◆伊豫温泉和気 須賀山 正智院 圓明寺の雲と龍
【須賀山 正智院 圓明寺】は、伊豫國(愛媛県)松山市和気町にある寺院。四国八十八箇所内の第五十三番 霊場として知られる。開基は、縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇の発願により、和気浜西山海岸に、【海岸山 圓明密寺】として、僧行基が、阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を造顕し、七堂伽藍を備えた大寺として創建したとあり、元和年間(一六一五-二四)に、須賀重久が菩提寺として、現在地に移し、寛永一三年(一六三六)に、京都 御室 覚深法親王の令旨により【仁和寺】の直末として再建された。このとき寺号も改められて現在に至る。
左甚五郎作のおよそ五メートルにも及ぶ【雲と龍】が本堂の鴨居のうえにあり、行い悪い人がこの見ると目が光るという言い伝えがあって、「左甚五郎という人物は、本当にいたのだろうか?」などと疑問の心で見上げると、龍の目がキラッと輝くという」
【左甚五郎傳】
【須賀山 正智院 圓明寺】は、伊豫國(愛媛県)松山市和気町にある寺院。四国八十八箇所内の第五十三番 霊場として知られる。開基は、縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇の発願により、和気浜西山海岸に、【海岸山 圓明密寺】として、僧行基が、阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を造顕し、七堂伽藍を備えた大寺として創建したとあり、元和年間(一六一五-二四)に、須賀重久が菩提寺として、現在地に移し、寛永一三年(一六三六)に、京都 御室 覚深法親王の令旨により【仁和寺】の直末として再建された。このとき寺号も改められて現在に至る。
左甚五郎作のおよそ五メートルにも及ぶ【雲と龍】が本堂の鴨居のうえにあり、行い悪い人がこの見ると目が光るという言い伝えがあって、「左甚五郎という人物は、本当にいたのだろうか?」などと疑問の心で見上げると、龍の目がキラッと輝くという」
【左甚五郎傳】