコトになる。
『相手が気付くべき❗』とする怒りさえ……自分勝手な我田引水なのだと最近思い至った……。

相手は相手。その人の我田引水を生きて行く……。そんなの端から知ったこっちゃないのである。

麻生の旦那はんは彼なりの我田引水を生きている。二階のドン様も、菅首相も、
街ですれ違ったオバハンもオッサンも……その人の『我田引水具合い』はその人の専権事項だってコトである。

『自分の大切』ってモノは……本当に大切にする人のみに残る……。
所詮、不完全な自分の『我田引水』を何処まで修正出来るのか?……ソレが人生のテーマなんだろうなぁ?……。

『完全無欠』は死んでからやっと手に入るモノである……という当たり前の話です……。

生きてるプロセスで……早い内から神、仏になろう❗なんて画策したって醜い我田引水の泥まみれを演じてるだけ……せめてその不細工な風景は見える人間で在りたいと思う……。
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