ブログに書き残してきたことを時間が経ったけど書いていこうのコーナー!
ひとまず、1月の思い出はブログに全部書いてきました。(ここにまとめてあります。)
「あらためまして、1月を振り返ろう!~完全版~ そして2月へ・・・」
なので2月の思い出を書いているわけですが、2/11(土)~12(日)のBLUES『妄想☆探偵 煩悩寺オサム』に関する思い出はリアルタイムで更新してきました。(ここにまとめてあります。)
「BLUES「妄想☆探偵 煩悩寺オサム」の思い出をまとめよう!」
という訳で、それ以外の2月の思い出を順番に振り返って更新していたのですが、BLUESより前の思い出はすべて更新が終わりました。(少し前の記事を振り返って読んでみてください)
なのでここからは、いよいよBLUESより後の思い出を書いていこうと思います!(少しずつ時代に追い付いてきた!)
そんな訳で、今回は2/21(火)の思い出を書いていきます。
と言うのも、この日は朝からバイトして、帰って来てから午後にずっと両親と話していたのですが、その中で自分の障害についてすごくショッキングなことに気付いてしまいまして・・・と言う訳で、長くなり過ぎない程度にまとめて書いていきます。
そもそものきっかけは、ちょうどこの日は世の中では確定申告が行われている時期だったのですが、確定申告が一体どういうものなのか、ということを、俺がまったく理解できない、というところから話は始まりまして、まあ、ひとまず確定申告は今の自分には必要ないものだからそんなに悩まなくてもいいのですが、なんか世の中の人達が普通にやっていることが理解できない、ということに対して、俺はこの日本でまともに生きていくことも出来ないダメな奴だ!と物凄く大袈裟にショックを受けてしまいまして、それに対して両親が「確定申告と言うのは…」と教えてくれたのに、「いくら説明なんかされたってどうせ俺には分からねーよ!」と勝手に一人で怒り出してしまったのですね。
そんなことを話しているうちに、5年前に確定申告のテレフォンアポイントメントをやった時に、一週間の講習を受けたけど言ってることがまったく何一つ理解できずに、嗚呼、世の中には頑張れば何とかなることと頑張ってもどうにもならないことがあるけど、これはもうどうにもならないことだ!といよいよ明日から仕事開始という最後の講習の途中で「すみません今日でやめます」と逃げるように帰って来た時のことなんかも思い出してしまって、みんなが普通に出来るような仕事もまともに出来ない俺に出来る仕事なんで世の中にはもう全然ねーんだ!と更に深くショックを勝手に受けてしまっていました。
そんなことを悩んでいるうちに、どうして俺はこんなに多くの人が出来ることが出来ないのだろうかという気持ちにどんどんなっていってしまって、それについてずっと考えているうちに、これは恐らく生まれつきのことで、昔から俺はずっとそうだった、という気持ちになり、どんどん昔の記憶を思い出していってしまいました。
その中で一番思ったことは、やっぱり高校卒業までの新潟で過ごした18年間のことで、そりゃ嫌なことばかりではなかったし楽しい思い出だってたくさんあったんですけど、やっぱり周りに馴染めなかった思い出が強く印象に残っていて、そして当時はそのことを悩んでいたというよりも、子供だったから何に対して悩んでいるのかも分からずに、何が何だか分からないけれどただただ居心地の悪さばかりを感じながら新潟で育ってしまったことに気付いたのです。
例えば俺は昔から、将来のことがまったく考えられない子供でした。
よく、大人になったら何になりたいとか将来の目標とか聞かれたりするたびに、どうしても大人になった自分を一つも想像することが出来ないという、まったく夢を見ることの出来ない子供でした。
そして、それはそのまま高校進学や大学進学の時もまったく同じで、どんなに勉強が嫌いな人でも何となく持っていたいつか自分は卒業したら進学するという将来像というものを、俺は本当にまったく考えることが出来なかったのです。
中学でも高校でも、勉強が嫌いとかテストが面倒臭いと言っていた友人は大勢いたので、俺みたいな人達は大勢いるんだなと安心していたというのに、そんな人達でも卒業が近付くとどこに進学したいとか話し出すし突然勉強を頑張り出すしで、あれ、なんかおかしいぞと、みんな俺と一緒だと思っていたのにあれれ全然違うぞと、自分だけが周りと全然違うぞ、という気持ちにいつもなっていました。
正直に言うと俺はそこまで勉強は嫌いでもなかったのですが、ちひろは勉強は出来るのにどうして受験のことはそんなに考えられないの?って言われたりして、その、俺の受験の考えられなさは本当に面倒臭いとかそういう次元じゃなくて、本当に今より先の将来のことがまったく考えられないというか、現在より先のことを計算するという部分が俺の中に圧倒的に欠如しているんだと思うのです。
で、この感覚って色んな人にも話しても本当に全然理解されない感覚っぽくて、この日は母からも「あんたの言いたいことは何となく分かるけど正直私には理解できないよ」と言われたりして、なかなかショックでした。
要するに、計算が出来ないっていうのが俺の障害の特徴だと思うんですけど、これは人間関係にも言えて、例えば中学にも高校にもスクールカーストやヒエラルキーみたいな無言のルールとか駆け引きとかがたくさん存在しているのに、俺はそれが本当に理解できなくて、今でもみんなが人からこう思われたいからこう振る舞おうとかしているのとかが俺は本当に自分は分からなくて、だから本当に思ったことしか言えなくて、本音で付き合える人としか本当に付き合えないんです。
で、それは今となってはああ俺ってこういうのが苦手なんだなあ…って何となく分かるんですけど、当時は俺が何が苦手で何が出来ないのかがよく分からなくて、それなのにみんなはクラスの中に存在する何かそういう人間関係の目に見えない何かの中で生きているっぽいのに対して、何が気持ち悪いのか分からないのにどうしようもなく気持ち悪いという居心地の悪さを常に感じながら思春期を過ごしてしまった新潟に今も住んでいるので、正直今でも素直に新潟を好きになれない部分があります。
けどまあ悪いことばかりじゃなくて、例えば他人と自分を比較したりも出来ないから、他人を見下したり僻んだりもしなくて、だから人の不幸は蜜の味ってのも本当にまったく理解できなくて、その所為で俺は人に悪口を言ったりしない人間に育てたから、それはまあいいことなのかなあ…って気もしました。
でも、多分世の中の人達は他人より自分が上に行きたいとかよく見られないとか思いながら生きているのがおそらく多数派なんだろうなあ…ということにも、この年齢になると気付きつつあるので、だから、やっぱり自分は少数派なんだなあという気持ちは今でもあります。
で、俺が気付いてまったのが、俺が「人の不幸は蜜の味」を本当にまったく理解できないのと同じように、きっと世の中の多くの人は俺のこの生きづらさもまったく理解できないんだろうなあ、という、実は今まで考えないようにしてきた世の中の仕組みに、この時初めて気付いてしまったのが、俺は本当にショックだったんです。
何ていうか、それまではそりゃ自分は障害とかあるけどみんなそれぞれ生きづらさを抱えているのだから、まあなんとなくみんなもこういう感じあるんだろうなあ…とぼんやり楽観的に考えていたので、いや、そうでもないぞ…と、俺、かなりマイノリティだぞ、下手したら理解者なんて全然いないぞという気持ちになってしまいました。
正直、こんなに誰かから理解して欲しいという気持ちが強くなってしまったのは久し振りでした。
そんな気持ちになってしまって、そのことに気付いたショックが本当に大きくて、両親の前で子供みたいに泣き出してしまいました。
両親の前で本当に子供みたいに泣いてしまって、と言うか、俺は両親の子供なのは当たり前なんですけど、本当に俺はいつまで経ってもこの人達の子供なんだなあと、しみじみ思ってしまって、それまでずっと子供時代のことを振り返っていただけに、ここまでの30年間の両親と自分のことを考えてしまって、さらに泣いてしまいまして、要するに、俺は両親のことが好きなんです。
こんな人間がここまで何とか生きて来られたことは、本当にいい両親のもとに生まれたからだと思ってるし、家庭環境に恵まれない人も多い世の中で俺はきっとかなり恵まれているんだなあと今でも思っています。
そして俺は自分のことがダメな人間だと思ってるけど、自分のことは何だかんだ好きだし、千尋という名前も大好きなんですけど、それはきっと両親が自分のことを嫌いにならないような人間に育ててくれたからだと思っています。
散々俺は自分の障害のこととか自分がマイノリティで人から理解されないとか言ってきたけど、それでも俺はこういう人間に育ってしまったのだから、もうそういう自分を今更捨てたくもないし、それはもしかしたら、両親が千尋は千尋のままでいいって育ててくれたからで、障害はその副産物なのかも知れないと考えているくらいなので、俺はこの先もずっと自分のままで障害という個性も込みで生きていくしかないと思ってるしそうするつもりです。
何度も言うけど、本当にいい両親だと思ってて、そんな俺がいい両親だなあと思っている一番古い記憶が、俺が3歳くらいの誕生日に両親がドラえもんの顔のケーキを買ってくれた時に、俺がドラえもんの顔を切ったら可哀想だって言って泣いてしまってその時両親は、ドラえもんの顔を切らないように表面だけ薄く切り取ってくれて、下の部分だけ食べました。
その件はとっくにもう解決してるんだけど、その時の幼い自分が泣いた時の気持ちが突然フラッシュバックしてしまったのと、それでもいい両親だなあっていう気持ちと、そこまで両親とずっと話していた自分の障害に対するショックが全部ごちゃまぜになって、もう何が何だかよく分からない感じで、とにかくその日の午後に俺はずっと泣き続けていて、両親が出掛けて行った後も一人でずっと泣き続けていました。
と言う訳で、2/21(火)という日はひたすら頭の中がぐちゃぐちゃになって泣きまくって過ごしました!
いやー、こんなに泣いたのは久し振りでしたねえ・・・でもたまにはこうして泣くことも大事なのかも知れません。
ただですね、この日は泣いた分だけ笑ったこともたくさんあったんです!
今からそれを列挙していきます!
①90年代J-POPの歌詞の妙な迫力!
泣きながら取り敢えずインターネットをやっていたら、面白過ぎるサイトを発見してしまいまして、それまで泣いていたことが全部吹っ飛ぶくらい心の底から笑い転げました!
「90年代J-POPの歌詞の妙な迫力を見よ」
②大森靖子ゲリラカラオケ大阪!
Twitterを見ていたら、大森靖子さんが大阪で暇が出来たからと言って、なんとカラオケボックスを抑えて誰でもウェルカムなゲリラカラオケを敢行という衝撃の情報が!
その模様はハッシュタグ「#大森靖子ゲリラカラオケ大阪」でツイートされていたので、検索してずっと見ていたところ、会場からツイキャス配信をしている人まで現れて、ずっと見ていたんですけど、本当に楽しそうにもほどがある空間がそこに広がっていて、羨ましいなあ!と思いつつも、ネット越しに幸せな気持ちがガンガン伝わってきて、気付けばすごく元気づけられていた自分がいました。
その模様は、NAVERにまとめてくれた人がいたので、ここから見てみてください。
「大森靖子さん 心斎橋コートダジュールで開催されたゲリラカラオケ #大森靖子ゲリラカラオケ大阪」
③セブンイレブンに坂田坂田登場!

何となくコンビニに行くと、そこで坂田坂田と出会ってしまった!
坂田坂田は仕事の合間に休憩でコンビニに寄ったらしかったのですが、しばらく30分くらいダラダラ話していたらすごく楽しかったです!
と言う訳で、泣いたり笑ったり色々あるけど、これからも舞い上がっていこうぜ!
舞い上がる。の思い出はまだまだ続きます!
ひとまず、1月の思い出はブログに全部書いてきました。(ここにまとめてあります。)
「あらためまして、1月を振り返ろう!~完全版~ そして2月へ・・・」
なので2月の思い出を書いているわけですが、2/11(土)~12(日)のBLUES『妄想☆探偵 煩悩寺オサム』に関する思い出はリアルタイムで更新してきました。(ここにまとめてあります。)
「BLUES「妄想☆探偵 煩悩寺オサム」の思い出をまとめよう!」
という訳で、それ以外の2月の思い出を順番に振り返って更新していたのですが、BLUESより前の思い出はすべて更新が終わりました。(少し前の記事を振り返って読んでみてください)
なのでここからは、いよいよBLUESより後の思い出を書いていこうと思います!(少しずつ時代に追い付いてきた!)
そんな訳で、今回は2/21(火)の思い出を書いていきます。
と言うのも、この日は朝からバイトして、帰って来てから午後にずっと両親と話していたのですが、その中で自分の障害についてすごくショッキングなことに気付いてしまいまして・・・と言う訳で、長くなり過ぎない程度にまとめて書いていきます。
そもそものきっかけは、ちょうどこの日は世の中では確定申告が行われている時期だったのですが、確定申告が一体どういうものなのか、ということを、俺がまったく理解できない、というところから話は始まりまして、まあ、ひとまず確定申告は今の自分には必要ないものだからそんなに悩まなくてもいいのですが、なんか世の中の人達が普通にやっていることが理解できない、ということに対して、俺はこの日本でまともに生きていくことも出来ないダメな奴だ!と物凄く大袈裟にショックを受けてしまいまして、それに対して両親が「確定申告と言うのは…」と教えてくれたのに、「いくら説明なんかされたってどうせ俺には分からねーよ!」と勝手に一人で怒り出してしまったのですね。
そんなことを話しているうちに、5年前に確定申告のテレフォンアポイントメントをやった時に、一週間の講習を受けたけど言ってることがまったく何一つ理解できずに、嗚呼、世の中には頑張れば何とかなることと頑張ってもどうにもならないことがあるけど、これはもうどうにもならないことだ!といよいよ明日から仕事開始という最後の講習の途中で「すみません今日でやめます」と逃げるように帰って来た時のことなんかも思い出してしまって、みんなが普通に出来るような仕事もまともに出来ない俺に出来る仕事なんで世の中にはもう全然ねーんだ!と更に深くショックを勝手に受けてしまっていました。
そんなことを悩んでいるうちに、どうして俺はこんなに多くの人が出来ることが出来ないのだろうかという気持ちにどんどんなっていってしまって、それについてずっと考えているうちに、これは恐らく生まれつきのことで、昔から俺はずっとそうだった、という気持ちになり、どんどん昔の記憶を思い出していってしまいました。
その中で一番思ったことは、やっぱり高校卒業までの新潟で過ごした18年間のことで、そりゃ嫌なことばかりではなかったし楽しい思い出だってたくさんあったんですけど、やっぱり周りに馴染めなかった思い出が強く印象に残っていて、そして当時はそのことを悩んでいたというよりも、子供だったから何に対して悩んでいるのかも分からずに、何が何だか分からないけれどただただ居心地の悪さばかりを感じながら新潟で育ってしまったことに気付いたのです。
例えば俺は昔から、将来のことがまったく考えられない子供でした。
よく、大人になったら何になりたいとか将来の目標とか聞かれたりするたびに、どうしても大人になった自分を一つも想像することが出来ないという、まったく夢を見ることの出来ない子供でした。
そして、それはそのまま高校進学や大学進学の時もまったく同じで、どんなに勉強が嫌いな人でも何となく持っていたいつか自分は卒業したら進学するという将来像というものを、俺は本当にまったく考えることが出来なかったのです。
中学でも高校でも、勉強が嫌いとかテストが面倒臭いと言っていた友人は大勢いたので、俺みたいな人達は大勢いるんだなと安心していたというのに、そんな人達でも卒業が近付くとどこに進学したいとか話し出すし突然勉強を頑張り出すしで、あれ、なんかおかしいぞと、みんな俺と一緒だと思っていたのにあれれ全然違うぞと、自分だけが周りと全然違うぞ、という気持ちにいつもなっていました。
正直に言うと俺はそこまで勉強は嫌いでもなかったのですが、ちひろは勉強は出来るのにどうして受験のことはそんなに考えられないの?って言われたりして、その、俺の受験の考えられなさは本当に面倒臭いとかそういう次元じゃなくて、本当に今より先の将来のことがまったく考えられないというか、現在より先のことを計算するという部分が俺の中に圧倒的に欠如しているんだと思うのです。
で、この感覚って色んな人にも話しても本当に全然理解されない感覚っぽくて、この日は母からも「あんたの言いたいことは何となく分かるけど正直私には理解できないよ」と言われたりして、なかなかショックでした。
要するに、計算が出来ないっていうのが俺の障害の特徴だと思うんですけど、これは人間関係にも言えて、例えば中学にも高校にもスクールカーストやヒエラルキーみたいな無言のルールとか駆け引きとかがたくさん存在しているのに、俺はそれが本当に理解できなくて、今でもみんなが人からこう思われたいからこう振る舞おうとかしているのとかが俺は本当に自分は分からなくて、だから本当に思ったことしか言えなくて、本音で付き合える人としか本当に付き合えないんです。
で、それは今となってはああ俺ってこういうのが苦手なんだなあ…って何となく分かるんですけど、当時は俺が何が苦手で何が出来ないのかがよく分からなくて、それなのにみんなはクラスの中に存在する何かそういう人間関係の目に見えない何かの中で生きているっぽいのに対して、何が気持ち悪いのか分からないのにどうしようもなく気持ち悪いという居心地の悪さを常に感じながら思春期を過ごしてしまった新潟に今も住んでいるので、正直今でも素直に新潟を好きになれない部分があります。
けどまあ悪いことばかりじゃなくて、例えば他人と自分を比較したりも出来ないから、他人を見下したり僻んだりもしなくて、だから人の不幸は蜜の味ってのも本当にまったく理解できなくて、その所為で俺は人に悪口を言ったりしない人間に育てたから、それはまあいいことなのかなあ…って気もしました。
でも、多分世の中の人達は他人より自分が上に行きたいとかよく見られないとか思いながら生きているのがおそらく多数派なんだろうなあ…ということにも、この年齢になると気付きつつあるので、だから、やっぱり自分は少数派なんだなあという気持ちは今でもあります。
で、俺が気付いてまったのが、俺が「人の不幸は蜜の味」を本当にまったく理解できないのと同じように、きっと世の中の多くの人は俺のこの生きづらさもまったく理解できないんだろうなあ、という、実は今まで考えないようにしてきた世の中の仕組みに、この時初めて気付いてしまったのが、俺は本当にショックだったんです。
何ていうか、それまではそりゃ自分は障害とかあるけどみんなそれぞれ生きづらさを抱えているのだから、まあなんとなくみんなもこういう感じあるんだろうなあ…とぼんやり楽観的に考えていたので、いや、そうでもないぞ…と、俺、かなりマイノリティだぞ、下手したら理解者なんて全然いないぞという気持ちになってしまいました。
正直、こんなに誰かから理解して欲しいという気持ちが強くなってしまったのは久し振りでした。
そんな気持ちになってしまって、そのことに気付いたショックが本当に大きくて、両親の前で子供みたいに泣き出してしまいました。
両親の前で本当に子供みたいに泣いてしまって、と言うか、俺は両親の子供なのは当たり前なんですけど、本当に俺はいつまで経ってもこの人達の子供なんだなあと、しみじみ思ってしまって、それまでずっと子供時代のことを振り返っていただけに、ここまでの30年間の両親と自分のことを考えてしまって、さらに泣いてしまいまして、要するに、俺は両親のことが好きなんです。
こんな人間がここまで何とか生きて来られたことは、本当にいい両親のもとに生まれたからだと思ってるし、家庭環境に恵まれない人も多い世の中で俺はきっとかなり恵まれているんだなあと今でも思っています。
そして俺は自分のことがダメな人間だと思ってるけど、自分のことは何だかんだ好きだし、千尋という名前も大好きなんですけど、それはきっと両親が自分のことを嫌いにならないような人間に育ててくれたからだと思っています。
散々俺は自分の障害のこととか自分がマイノリティで人から理解されないとか言ってきたけど、それでも俺はこういう人間に育ってしまったのだから、もうそういう自分を今更捨てたくもないし、それはもしかしたら、両親が千尋は千尋のままでいいって育ててくれたからで、障害はその副産物なのかも知れないと考えているくらいなので、俺はこの先もずっと自分のままで障害という個性も込みで生きていくしかないと思ってるしそうするつもりです。
何度も言うけど、本当にいい両親だと思ってて、そんな俺がいい両親だなあと思っている一番古い記憶が、俺が3歳くらいの誕生日に両親がドラえもんの顔のケーキを買ってくれた時に、俺がドラえもんの顔を切ったら可哀想だって言って泣いてしまってその時両親は、ドラえもんの顔を切らないように表面だけ薄く切り取ってくれて、下の部分だけ食べました。
その件はとっくにもう解決してるんだけど、その時の幼い自分が泣いた時の気持ちが突然フラッシュバックしてしまったのと、それでもいい両親だなあっていう気持ちと、そこまで両親とずっと話していた自分の障害に対するショックが全部ごちゃまぜになって、もう何が何だかよく分からない感じで、とにかくその日の午後に俺はずっと泣き続けていて、両親が出掛けて行った後も一人でずっと泣き続けていました。
と言う訳で、2/21(火)という日はひたすら頭の中がぐちゃぐちゃになって泣きまくって過ごしました!
いやー、こんなに泣いたのは久し振りでしたねえ・・・でもたまにはこうして泣くことも大事なのかも知れません。
ただですね、この日は泣いた分だけ笑ったこともたくさんあったんです!
今からそれを列挙していきます!
①90年代J-POPの歌詞の妙な迫力!
泣きながら取り敢えずインターネットをやっていたら、面白過ぎるサイトを発見してしまいまして、それまで泣いていたことが全部吹っ飛ぶくらい心の底から笑い転げました!
「90年代J-POPの歌詞の妙な迫力を見よ」
②大森靖子ゲリラカラオケ大阪!
Twitterを見ていたら、大森靖子さんが大阪で暇が出来たからと言って、なんとカラオケボックスを抑えて誰でもウェルカムなゲリラカラオケを敢行という衝撃の情報が!
その模様はハッシュタグ「#大森靖子ゲリラカラオケ大阪」でツイートされていたので、検索してずっと見ていたところ、会場からツイキャス配信をしている人まで現れて、ずっと見ていたんですけど、本当に楽しそうにもほどがある空間がそこに広がっていて、羨ましいなあ!と思いつつも、ネット越しに幸せな気持ちがガンガン伝わってきて、気付けばすごく元気づけられていた自分がいました。
その模様は、NAVERにまとめてくれた人がいたので、ここから見てみてください。
「大森靖子さん 心斎橋コートダジュールで開催されたゲリラカラオケ #大森靖子ゲリラカラオケ大阪」
③セブンイレブンに坂田坂田登場!

何となくコンビニに行くと、そこで坂田坂田と出会ってしまった!
坂田坂田は仕事の合間に休憩でコンビニに寄ったらしかったのですが、しばらく30分くらいダラダラ話していたらすごく楽しかったです!
と言う訳で、泣いたり笑ったり色々あるけど、これからも舞い上がっていこうぜ!
舞い上がる。の思い出はまだまだ続きます!
私も家族には色々な意味で迷惑をかけまくっているのですが病気の事に関して誰一人ああしろ、こうしろと強く言ってきませんし理解がある方だと思うので、ちひろさんと同じく家族には本当に恵まれていると思います。ありがたいです。
病気になって色々な物事を諦めたり手離したりせざるを得なくなることが多くて、なんで私だけが…と思ってしまいます。最近鬱病とは一生付き合っていかなければならないかもしれない、と思い始めました。共存なんてごめんですが…上手く付き合う方法を考えなければいけないのかもしれません。(話ズレましたすみません)
前もコメントいただきましたよね。
僕も病気があってもここまで育ててくれた両親には感謝していますし、病気は治したいに決まってる半面、病気含めてここまで生きてきた自分がいるので、これからも病気と一緒に生きていくのかなあと、何とも複雑な気持ちです。
これからもブログには色んなことを書いていくつもりなので、また読んだり、時にはコメントなんかもいただけたら嬉しいです。