- 祇園精舎の鐘の声
- 諸行無常の響きあり
- 沙羅双樹の花の色
- 盛者必衰の理をあらわす
- おごれるひとも久しからず
- ただ春の世の夢のごとし
- 猛きものもついには滅びぬ
- ひとえに風の前の塵に同じ
高校の古文で習った平家物語の冒頭である。最初の5行は頭にこびりついている。源氏物語や枕草子や奥の細道の冒頭も同じで、おそらく学校で何度も何度も朗誦した所為だと思う。今年のNHK大河ドラマは平清盛を主人公にしたが視聴率はあまりよくなかった。そもそも歴史上の人物として清盛は人気がないから、低視聴率は仕方がないと思う。その点、一昨年の「龍馬伝」は得をした。
1. 祇園精舎
中村元の「原始仏典、サンユッタ・ニカーヤ」に祇園精舎のことが書いてある。ブッダの生まれ故郷に近いコーサラ国の首都シュラーヴァスティー市の郊外にジェータという林があった。スダッタという長者が所有者のジェータ太子から林を買い取ったのちブッダの教団に寄進する。そこに建てられたのが祇園精舎で、ブッダの教化活動の中心地のひとつである。日本各地にある祇園という地名は、この祇園精舎からきている。伝説ではジェータ太子はスダッタに林を高く売りつけてやろうと、”林に敷き詰めるだけの金貨を持ってきたら譲ってやる”と言ったところ、スダッタはほんとうに金貨を林に敷き詰め、その金を太子に差し上げて土地を手に入れたという。
4世紀末に鳩摩羅什が訳した「金剛般若経」あるいは「金剛般若波羅密経」の冒頭にも祇園精舎が出てくる。
如是我聞。一時佛在舎衛国”祇樹給孤独園”。輿大比丘衆千二百五十人俱。爾時世尊。食時著衣持鉢入舎衛大城乞食。於其城中次第乞已。還至本處飯食訖。収衣鉢洗足已敷座而坐。時長老須菩提在大衆中。即従座起。偏袒右肩。右膝著地。合掌恭敬而白佛言。
舎衛国(シュラーヴァスティー市)”祇樹給孤独園”というのが祇園精舎である。上の金剛般若経の内容は、その漢文の邦訳よりも中村元がサンスクリット原典から直接訳した以下の訳のほうが良くわかる。漢文は2行と少しで終わるところ、口語にすると7行になってしまう。世尊はブッダで、長老須菩提はスダッタ(スプーティ長老)のことである。
わたくしが聞いたところによると、あるとき師は、1250人もの多くの修行僧たちとともに、シュラーヴァスティー市のジェータ林、孤独な人々に食を給する長者の園に滞在しておられた。さて師は、朝の中に、下衣をつけ、鉢と上衣とをとって、シュラーヴァスティー大市街を食物を乞うために歩かれ、食事を終えられた。食事が終わると、行乞から帰られ、鉢と上衣とをかたづけて、両足を洗い、設けられた座に両足を組んで、体をまっすぐにして、精神を集中して坐られた。そのとき、多くの修行僧たちは師の居られるところに近づいた。近づいて師の両足を頭に頂き、師のまわりを右まわりに三度まわって、かたわらに坐った。
ちょうどそのとき、スプーティ長老もまた、その同じ集まりに来合せて坐っていた。さて、スブーティ長老は座から発ちあがって、上衣を一方の肩にかけ、右の膝を地につけ、師の居られる方に合掌して次のように言った。
ブッダがシュラーヴァスティー市内での托鉢から戻り、食事を終え祇園精舎で瞑想していると、スブーティ長老(スダッタ=須菩提)が質問を始める。スブーティ長老が若い修行者はどのような心持ちで修行すべきでしょうかと問うのに対し、ブッダは、”善行をすると意識して修行すべきでない。迷いも悟りも区別しない。我執を捨てよ。”と繰り返し繰り返し説くのである。いいことをしたとか悟ったと自覚することは、すでに自己の利益や悟りに執着していることになるので、悟りの自覚さえ否定されるのである。これが仏教の”空”の思想である。孔子は、”70にして心の欲するところに従い規を超えず。”と言ったが、この無意識のうちに行動しても人の道を踏み外すことがないという境地は、仏教の空や無我の思想に通じると思う。
中村元は祇園精舎跡を訪れ、”小高い丘の上に木が茂り、涼しの森になっている良い所だった”という感想を残している。金剛般若経全文が泰山の摩崖に刻まれているという。刻まれたのは六朝時代(3~6世紀)のことだという。
2. 諸行無常
権勢を欲しいままにした平家も、必滅の運命から逃れることはできない。ブッダは諸行無常、すなわち”この世には常なるものは存在しないのだ。だからその理(ことわり)を悟りなさい。”と言った。でも、決して宿命論者、運命論者ではなかった。正しい行いをすればいい結果が生まれるという因果応報を説きはしたが、運命の連鎖は存在せず、すべて(果)は自己の行い(因)によって生ずるものだから、自己を磨きなさい。と説いた。平家はおごったから、その因果で滅びることになったということである。
3. 沙羅双樹
沙羅双樹は、二本のサーラ樹のことで、上原和は自著「世界史上の聖徳太子」で、”クシナーラーのマハーバリ・ニルヴァーナ寺の前には、冬枯れの茶褐色の葉をした2本のサーラ樹(沙羅双樹)が高々と立っていた。”と記し、ブッダ入滅のときから何代目かの沙羅双樹が、入滅の地に今も立っているのを見たのである。ブッダ最後の旅を記した中村元訳「大パリニッバーナ経」に沙羅双樹の間に身を横たえるブッダの姿が見える。
さあ、アーナンダよ、わたしのために、2本並んだサーラ樹の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい。
教養のある人は北枕にしていたという説と、北枕はたまたまだったという説があるらしい。日本では人が亡くなったときに北枕にするが、ここに由来するという。
4. ブッダの最後
そこで尊師は、右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく念い、正しくこころをとどめていた。
当然のように法隆寺五重塔内で見た涅槃像も右脇を下にし右足の上に左足を重ねた大パリニッパーナ経に記録された寝姿と同じ寝姿をしていた。ブッダの周りには泣き叫び悲嘆にくれるアーナンダをはじめとした弟子たちが並んでいる。
やめよ。アーナンダよ。悲しむなかれ、嘆くなかれ。アーナンダよ。わたしはかつてこのように説いたではないか、 すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。
およそ生じ、存在し、つくられ、破壊されるべきものであるのに、それが破壊しないように、ということがどうしてありえようか。
諸行無常である。そして、ブッダ最後のことばも、諸行無常であった。
さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、”もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい”と。
怠ることなく毎日生きていれば、生や死を超越した有意義な日々を送ることができるような気がする。最澄の”わが志を述べよ。”やスティーブ・ジョブズの”毎日を今日が最後と思って生きる。”や正岡子規の生き様と戸塚洋二のことばを思い出す。