朝から「弘川寺」へ行きました。
西行は俗名を佐藤 義清(さとう のりきよ)出家して円位、
その西行が晩年に庵を結んでいたのが、
ここ弘川寺です。
そして墓所があります。
生前に、
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」
と詠み、
その歌のように陰暦2月16日に入寂したとされています。
今年の如月の望月の頃は今です。(正確には満月は3月31日)
その後、
二上山万葉の森から二上山を目指しました。
雄山の山頂ちかくには「大津皇子」の墓所があります。
ここは墓所とされているだけだそうです。
大津皇子は腹ちがいの草壁皇子とともに天武天皇の子です。
天武天皇崩御の後、
大津皇子は謀反のかどで死においやられました。
本当の墓所ではないかとされるのが、
奈良 当麻寺の近く、
二上山登山口ちかくの鳥谷口古墳ではないかとされています。
2日に渡る春の歴史散歩でした。
西行は俗名を佐藤 義清(さとう のりきよ)出家して円位、
その西行が晩年に庵を結んでいたのが、
ここ弘川寺です。
そして墓所があります。
生前に、
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」
と詠み、
その歌のように陰暦2月16日に入寂したとされています。
今年の如月の望月の頃は今です。(正確には満月は3月31日)
その後、
二上山万葉の森から二上山を目指しました。
雄山の山頂ちかくには「大津皇子」の墓所があります。
ここは墓所とされているだけだそうです。
大津皇子は腹ちがいの草壁皇子とともに天武天皇の子です。
天武天皇崩御の後、
大津皇子は謀反のかどで死においやられました。
本当の墓所ではないかとされるのが、
奈良 当麻寺の近く、
二上山登山口ちかくの鳥谷口古墳ではないかとされています。
2日に渡る春の歴史散歩でした。