ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジは、アメリカ司法制度との和解後、釈放された
ウィキリークスの創設者「ジュリアン・アサンジは自由の身」となり、6月25日(月)にイギリスと、彼が5年間投獄されていたロンドン近郊の最高警備刑務所を出所したと、アメリカの司法制度との司法取引の発表後にウィキリークスが語った。
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世界で最も指名手配されている男の一人、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジは、イギリスで5年間拘留された後、自由を取り戻すことを認める司法制度と司法取引に合意した。
何十万もの機密文書を暴露した罪で起訴された52歳のオーストラリア人は、月曜日の夜に公開された裁判所の文書によると、水曜日の現地時間午前9時(米国東部時間火曜日午後11時)に、太平洋の米国領土であるマリアナ諸島の連邦裁判所に出廷することになっている。現在、"国防に関する情報を入手し、開示する陰謀"の犯罪捜査の対象となっているが、この大規模なリークの起源として、共犯者であるアメリカ兵チェルシー・マニングも引用しているこれらの文書によれば、彼はこの容疑だけで有罪を認めると予想されている。
ジュリアン・アサンジは、すでにロンドンで公判前拘禁されているが、62ヶ月の懲役刑を宣告される見込みで、そうすれば、彼は自由に母国オーストラリアに戻ることができる。
「ジュリアン・アサンジは自由の身」となり、2019年から収監されていたイギリスとロンドン近郊の最高警備刑務所を出て、スタンステッド空港で飛行機に搭乗したと、ウィキリークス組織は述べ、彼が妻のステラ・アサンジとその子供たちと再会したという事実を「世界的なキャンペーンの結果」歓迎した。「ジュリアンは自由だ!,」と妻のステラ・アサンジは歓喜し、彼の釈放を「現実」にするために「何年もの間」動員してくれた人々に対して「言葉では計り知れない感謝の気持ちを表すのに十分ではない」と信じていた。オーストラリア政府もこの結果を歓迎し、アサンジの事件は「あまりにも長く続いた」とし、彼の拘禁を続ける意味はもはやないと述べた。
約14年の仁話
この合意は、約14年にわたる物語に終止符を打ち、英国の裁判所での新たな重要な審理の2週間前に行われる。7月9日と10日、裁判所は、ジュリアン・アサンジのアメリカ合州国への身柄引き渡しに対する上訴を審理することになっていた。
彼は、2010年以降、特にイラクとアフガニスタンにおけるアメリカの軍事・外交活動に関する70万件以上の機密文書を公表したかどで、彼を起訴しているアメリカの司法制度に引き渡されないように戦っていた。これらの文書の中には、2007年7月にイラクで米軍ヘリコプターの銃撃によって殺害された2人のロイター・ジャーナリストを含む民間人を映したビデオがある。彼はスパイ活動法に基づき、最高175年の懲役刑に処せられた。英国政府は2022年6月に同氏の身柄引き渡しを承認していた。
報道の自由に対する脅威の支持者にとっての象徴となった、この長期にわたる訴訟の最新の展開で、二人のイギリス人判事は、5月、ジュリアン・アサンジに、彼の身柄引き渡しに対して上訴する権利を認めた。控訴審には、米国の法制度において外国人として言論の自由の保護が与えられるかどうかが盛り込まれていた。
ウィキリークスの創設者は、ロンドンのエクアドル大使館で7年間勤務した後、2019年4月にイギリス警察に逮捕され、同年に終了したレイプ捜査でスウェーデンへの身柄引き渡しを免れた。それ以来、ジョー・バイデン米大統領が彼に対する起訴を取り下げるよう求める声が高まっている。オーストラリアは2月に正式に要請し、ジョー・バイデン大統領は検討中と述べ、支持者の間で期待が高まっている。
内部告発サイト「ウィキリークス」創設者のジュリアン・アサンジ被告(52)が24日、米司法省との司法取引でスパイ活動法違反の罪を認め、イギリスの刑務所から釈放された。「ウィキリークス」が発表した。母国オーストラリアに向かったとされる。
アサンジ被告は、アメリカの国防情報の入手および開示について共謀した罪で起訴され、5年前からロンドン南西部のベルマーシュ刑務所に勾留されていた。
アメリカ政府は、ウィキリークスがイラク戦争とアフガニスタン戦争に関する極秘情報を公開したことで人命を危険にさらしたと主張し、アサンジ被告の身柄引き渡しを要求していた。被告側はそれを争っていた。(朱字は管理人)
BBCがアメリカで提携するCBSニュースによると、米司法省との合意のもと、アサンジ被告はアメリカで拘束されることなく、イギリスでの勾留期間が刑期に算入される。
米司法省によると、アサンジ被告はオーストラリアに帰国する。
ウィキリークスは「X(旧ツイッター)」上で、アサンジ被告が24日午前、狭い独房で1901日間を過ごしたベルマーシュ刑務所を後にしたと発表した。ロンドン高等法院で保釈を認められ、同日午後5時にロンドン近郊のスタンステッド空港から母国オーストラリアへ出発したという。
オンラインに投稿された動画では、ジーンズと青いシャツ姿のアサンジ被告が車でスタンステッド空港へ向かう様子と思われる姿が映っていた。BBCはこの動画の内容を検証できていない。
妻のステラ・アサンジ氏は、「このために何年も何年も活動してくれた」支援者たちに感謝した。
今回の司法取引に基づき、アサンジ被告は罪状1件について有罪を認め、米領・北マリアナ諸島にある連邦地裁で26日に結審する見通し。ハワイやアメリカ本土の連邦裁判所よりもオーストラリアに近いという地理的理由から、北マリアナ諸島が選ばれた。
オーストラリア政府の報道官は、アサンジ被告の事件が「長引きすぎた」と述べた。AFP通信が伝えた。
弁護を担当するリチャード・ミラー弁護士は、CBSの取材に回答していない。アサンジ被告の弁護団はかねて、訴訟は政治的な動機によるものだと主張していた。
これまでの経緯
ジョー・バイデン米大統領は4月、アサンジ被告への起訴を取り下げるよう求めるオーストラリア政府の要請を検討していると述べていた。
イギリスの高等法院は5月、アメリカへの身柄引き渡しについてアサンジ被告による新たな差し止め請求を認める判断を示していた。被告側は、アメリカで自分の裁判がどのように扱われ、自分の言論の自由が保障されるのか、アメリカ政府側の保証に不安を示していた。
高等法院のこの判決後、妻のステラ・アサンジ氏は、バイデン政権は「この恥ずべき起訴から距離を置くべきだ」と、記者団や支持者に話していた。
米検察当局は当初、アフガニスタンとイラク戦争に関連する米軍の機密記録や外交公電の公開をめぐり、アサンジ被告を罪状18件で起訴する方針だった。罪状のほとんどが、スパイ活動法違反にあたる内容だった。
アサンジ被告が2006年に創設したウィキリークスは、1000万点以上の文書を公開したと主張している。アメリカ政府はこれを、「アメリカ史上最大級の機密情報漏えい事件」と呼んだ。
2010年には、ロイター通信の記者2人を含むイラク市民10数人がバグダッドで殺害される様子を映した米軍ヘリ撮影のビデオを公開した。
アサンジ被告の協力者として特に有名な米陸軍の元情報分析官チェルシー・マニング氏は、2010年に禁錮35年の実刑判決を受けた。2017年に当時のバラク・オバマ大統領に減刑を認められた。
アサンジ被告は、スパイ法違反とは別に、スウェーデンで強姦と性的暴行の罪に問われているが、本人は否認している。
スウェーデンでの事件を理由にアメリカへ送還されると被告は主張し、在ロンドンのエクアドル大使館に7年間潜伏していた。
スウェーデン当局は当初の被害届から時間がたちすぎていることを理由に、2019年に立件を打ち切った。しかし、イギリス当局がその後、被告を拘束。スウェーデン送還手続きのための審理に出頭しなかったとして、裁判にかけられた。
長期にわたる法廷闘争の最中、アサンジ被告が公の場に姿を現すことはほとんどなかった。2021年には刑務所内で軽い脳卒中を起こすなど、長年にわたって体調不良に悩まされてきたと伝えられている。
(英語記事 Wikileaks: Julian Assange freed in US plea deal)
(アサンジ:ネットから画像を借用)