猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

父の命日

2005年05月17日 04時28分29秒 | ルーツ
父が亡くなって一年が経った。
この一年はゆっくり、そして急いで、時間が流れていったように思う。
初夏も近いというのに、凍えそうな寒さの中、早朝墓に参った。
父の墓石を見つめながら、生きているときには何もしてあげられなかった自分の親不孝を責めながらも、自分も必死に闘ってきたのだと、そう自身に言い聞かせた。

私が家を出たのは16歳の時だと、以前書いた。原因は色々あったが、父の再婚相手、つまり義理の母との確執が大きな原因だった。父が再婚をした時、私はすでに中学生だったし、義母も、きっと私を可愛いとは思えなかったのだと思う。
私も最初のうちは彼女を母と思おうと努力したが、父の留守時に酒に酔っては暴言を吐き、暴力を振るう彼女を、次第に憎悪するようになっていった。
それでも私は父を愛していたし、彼を悲しませたくなかったから、それらのことは秘密にしていた。父は弱い人だったから、それを子供ながらに知っていたから...黙っていた。
幸い、妹や弟には、義母も私ほどにはつらくあたらなかったから、それだけは救いだったけれど、それでも、彼らの多感な心が、見たくないものばかり見せられて傷ついていく様を、なす術もなく見つめながら、私自身もまた、さらに傷ついていった。
別に悲劇のヒロインを気取っているわけではない。
同情をして欲しいわけでもない。
ただ、事実として「そうだった」というだけだ。

家を出て、何週間か、友人や男たちの間を渡り歩く。
当時の私にとって男たちは、彼らの目的が何であれ、興味本位で寄ってきては何もしてくれない大人たちより、ずっと良き理解者に思えた。だが、それも永遠には続かない。
ついに行く場所もお金もなくなった時、私がたどりついたのは、居場所と電話番号だけは知っていた、実の母のところだった。彼女が突然姿を消してから、もう何年も経っていたが、やはり、最後は実の母親のことが頭に浮かんだのだと、今になって改めて思う。
母にも新しい生活があるのだから迷惑はかけたくないと思いつつ、迎えに来てもらったことを、今でもハッキリと覚えている。

高校だけは卒業したいと考えた私が、しばらくして父の家に荷物や必要なものを取りに帰った時、義母は逆上して私を殴り続けた。
私は父に申し訳なくて、ただ黙って、殴られていた。
そのとき父は...哀しそうに私たちを見ていただけだった。そして最後に「やめろ」と、静かに言った。
彼はきっとうすうす気付いていたのだろう。自分の留守に何が起こっていたか。
私の心に何が起こっていたか。

後に妹から聞いたのだが、私が出て行ってからあとのこと、父は酒に酔っては「erimaに申し訳ない」と言っていたという。
別に誰が悪いわけでもなく、自分たちが皆、幸せになろうとして起こった悲劇と言うしかない。
そこに善者も悪者もないだろうということは、私には、わかっていた。

けれど今。やはり私は自分が悪いように思えて仕方がない。
せめて「愛している」ということを、もっときちんと父に、伝えておけばよかったと。
大人になってから数度、父と会ったときも、素直に口に出せなかったそのことを、今になって繰り返しても、いまさら彼には届かないのだから。

父は...弱虫だったけど、とても素敵な人だった。
矛盾しているようだけど、おちゃらけものの血を私たち姉妹に分けてくれた、楽しい人だった。
だから、私も、楽しく生きていく。
自分を面白がれる強さをもって、きっぱりと。
それが父への供養になると信じて。





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