猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

チャリンコの神、降臨。  

2008年07月08日 01時00分17秒 | お出かけ

さて。
この週末もくそ暑い中、チャリンコでうろうろしていた我々ですが.....。

実はそんな中で、素晴らしいミラクルに出逢っておりました。

 

今夜は七夕.....。
あなたは何を願いましたか?

 

日曜日の朝。
「さて、どこへ出かけようか」と悩みに悩んでいると......

ふと、「ああ、そういえば【かながわ宿歴史の道】の後半をまだ周ってなかったなぁ」
と、気づいた二人。

「では!」と、行く先をそれに定め、さっそく自転車にまたがります。

 

こんなお飾りも作ってみました。

 

【かながわ歴史宿の道】は、横浜開港当時の史跡の面影を辿る道。

関東大震災や激しい空襲で多くを失っても、
ほんの少しずつ、その面影がそこここに残る、宿場町の跡です。

その道へは、自転車でほんの20分ほどの距離。

まず、地区センターに向かった我々は、
この【歴史の道ガイド】および地図をもらうと、今までにまだ巡っていなかった、
後半の道のりを辿り始めました。

 

....あ、そういえばフレッシュなこんなものが手に入ったので。

 

.....と。

ひとつのお寺とひとつの神社を巡った後。

明治時代まで使われていたという台場跡に向かうと.....

今は公園となったそこで、なにやら多くの人が動き回っているのが
目に飛び込んできます。

 

こんなものを作りました♪青いパパイヤのサラダ、ソムタム。
細く切ってアクを抜いたパパイヤを、
レモン汁・ナムプラー・砂糖・唐辛子・にんにく・
干しえびを混ぜたもので和えました(あればピーナッツも)。

 

と、同時に、公園の入り口には古い見取り図の写しのようなものが張られ......
大いに興味を惹かれた我々は、自転車を降り、
じっくりとそれを眺めることにします。

 

「おっ、なんじゃこれは!?」
東京のお台場は有名ですが、実はこの横浜にも昔、
かながわ台場というものがあったの、知ってますか?
今は小さな公園になっています。
(これは横浜開港資料館にある台場の地図に加筆したものとか)

 

すると、どうでしょう!

そこにあったのは、今はもう、埋め立てられてしまった、
【台場の発掘現場一般公開】の文字!

なんと、我々はものすごい偶然により、
今回の発掘の中で、たった四時間だけ行われた、
短い現場公開に行き当たっていたのです!

おお、これぞチャリンコの神のお導き!(笑)

 

これが今回出てきた台場の石垣ですって!
石垣の上に見える赤い土。
これが当時の人が踏んでいた道なんだそうです。

ちょうど、この部分にあたるとか。
ただ、当時の測量技術等の問題で、地図も完全に正確ではなく、
実際に掘ってみて初めてわかることもあるらしい。
西取渡り道と呼ばれる今回の調査部分には、
船がくぐれるほどの橋があったということらしく、それも地図にあるより
ずっと大きな橋だったのではないかということでした。

 

実際に発掘にあたられた方の解説を聞きながら、
歴史のロマンに浸る、素晴らしい時間。

と、最後の「ご質問はありませんか?」という発掘者の言葉に、
ゴンザが非常に現実的な問いを投げかけました。

「これを掘るのにどれぐらい予算がかかるんですか?」と。

 

ちなみに、公園を出て道なりに行くと、こんな風に一部、
埋められていない石垣を見ることも出来ます。
勝海舟によって設計された神奈川台場は、松山藩によって築かれ、
1860年に完成し、14基の砲台が設置されたそうです。

 

......と。

「実際に使える予算は....」

かえってきた答えは、予想もしないほど寂しい数字。

そういえば、説明の中にも、何度も
「今回は予算の関係で」という言葉が出てきてはいましたが、
まさかそれほどとは......!

 

台場の役割は、海上防衛と横浜港、外国人居留地の警備でしたが、
実際の攻撃のために発砲されたことは一度もなく、専ら、
外交儀礼のための祝砲・礼砲の発射に用いられたとか。
その後、1899年(明治32年)、外国人居留地の撤廃に伴い、廃止。
大正10年頃から埋め立てられました。

 

なんでもこの発掘は区の予算でされたということですが、
現在横浜市が「開港150周年!」「開港150周年」と騒いで、
あちこち必要のない建物や公園を作ろうとしているのを考えたら、
このあまりにも少ない数字は信じられないものです。

だいいち、その開港に関わる大事な史跡をこんな風に粗末に扱っておいて、
何が「開港150周年」かと。

 

向こうの風景、こっちの風景。
.....どっちがホントかな?

 

まあ、この現場で聞いた発掘予算がいくらだったかというのは具体的には
ここではいいませんが、「えっ?ゼロがひとつ足りないんじゃないの?」
というぐらい、少ない金額だったのは紛れもない事実。

聞けば、今後もこの史跡を整備する予定はなく、
今回も保存状態維持のためもあり、出た史跡も埋め戻されるだけという話です。

遺跡を目の前にしながら、予算の関係で
掘り続けるのを諦めなければならない人々がいる一方で、
わけのわからない大仰なイベントや、建設に関わる業者だけが儲かる「開港150周年」。

我々は少し悲しくなりながら、公園を後にします。

例えばあなたが観光客なら。
やはりキンキラの夜景やら、ニョキニョキ生えるビルやら
マンションやらが見たいのでしょうか?

 

.....ね。
アンタはどう思う?

 

私なら。
往時を偲ばせる、大切に守られた史跡が見たいけれどなぁ。

チャリンコの神がくれたミラクルは、
貴重なものを見れた大きな喜びをくれたと共に、
寂しい呟きをも我々にもたらしたのでした。