鈴木康博の「ダレか胃薬クレ」を買いました。昨日聴きました。
かなりのイメージチェンジだ。
2年以上かけてすべて書き下ろしたという詩は、搾り出したような現代社会に対するメーセージだった。11曲すべてのメーセージを、深くうけとめたい。
「ユメ返せアイ返せ」
(要約)
週刊誌やテレビやらで
噴出した疑惑 ウワサしたりして
ハンパなドラマ見るよりも 役者はそろい
ホントの涙ウソ涙 舞台は早変わり
更に場面は新しい謎解きへ To Be Continued...
ユメ返せ ユメを そんな風に壊すな
アイ返せ アイを そんな風に壊すな
アンタだけの 都合のイイ理屈で
いつでも アイを そんな風に壊すな
アンタだけの 都合いい理屈で
ユメ返せ ユメを 預けているんだ
ひとり ひとりの 切なる願い
いつでも ユメを いつでも夢見たい
ひとり ひとりの 切なる願い
ロック・フォークで育った世代は、体制の動きをギロリと見つめる体質が体のどこかに生き残っている。
「アイデンティーって何?紙切れじゃないさ。肩書きじゃないさ。自分だけのフィーリング 言葉にできなくて それでも熱い思いを伝えたくて その力をアイデンティーって呼ぶんじゃないのかな」(「アイデンティーって何」より)という、自分のフィーリングにこだわり、表現したがる世代でもあるかもしれない。
ロマンチストでもあるかもしれない。
”あまりにも 青い空だから....誰よりも会いたくても きっとそれは あの頃の君”
(「君を想うとき」)という感じの詩 もちゃんと入っています、もちろん。
詩は真剣言葉で書かれている超まじめなものだが、重さと軽さのバランスがいい。
鈴木康博さんの仕事暦を調べて、なるほどと思う。広告コピーは洗練されてアートと区別がつかなくなった。それを逆利用したアートという複雑な構図と、いうことになるのか....
メッセージをぐっと受け止め、のみこみ、昨夜は外出した帰りに、道端に咲いていたオシロイバナを端っこの1本を切りとってきて、一輪挿しにかざった。
道端の赤紫のオシロイバナが、「孤独な夜をふきとばせ」(アルバム中の別曲のタイトル)のささやかなハゲマシ。
電車の中で痴漢をしたという冤罪をかけられ、したと認めれば即釈放と言われ、認めた。釈放されたが、おかしな気分。同僚の冷たい目。そんなときに慰められたのが家族のはげまし。パパ ガンバッテ!負けないでパパのことを好きだから(「冤罪」より)。
殺伐とした世の中。最後の支えは、家族かもしれない。
早朝のひと時でブログを書くため、一日遅れの日記になりがちでスミマセン。
今朝のベランンダを覗いたら、ハーブが新しい芽をどんどんだしていました。雑草に近いのか、とにかく逞しいです。園芸百科で調べたら、タイムのようだ。シソ科。納得。ローズマリーも欲しくなった。やはり白い小花で、きれいだ。
ただの参考: ■鈴木康博
1948年~ 昭和23年2月18日生 B型
静岡県修善寺に生まれ、横浜で育つ。中学生の頃からアメリカンポップスに影響
されギターを持つ。東京工業大学在学中に、友人小田和正らと、オフコースを結
成。
バンドのボーカル,ギターとして一時代を築く。
1983年 東芝EMIよりアルバム『Sincerely』でソロデビュー。
1984年 コカコーラのCFイメージソングを制作し、フジサンケイグループ広告大賞特別音楽賞を受賞。
1987年 ミスタービルドジャパンやトヨタ等の社歌を阿久悠氏と制作。
以降、他にもテレビの音楽制作やアーティストへの楽曲提供、プロデュース活動を行う。
1988年~
1993年 1988年~1997年まで軽井沢ホテルメゾンにてクリスマスコンサートを、また
1989年~1993年まで、渋谷パルコ劇場にて5~6日間に及ぶロングコンサートを行い、毎年春・冬の定番イベントとして人気を集める。
1993年 ソロ活動10周年を迎える。5月20、21日にサンヨーホールにて『ここ
に男がいる理由』を開催。1994年4月30日に横浜関内ホールにて神奈川フィ
ルハーモニー楽団と『蘇るビートルズ』をジョイントする。
1995年 所属レコード会社を東芝EMIよりBMGビクターへ移籍しシングル3枚、
アルバム2枚を発表。音楽制作活動を続ける傍ら、1997年よりNHK-BS『フォークソング大集合』に出演、その他イベントに多数参加している。
1999年 2月27日池袋アムラックスにて『PeterPaul&Mary』を山本
潤子・吉川忠英とともに復活させる。5月14日南青山マンダラにて『Live
in青山vol1』を行い、現在も同会場にて3ヶ月置きにライブを行っている。
9月29日にマーキュリー・ミュージックエンタテインメントよりシングル『DreamDreamDream』を発売,日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」
エンディングテーマとしてオンエア中。
2000年 デビュー30周年を迎え、1月9日に東京国際フォーラム、11月14日に
東京FMホールにてコンサートを開催。更に4月1日ダブルネックレコーズを立ち上げ、CDを続々リリース。また山本潤子さん、細坪基佳さんとユニット“Song for Memories”を結成し、全国各地でコンサートを開催、大好評である。
2001年 4月より”Song for Memories”のオリジナル曲『輝いて・・・』がTBS系「笑顔がいちばん」のオプニングテーマとしてオンエアされる。 4月2日六本
木STB139にて『PeterPaul&Mary』を再び復活させる。4月25日ファン投票により選曲されたリクエストベストアルバム『Reborn』を発売。
全国各地でのコンサート、テレビ出演等においても精力的に行う。
2002年 3月、本間組イメージソング『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE』に楽曲提供。
7月、アルバム『ダレか胃薬クレ。』を発売。
2003年 3月8日かながわドームシアターにてチャリティーコンサート『THE SEEDS
OF DREAM』を開催。6月、NHK総合連続ドラマ『ブルーもしくはブルー』の音楽監督を務め、テーマソングなどの劇中音楽を手掛ける。9月、ソニーミュージックより松崎しげるさん、大野真澄さん、ジョー山中さんとのユニットS.M.O.Jでアカペラカバーアルバム『桑田佳祐作品集』をリリース。
2004年 5月Folk Friendship Associationよりリリースされたコンピレーション・
アルバム『Re☆Cover』に参加。全国各地で積極的にアコースティックソロライブを行い、大好評を得ている。
ソロ活動通算シングル20枚・アルバム20枚を発表し、現在に至る。
かなりのイメージチェンジだ。
2年以上かけてすべて書き下ろしたという詩は、搾り出したような現代社会に対するメーセージだった。11曲すべてのメーセージを、深くうけとめたい。
「ユメ返せアイ返せ」
(要約)
週刊誌やテレビやらで
噴出した疑惑 ウワサしたりして
ハンパなドラマ見るよりも 役者はそろい
ホントの涙ウソ涙 舞台は早変わり
更に場面は新しい謎解きへ To Be Continued...
ユメ返せ ユメを そんな風に壊すな
アイ返せ アイを そんな風に壊すな
アンタだけの 都合のイイ理屈で
いつでも アイを そんな風に壊すな
アンタだけの 都合いい理屈で
ユメ返せ ユメを 預けているんだ
ひとり ひとりの 切なる願い
いつでも ユメを いつでも夢見たい
ひとり ひとりの 切なる願い
ロック・フォークで育った世代は、体制の動きをギロリと見つめる体質が体のどこかに生き残っている。
「アイデンティーって何?紙切れじゃないさ。肩書きじゃないさ。自分だけのフィーリング 言葉にできなくて それでも熱い思いを伝えたくて その力をアイデンティーって呼ぶんじゃないのかな」(「アイデンティーって何」より)という、自分のフィーリングにこだわり、表現したがる世代でもあるかもしれない。
ロマンチストでもあるかもしれない。
”あまりにも 青い空だから....誰よりも会いたくても きっとそれは あの頃の君”
(「君を想うとき」)という感じの詩 もちゃんと入っています、もちろん。
詩は真剣言葉で書かれている超まじめなものだが、重さと軽さのバランスがいい。
鈴木康博さんの仕事暦を調べて、なるほどと思う。広告コピーは洗練されてアートと区別がつかなくなった。それを逆利用したアートという複雑な構図と、いうことになるのか....
メッセージをぐっと受け止め、のみこみ、昨夜は外出した帰りに、道端に咲いていたオシロイバナを端っこの1本を切りとってきて、一輪挿しにかざった。
道端の赤紫のオシロイバナが、「孤独な夜をふきとばせ」(アルバム中の別曲のタイトル)のささやかなハゲマシ。
電車の中で痴漢をしたという冤罪をかけられ、したと認めれば即釈放と言われ、認めた。釈放されたが、おかしな気分。同僚の冷たい目。そんなときに慰められたのが家族のはげまし。パパ ガンバッテ!負けないでパパのことを好きだから(「冤罪」より)。
殺伐とした世の中。最後の支えは、家族かもしれない。
早朝のひと時でブログを書くため、一日遅れの日記になりがちでスミマセン。
今朝のベランンダを覗いたら、ハーブが新しい芽をどんどんだしていました。雑草に近いのか、とにかく逞しいです。園芸百科で調べたら、タイムのようだ。シソ科。納得。ローズマリーも欲しくなった。やはり白い小花で、きれいだ。
ただの参考: ■鈴木康博
1948年~ 昭和23年2月18日生 B型
静岡県修善寺に生まれ、横浜で育つ。中学生の頃からアメリカンポップスに影響
されギターを持つ。東京工業大学在学中に、友人小田和正らと、オフコースを結
成。
バンドのボーカル,ギターとして一時代を築く。
1983年 東芝EMIよりアルバム『Sincerely』でソロデビュー。
1984年 コカコーラのCFイメージソングを制作し、フジサンケイグループ広告大賞特別音楽賞を受賞。
1987年 ミスタービルドジャパンやトヨタ等の社歌を阿久悠氏と制作。
以降、他にもテレビの音楽制作やアーティストへの楽曲提供、プロデュース活動を行う。
1988年~
1993年 1988年~1997年まで軽井沢ホテルメゾンにてクリスマスコンサートを、また
1989年~1993年まで、渋谷パルコ劇場にて5~6日間に及ぶロングコンサートを行い、毎年春・冬の定番イベントとして人気を集める。
1993年 ソロ活動10周年を迎える。5月20、21日にサンヨーホールにて『ここ
に男がいる理由』を開催。1994年4月30日に横浜関内ホールにて神奈川フィ
ルハーモニー楽団と『蘇るビートルズ』をジョイントする。
1995年 所属レコード会社を東芝EMIよりBMGビクターへ移籍しシングル3枚、
アルバム2枚を発表。音楽制作活動を続ける傍ら、1997年よりNHK-BS『フォークソング大集合』に出演、その他イベントに多数参加している。
1999年 2月27日池袋アムラックスにて『PeterPaul&Mary』を山本
潤子・吉川忠英とともに復活させる。5月14日南青山マンダラにて『Live
in青山vol1』を行い、現在も同会場にて3ヶ月置きにライブを行っている。
9月29日にマーキュリー・ミュージックエンタテインメントよりシングル『DreamDreamDream』を発売,日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」
エンディングテーマとしてオンエア中。
2000年 デビュー30周年を迎え、1月9日に東京国際フォーラム、11月14日に
東京FMホールにてコンサートを開催。更に4月1日ダブルネックレコーズを立ち上げ、CDを続々リリース。また山本潤子さん、細坪基佳さんとユニット“Song for Memories”を結成し、全国各地でコンサートを開催、大好評である。
2001年 4月より”Song for Memories”のオリジナル曲『輝いて・・・』がTBS系「笑顔がいちばん」のオプニングテーマとしてオンエアされる。 4月2日六本
木STB139にて『PeterPaul&Mary』を再び復活させる。4月25日ファン投票により選曲されたリクエストベストアルバム『Reborn』を発売。
全国各地でのコンサート、テレビ出演等においても精力的に行う。
2002年 3月、本間組イメージソング『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE』に楽曲提供。
7月、アルバム『ダレか胃薬クレ。』を発売。
2003年 3月8日かながわドームシアターにてチャリティーコンサート『THE SEEDS
OF DREAM』を開催。6月、NHK総合連続ドラマ『ブルーもしくはブルー』の音楽監督を務め、テーマソングなどの劇中音楽を手掛ける。9月、ソニーミュージックより松崎しげるさん、大野真澄さん、ジョー山中さんとのユニットS.M.O.Jでアカペラカバーアルバム『桑田佳祐作品集』をリリース。
2004年 5月Folk Friendship Associationよりリリースされたコンピレーション・
アルバム『Re☆Cover』に参加。全国各地で積極的にアコースティックソロライブを行い、大好評を得ている。
ソロ活動通算シングル20枚・アルバム20枚を発表し、現在に至る。
彼のオリジナルアルバムは久しぶりに聴いてます。
予想以上の出来に驚きました。
レビュー参考になりました。
詩を聴くスタンスも大事ですね。