おりょうの万葉浴

おりょうの万葉浴展・ ギャラリー香・2017年12月  

福川宗平の人生

2009-09-27 | 

                         長男の 

                     福川宗平は 

                       高校生で 

                  人生の進路を考える時期に

         父親に 

   何かのことで

 お怒りを 

  受けていました

                        「 地球の裏側 へ 

                     飛んで行ってしまえ 」 

                         と 

                 夫が申しますのが  

  聞こえましたので

 私 

  地球儀を

                    「 ササ~ 」と  

                      持って行きまして

  わたしは 

言いました 

  「  地球の裏側って?  

                              どこかしら  

                            あら~  

                             ブラジルだわ !

   ブラジルって 

何をするのかしら  

  農業ね !  

                          農業を

                       するには  

                        どうしたら いいのかしら ?  

            あっそうだわ

  北海道庁に

電話して 

 聞いてみましょ !  」

                    北海道庁に お訪ね致しましたら

                   「 その高校生の方に  

                    体験農業をしてみるように 」 

                 との  

             お応えでした

   息子は  

北海道に行くと 

 「 ボクは土が好きみたい 」

                                  と

                                                                   いうことで 

                          高校卒業後に 

                    海外移住研究所という 

               ところから

   日本全国の

 農業から 

   牧畜や

        お花作りまで

                            様々な種類の

                           体験を 

                            積みまして

   北海道の  

山奥で 

 まだ 

     チョンマゲを結っているような

                          おじいさんの  

                        農家に  

                         行きました

  「 お前は 

2億円持っているのか? 

  持ってなかったら 

         養子になるか?

                          いやなら

                        ちょっと  

                         英語勉強して 

                 早いうちに 

      アメリカの

 飛行機で水まいたりする 

  スケールの

           でかい

                           農業 体験

                        してこい !  」 

       日本の国が資金援助して

   渡米させて頂いて

 農家で働きながら 

  農業専門学校で勉強させて頂ける

                        海外移住研究所の 

                       システムで 

                        アメリカへ渡りました

              アメリカ中の  

  農家で働いて

学校でも勉強する 

 という生活のなかで

                      とてもご親切な  

                  農家の オーナーの方が 

                    「 これからは 

        労働者よりも 

  農業の勉強を

 したほうがいいですよ 」 と 

   大学受験を 

         すすめてくださり

                        アメリカの短大から

                    4年生の大学生になった頃 

                                                「 カリフォルニア州の知事の方からの  

                     ご推薦で

   アップ イズ ザ ピープル

という  

  25才までの若者が 

                      ミュージックショーを しながら

                                         世界中を回る 」

                                                                という  

                           体験を  

一年間 

  その中でも

          セッコウタイというぉ役目で

                         グループが次に行く国に

                       先に行って 

                        ラジオ局とかで宣伝する

             仕事を与えられるほど

  生き甲斐のある

道に 

  進んだ 

              かのように 

                            思われた  

                              ところで

   「 やっぱり

農業の勉強をする! 」と 

  大学卒業後  

        マスターまで行って

                        お給料も

                     頂けるように 

                      なりました

   次に  

ドクタ‐に  

  合格したものの

                卒業にあと5年かかる

                             と 

                        いうことと  

                         外国人に対する風当たりが

                       良くないのか

     アルバイトしていた所で

ぉなじ日本人の友人が 

 ピストルでうたれて

                          亡くなってしまわれた  

                        ショックも  

                          あって

          11年のアメリカ生活を

    終えて

「 日本のスーツを着た 

   ビジネスマ~ンに 

          なりたい  」  

              と  

               言って

                           日本に

                        戻ってきました 

                            最初は 

          婿の 

   三浦健夫さまの 

 お兄様の会社に  

  入れて頂いて

             瀬戸内海で一番小さな 

          半径4km.の  

           直島という

               島で生活の後

                      アメリカのワイン会社などの

                   外資系の会社などに 

                     勤めさせていただきました

    18才で 

  家を出てから 

   どこに行っているのか 

            地図の上で 

                     追いかけるのが  

                      精一杯で

  幸勇さんも

 私も 

  心配しても仕方ない  

          と 

                         連絡がないのが 

                     無事な証拠!と 

                       思えるようになりました

               しかし 

   その人生体験は

 想像以上のことが 

   あると思います

            この 

                        今の時代に

                    世界を肌で感じて 

                      生きて 

  体験してきた人間に

 語って 

  ほしいですね

             どこにいっても

                         何をしても 

                     生きていける人間 

                       持ち帰ったアルバムには

   大自然ばかり 

映し出されて 

  います 

        農業というものを 

                        通じて

                   大地のエネルギーを 

                     いっぱい得ていたんだな 

           って 

  思います

だって 

 農業って

                             田舎の 

                            自然の 

                             素晴らしいとこ

                         ばかりですものね


   若い時に得た

 地球のパワーは 

   人生の後半に入って

                             断然 

                          生きてくると 

                            思うのです

   これからが

 楽しみです! 

     今まで 

            一度も 

                          あなたを訪ねて 

                       行かないで 

                        ごめんなさい

   信じていました

 これからの  

   未来の素晴らしい 

              あなたの人生に 

                            敬服いたします

                        母より 

                            ありがとう於良


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1 コメント

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Unknown (いむぞー)
2009-12-28 14:23:23
宗平さんをしっています。
アメリカのワインメーカーで一緒に勤務をしていました。ちょうど年賀状を書いていて、名前を検索したらこのアドレスに飛んで行きました。

もしなにか御協力できることがあればと思いメールしました。いまは三重県にいらっしゃいますよ。
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