陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

アニメ映画「銀河鉄道の夜」

2010-02-22 | 映画──ファンタジー・コメディ
宮沢賢治の詩は読んだことがあっても、児童文学はついぞ読んだことがなかった私は、「銀河鉄道の夜」がどういったお話なのかを知らないまま、大人になってしまいました。もし、それを子供の頃に読んでいたら、なにかが変わっていたでしょうか。いや、たぶん変わらない。なにせ、幼い時分の私は、こういった感傷的なものが大きらいだったからです。

さて、1985年作のアニメ版「銀河鉄道の夜」は、なんと主要登場人物を猫にしてしまったファンタジー。
猫といっても擬人化された猫ですから二本足歩行したり、服を着ていたりするのですが、どことなく腕の運びなどが猫のようにしなやかなのが、ふしぎな魅力。顔つきもほとんど表情のない吊り目の猫顔。

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病気の母と暮らす貧しい少年ジョバンニ。父親は北の漁に出かけたまま、行方知れず。
帰ってこない父のことを悪し様にいう級友たちのせいで、幼なじみのカムパネルラともなんとなく疎遠になっています。
星祭りの日、ジョバンニは母のために配達されなかった牛乳をとりに街を走る。カーニバル気分で歓喜に湧く広場を抜けてみると、いつのまにか、ジョバンニは夜空を走る列車に乗っていた。座席の目の前には、大好きなカムパネルラもいて、ふしぎな乗客達がつぎつぎに乗りあわせてくる。

乗客たちの大半も猫であるにもかかわらず、性格はひどく人間くさく描かれています。そして、最後に南十字星にむかう人間の子供ふたりと青年のくだりは、非常にもの悲しい。おそらくタイタニック号の悲劇に材を得たものと思われる。
そして、母親への懺悔を口にしていたカムパネルラ。ふたりっきりの親睦を温めなおし、このままどこまでもいっしょに旅ができると期待したジョバンニ。しかし、終局、友人に訪れた悲しい現実を知らされてしまいます。

銀河鉄道とはなんの隠喩だったのでしょう。銀河に敷かれたレールが人生そのものとするなら、どこかの駅に着くということは終わりを意味する。どこまでも行ける切符をもっていた者と、どこかで下車させざるをえない切符を持っていた者。カムパネルラを終わらせてしまったのは、自己犠牲。亡くした者と入れ替わりに、帰ってくる期待を手にしたことで、まだしもジョバンニの未来は救われています。

監督は杉井キサブロー。脚本は別役実。
声をあてているのは、田中真弓さんはじめベテランの声優陣。

(〇九年八月二十五日)

銀河鉄道の夜(1985) - goo 映画


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