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サンチョパンサの憂鬱

傍若無人は人を諦めさせる

傍若無人って奴の……何処をどう捉えても救いのある部分はない。僭越と不遜と思い上がりと卑劣の結晶だからである。

無礼だのという温厚な責め言葉では捉え切れない歪んだメンタルの振る舞いをご披露される方々は数多いる。

その時の瞬間の状況とか雰囲気に舞い上がって行われた『傍若無人』だけど……。
これを演った奴の99%は時を経ると犯罪者よろしく『現場に舞い戻って来る』のである。当方から言えば見たくもない顔をまた晒しにやって来る。

その心理の程は前にも書いたけど……。
知りたくもなく、また分かり様もないけれど……必ず現場に舞い戻って来る。詰まり目の前に現れてくれるのである。

その時のテンションのままで振る舞って良いのか?少し謙虚が良いか?探りを入れてる風である。自信なく俊巡が垣間見えるから演ったことの思い上がりぶりは自覚が出来てるのか?も……。

偶然前後両方の場面に居合わせた人が言った。

人は思い上がるし自分を勘違いすることもある。許せはしないがもう会うこともないとアイツを諦めてはやった。
しかしイケシャアと顔を出す道理は何処から来るのか?……その神経はしつこく限界集落を襲う野猿並みなんじゃね?……論外と。

その種の人間は人違えどその態度は皆さん一致する。『無かった事にして』、シャラッと現場に現れるのである。

人を断罪するのも自分の大罪をいとも簡単に赦免するのも……全~部自分一人の思うまま決めるのである。

ここは上手く演ったとそんな風に一つ一つを積み重ねて日々を過ごせば……こういう人はシリアスなリアリティーを失うんだと思う。
目が虚ろに泳ぐ所に、本人も罪の残り香を感じている節はあるけれど……。

陰に日向にあれだけ口を極めて悪し様に扱われた人間から言えば……申し訳なさで二度とお会いしないことがせめてもの礼儀と心得ているから……その姿が視野に入るとたまげるのである。一番見てはいけない存在の姿に言葉を失うのである……。

正直……純粋に怖いのである。

自分の大罪を何の手続きなく無かった事に出来る神経も……同じ相手に何がどうしたというのか?何やら親愛めいた笑顔を向ける神経は……尋常ではないからである。

前後の経緯関係なくいきなり人を裏切り切りつけられる人間は……自分もまたその恐怖に怯えている。自分もやるから人から演られても当然だから……。

考えて見れば『怖い世界観』ではある。
そんな世界を生き抜いてる彼等は心がツオイ。とてもタフなんだろう。
ま、世間ではそれを『麻痺してる』って言うけれど……。

人から憎まれてる内が華って事なんだけど傍若無人さんはお好きにどうぞと何もかもを肯定されてしまうのである。
腹立つもなく責めるでもなく……横暴を受けた人はその人の全てを『諦め受け入れる』のである。
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