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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

祖母が縫った「三途の川」を渡る装束

2006年04月11日 08時56分24秒 | 宗教・哲学・イズム
これは、ふたつ昔のはなし。

わたしは、おどろいたー。

祖母は、93歳で、病院のベッドのうえで、点滴をうけながら、天寿を全うした。
すでに食欲は全くなく、ミイラのような身体になっていた。
しかし、そこまで枯れると、息をとめるのも簡単だった。
あっという間に、息をとめた。なんの苦しみをなく、燃えつきたように。

祖母の遺体は、自宅にもどされ、その晩、うちうちの通夜がおこなわれた。

翌日、通夜の会場は、なんとかメモリアールホームとかに移され、一般公開となる。
さて、その会場へ向かうために、葬式会社の音頭のもと、肉親が一人一人別れを告げ、遺体は棺おけにうつされる。いわく、納棺だ。

わたしは、そのとき、はじめて聞いた。祖母が死の準備をしていたことを。
祖母は死ぬ前に、私の従妹に言葉を残していたそうだ。

「タンスの奥に、私がずっと前に手縫いをして用意しておいた三途の川を渡る装束=死に装束がある。私が死んだら、それを着せておくれ」

な、なんと、本当にあった、死に装束。白い布で、旅用の着物。ごていねに、ゆうれいが、かならず頭にしめている、あの正三角形をつけた白いはちまきもある。

死に装束は着せたが、はちまきは、さすがに時代おくれなので割愛。

さらに、言葉を残していたそうだ。

「三途の川を渡る船に乗るには、小銭がいる。私に、もたせておくれ」

わたしたちは、持っている5円玉10円玉をじゃらじゃらと出しあって、小袋にいれて、手にもたせてやった。
祖母は明治の女。明治の女のたしなみだったのだろうか?

ふろく:さんずのかわ[6]―ヅ―カハ【三《途の川】
死者が、冥途(メイド)へ行く途中、死出の山を越えてから渡る川。
     善人は橋を、軽い罪人は浅瀬を、悪人は深い所を渡るという。
    三省堂 『新明解国語辞典 第五版』

ということは、祖母は自分が悪人で、深いところを渡るかもしれないと危惧していたということか?まあ、どこまで、正確に調べた言葉だったのか、知らないけれど。
未亡人生活、実に20年以上だった。やすらかに ねむれ。
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