おりょうの万葉浴

おりょうの万葉浴展・ ギャラリー香・2017年12月  

万葉集巻第5・798

2009-10-13 | 万葉集巻5
【妹が見し あふちの花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ 干なくに】

   山上憶良


筑前守だった【山上憶良】が、上司である太宰府の長官の
【大伴旅人】が愛する妻のを亡くした、心をさっして、旅人の身になって詠んだ歌です

旅人が筑前に行ったのは、聖武天皇の728年で、64才の、年の初めの頃でした。

そして

間もなく

妻の【大伴郎女】が(たぶんその年の3月末ころ)亡くなられました。


万葉集巻5の頭には、妻の死をいたんだ、漢詩と長短歌がのせられています。

その中で特に

【日本挽歌】と題された、【山上憶良】の【長歌】があって その【反歌五首】の中の一首です



妻が、生きている時に見ていた あふちの花は、もう 散ってしまいそうです 妻をしのんで 泣いている 私の涙も、まだかわいていないというのにね。



妻の死という現実におこったことを、受け入れることができなくて、悲しみというものは、たやすくなくならないことを歌っています

【あふちの花】は

【大伴旅人】の妻【大伴郎女】が、あまり目立つことのない、おとなしい女性の象徴となっていて

また

亡き妻に心ひかれて、憂いに沈んでいる、【大伴旅人】の心の象徴となっているようです

あふちの花は、小形で薄紫で、人目をひくような派手なお花ではありませんので、【山上憶良】は【大伴旅人】の心をいたわって、【あふちの花】に気持ちをたくして表現されていますね

【長歌】では、敬語を使っていることから、【山上憶良】の妻の歌でないことが、想像できるのですが、

【反歌五首】では、もう 自分の妻の死のことのように、まったく、【大伴旅人】の気持ちになりきって詠われていると

本を読んでわかりました。



人が心いためている時

その

そばにいる人

あなたの

心の中に入って

同じいたみを知ろうと

その人に

なりきってしまう

これも

【愛】

ありがとう於良

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