新年深夜にMBSで観た映画。
大正・昭和時代、芸妓・娼妓紹介業をいとなむ男と、それを支える献身の妻の物語。
男は気骨のある人間で、裏稼業でありながら人脈を通じ、家業を大きくしていく。妻はその稼業がいやでいやでたまらない。
男は命を狙われつつも、悪運の持ち主か、ヤクザとの抗争にも競り勝ってのしあがっていく。しかし、妻はいえば、夫に浮気されしかも愛人の連れ子の面倒までみさせられ、そしてまた息子も父親と同じならず者になってしまう。
この哀れな母親を、拾われた女児(名取裕子)の視点から、成長に伴って直線的に描いている。
タイトルの「櫂」というのは、舟を漕ぐオールのことですね。旦那に愛想をつかして里帰りした妻を説得するために、親戚のご婦人が用いるたとえ。左右の櫂が揃って舟が進むように、夫婦もそうあるべきだと説く。
それで、いったん戻る妻だったが、夫の金遣いの荒さ、息子の放蕩はとまらない。そして、やっと自分になついてくれた養女も奪われそうになる。ひたすら忍従の日々に耐えられなくなった妻は、ついに身勝手な男との別離を決意する。
この旦那ははっきりいって女性からすると許せないタイプなんですけど、妙に男気が漂っているんですよね。で、次々に愛人をつくってしまう。
むしろ、女のほうがかわいそうな境遇なんだけど、すごく不満をかこっている思考の暗い人なのかなと思えてしまう。
でも、現代だったらあまり考えられない内容。
主演は名優緒形拳と、十朱幸代。脱いだらすごいです(爆)
にしても緒形拳は、ナニワ金融道などでヤクザ親分を演じているけれど、こういうやさぐれ者がよく似合いましたよね。息子の直人もどちらかというとダークヒーローが似合いそうなんだけど、いっつもひ弱な男が多くて、しかも主役に据えなきゃいけないから、いっこうに役者として幅がないのが残念。
冒頭に登場する物売りの農婦が、どうやら宮尾登美子らしい。
宮尾登美子は『鬼龍院花子の生涯』などでも、さかんに花街や裏稼をいとなむ男の繁盛記をさかんに描いているのだけど、作家の実家がそうだったのだろうか。
(〇九年一月二日 記)