コラム ビリーバーなのか、ビリーバーじゃないのか。
ビリーバーなのか、ビリーバーじゃないのか
山口敏太郎
よく読者さんから聞かれる質問に
「山口さんは、ビリーバーなのか、ビリーバーじゃないのか」
というものがある。まぁ、不可解な事、俗にオカルティックなものを信じる(ビリーバー)のか、信じない(否定派)なのかという質問である。僕の答えは以下のようになる。
「モノによる。単純に信じる、信じないの二極論は意味がない」
例えば、東スポや内外タイムズに書いているオカルト記事に関しては、僕はリアル格闘技ではなく、”プロレス”だと認識している。勿論、筆者も解説をしている時は、プロレスラーとして心得て解説している。(このプロレスという比喩表現の言葉の意味は大人ならわかるはずである)だから、個人的に「このオカルト事件はインチキだなぁ」「これはネタだろう」と思っても露骨な否定は出さず、誰も傷つけないような発言をする。まぁ、それはテレビや出版の世界での不文律というわけであり、一度でも仕事としてかかわった者は理解しているルールである。俗に大人の事情というやつである。
でも、だから東スポや内外タイムズの世界観がインチキだというわけではない。ファンタジーとして、プロレスとして創りこまれたエンタメとして完成した世界であるし、僕も両紙のエンタメらしいカブキぶりを、リスペクトしている。このあたりは、大人の読者はよく心得ていて、読む場合も「嘘だぁ」「本当かよ」とツッコミながら読んでいる。つまり、読者もこの世界観をよく理解していて、発信者と受信者の間でプロレス的アングルが成立しているわけだ。だが、最近東スポや内外タイムズの内容を信じ込み、激怒したりする大人が多いのは驚かされる。ケネディ暗殺の時に、「ブッチャー血ダルマ」という大見出しで、ボケてくるメディアにマジ切れする大人とは、いかがなものであろうか。
漫才のボケを信じ込み、プロレスが真剣勝負だと思い込む子供の脳のまま成人したのであろうか。我々日本人は本来、もっとユーモアや洒落のわかる民族であったはずであり、粋や洒脱が好まれる社会であった。だが、この思い込みの激しさはなんだろう。もっとスマートに洒落本文化(現在のタブロイド誌文化)のユーモアを理解し、共に大人の知的な遊びができる心の余裕が欲しいものである。野暮とはこの事である。
以前、ジュセリーノさんのバッシング記事に関するコメントを求められたとき、上記の説明を行い。
「エンタメ文化を理解していない。プロレスラーにスポーツ競技のような真剣勝負をしろと言っているようなものであり、野暮である」
と締めくくった。すると、紙面にはかなり短いコメントとなって掲載された。(尤も、紙面のコメントというものは省略されるものであり、読む場合においてその短いコメントを発言者の真意ととってはいけない。発言者の真意を知りたい場合は本人に直接インタビューをするべきである。これは編集者や放送作家を一度でもやった人間なら当然知っているルールである)
だが、これに関しクレームのメールが届いた。
「人がたくさん死ぬことをエンタメと言うのは非常識である」
という内容であった。僕が言ったエンタメとは、東スポや内外タイムズの世界観を指すものであって、人が死ぬことをさしているわけではない。また人が死ぬというのは予言という未然の未来であり、実際の事実ではない。もし歴史的事実で人がたくさん死んだ事実を扱った場合は、当然筆者もエンタメという言葉は使用しない。
なぜ、この行間に隠された意味(小学校の時に習った行間読み)が読めないのか。この融通や機転の利かなさ加減、日本語読解能力の無さは酷い。現代人の病巣がよくわかるし、こういう人が増えることが、現代日本が疲弊した原因のひとつではないだろうか。
僕は、たけしさんの超常現象スペシャルにおいては、番組のエンタメ性と付き合いながら、もっとリアルな内容(哲学や宗教学、民俗学、心理学、物理学的にオカルト現象を分析する)にスライドさせていく狂言廻し(役割)でいたいと思っている。(ブッキング時、スタッフはプロレスラー山口敏太郎を期待していたようだが…)だから、たけしさんの超常現象スペシャルでは、ビリーバーの席に座りながらもハムレットの気持ちになっている。
ビリーバーサイドから出される意見に全て同意しているわけではないので、言葉の端々にビリーバーの意見を微調整する意見を入れたり、何気なく反論の情報を入れ込んだりしている。
そして、視聴者の方に「ビリーバー(肯定派)=とんでも、科学(否定派)=論理的で真実」という図式が崩れ、科学と(オカルトとされたモノ)の境界が無くなっている状況を伝えていきたいと思っているのだ。故に筆者は、ビリーバーでも否定派でもない、第三勢力だと思っているしスタッフにはそう言っている。
番組内で、たけしさんが言っているように、次回は年末(前回視聴率がよかったので年末と夏、年二回になったのだ)である。その時は、再び大槻教授とディベートしてもよいし、ビリーバーと僕がディベートしてもいいと思っている。既存の概念を壊し、新しいオカルティズムの概念を組み上げようとしているたけしさんの新しいスタンス(姿勢)には、大いに共鳴するし、少しでもお手伝いできたらいいと思っている。
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山口敏太郎
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「山口さんは、ビリーバーなのか、ビリーバーじゃないのか」
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「モノによる。単純に信じる、信じないの二極論は意味がない」
例えば、東スポや内外タイムズに書いているオカルト記事に関しては、僕はリアル格闘技ではなく、”プロレス”だと認識している。勿論、筆者も解説をしている時は、プロレスラーとして心得て解説している。(このプロレスという比喩表現の言葉の意味は大人ならわかるはずである)だから、個人的に「このオカルト事件はインチキだなぁ」「これはネタだろう」と思っても露骨な否定は出さず、誰も傷つけないような発言をする。まぁ、それはテレビや出版の世界での不文律というわけであり、一度でも仕事としてかかわった者は理解しているルールである。俗に大人の事情というやつである。
でも、だから東スポや内外タイムズの世界観がインチキだというわけではない。ファンタジーとして、プロレスとして創りこまれたエンタメとして完成した世界であるし、僕も両紙のエンタメらしいカブキぶりを、リスペクトしている。このあたりは、大人の読者はよく心得ていて、読む場合も「嘘だぁ」「本当かよ」とツッコミながら読んでいる。つまり、読者もこの世界観をよく理解していて、発信者と受信者の間でプロレス的アングルが成立しているわけだ。だが、最近東スポや内外タイムズの内容を信じ込み、激怒したりする大人が多いのは驚かされる。ケネディ暗殺の時に、「ブッチャー血ダルマ」という大見出しで、ボケてくるメディアにマジ切れする大人とは、いかがなものであろうか。
漫才のボケを信じ込み、プロレスが真剣勝負だと思い込む子供の脳のまま成人したのであろうか。我々日本人は本来、もっとユーモアや洒落のわかる民族であったはずであり、粋や洒脱が好まれる社会であった。だが、この思い込みの激しさはなんだろう。もっとスマートに洒落本文化(現在のタブロイド誌文化)のユーモアを理解し、共に大人の知的な遊びができる心の余裕が欲しいものである。野暮とはこの事である。
以前、ジュセリーノさんのバッシング記事に関するコメントを求められたとき、上記の説明を行い。
「エンタメ文化を理解していない。プロレスラーにスポーツ競技のような真剣勝負をしろと言っているようなものであり、野暮である」
と締めくくった。すると、紙面にはかなり短いコメントとなって掲載された。(尤も、紙面のコメントというものは省略されるものであり、読む場合においてその短いコメントを発言者の真意ととってはいけない。発言者の真意を知りたい場合は本人に直接インタビューをするべきである。これは編集者や放送作家を一度でもやった人間なら当然知っているルールである)
だが、これに関しクレームのメールが届いた。
「人がたくさん死ぬことをエンタメと言うのは非常識である」
という内容であった。僕が言ったエンタメとは、東スポや内外タイムズの世界観を指すものであって、人が死ぬことをさしているわけではない。また人が死ぬというのは予言という未然の未来であり、実際の事実ではない。もし歴史的事実で人がたくさん死んだ事実を扱った場合は、当然筆者もエンタメという言葉は使用しない。
なぜ、この行間に隠された意味(小学校の時に習った行間読み)が読めないのか。この融通や機転の利かなさ加減、日本語読解能力の無さは酷い。現代人の病巣がよくわかるし、こういう人が増えることが、現代日本が疲弊した原因のひとつではないだろうか。
僕は、たけしさんの超常現象スペシャルにおいては、番組のエンタメ性と付き合いながら、もっとリアルな内容(哲学や宗教学、民俗学、心理学、物理学的にオカルト現象を分析する)にスライドさせていく狂言廻し(役割)でいたいと思っている。(ブッキング時、スタッフはプロレスラー山口敏太郎を期待していたようだが…)だから、たけしさんの超常現象スペシャルでは、ビリーバーの席に座りながらもハムレットの気持ちになっている。
ビリーバーサイドから出される意見に全て同意しているわけではないので、言葉の端々にビリーバーの意見を微調整する意見を入れたり、何気なく反論の情報を入れ込んだりしている。
そして、視聴者の方に「ビリーバー(肯定派)=とんでも、科学(否定派)=論理的で真実」という図式が崩れ、科学と(オカルトとされたモノ)の境界が無くなっている状況を伝えていきたいと思っているのだ。故に筆者は、ビリーバーでも否定派でもない、第三勢力だと思っているしスタッフにはそう言っている。
番組内で、たけしさんが言っているように、次回は年末(前回視聴率がよかったので年末と夏、年二回になったのだ)である。その時は、再び大槻教授とディベートしてもよいし、ビリーバーと僕がディベートしてもいいと思っている。既存の概念を壊し、新しいオカルティズムの概念を組み上げようとしているたけしさんの新しいスタンス(姿勢)には、大いに共鳴するし、少しでもお手伝いできたらいいと思っている。
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