ローキック一発で終わるガチのプロレスがしたい!!怪談でそれをやるのが「怪異証言」である。
怪異証言に関する見解を以下、公表しておく。いずれもリイド社の出版物に収録されたものである。よく読んで頂きたい。何が正しいのか、何が誤っている、という論議ではない!私が何をやりたいかだけである。
なお、以下は三年前の概念であり、怪異証言の規定はより厳密に進化させている。それはまた別項で表記するものとする。
1.怪異証言の前書き
山口敏太郎
「怪談に前書きは必要ない」とおっしゃる読者貴兄もいらっしゃると思うが今回の怪談本の主旨や採集の基準は特殊なものがあり、誤解をさける意味においても説明させて頂きたい。勿論、この前書きは筆者の考えを述べるのが主旨であり、他者の仕事を否定するものではない。
怪談とは何かという話題になると、その人の超常現象に対するスタンスにより異なることが多い。超常現象を心理学、医学、民俗学、物理・科学などで全て解析できると考えておられる方にとって、怪談は創作物であり、文芸や映像作品であると解釈されておる場合が多い。無論、文芸畑で怪談に関与している方々も証言者の語る体験そのものは本物だと思っておられるし、元ネタがあり、それを文芸的に技術加工し作品として仕上げ”怪談”に装飾する仕事は大切な行為であるといえる。
一方、超常現象とされる全てものが人智では解析できない、そして不思議な現象への否定論者を論理的な超常現象解析の場に導きたいというスタンスの筆者にとって、怪談とは超常現象否定論者に提出する報告事例である。つまり、否定論者へ示す反証であり、データであるのだ。その為、文芸な表現は一切カットしており、どこで、誰が(本名、ビジネスネーム、イニシャル)いつ、何処で、何を体験したかを支障の無い限界まで記述した。中には心理学、医学、民俗学、物理・科学などの最新知識で解明できるものもあるかもしれない。しかし、何%かの可能性で本物の超常現象を捕らえている可能性もある。従って、本書の怪談は脚色は極力省いているし、容易に誤認と判断できうる話は割愛させて頂いた。
更に、証言者には各ゲラを読んで頂き、自分の体験にまちがいないかの承諾を一筆願った。であるからして、創作物、文芸作品という読み物的性格の強いものが怪談であるという考えからすると、本書は怪談の範疇ではない。敢えて言うならば、怪異の証言集であると理解して頂きたい。逆に怪談とは真実の記録だと解釈されている方にとっては興味深い書物であるといえる。
なお筆者は、怪異現象が現実に存在すると信じるビリーバーである。人類の英知の及ばぬ向こうに何かがあると今も思っている。それが何かはわからぬが、人生をかけてその謎に挑み続けたいと思う。無論、霊や妖怪の存在も信じたいし、その解析の手段として、このような実体験や伝聞話は有力な材料になると思う。
また、このように真実を追究する姿勢とは別に、エンタメ媒体においてはわかりきった謎も”わかった”うえで堪能するスタイルをとっている。つまり、媒体によって怪異現象をエンタメとして楽しむスタイル(東京スポーツ、BUBUKAなど)と、本書のように怪異現象をリアルに追求するスタイルを使い分けている。格闘技で言えば、エンタメたっぷりのハッスルと、勝負優先のプライド、K-1とを使い分けているようなものだ。個人的な見解ではあるが、兎に角、中途半端はいけない。創作さえ認めてしまうエンタメならエンタメ、リアルな勝負論にのっとった競技なら競技と格闘技の分化のように、オカルトも今後、ニ極分化が続くものと思っている。
これからも、筆者は怪異事例の何%かは現実に存在すると主張していく。そしてその怪異が解析をされることを望んでいる。だが解析された謎の残骸の向こうには新しい怪異が広がっているのは間違いない。
なお本書では証言者をできる限り明確にしただけでなく、話の内容によって都市伝説、心霊体験談、妖怪体験談、不思議体験談に分類させて頂いた。都市伝説は体験者が明確でない流言、伝聞の話、心霊体験談は霊との遭遇・目撃体験、妖怪体験談は妖怪現象・魔物・人間以外の不思議な存在との遭遇・目撃体験、不思議体験談は、UFO・UMA・超常現象、シンクロ現象など不思議な体験・目撃談を基準としている。
またそれぞれの体験談は、体験者が確定されない伝聞、友人体験談、肉親体験談という証言者と体験者が異なる場合、証言者本人が体験した本人体験談という詳細を明記させて頂いた。
今回、年配者の語る証言のうち伝説・民話の類も採話したが、これも既述の分類に入れさせてもらった。伝説・民話と表記すると現実感が損なわれるが、実際に体験談として考察するとその重要性が浮き彫りになることがおわかりであろう。つまり、伝説はかつての体験談であり、昔話はかつての都市伝説である。民俗学が扱う明治から昭和にかけて拾った話の一部は当時の体験談や都市伝説であったのだ。逆に言うと現行で語られている体験談、都市伝説が将来伝説、昔話に昇華する可能性は高い。
また語り部の大部分は何年もかけた付き合いをしている。怪談の聞き取りがきっかけで友人となる場合が多いのもその原因だが、怪談の背景にある怪異の真実に触れるためには何年もの付き合いが必要だと考えいるのだ。
今、怪談は過渡期にある。様々な怪談があってしかるべきであろう。今後も私は怪異の実存性の証拠としてのデータ集として、怪談を収集していく。
本書は怪談を採集したフィールドワークの結実である。
山口敏太郎原作の妖怪コミック
オカルト博士の妖怪ファイル (HONKOWAコミックス)
「恐怖体験!! アンビリバボー」で紹介された『呪い面』の裏話
恐怖・呪い面~実話都市伝説 (TO文庫)
2.実話怪談と怪異証言
山口敏太郎
「怪談」というものは、奥が深いものである。筆者は現在40歳であるが、小中学生の頃は、心霊体験本が多数売られていた。その心霊体験本は、二種類に分類された。
まず最初は、投稿ものである。当時は、新倉イワオ氏らによる、「あなたの知らない世界」が人気の的であり、多くの人々が再現ドラマに戦慄していた。この再現ドラマは、一般の読者の投稿から成り立っており、日常生活に密着した妙なリアリティが好評であった。このように、投稿を主体した心霊体験本が大層売れた時代があったのだ。
また、同時期に作家による聞き書きの心霊体験本も大いにもてはやされた。中岡俊哉や、佐藤有文、平野威馬雄などが心霊現象の現場にいき、体験者から聞いた内容を、そのまま記録するルポっぽいものから、現場には行かないものの、体験者から聞いた心霊体験談をほぼそのままの状態で、書籍に書き起した「心霊体験本」が多数発売されたのだ。
更に、これらの「心霊体験本」とは別に、文芸の範疇において「怪談」というものがあった。これは事実を基にしている、していないに関わらず、創作が入っていることから「文芸作品」とされた。これら昭和の「怪談」は、上田秋成、小泉八雲の系譜の延長戦上にあり、その芸術性は、怪談マニアから高く評価されていた。秀逸な作品で評価された田中貢太郎などはその好例であろう。
昭和の頃まで、「心霊体験本」と「怪談」はまったく別の分野であり、読者もほとんど重なっておらず、重なっている層も「心霊体験本」と「怪談」を読むスタンスを無意識に使い分けていた。だが、ここで変革が起こる。一連の昭和オカルト本は、インチキであり、創作であると激しいバッシングが起きたのだ。これによって、中岡俊哉や佐藤有文が持っていたリアリティが崩壊した。この崩壊により、作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」という分野は壊滅的なダメージを受けた。
この昭和オカルト本へのバッシングは、中岡や佐藤が著述した子供向けの書籍における創作行為への批判がメインであったが、これはまったくの的外れの批判であった。当時少年マガジンや、少年サンデー誌上においては、大伴昌司などによる怪獣の解剖図や足跡など様々な子供向けの創作が行われてきた。
妖怪や怪獣にとどまらず、探検ものや未来予想ものなど、一連の創作は子供の想像力を育成する企画であって、決して悪意のある創作ではなかったし、怪獣やSFなど他の分野では当時の子供本の創作を高く評価している動きがある。
にも関わらず、妖怪という分野から発生した佐藤、中岡叩きは、彼らの持つリアリティを崩壊させ、作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」という分野を喪失させたのである。唯一残った投稿を主体にした心霊体験本の分野は、学研ムーの読者体験本や二見文庫の一連の「心霊体験本」が奮戦するものの、全体的に弱体化していった。
そこに現れたのが「実話怪談」であった。実際にあった体験談に題材をとり、文芸にも通用できる秀逸な文体でしあげた「実話怪談」は読者の支持を得ていった。この「実話怪談」の読者は、創作されていた従来の「文芸怪談」の読者と、行き場を失っていた作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」の読者を取り込んで熟成していく。
この「実話怪談」というものに、自分も取り組むべく筆者は「怪異接触編(学研)」という著作を上梓した。この本において、筆者は証言者の言葉をできる限り忠実に再現し、名前や場所をできる範囲で明らかにした。勿論、装飾はまったく無しである。だが、この本は意外な反響を呼ぶ事になる。筆者は、「実話怪談」の一分野のつもりで出したのだが、読者側の印象は違った。これはまったく別物ではないのかという意見や、「実話怪談」ならばもう少し商品(商業出版物)としての体裁を整えたらどうだという意見があった。
この反響には自分が一番驚いてしまった。自分がやろうしている方向性は従来の「実話怪談」とは違うベクトルに向いていたのだ。正直、これはこれで、困ったものだと思っていたが、自分のめざす怪談は、証言者名、体験場所、体験時期をできる限り明確にし、証言内容を生の形で乗せようとするものである。まったく、装飾の無いこの怪談は、商業ベースに反する前衛的な試みであったのだ。「実話怪談」に憧れ、先輩諸氏に敬意を払うつもりで、自分のなりの「実話怪談」を追求したのだが、その結果、生まれたものが異質なものであったのだ。
そこで、筆者は新しい分野をつくればよいという見解に至った。その結果、生まれた方向性が昨年リイド社から上梓した「怪異証言」である。筆者は、幽霊や妖怪の存在を、心から信じているビリーバーの作家である。作家という立場で、心霊現象や妖怪現象が現実にあると言明することは、なかなか言えない暴論である。平成以降、作家として、心霊現象を心から信じる言い切った人間は少数派のはずである。だが、事実ビリーバーなのだから仕方ない。幽霊や妖怪の実存性を信じ、いつかその可能性を突き止めたい。だから、私は作家になったのだ。そういう意味では、装飾をまったく入れない「怪異証言」にたどり着いたのは、当然の帰着であったのかもしれない。
この「怪異証言」は読者から圧倒的な支持を得ることができた。中には開始数秒で終わってしまうプロレスにおけるパンクラスの存在に例えてくれる人もいた。筆一本で食っている商業作家として、ここまで素の状態で出してよいのかという戸惑いもあったが、心霊現象を信じる人間としては、これこそが求めていたものだという気持ちもある。
あの昭和に滅びたはずの作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」が、「怪異証言」という現代スタイルで生まれ変わったような気がした。本書は、昨年リイド社から出した、この「怪異証言」から幾つかの題材をとっている。勿論、漫画化している時点で「怪異証言」というコンセプトは失っているが、「怪異証言」という新たな怪談の種類を広く知っていただくには、漫画化は有意義な方法である。もし、漫画と「怪異証言」の原話との違いを楽しみたければ、拙著「怪異証言(リイド社)」と比べてもらいたい、漫画の演出部分がわかり、それもなかなか勉強になるだろう。いつか、また「怪異証言」という看板で逢えたら幸いである。
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さぁ、あの伝説のフィールドワークを再開しよう!あったることをあったまま記す、聞いたことを聞いたまま記す、それが怪異証言である。
怪異証言とは
怪異証言2009 注意@おもしろくない内容ですので、ご注意ください。
なお、以下は三年前の概念であり、怪異証言の規定はより厳密に進化させている。それはまた別項で表記するものとする。
1.怪異証言の前書き
山口敏太郎
「怪談に前書きは必要ない」とおっしゃる読者貴兄もいらっしゃると思うが今回の怪談本の主旨や採集の基準は特殊なものがあり、誤解をさける意味においても説明させて頂きたい。勿論、この前書きは筆者の考えを述べるのが主旨であり、他者の仕事を否定するものではない。
怪談とは何かという話題になると、その人の超常現象に対するスタンスにより異なることが多い。超常現象を心理学、医学、民俗学、物理・科学などで全て解析できると考えておられる方にとって、怪談は創作物であり、文芸や映像作品であると解釈されておる場合が多い。無論、文芸畑で怪談に関与している方々も証言者の語る体験そのものは本物だと思っておられるし、元ネタがあり、それを文芸的に技術加工し作品として仕上げ”怪談”に装飾する仕事は大切な行為であるといえる。
一方、超常現象とされる全てものが人智では解析できない、そして不思議な現象への否定論者を論理的な超常現象解析の場に導きたいというスタンスの筆者にとって、怪談とは超常現象否定論者に提出する報告事例である。つまり、否定論者へ示す反証であり、データであるのだ。その為、文芸な表現は一切カットしており、どこで、誰が(本名、ビジネスネーム、イニシャル)いつ、何処で、何を体験したかを支障の無い限界まで記述した。中には心理学、医学、民俗学、物理・科学などの最新知識で解明できるものもあるかもしれない。しかし、何%かの可能性で本物の超常現象を捕らえている可能性もある。従って、本書の怪談は脚色は極力省いているし、容易に誤認と判断できうる話は割愛させて頂いた。
更に、証言者には各ゲラを読んで頂き、自分の体験にまちがいないかの承諾を一筆願った。であるからして、創作物、文芸作品という読み物的性格の強いものが怪談であるという考えからすると、本書は怪談の範疇ではない。敢えて言うならば、怪異の証言集であると理解して頂きたい。逆に怪談とは真実の記録だと解釈されている方にとっては興味深い書物であるといえる。
なお筆者は、怪異現象が現実に存在すると信じるビリーバーである。人類の英知の及ばぬ向こうに何かがあると今も思っている。それが何かはわからぬが、人生をかけてその謎に挑み続けたいと思う。無論、霊や妖怪の存在も信じたいし、その解析の手段として、このような実体験や伝聞話は有力な材料になると思う。
また、このように真実を追究する姿勢とは別に、エンタメ媒体においてはわかりきった謎も”わかった”うえで堪能するスタイルをとっている。つまり、媒体によって怪異現象をエンタメとして楽しむスタイル(東京スポーツ、BUBUKAなど)と、本書のように怪異現象をリアルに追求するスタイルを使い分けている。格闘技で言えば、エンタメたっぷりのハッスルと、勝負優先のプライド、K-1とを使い分けているようなものだ。個人的な見解ではあるが、兎に角、中途半端はいけない。創作さえ認めてしまうエンタメならエンタメ、リアルな勝負論にのっとった競技なら競技と格闘技の分化のように、オカルトも今後、ニ極分化が続くものと思っている。
これからも、筆者は怪異事例の何%かは現実に存在すると主張していく。そしてその怪異が解析をされることを望んでいる。だが解析された謎の残骸の向こうには新しい怪異が広がっているのは間違いない。
なお本書では証言者をできる限り明確にしただけでなく、話の内容によって都市伝説、心霊体験談、妖怪体験談、不思議体験談に分類させて頂いた。都市伝説は体験者が明確でない流言、伝聞の話、心霊体験談は霊との遭遇・目撃体験、妖怪体験談は妖怪現象・魔物・人間以外の不思議な存在との遭遇・目撃体験、不思議体験談は、UFO・UMA・超常現象、シンクロ現象など不思議な体験・目撃談を基準としている。
またそれぞれの体験談は、体験者が確定されない伝聞、友人体験談、肉親体験談という証言者と体験者が異なる場合、証言者本人が体験した本人体験談という詳細を明記させて頂いた。
今回、年配者の語る証言のうち伝説・民話の類も採話したが、これも既述の分類に入れさせてもらった。伝説・民話と表記すると現実感が損なわれるが、実際に体験談として考察するとその重要性が浮き彫りになることがおわかりであろう。つまり、伝説はかつての体験談であり、昔話はかつての都市伝説である。民俗学が扱う明治から昭和にかけて拾った話の一部は当時の体験談や都市伝説であったのだ。逆に言うと現行で語られている体験談、都市伝説が将来伝説、昔話に昇華する可能性は高い。
また語り部の大部分は何年もかけた付き合いをしている。怪談の聞き取りがきっかけで友人となる場合が多いのもその原因だが、怪談の背景にある怪異の真実に触れるためには何年もの付き合いが必要だと考えいるのだ。
今、怪談は過渡期にある。様々な怪談があってしかるべきであろう。今後も私は怪異の実存性の証拠としてのデータ集として、怪談を収集していく。
本書は怪談を採集したフィールドワークの結実である。
山口敏太郎原作の妖怪コミック
オカルト博士の妖怪ファイル (HONKOWAコミックス)
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恐怖・呪い面~実話都市伝説 (TO文庫)
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2.実話怪談と怪異証言
山口敏太郎
「怪談」というものは、奥が深いものである。筆者は現在40歳であるが、小中学生の頃は、心霊体験本が多数売られていた。その心霊体験本は、二種類に分類された。
まず最初は、投稿ものである。当時は、新倉イワオ氏らによる、「あなたの知らない世界」が人気の的であり、多くの人々が再現ドラマに戦慄していた。この再現ドラマは、一般の読者の投稿から成り立っており、日常生活に密着した妙なリアリティが好評であった。このように、投稿を主体した心霊体験本が大層売れた時代があったのだ。
また、同時期に作家による聞き書きの心霊体験本も大いにもてはやされた。中岡俊哉や、佐藤有文、平野威馬雄などが心霊現象の現場にいき、体験者から聞いた内容を、そのまま記録するルポっぽいものから、現場には行かないものの、体験者から聞いた心霊体験談をほぼそのままの状態で、書籍に書き起した「心霊体験本」が多数発売されたのだ。
更に、これらの「心霊体験本」とは別に、文芸の範疇において「怪談」というものがあった。これは事実を基にしている、していないに関わらず、創作が入っていることから「文芸作品」とされた。これら昭和の「怪談」は、上田秋成、小泉八雲の系譜の延長戦上にあり、その芸術性は、怪談マニアから高く評価されていた。秀逸な作品で評価された田中貢太郎などはその好例であろう。
昭和の頃まで、「心霊体験本」と「怪談」はまったく別の分野であり、読者もほとんど重なっておらず、重なっている層も「心霊体験本」と「怪談」を読むスタンスを無意識に使い分けていた。だが、ここで変革が起こる。一連の昭和オカルト本は、インチキであり、創作であると激しいバッシングが起きたのだ。これによって、中岡俊哉や佐藤有文が持っていたリアリティが崩壊した。この崩壊により、作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」という分野は壊滅的なダメージを受けた。
この昭和オカルト本へのバッシングは、中岡や佐藤が著述した子供向けの書籍における創作行為への批判がメインであったが、これはまったくの的外れの批判であった。当時少年マガジンや、少年サンデー誌上においては、大伴昌司などによる怪獣の解剖図や足跡など様々な子供向けの創作が行われてきた。
妖怪や怪獣にとどまらず、探検ものや未来予想ものなど、一連の創作は子供の想像力を育成する企画であって、決して悪意のある創作ではなかったし、怪獣やSFなど他の分野では当時の子供本の創作を高く評価している動きがある。
にも関わらず、妖怪という分野から発生した佐藤、中岡叩きは、彼らの持つリアリティを崩壊させ、作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」という分野を喪失させたのである。唯一残った投稿を主体にした心霊体験本の分野は、学研ムーの読者体験本や二見文庫の一連の「心霊体験本」が奮戦するものの、全体的に弱体化していった。
そこに現れたのが「実話怪談」であった。実際にあった体験談に題材をとり、文芸にも通用できる秀逸な文体でしあげた「実話怪談」は読者の支持を得ていった。この「実話怪談」の読者は、創作されていた従来の「文芸怪談」の読者と、行き場を失っていた作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」の読者を取り込んで熟成していく。
この「実話怪談」というものに、自分も取り組むべく筆者は「怪異接触編(学研)」という著作を上梓した。この本において、筆者は証言者の言葉をできる限り忠実に再現し、名前や場所をできる範囲で明らかにした。勿論、装飾はまったく無しである。だが、この本は意外な反響を呼ぶ事になる。筆者は、「実話怪談」の一分野のつもりで出したのだが、読者側の印象は違った。これはまったく別物ではないのかという意見や、「実話怪談」ならばもう少し商品(商業出版物)としての体裁を整えたらどうだという意見があった。
この反響には自分が一番驚いてしまった。自分がやろうしている方向性は従来の「実話怪談」とは違うベクトルに向いていたのだ。正直、これはこれで、困ったものだと思っていたが、自分のめざす怪談は、証言者名、体験場所、体験時期をできる限り明確にし、証言内容を生の形で乗せようとするものである。まったく、装飾の無いこの怪談は、商業ベースに反する前衛的な試みであったのだ。「実話怪談」に憧れ、先輩諸氏に敬意を払うつもりで、自分のなりの「実話怪談」を追求したのだが、その結果、生まれたものが異質なものであったのだ。
そこで、筆者は新しい分野をつくればよいという見解に至った。その結果、生まれた方向性が昨年リイド社から上梓した「怪異証言」である。筆者は、幽霊や妖怪の存在を、心から信じているビリーバーの作家である。作家という立場で、心霊現象や妖怪現象が現実にあると言明することは、なかなか言えない暴論である。平成以降、作家として、心霊現象を心から信じる言い切った人間は少数派のはずである。だが、事実ビリーバーなのだから仕方ない。幽霊や妖怪の実存性を信じ、いつかその可能性を突き止めたい。だから、私は作家になったのだ。そういう意味では、装飾をまったく入れない「怪異証言」にたどり着いたのは、当然の帰着であったのかもしれない。
この「怪異証言」は読者から圧倒的な支持を得ることができた。中には開始数秒で終わってしまうプロレスにおけるパンクラスの存在に例えてくれる人もいた。筆一本で食っている商業作家として、ここまで素の状態で出してよいのかという戸惑いもあったが、心霊現象を信じる人間としては、これこそが求めていたものだという気持ちもある。
あの昭和に滅びたはずの作家の聞き書き、ルポを交えた「心霊体験本」が、「怪異証言」という現代スタイルで生まれ変わったような気がした。本書は、昨年リイド社から出した、この「怪異証言」から幾つかの題材をとっている。勿論、漫画化している時点で「怪異証言」というコンセプトは失っているが、「怪異証言」という新たな怪談の種類を広く知っていただくには、漫画化は有意義な方法である。もし、漫画と「怪異証言」の原話との違いを楽しみたければ、拙著「怪異証言(リイド社)」と比べてもらいたい、漫画の演出部分がわかり、それもなかなか勉強になるだろう。いつか、また「怪異証言」という看板で逢えたら幸いである。
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さぁ、あの伝説のフィールドワークを再開しよう!あったることをあったまま記す、聞いたことを聞いたまま記す、それが怪異証言である。
怪異証言とは
ローキック一発で終わるガチのプロレスがしたい!!怪談でそれをやるのが「怪異証言」である |
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