さぁ、「ちはやふる―めぐり―」の東京都予選は、
すごい闘いになりました!
前回、前々回のセリフの効果や、場面の効果で、
今後の展開が読めたような気がしましたが、
評論家のマネをして、予想をブログに書かなくて良かった!
なんと、瑞沢も北央もアドレも、
みんな予選敗退であります。
梅園は予想通りですが、この4校が敗者復活戦経由で最後の東京都代表の座を競います。
さすが、「ちはやふる」の脚本です。ねりに練っていますね。
第9話(首)は、映画のみんなが瑞沢OBで集合!とのことで、
密かに北央OBも出ないか期待していましたが、
残念ながら北央OBは無しでした。(第9話で)
―めぐり―は、めぐると凪、奏が軸で、
千早は中心にいないので仕方ないですね。
千早が軸でいれば、
須藤のSはドSのSさんの登場もあったでしょうか。
映画では、須藤の敵役が超効果的。
それでは、映画とドラマを振り返ってみましょう。
以下、ネタバレ。
映画では、自分が強いと自信満々の千早をくじいたのが、かるた会で対戦した須藤でした。
その後日、部室で千早は完敗の衝撃で机に突っ伏して抜け殻状態。
西田は新の強さに脱帽。畳に突っ伏し、
太一は運命戦での勝率ゼロに黒板にもたれて…。
―めぐり―では、第三話で似た構図がありましたね。
映画のそんな3人に力を与えたのが駒野でした。
そして東京都予選で、千早は須藤に勝ち、瑞沢も北央を倒し、
優勝して全国大会に出場決定。
ただ、自信を取り戻した千早は、
クイーンに勝つことを目標にし、個人練習を中心にしたため、
部活のみんなと徐々に離れてしまいます。
そして、太一ともケンカ。
主人公と仲間の対立が良く描かれています。
そんな千早の目を覚まさせたのが須藤でした。
北央に出稽古にきた千早に、須藤は完勝どころか、北央は千早に全員勝利。
須藤は千早にキレてしまいます。
ヒョロに「あれ持ってこい」と言って、
ヒョロが、「須藤さん、マズイっすよ」
なんて言った時は、
どんなお仕置きマシーンで、
ドSの須藤が怒るのか私は心配になりました。
今からでも、すいませんじゃなくて、
ごめんなさいと言った方が良いんじゃないかと思いましたが、
須藤が千早に向けて投げた物とは。
この場面が、意外性や敵役の効果になっています。
投げた物が1シーンでも事前にあれば、小道具の効果にもなっていましたね。
投げた物を読んだ千早が改心。
須藤の言葉を聞いて仲間の大切さに気付きます。
敵役が作ったターニングポイント!
後日、部室で千早がみんなに謝ると、
みんな許してくれて和解。
「一人じゃない」
という映画のテーマの完成に向けて、ドラマが進みます。
この時、奏が言った言葉が
「おかえりなさい」。
ドラマ、-めぐり―の第9話では、
奏が「ただいま」で、
めぐるが「おかえりなさい」
でしたね。
「ちはやふる」の物語の展開はよく練られており、
これから小説などを書く方には、教科書としてちょうど良いのではないでしょうか。
ぜひ、1シーンごとの内容をノートに取って、場面の展開の研究をしてみてください。
個人的には、それでいくと、
―上の句-の東京都予選前日の部室のシーンでの、
千早のセリフは、
「勝とうね」
ではなく、
「勝とうね。みんなで勝とうね」
の方が、
―結び―では、
自分たちで対戦相手のことを調べたノートを、北央に渡すシーンがあれば、なお最高だったと思います。
いずれにしろ、-めぐり―最終回では、どんな意外性や敵役の効果があるのか楽しみです。
そんな第9話は、国立市にある谷保天満宮ゆかりの、菅原道真さんの、「このたびは」の和歌が題名でした。(手向山は京都、奈良間の山でしょうか)
第8話は、小倉山(大堰川)の御幸時に、宇多法皇が仰った言葉を藤原忠平が詠んだ和歌が題名でした。
忠平は時平の弟で、時平は菅原道真さんに対抗した人。
宇多天皇は、即位前に皇族から離れていましたが、忠平の父、基経により皇族に復帰し、即位しました。
その宇多天皇は、基経の死後、悪の藤原政治を正そうとします。
さて、基経は、悪の藤原政治の典型ですが、
人事については実力主義の傾向があり、
職が空いても実力のある人がいないなら、補充をしませんでした。
そのため、
基経が亡くなった時、
要職にいる人は定数を割っていました。
さらに、後継者の息子時平は蔵人頭。
しかも21歳で、新人事で参議に昇進しますが、関白までは程遠い状況です。
さらに、宇多天皇の生母は藤原氏ではないため、悪の藤原政治を減退せしめるには絶好の機会です。
そこで、菅原道真を重用し、新しい政治(寛平の治)を始めます。
かつて、藤原冬嗣が蔵人頭になり、藤原北家の栄華の足掛かりをつくりましたが、
宇多天皇も菅原道真を蔵人頭に任命、
この時の、事実上の首班公卿は、大納言・源能有です。
さらにその後、宇多天皇譲位、13歳の醍醐天皇即位時に、
時平は大納言。
菅原道真は権大納言。
政務の代行は、主にこの二人となります。
その後、時平は左大臣。
菅原道真は右大臣まで位が上がります。
しかし、こののち、時平がでたらめな事件を作り、
菅原道真は大宰権帥になって、都から離れることになってしまいました。
このとき詠んだ和歌(現代語訳)が、
東風が吹く春になったら、風に乗せて香りを私のもとに届けておくれ梅の花よ
主(私)がいないからといって、春の訪れを忘れないで
というもので、多くの人の心に残りました。
鎌倉時代に、幕府の源実朝が、公暁に暗殺される直前に詠んだ和歌(現代語訳)
私が出ていけば主のいない宿となるだろう
そうなっても軒端の梅よ、春を忘れないでおくれ
や、式子内親王の和歌にも似た和歌がある程ですが、
百人一首に選ばれた菅原道真の和歌は、
このたびはからで始まる和歌でした。
さて、菅原道真は大宰府で亡くなってしまいますが、
この後、時平も39歳で死去。
藤原の氏の長者は、弟の忠平に代わりますが、
この時、権中納言として公卿に復帰した状況のため、
関白になるには程遠いものがあります。
醍醐天皇が摂政・関白をおかずに親政(延喜の治)をできたのは、
宇多天皇の藤原政治を抑える強い意思と、
藤原家の事情によるものが大きいといえます。
一方で、藤原氏が外戚として権力を持とうとする考え方は変わらず、
忠平のひ孫の藤原道長の時代に、摂関政治は全盛期を迎えることになります。
すごい闘いになりました!
前回、前々回のセリフの効果や、場面の効果で、
今後の展開が読めたような気がしましたが、
評論家のマネをして、予想をブログに書かなくて良かった!
なんと、瑞沢も北央もアドレも、
みんな予選敗退であります。
梅園は予想通りですが、この4校が敗者復活戦経由で最後の東京都代表の座を競います。
さすが、「ちはやふる」の脚本です。ねりに練っていますね。
第9話(首)は、映画のみんなが瑞沢OBで集合!とのことで、
密かに北央OBも出ないか期待していましたが、
残念ながら北央OBは無しでした。(第9話で)
―めぐり―は、めぐると凪、奏が軸で、
千早は中心にいないので仕方ないですね。
千早が軸でいれば、
須藤のSはドSのSさんの登場もあったでしょうか。
映画では、須藤の敵役が超効果的。
それでは、映画とドラマを振り返ってみましょう。
以下、ネタバレ。
映画では、自分が強いと自信満々の千早をくじいたのが、かるた会で対戦した須藤でした。
その後日、部室で千早は完敗の衝撃で机に突っ伏して抜け殻状態。
西田は新の強さに脱帽。畳に突っ伏し、
太一は運命戦での勝率ゼロに黒板にもたれて…。
―めぐり―では、第三話で似た構図がありましたね。
映画のそんな3人に力を与えたのが駒野でした。
そして東京都予選で、千早は須藤に勝ち、瑞沢も北央を倒し、
優勝して全国大会に出場決定。
ただ、自信を取り戻した千早は、
クイーンに勝つことを目標にし、個人練習を中心にしたため、
部活のみんなと徐々に離れてしまいます。
そして、太一ともケンカ。
主人公と仲間の対立が良く描かれています。
そんな千早の目を覚まさせたのが須藤でした。
北央に出稽古にきた千早に、須藤は完勝どころか、北央は千早に全員勝利。
須藤は千早にキレてしまいます。
ヒョロに「あれ持ってこい」と言って、
ヒョロが、「須藤さん、マズイっすよ」
なんて言った時は、
どんなお仕置きマシーンで、
ドSの須藤が怒るのか私は心配になりました。
今からでも、すいませんじゃなくて、
ごめんなさいと言った方が良いんじゃないかと思いましたが、
須藤が千早に向けて投げた物とは。
この場面が、意外性や敵役の効果になっています。
投げた物が1シーンでも事前にあれば、小道具の効果にもなっていましたね。
投げた物を読んだ千早が改心。
須藤の言葉を聞いて仲間の大切さに気付きます。
敵役が作ったターニングポイント!
後日、部室で千早がみんなに謝ると、
みんな許してくれて和解。
「一人じゃない」
という映画のテーマの完成に向けて、ドラマが進みます。
この時、奏が言った言葉が
「おかえりなさい」。
ドラマ、-めぐり―の第9話では、
奏が「ただいま」で、
めぐるが「おかえりなさい」
でしたね。
「ちはやふる」の物語の展開はよく練られており、
これから小説などを書く方には、教科書としてちょうど良いのではないでしょうか。
ぜひ、1シーンごとの内容をノートに取って、場面の展開の研究をしてみてください。
個人的には、それでいくと、
―上の句-の東京都予選前日の部室のシーンでの、
千早のセリフは、
「勝とうね」
ではなく、
「勝とうね。みんなで勝とうね」
の方が、
―結び―では、
自分たちで対戦相手のことを調べたノートを、北央に渡すシーンがあれば、なお最高だったと思います。
いずれにしろ、-めぐり―最終回では、どんな意外性や敵役の効果があるのか楽しみです。
そんな第9話は、国立市にある谷保天満宮ゆかりの、菅原道真さんの、「このたびは」の和歌が題名でした。(手向山は京都、奈良間の山でしょうか)
第8話は、小倉山(大堰川)の御幸時に、宇多法皇が仰った言葉を藤原忠平が詠んだ和歌が題名でした。
忠平は時平の弟で、時平は菅原道真さんに対抗した人。
宇多天皇は、即位前に皇族から離れていましたが、忠平の父、基経により皇族に復帰し、即位しました。
その宇多天皇は、基経の死後、悪の藤原政治を正そうとします。
さて、基経は、悪の藤原政治の典型ですが、
人事については実力主義の傾向があり、
職が空いても実力のある人がいないなら、補充をしませんでした。
そのため、
基経が亡くなった時、
要職にいる人は定数を割っていました。
さらに、後継者の息子時平は蔵人頭。
しかも21歳で、新人事で参議に昇進しますが、関白までは程遠い状況です。
さらに、宇多天皇の生母は藤原氏ではないため、悪の藤原政治を減退せしめるには絶好の機会です。
そこで、菅原道真を重用し、新しい政治(寛平の治)を始めます。
かつて、藤原冬嗣が蔵人頭になり、藤原北家の栄華の足掛かりをつくりましたが、
宇多天皇も菅原道真を蔵人頭に任命、
この時の、事実上の首班公卿は、大納言・源能有です。
さらにその後、宇多天皇譲位、13歳の醍醐天皇即位時に、
時平は大納言。
菅原道真は権大納言。
政務の代行は、主にこの二人となります。
その後、時平は左大臣。
菅原道真は右大臣まで位が上がります。
しかし、こののち、時平がでたらめな事件を作り、
菅原道真は大宰権帥になって、都から離れることになってしまいました。
このとき詠んだ和歌(現代語訳)が、
東風が吹く春になったら、風に乗せて香りを私のもとに届けておくれ梅の花よ
主(私)がいないからといって、春の訪れを忘れないで
というもので、多くの人の心に残りました。
鎌倉時代に、幕府の源実朝が、公暁に暗殺される直前に詠んだ和歌(現代語訳)
私が出ていけば主のいない宿となるだろう
そうなっても軒端の梅よ、春を忘れないでおくれ
や、式子内親王の和歌にも似た和歌がある程ですが、
百人一首に選ばれた菅原道真の和歌は、
このたびはからで始まる和歌でした。
さて、菅原道真は大宰府で亡くなってしまいますが、
この後、時平も39歳で死去。
藤原の氏の長者は、弟の忠平に代わりますが、
この時、権中納言として公卿に復帰した状況のため、
関白になるには程遠いものがあります。
醍醐天皇が摂政・関白をおかずに親政(延喜の治)をできたのは、
宇多天皇の藤原政治を抑える強い意思と、
藤原家の事情によるものが大きいといえます。
一方で、藤原氏が外戚として権力を持とうとする考え方は変わらず、
忠平のひ孫の藤原道長の時代に、摂関政治は全盛期を迎えることになります。