サンチョパンサの憂鬱

ムッシュボヴァリーとその系譜の女達……言葉の軽重

一つの言葉を聞くにせよ発するにせよ……考慮されるべきは、その一言のやり取りに『どんな意味が含まれるか?』が重要なんだけど……。

ムッシュボヴァリー氏とその系譜の女達はそれを考察しないで扱う事を武器と勘違いしている。まさに凡庸が武器と化し『無邪気な悪意』
の本領発揮となる。

その一言の言葉の中には……想いの他相手を貶(おとし)めたりする部分と、その結果それを口にした自分の価値もまた貶めてしまう両刃の剣となる『深い意味』を含んでいるものだ……。

『モノは言い様』なんだけど、彼等は往々にして『誰が?』言ったか?を省いて『……らしい』という表現をもって真実味を付加しながら実のところ真っ赤な嘘を『世論に仕立て上げる』のである。

彼等は重い意味を持つ言葉を実に軽く扱っていく。
恐らく無意識なのだろうが、その扱い方が信憑性の効果を生むのである。

軽々に、その様な断を下すべきではない発言が、冗談の様に然り気無く交わされている?……その風景が既にそれは既成事実かの様な効果を生むという運びである。

勿論、後になって事実がその嘘を暴いていくのだが……軽く口にした言葉故に……また軽いエクスキューズ一つで、自ら貶めた自分の価値を復元出来るかの様に思っているのである。

緊張感を欠いた言葉の羅列が何れだけ醜悪なのか?恐らく死ぬまで彼等が気付くことはないだろう……。
『その存在が罪』と評されてしまう原因がソコにある……。

その慢心を支えているのが主語を省いた『……らしい』という言い回しである。発言の際には、用意周到に私が言った事じゃない!のアリバイを忍ばせてもいる。

軽い言葉をもって、人の重い運命の行方を左右している様な万能感を得ようとする心理の裏には……自分に対する肯定感を喪失している現実がある。

『自分で考え、自分の責任でそれを行う』という成熟した心理で自分を運営出来ないコンプレックスに急かされた哀しい心理の為せる業(わざ) なのである。

その結果を受けての相手の冷淡な態度だったり、構うに足りないといった軽い応対がムッシュボヴァリーに向けられる事になる。

言葉が軽く、責任も軽くだから彼等はそこまでの経緯を忘れている?のか忘れた振りなのか?は判然としないのだが、彼等はあろう事か、『何だ!あの態度は?』と今度は被害者になって見せるのである。

言葉の重みと恥を知らぬ居直りに過ぎないのだが……彼等は厭きることなく延々と被害者の演技を続けるのである。

結局、何処まで行っても彼等の『裁判官の積もり』は終わることはない。

自分は他人の事の是非を無軌道に語っても……自分が相手から審判を受ける立場でもあるという側面は見事に抜け落ちている……。

彼等の正論正義は金正恩の主張と大差はないのである。
口は重宝なモノ?だけど人を切り付けるだけじゃなく、同じだけ自分にも向かうモノなのである……。

ムッシュボヴァリーとその系譜の女達は人に傷つけられる前に、実に自虐的に自分を傷付け自分を苛むネタを言葉を以て日々仕込んでいる……。ムッシュボヴァリーの様にその自覚のなさこそが彼等の救いであると同時に……凡庸の深い罪でもある……。
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