自己信頼の浅い人に……あ~あ……随分頑張って信頼もし、好条件で遇して来た積もりだったけれど……そんな風に使い込むんだね?なんてガッカリする方が間違ってる。
そう……自分を信じられない人が人を信頼する訳がないって分かっている……。
こっちが好きで演ったのだから恨む筋合いのモンじゃない?そんなの分かっている。勝手に舞い上がった自分の不明を恥じるしかないことも……。
でもでも……虚しくなる事くらい自分に許してやろう……。そんなに僕を粗末に扱うなよ?位の恨み節くらいは自分に許してやろう。
分かっていても……どうしても『人に期待する』ってのは人情というものだから……ね?
なぁ〜んて随分と『勝手な期待の空振り』を繰り返して生きて来たけれど……。
流石に失敗は沢山する程多くを学べるってのは本当である。
自己信頼が浅い人に対して…過分の期待とか信頼を付与するのは『逆に虐待?する』ことになる?そんなイメージの負荷を相手のメンタルに与えるんだ!?……と学んだ。
相手は自分が知らない高いレベルの信用とか厚情を与えられると……必ず持て余し処置に困る?といった心情に追い込まれるんだろうな?……と。
逆に言えば……信用とか信頼に自分の『下手な期待』なる邪念を紛れ込ませるスケベ心の分は、
キッチリと削り取られて『自分の正味の心根』に相応しい返礼を受けることになる?……と。
相手の亀の甲羅の小ささを嘆く暇あれば……自分の甲羅の大きさこそを疑わなきゃね?
『裏切られた!!』なんて心は大騒ぎ?……しかしね、そりゃ自分のスケベ心の仕業でしょ?……とクールに諦める事に腐心することだ……。
そんな時……相手の甲羅の今後を計る方法は『意志を以て謝罪に及ぶか?』どうか?である。
もし?ソレを行うなら既に相手の甲羅の大きさは自分とイコール。
慢心して気を抜けば自分を超えていくポテンシャルさえ有していると思わなきゃならない。
事を単に上手く運ぶことより……間違いを犯し、その間違いを自ら正せる意志の方が遥かに上質だからである。