単にモラトリアムしたかっただけかも知れない?と思う一方いや、飼い慣らされる一生に本気で組み込まれたくなかった?……とも思う。
『皆が言う?』当たり前の流れにはどうにも怪しさがあった。少なくとも自分はそう感じた。
しかし、その皆が言う風潮に属さない自分が……不安で不安で仕方なかったのも事実だ。
僕の様なタイプが殊更に、『皆の言うこと』に反発してしまうのは、皆の言うことにはそれなりの圧力があるからなんだと思う。
そんな『皆の圧力』に気圧されてなびきそうになった時に……僕は自分に聞く。同調圧力に負けて従えば、楽になるのは確かだ。
それじゃお前は?……そのまま生きていけるのか?……と。
それをリアルに想像すれば無理だ!……となる。自分にはそれは絶対に無理だ!とやっと自分の本意が応えてくる。
ソコまでしなければ自分の本意は沈黙してしまうのである。
そんな自問自答の繰り返し。
そのプロセスは自分というものを確認するのにとても大切な役割を果たす。
詰まり……自分の弱さと……自分の強さだ。
臆病を越えてそれでも自分で在りたいという欲求を見付けた時に……本当の覚悟が出来るのである。
自分の弱さを恥じてはいけない。
自分の弱さに流れてもいけない。
自分の弱さを認めた時に……弱さは最大の武器になる。
弱さを受け入れない強さは…子供の強がりに他ならない。
自分の弱さに迷い、クヨクヨしてる人を見るとき……僕は思う。
この人は信用出来る……と。
その人は自分に正直に生きているからである……。
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