2006年2月23日
「緊張状態」 (全文引用)
バグダッドの状況はひどい。
住民のほとんどがスンニ派である町サーマッラーで、今朝モスクの爆破があった。このモスクは、スンニ派にとってもシーア派にとっても神聖とされているのだが、イラク内でシーア派が訪れるもっとも重要な場所とされている。サーマッラーは、アッバース朝のカリフだったアル=ムッタスィムによって、バグダッドのあとアッバス朝の首都とされ、多くのムスリムたちや歴史家に神聖な都市であるとみなされている。
「サーマッラー」の名前は、アラビア語の「サッラ マン ラーア」に由来していて、「見る者すべての喜び」という意味。アル=ムッタスィムが建設計画を立てたとき、当時の数々の偉大な都市に勝るとも劣らぬものにしようと彼が命名したのだ。この都市を見る人びとすべてにとっての喜びとなるように........という思いが込められている。60年間にわたってアッバース朝の首都であり、首都がバグダッドに戻されたあとですら、サーマッラーは代々のカリフの保護下で栄えた。
*(私注「カリフ」〔元来アラビア語で後継者の意〕ムハンマドの死後、全イスラム教徒を統率した、宗教上・政治上の最高権威者。一三世紀に廃絶。)
きょうの爆発で破壊されたモスクは、「アスカーリ・モスク」で、「シーア派12イマーム」のうちの2人、サーマッラーで゛生活し、そこで亡くなったイマーム・アリー・アル=ハーディ(父)と、イマーム・ハサン・アル=アスカーリ(息子)が葬られたところと信じられている重要なモスクだ。
モスクのあるところに、イマーム・アリー・アル=ハーディ(父)と、イマーム・ハサン・アル=アスカーリ(息子)が埋葬されたと、人びとは信じている。多くのシーア派の人たちが、「アル=マハーディ〈アル=ムンタダール〉」(救世主)がこのモスクから復活すると信じている。何年か前.......
戦争の前、そのモスクに行ったことを覚えている。私たちは有名な「マルウィーヤ」塔(特異ならせん状をしていることで知られる)を見るためにサーマッラーを訪れ、誰かがアスカーリモスクにも行こうと提案したのだった。私はそのときちゃんとした服装をしていなかったので気が進まなかった。ジーンズとTシャツが、モスクを訪れるのに適切とは思えなかったのだ。町の小さな店に立ち寄り、私たち女性のために手頃な値段の黒のアバヤ(長い上着)を数枚調達して、モスクに向かった。
私たちが到着したときは、太陽がちょうど沈んでいくところで、モスクの外に立ち止まって、金色のドームと複雑な形のミナレット(尖塔)を賞賛したのを覚えている。それは夕日に映えてキラキラ揺らめき、オレンジ・金・白など無数の色で燃えたっているように見えた。信じられないくらいすばらしい眺めで、その景色は平和で穏やかだった。ふだん私たちが訪れる宗教的な場所にありがちな、喧騒や騒音とは無縁の完璧な時間がそこにはあった。モスクの内部も私たちを失望させなかった。凝ったアラビア文字の書体と、もっと多くの黄金、そして絶対的な平和.....。そこを訪れる決心をしたことに、私たちは感謝した。
今朝私たちは、イラク治安部隊の制服を着た男がそのモスクに入って来て爆発物を起爆させたというニュースで目が覚めた。モスクは、ほとんど修復不可能なまでに破壊されたということだ。恐ろしくて、心臓が破れそうだ。朝からバグダッド中で発砲騒ぎだ。この近所の通りは不気味なほど静かで人影がなかったけれど、私たちみんな、刃の上に居るような緊張を感じていた。バラディヤのような地区では、暴動や破壊行為などの問題があったことを聞いた。また、バグダッドでモスクがいくつか襲撃されたことも。誰もがもっとも心配し動揺しているのは、待ってましたとばかりに反応がそのように迅速に起こったことだ。
毎朝、私たちはシーア派とスンニ派両方の宗教指導者たちが爆発を非難し、「これはイラクの敵が望んでいることなのです。これこそが彼らが達成したがっている分割と征服なのです」と力説しているのを見たり聞いたりしている。極端なシーア派は極端なスンニ派を避難し、外国人占領者と国内の狂信者の下で、イラクはバラバラに崩れ落ちていっているようだ。
通りはほとんど閉鎖されていたので、きょうは誰も働きに出るものはいなかった。状況は本当にひどい。みんなただ静観して静かに待っている。これほどの緊張状態は、私の記憶にはないように思う。このところの争いについては、さまざまな噂でもちきりだ。それでもなお、私の知っている人びと(スンニ派もシーア派も)を見ている限りでは、内戦の可能性なんてとても信じられない。教育を受け、教養あるイラク人は、お互いに相争うようになることを恐れているし、そんなに教育を受けていないイラク人でさえ、これがもっと不気味な企(たくら)みの氷山の一角であることを、しっかり意識している。
数ヶ所のモスクがマフディ軍に乗っ取られ、バドル旅団はいたるところにのさばっているようだ。あすはもう誰も、出勤することも大学へ行くことも、どこかに出かけたりすることもできないだろう。
人びとは怯えて、用心深くなっている。私たちはただ祈ることしかできない。
*(訳注:「イマーム」イマームは、イスラームの宗教指導者のこと。12イマームとは、イマーム・アリーの子孫が代々のイマームであるべきだという考え方をする、シーアの12イマーム派で認められている12人のイマーム。12代イマームは現在は現世から隠れていて、終末のときアル=マハディー(救世主)として現れると信じられている。)
*(訳注:「アル=マハディー」イスラームの伝承では、終末の前兆として、人びとに最後の誘惑をしかけるアッ=ダジャールと呼ばれるムスリムの敵を、再臨したキリストが倒し、さらにアル=マハディー(救世主)が現れて、シャリーア(イスラーム法)による正義が実現するとされている。)
「緊張状態」 (全文引用)
バグダッドの状況はひどい。
住民のほとんどがスンニ派である町サーマッラーで、今朝モスクの爆破があった。このモスクは、スンニ派にとってもシーア派にとっても神聖とされているのだが、イラク内でシーア派が訪れるもっとも重要な場所とされている。サーマッラーは、アッバース朝のカリフだったアル=ムッタスィムによって、バグダッドのあとアッバス朝の首都とされ、多くのムスリムたちや歴史家に神聖な都市であるとみなされている。
「サーマッラー」の名前は、アラビア語の「サッラ マン ラーア」に由来していて、「見る者すべての喜び」という意味。アル=ムッタスィムが建設計画を立てたとき、当時の数々の偉大な都市に勝るとも劣らぬものにしようと彼が命名したのだ。この都市を見る人びとすべてにとっての喜びとなるように........という思いが込められている。60年間にわたってアッバース朝の首都であり、首都がバグダッドに戻されたあとですら、サーマッラーは代々のカリフの保護下で栄えた。
*(私注「カリフ」〔元来アラビア語で後継者の意〕ムハンマドの死後、全イスラム教徒を統率した、宗教上・政治上の最高権威者。一三世紀に廃絶。)
きょうの爆発で破壊されたモスクは、「アスカーリ・モスク」で、「シーア派12イマーム」のうちの2人、サーマッラーで゛生活し、そこで亡くなったイマーム・アリー・アル=ハーディ(父)と、イマーム・ハサン・アル=アスカーリ(息子)が葬られたところと信じられている重要なモスクだ。
モスクのあるところに、イマーム・アリー・アル=ハーディ(父)と、イマーム・ハサン・アル=アスカーリ(息子)が埋葬されたと、人びとは信じている。多くのシーア派の人たちが、「アル=マハーディ〈アル=ムンタダール〉」(救世主)がこのモスクから復活すると信じている。何年か前.......
戦争の前、そのモスクに行ったことを覚えている。私たちは有名な「マルウィーヤ」塔(特異ならせん状をしていることで知られる)を見るためにサーマッラーを訪れ、誰かがアスカーリモスクにも行こうと提案したのだった。私はそのときちゃんとした服装をしていなかったので気が進まなかった。ジーンズとTシャツが、モスクを訪れるのに適切とは思えなかったのだ。町の小さな店に立ち寄り、私たち女性のために手頃な値段の黒のアバヤ(長い上着)を数枚調達して、モスクに向かった。
私たちが到着したときは、太陽がちょうど沈んでいくところで、モスクの外に立ち止まって、金色のドームと複雑な形のミナレット(尖塔)を賞賛したのを覚えている。それは夕日に映えてキラキラ揺らめき、オレンジ・金・白など無数の色で燃えたっているように見えた。信じられないくらいすばらしい眺めで、その景色は平和で穏やかだった。ふだん私たちが訪れる宗教的な場所にありがちな、喧騒や騒音とは無縁の完璧な時間がそこにはあった。モスクの内部も私たちを失望させなかった。凝ったアラビア文字の書体と、もっと多くの黄金、そして絶対的な平和.....。そこを訪れる決心をしたことに、私たちは感謝した。
今朝私たちは、イラク治安部隊の制服を着た男がそのモスクに入って来て爆発物を起爆させたというニュースで目が覚めた。モスクは、ほとんど修復不可能なまでに破壊されたということだ。恐ろしくて、心臓が破れそうだ。朝からバグダッド中で発砲騒ぎだ。この近所の通りは不気味なほど静かで人影がなかったけれど、私たちみんな、刃の上に居るような緊張を感じていた。バラディヤのような地区では、暴動や破壊行為などの問題があったことを聞いた。また、バグダッドでモスクがいくつか襲撃されたことも。誰もがもっとも心配し動揺しているのは、待ってましたとばかりに反応がそのように迅速に起こったことだ。
毎朝、私たちはシーア派とスンニ派両方の宗教指導者たちが爆発を非難し、「これはイラクの敵が望んでいることなのです。これこそが彼らが達成したがっている分割と征服なのです」と力説しているのを見たり聞いたりしている。極端なシーア派は極端なスンニ派を避難し、外国人占領者と国内の狂信者の下で、イラクはバラバラに崩れ落ちていっているようだ。
通りはほとんど閉鎖されていたので、きょうは誰も働きに出るものはいなかった。状況は本当にひどい。みんなただ静観して静かに待っている。これほどの緊張状態は、私の記憶にはないように思う。このところの争いについては、さまざまな噂でもちきりだ。それでもなお、私の知っている人びと(スンニ派もシーア派も)を見ている限りでは、内戦の可能性なんてとても信じられない。教育を受け、教養あるイラク人は、お互いに相争うようになることを恐れているし、そんなに教育を受けていないイラク人でさえ、これがもっと不気味な企(たくら)みの氷山の一角であることを、しっかり意識している。
数ヶ所のモスクがマフディ軍に乗っ取られ、バドル旅団はいたるところにのさばっているようだ。あすはもう誰も、出勤することも大学へ行くことも、どこかに出かけたりすることもできないだろう。
人びとは怯えて、用心深くなっている。私たちはただ祈ることしかできない。
*(訳注:「イマーム」イマームは、イスラームの宗教指導者のこと。12イマームとは、イマーム・アリーの子孫が代々のイマームであるべきだという考え方をする、シーアの12イマーム派で認められている12人のイマーム。12代イマームは現在は現世から隠れていて、終末のときアル=マハディー(救世主)として現れると信じられている。)
*(訳注:「アル=マハディー」イスラームの伝承では、終末の前兆として、人びとに最後の誘惑をしかけるアッ=ダジャールと呼ばれるムスリムの敵を、再臨したキリストが倒し、さらにアル=マハディー(救世主)が現れて、シャリーア(イスラーム法)による正義が実現するとされている。)