11月15日、IOCのバッハ会長が日本の要人と会談するため来日した。開催都市のトップである小池都知事とも会談し、五輪開催を実現することを確認したというが、そこに都知事の信念や哲学は存在せず、頭の中を占めるのは「自分が目立つかどうか」しかないように見えたと舛添要一氏は語る。

2014年。五輪準備に全力を上げていました

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が11月15日、チャーター機を使って来日し、翌16日に菅義偉首相と会談しました。

コロナ渦の中、東京オリンピック・パラリンピックの2020年夏の開催を再確認し、連携の強化を図ったとみられます。実現すれば、1964年以来、56年ぶり2度目の東京開催。24日にはIOCが、バッハ会長が東京の選手村から出場選手へメッセージを送る公式動画も配信しています。

2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が、東京に決定してからまだ間もない2014年2月、都知事に就任した私は、その準備に全力を上げました。IOCや国や組織委員会との調整、膨れ上がった開催コストの削減、新競技場の建設計画の見直しなど、利害関係者がさまざまな形で介入をしてくるなかで、それぞれとの合意を得るのに腐心しました。

「五輪とは政治である」とは、よく聞くフレーズですが、まさにそれを実感し続けた期間でした。

しかし、その作業の半ばで職を辞することになり、大会組織委員会会長の森喜朗さんや私、その他多くの関係者らが積み上げてきたものを、後任の小池都知事が自身の政治パフォーマンスのために、滅茶苦茶にしてしまったのは記憶に新しいところです。

時間と経費を浪費しただけで、結局は「森・舛添プラン」にシレっと戻し、何事もなかったかのように振舞っているわけですが、これまで何度も述べてきたとおり、彼女には「五輪の成功」「都民の幸せ」よりも「自分が目立つ」ことのほうが重要なのです。

小池都知事の頭の中を占める薄っぺらい損得勘定

政権が、何かと目立つ安倍さんから地味な菅さんに変った今、小池氏は再び「自分にも総理の目が見えてきた」と本気で考えていることでしょう。そのために何をすれば自分にとって得になるのか。五輪も、その“道具”の一つに過ぎないのです。

安倍政権の後を受けた菅総理は、東京開催を何がなんでもやり遂げたいと考えているはずです。その背景にあるのが経済効果。五輪の東京開催による経済効果は、30兆円という試算も出ているようです。

30兆という数字の信頼性についてはさておき、このコロナ渦での開催の是非が問われるなか、少なくとも菅総理は「開催すべし」とする、彼なりの明確な根拠を持っています。リスクを背負ってでも開催した結果、これだけの経済的なメリットが都民や国民にある、であるならやるべきだと。

一方、小池都知事にはそういった理念や根拠、哲学といったものがまったくない。平たく言えば、開催して自分の人気が上がるならやる、中止にして「勇気ある決断だ」とワイドショーと大衆が喝采しそうなら中止にする。どっちが自分にとって得なのか。頭の中を占めているのは、そうした薄っぺらい損得勘定だけなのです。

中止という選択肢も可能性として考えるべき

東京大会の実施については、開会式の簡素化などが不可避であるのは当然として、わたしは中止も含めた選択肢も、可能性として考えていく必要はあると考えています。

ワクチンや特効薬が今すぐ開発されれば可能かもしれませんが、ワクチンの開発には通常、1年半かそれ以上かかります。ご承知のとおり、SARSやMERSは、結局ワクチンが開発できませんでした。

今年の春ごろ、イギリスやベルギー、ロンドン、WHO本部のあるジュネーブ、東京などをZoomで結び、世界の感染症や危機管理の専門家が集まったWEB会議が行われました。実は私もこれに参加していたのですが、研究者たちからは「当面は既存の薬を使うしか方法はない」「患者によって薬効はまちまちである」などの悲観的な声が上がっていました。

それから半年以上が経過した今、ワクチンの開発は比較的順調との報告もあるようですが、現実問題として世界77億人の民に行き渡るのがいつになるのか。少なくとも、夏までというのは難しいと考えるのが普通でしょう。

世界を見ても、英国が11月に再びロックダウンに踏み切りました。また、これまで「コロナの優等生」とされてきたドイツでも、やはり11月に入って部分的なロックダウンを導入し、メルケル首相は少なくとも、12月20日までロックダウンを続けるとの方針を示しています。欧州を覆う感染の第2波が、ここへきて急速に拡大しているのはご承知のとおりです。

五輪というのは、はっきり言ってしまえば欧州の文化です。欧州の国が参加できなければ、五輪は成立しないのです。

▲今の都知事を誕生させたツケは必ず返ってくると話す舛添氏

今の都知事を誕生させたツケは必ず返ってくる

私が今の東京を見ていて絶望的になるのは「21世紀は国家ではなく、都市の世紀である」という考えがあるからです。国と国ではなく、都市と都市の競争が重要な視点になってきているのです。実際に東京は、ロンドンやニューヨーク、パリなど世界の大都市とさまざまな分野で競争しています。

このコロナ渦でも、たとえば感染確認者数がもっとも多いアメリカでは、当初は爆発的に感染が拡大していたニューヨーク州が、徐々に抑え込みに成果を出しはじめ、一方でカリフォルニアやテキサスで感染者が増えるという流れがありました。国単位ではなく、都市レベルで明確なビジョンを保有し、そのうえでの正しい対応や判断が求められるのです。

人やモノ、情報が国境というボーダーを越えて自由に移動する時代には、企業も人も、国や都市を自由に選ぶことになります。多くのグローバル企業がアジアに拠点を置く際、選ばれる都市が東京ではなく、シンガポールであることは残念なことですが、これが現実なのです。

「アジアの金融都市といえば東京」と世界が認めるようになるまで、長期的なビジョンを持ってハードやソフトを改善していかねばなりません。そのための東京のリーダーが、実は自分の人気にしか関心がないということでは、都民にとってまさに悲劇という以外ありません。

いずれにせよ、その小池都知事を誕生させたのはポピュリズムであり、そのツケは確実に都民に返ってきています。決しておおげさでなく、東京がこのまま沈没しないために都民は今、何をすればよいのか。危機感をもって考えるべきときにきているでしょう。