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サンチョパンサの憂鬱

夕刻のサンチョパンサ……無知は恐怖を連れて来る

グーグルにエマーソンの『恐怖は無知から生まれる』という有名な言葉を例に『底辺を知る者の強み』について書かれたモノを読んだ。

『僕は貧乏に強いんだ』というのは強がりでもなんでもなく僕のホンネ。
ま、強いというより『馴染んでいる?』といったニュアンスに近い。

昔、母から聞いた話だけど父親は経済環境に恵まれた少年時代を過ごしたらしい。
かなり広い農地と祖父は校長先生という環境でいわゆる『ボンボン育ち』……。

ソレが戦争となり満州鉄道勤めから召集され兵隊になりそのまんま捕虜となりシベリア収容所で数年……九死に一生を得て何とか復員した。

そして母と結婚。当初父は変な事を自慢していたと……。村で最初に自転車を買ってもらった?とかの類の哀しい話は全部負け惜しみに聞こえた……と母親は言っていた。

戦争はそんな恵まれた状況を一変させ農地は減り身体を壊していた父親は入退院の繰り返し。
嫁いで来てからおカネ持ちの暮らしなんて終ぞしたことはなかったと母親は嘆いていたものだった。

そんな中で生まれた僕達兄弟は『生粋の貧乏人』だった。

戦争、シベリアの捕虜生活、やっと帰国すれば病の洗礼……という時代の変遷の中で父親は価値観を切り換えざるを得なかったのかも知れない。
貧しい食事も何とか楽しもうと様々の工夫をしていたのを思い出す。

そのお陰で生活は貧しいが悲惨じゃなかった。 

浜田省吾は『自由に生きてく方法なんて百通りだってあるさ……』なぁ~んて唄ってたけれど……
おカネが無くても『工夫して楽しく生きる方法なんて百通りだってある』ということを僕は父親のお陰で知った。

知らずしらずの内に貧乏暮らしの英才教育されて育ったんだと思う。

白いご飯とお漬物で基本的に喜べる。メザシが付けば文句なし。畑に何本かのお茶の木かあったから自家製の緑茶で最高の晩餐となった。

野山の草いきれの中で山菜を採り裏山でタケノコや様々のキノコ類。
畑には四季おりおりの野菜。チシャの苦味、春菊の香り……etc。

カネを頼り贅を尽くした料理も勿論美味しいけれど……素材そのものの味や香りを愉しめるから僕は貧乏は怖くない。
そう……『僕は貧乏を知っている』のである。

人類の歴史の90%を超える時間は『超極貧の時代』なのである……。
利便性豊かにカネにまかせて贅沢を味わえるようになったのはほんの僅かな時代しかない。

その超極貧の時代にも……人生を愉しんだ人もいれば嘆いてばかりで時を過ごした人もいただろう。
カネがなきゃ楽しめない?と嘆き、俯いてしまう人に足りないのは実はカネじゃないのである。
『どんな時間も愉しもう!とする意欲』が無いのである。

幸不幸は人の心のベクトル次第だと知っていることは『楽しい人生』を保証する。
カネの有無なんて時と運次第だけど『楽しく生きるぞ!』という『心意気は誰に盗まれる事はない』のである。

『想像』は良くも悪くも過大なイメージを導くもの……。
人間は現実の目の前に対処することしか出来ない。
嫌な事態がやって来た?となったら『一体どんなものか?確かめてやろう!』……そんな心で対面してみることだと思う。

『想像』を使って自分を脅迫している場合は多い。

どうせなら?想像を一步進めて自分ならどの様に?楽しめるか?そんな『シュミレーションゲーム』にしてしまうと良いと思う。

僕が貧乏を怖がらないのは?
ソレを僕は既に『知っているから』に他ならない。『シュミレーション』は知らないことを理解するのにとても有効な方法です。

差別心も憂鬱も『知らないこと・無知故に』生じさせている。
『想像して見ること』は知ることへの第一歩となる。すると何時しかどんな窮地も『ゲーム化する』のである。

ゲームとなればしめたもの。だってゲームは難易度高いものほど楽しいのだから……。
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