5/14(木) 11:30配信
作家・保阪正康さん(撮影/写真部・小黒冴夏)
作家の保阪正康さんがコロナウイルス感染拡大に、この国の人間は「二つの絶望」を味わっているという。 * * * コロナの感染拡大は、社会学的な視点で見れば、不可視の不気味な存在が人類への挑戦を突きつけたというように思えます。 感染症といえば、エボラ出血熱など、まずは発展途上国で発生して広がるのが、今回は経済的に発展している国にまず流行して、途上国に移っていった。そして、ウイルスの細菌学的な解明はされていない。21世紀の今に正体不明な現象が起きています。 人類史の発展の上で、われわれはあらゆる意味で地球を自分たちのものとしてコントロールしてきたわけですが、コロナはそれに待ったをかけて、状況を点検しなさいという大きな警告をしているのではないでしょうか。 このコロナ現象を克服する、あるいは対症療法的な最良の方法は、政治的に言えばファシズム体制。移動はできない、商売はできない、人と接するな、というファシズム体制と共通した方法が有効性を持ちます。 問題なのは、これはファシズム体制だということを政治指導者が自覚しているのかということ。感染を防ぐために、一時的にこの体制で我慢してもらい、こう闘うんだという指導者の意思を示さなくてはいけない。安倍首相はその意識を持っていないと思います。
そして、ファシズムと異なるべきなのは、自粛を要請するのであれば、それに付随する社会的な補償はセットでなければならないということ。それを後回しにして「命が大事だ」と言い、安倍首相がマスクを2枚配ると言ったときは、誰もが驚いたのではないでしょうか。 国家予算を割いて補償する、その代わり自粛はしてくれ、と。そういう図面を引かないといけないのに、精神論みたいな言葉だけが浮いて、コロナの恐怖を解消する具体的なものは何も出てこない。私たちは今、「正体不明の新型ウイルス」と「機能していない政府」という、二つの絶望を味わっているわけです。 指導者の器が問われているのと同時に、われわれ国民のシビリアンとしての自覚も問われています。 たとえば休校措置に関して学校差が出たり、成績が下がったりの問題があるという話が出ますが、これははたして本質なのか。市民的な自覚があれば、本質はまず感染拡大を抑えること。顕微鏡的な視点でばかり問題を見ていては本質が見えなくなる。これは市民に限らず国もメディアもそう。望遠鏡的な視点を持つことが今後より一層求められると考えます。 (本誌・秦正理) ※週刊朝日 2020年5月22日号