くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

マザコン

2016-11-10 00:59:04 | 日記
ちぃ〜暴といいます。
自分ではまだ若いと思いつつも、もういい歳です。一般世間でいうとオヤジです。




しかし未だにマザコンです。




マザコン…とは言っても年がら年中「ママー、ママーさぁ」 …………とか言っている訳ではありません。
母を呼ぶときには私が中学生だった頃から「おふくろ」…と呼んでいます。



しかし未だに精神的には、多分中学生の頃から成長してはいないのだろうと今までを振り返ると思ってしまいます。



昔からお金に関しても私はだらしのない生活をしていました。

給料をもらってからの1週間ぐらいは仕事の帰りにスロ屋に寄る。
……まぁここまでなら まだ普通のサラリーマンの人たちでも珍しくはないと思います。



しかし私の場合は負けが混んでくると自分の生活費のことなど二の次で、勝っても負けても 自分が満足できるまで打ち続ける。。。



そんな毎日を送っていれば当然ですが生活費は足りなくなります。


そうするとどうなるか…………




『わりーんだけどさぁ……… 給料日には必ず返すから二万円…… いや、一万円でもいいから借してもらえないかなぁ〜 』 ………………と電話するわけですよ、 母に。







『いい加減にしてよ💢 いつもいつも💢 あんた歳いくつになると思ってるのよ〜 !!! 』
…………………と当然 母激怒。






それでも一日か二日ぐらい経つと、母は渋々ながらも借してくれました。 そのような事を今までの人生で数えきれないぐらいやってきました。





母と私は現在は離れて生活しておりますが、母も決して預貯金からザクザクとお金が出てくるような裕福な人ではありません。 昔から~70歳を過ぎた現在でもパート勤めで生活費を稼ぎながら生活をしている人です。



それを知っていながらも 私は自分が困ったときには 「おふくろならまた貸してくれるだろう……
預金はいくらあるのか知らないけれど まだ大丈夫だろう」 …………という狂った考えを繰り返してばかりいました。




そんな私ですが、少しだけ自己弁護をさせていただくと 前妻との間に子供ができ約3年間の結婚生活を送っていた時期には、母に金銭面では援助はしてもらわない生活を送っていた時期もありました。





しかし現在でも未だに私の頭の片隅には 「困ったときには母が助けてくれる」 …………という思いがまだあるのかもしれません。






AAやGAでは回復(成長)の為の12のステップという道具を使い、日々自分と向き合いながら生活を送っていきますが、
ですがその道具を使ったとしても、そんなにすぐに今までの染み着いてきた性格が劇的に変化するわけではないと私は思っています。



ステップ9は 埋め合わせ(償い)の行動ですが、
いまだに私はそんな母にも満足には埋め合わせができてはいません。




ビックブック(書籍アルコホーリクス、アノニマス)ではこういっています。


アルコール(ギャンブル)依存症は、他人の人生を巻き添えにして巻き上がる竜巻のようなものだ。 アルコール(ギャンブル)依存症者が酒(ギャンブル)さえやめればそれで十分だと言うとき、私たちはなんて思いやりに欠けた言葉かと思う。竜巻のあと避難用の地下室から出てきた農民が、自分の家がめちゃめちゃになっているのに、「無事でよかったなぁ、母ちゃん。竜巻がやんだんだから」と言っているようなものだ。
『そう、まさしく私たちの前途には長い再建の道のりがある。』



………………と書かれています。

私自身はまだ酒とギャンブルを止めてからまだ半年とチョットしか経っていません。

母に対してだけではなく、さまざまな迷惑をかけた人への埋め合わせ(償い)をしつつ、再建の道のりは始まったばかりです。

自虐的なネタばかりで自分で書いていながらウンザリしますが、今はそんな自分自身を客観的に見れるようになっただけでも回復(成長)できたかな?




『第一のことは第一に
自分がいきて、他人も生かせ
気楽にやろう』

アルコホーリクス、アノニマス
第九章 家族 その後 。 より引用