長年の経験則でそれを演る奴は基本お断りする。笑うからじゃなくふとした隙に本性って奴が顔を出す。ほんの瞬間覗く痛々しい本性はそこまでの好印象を悉く消し飛ばす。
基本的に今の自分の手持ちの力と技術だけでこれからの新局面を乗り切ろうとしている。だから進歩しない。それによって生じる不都合は『満面の笑み』で何とかなる?と踏んでいるんだと思う。
そんな『育ちの段階で見付けたお家のルール』を頑なに持ち出してくるのである。
頑ななセオリーから外れると当然の如く自分正義だから非は必ず自分以外にある!とする。それがこのタイプの論理である。
ここからは『また』誤解を恐れずに言う範疇の意見。気が進まなきゃここで読むのを止めて下さいな。
結婚のパートナーを求めるのも相手のキャラとか夢?とか矜持なんぞは目もくれない。先ず年収は満足出来るモノか?と相手は自分の要求に従順に従うか?大きくこの二点で判断している様に感じる。
この手の女は強烈な支配欲求をその笑顔の下に隠し持っているのが通り相場である。
ただ、それをして嬉々として従いたがる男も多いから文句はない。
ま、勝手に調和なさって下さいなって事だけど。
ただし社会のオフィシャルな場ではこの手の女は絶対に出してはならぬ『私』を以てして引っ掻き回すという話である。
郷愁で言うんじゃなく……もう少し貧しかった時代のこの国ではそんな例は希でありとても少なかった。
これはアメリカ式の女性の尊重の影響なのか?この国の男女共同参画の結果なのか?
もし時代の流れとか社会のシステム変化で失われたというなら所詮その時代の女のプライドも……そんだけのモノだったんだと思う。
女の側から言えば……何時もニコニコ何も反対しない男、しかし一方で一切の意思決定があやふやで女の言いなりなんて男はどうして増えたのよ?ってな不満があるやも知れない。
今の自分に『必要な変化の認知』は客観性を必要とする。
しかし自分の決めた王道を行く『私的な錦の御旗』を隠し持つ女は自分を変えず相手に妥協を要求する。喜んで従え!……と。満面に笑みを浮かべてである。
社会常識的なNOも……この手の女に取っては我満ならない『非常識な拒否』と理解され『信じらんない横暴』として認識されるのである。
パワハラだのセクハラだのモラハラだので脅されてる世の中の男達は理由どうあれ……表立った摩擦や軋轢を極端に恐れる。烙印を押されかねないからである。
そんな人種の女の『我が主張命』のスタンス。
私的お家の甘やかしルールは斯くして結構な影響力を発揮するらしい。
防御策は……接点を持たないこと。即ち採用しないことである。触らぬ神に祟りなしが唯一の有効な手立てだからである……。