都立小金井公園内にある、『江戸東京たてもの園』は、
現地保存が不可能な、歴史的建造物を移築し、
復元・保存・展示をする施設。
西・センター・東、三つのゾーンからなり、
ここ、商家や、下町の風情を再現した東ゾーン入口には、
神田・万世橋のたもとにあった、明治後期の交番も。
私たちの目の前から、空地がなくなったのは、いつからだろう。
かつては、草花が揺れ、放置された土管や鉄骨が、
恰好の遊び場になっていた、あの場所が。
かつてはあちこちに転がっていた土管も、
この子供たちはきっと、初めて目にするのだろう。
もぐって上って、大人気。
近所のガラスを割るのを恐れながら、
キャッチボールに興じたあの場所は.....
いつから消えてしまったのだろう。
あの雪の日。
私がパンを買った店も、こんな風情だったな。
ここは荒物屋だけど、あの頃、小さな町の商店では、
こういう店がなんでも置いてた。
すっ転んだり、喧嘩をしたり、小花を摘んだり、
犬が走ったり。
破れた金網に、よじ登ったりした場所は。
木造家屋に差し込む陽の光が、私たちの思い出。
この、文具店は昭和初期の建物だそうだけど、
店先に並ぶ文具は昭和30~40年代のものか。
懐かしい砂消しも、墨汁も、ひとつのものをこんなに強烈に覚えているのは、
幸せと言えるのではないだろうか。
建物がどんどん建って、
町の色は、古ぼけた木材の色から、明るい色に変化して。
それでも、今。
豊かになったとは、到底思えない。
このバスは、園内でときおり、
現役として活躍するらしい。
子供の歓声は路地から消え、代わりに、
モノのあふれたショッピングセンターでは、
その泣き叫ぶ声ばかりが目立ち.....。
手触りは、全部つるつる。
しばらく住んだ、ジーさんの家の戸は、
確かこんな手触りだった。
こんな酒屋の店先にも、よく一升瓶を買いに行かされて.....
思い出したくないような、懐かしいような。
与えられるたびに、奪われるものは倍になり。
「最近の子は外で遊ばない」
「最近の子はすぐキレる」
空地を奪い、遊具を奪い、
『危険だから』とそれを止めたことを、大人は忘れ。
外で暴れるだけ暴れなきゃ、その成長ホルモンを、
子供が持て余すことも、忘れてしまったかのようだ。
花田少年史の一路も驚くほど、少年時代の傷痕だらけのこの男。
(ちなみに私が言ってるのは原作のほうね。
実写映画は、あんなの花田少年史じゃない。
ドラゴンボールの原作と、ハリウッド版の設定ぐらい違うだろ)
今じゃ、その重さに竹馬が驚く(笑)
こまに羽子板、竹馬・風車......
ここではそれらが自由に使え、大人も子供もみな夢中。
子供は、喧嘩したり、順番を待ったり、コケたりしながら。
大人は、子供時代の特技を見せつつ、熱心に指導して。
......あることとないことは、裏表。
ないから想像は膨らみ、あるから、生む必要がない。
次を作るために壊し、壊すために作る、大人の社会は、
見事に今を作りあげた。
消費し続けなければ.......
壊れてしまう今を。
この、昭和初期に建てられた『花市生花店』は、
神田須田町にあったとか。
神田や池之端は、モダンな建物が多かったんだね。
目の前で遊ぶ子供を見て、私は思う。
彼らから空地を奪ったのは、それを愛しながらも、
「それが世の中だ」「仕事だから」と、流され続けた大人たちだ。
力いっぱい遊び、くたくたになるための時間を奪ったのも。
持てるモノが少なければ、人は工夫する。
一度持ってしまうと、なかなか捨てられないけど。
あることと、ないことは、裏表だ。
「平等、平等」と言いながら、この社会は、
同時に、「勝ち組、負け組」などと言うのだ。
日本家屋の文化は、光と影の文化だそうだ。