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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

朝鮮 6

2006年12月10日 07時10分54秒 | 宗教・哲学・イズム
【朝鮮】
 中国,朝鮮,日本の仏教は《漢訳大蔵経》に基づいている点では共通しているが,教理や儀礼,教団組織についてはそれぞれ異なり,朝鮮半島に伝来した仏教は,中国とも日本とも異なった独自な仏教を創造した。
 朝鮮における仏教の受容は,《三国史記》によると, 372 年 (小獣林王 2) に高句麗に伝来したのが最初である。秦王苻堅が使いを派遣し,経文とともに順道が来,次いで 374 年には阿道が来ている。翌年の春 2 月,順道に省門寺,阿道に伊弗蘭寺を建てたのが海東 (朝鮮の異称) 仏法の始めであるという。百済については,384 年 (枕流王 1) 7 月,東晋に遣使朝貢し,さらに 9 月にはインド僧摩羅難陀(まらなんだ) が晋より来朝したので,宮中に迎えて礼敬したのが百済仏教の始めである。新羅については,第 19 代訥梢(とつぎ) 王 (417‐458) のときに沙門墨胡子が高句麗から新羅の一善郡に仏教を伝えた。また,百済からは 6 世紀前半の聖王代に日本に仏教が伝えられ,百済の観勒,高句麗の慧慈,慧灌など,来日した学僧も少なくない。
 新羅では 6 世紀の法興王・真興王が奉仏天子であったために仏教は盛んとなり,皇竜寺,芬皇 (ふんこう) 寺,浮石寺,仏国寺など多くの寺院が建立された。新羅仏教の極盛期は半島が統一された文武王から恵恭王にいたる, 670 年代から約 100 年余りの間である。この時期の仏教界を代表するのが元暁と義湘であった。 元暁は和諍 (わじよう) 思想を説き,義湘は華厳十刹を創建した。この華厳をはじめ律 (慈蔵),涅槃,法性,法相の五教のほか浄土教や密教も行われたが, 8 世紀以後になると,中国の禅宗が新羅人によって伝えられ禅門九山が成立し,高麗時代に盛行するに至った。
 高麗の太祖王建は崇仏の念あつく,護国鎮護の法として仏教を保護し,多くの寺院を建立し,無遮大会や八関会(はちかんえ), 燃灯会などを行ったため,仏教は社会全体に深く浸透した。寺院は広大な寺田をもち,多数の僧侶をかかえていたが,高麗末期には辛窪(しんとん) のように国政を壟断 (ろうだん) する僧も現れた。高麗仏教で最も有名なのは文宗の第 4 子である義天(大覚国師) である。入宋した義天は天台学を高麗に伝え, 《新編諸宗教蔵総録》という経典目録を作った。また,この時代には朝鮮仏教の重要史料である《海東高僧伝》が著されている。李朝になると朱子学を国教としたため排仏運動が盛んとなり, 仏教は弾圧の中にかろうじて命脈を保つに至った。とくに 15 世紀末の燕山君によって寺院は廃棄され,寺田は没収,僧侶は還俗されるにおよんで,僧侶の社会的地位は八賤の一つに低下した。
[特質]
 朝鮮仏教の最も大きな特質は,新羅以来,護国仏教の伝統が存在することである。その精神を端的に表すのは新羅の円光の〈世俗五戒〉である。五戒とは〈一に曰く,君に事 (つか) うるに忠を以てす。二に曰く,親に事うるに孝を以てす。三に曰く,友に交わるに信を以てす。四に曰く,戦に臨みて退くこと無し。五に曰く,殺生に択むあり〉である。臨戦無退と殺生有択を教えた世俗五戒は護国仏教のイデオロギーとなり,弥勒信仰とともに花郎道の精神的基盤となった。この伝統は高麗時代になって《高麗大蔵経》の彫造となって現れた。契丹や元が侵入したとき,敵国撃退の悲願をこめてつくられたのが世界的な文化財として現在,海印寺蔵経閣に保存されている《高麗大蔵経》である。新羅,高麗と受け継がれてきた朝鮮護国仏教の伝統は,李朝においてもいかんなく発揮された。 1592 年の壬辰の倭乱 (文禄の役) に際して西山大師 (休静) と泗溟 (しめい) 大師 (惟政) は,義僧を率いて蜂起し戦闘に参加した。これらにみられるように護国仏教が朝鮮仏教を貫く特質の一つである。
 朝鮮仏教の教理的な特質としては,その総合性にある。たとえば新羅の元暁は中国仏教とは異なった独自な無礙 (むげ) の哲学を創造し,新羅という国家と朝鮮民族の枠をこえた普遍的な思想を形成した。また新羅の義湘や,高麗の均如は朝鮮独自な華厳教学を樹立した。さらに高麗の知訥(ちとつ)の教禅一致思想は,朝鮮禅の伝統を確立させた。朝鮮仏教の修行においては禅と念仏とを双修したが,これも日本仏教とは大いに異なっている。
 朝鮮仏教の伽藍配置のなかで,中国や日本の寺院とまったく異なった建造物は, 山神閣 (山霊閣),七星閣,冥府殿である。山神や道教の七星をまつっているところに, 仏教と民間信仰,仏教と道教との習合がみられるが,これも朝鮮仏教の著しい特色である。
[現状]
 日本の植民地支配のもとでは朝鮮総督府の寺刹令 (1911) により,禅・教両宗を総合して本山 31,末寺 1200 余が置かれた。 1919 年の三・一独立運動の際には仏教界を代表して韓竜雲らが独立宣言書に署名している。 45 年,第 2 次世界大戦が終結し,大韓民国が独立してから,韓国の仏教は日本の仏教の支配と影響とを否定して,再び復興へと向かった。その第一歩は妻帯僧の追放であった。 62 年,宗団の革新を意図して大韓仏教曹渓宗が成立した。また妻帯僧を主とする太古宗が分立した。そのほか新興仏教としての円仏教が大きな社会的基盤を獲得した。現在,仏教系の諸宗としては,真覚宗,元暁宗など多くの小宗派がある。最大の宗派である大韓仏教曹渓宗は 24 の本山を有し, 東国大学校をはじめとして多くの高校,中学を設立している。なお,朝鮮民主主義人民共和国の仏教については情報が少なく,その状況を把握することは困難であるが,おそらく中国革命のときに寺院の破壊と僧侶の追放が行われたのと同じような状況があったと思われる。しかし由緒ある寺院は文化財として保護修復されているものと推定される。
鎌田 茂雄
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