ごきげんよう。
ついに、ついに、来ました。運命の瞬間です。全国数千万人の乙女の皆さま、お待ちかねのあの瞬間です。苦節数年、思えば「妹オーディション」から、いったいなんど待ちぼうけを喰らわされたことでしょう。そんな悶々とした日々もきょうでおわりです。
──という台詞をちょうど一年前にいうべきでしたよね。
ええ、そうなんです。いまさらなんです。でも、どうしてもするんです。
『マリア様がみてる─薔薇の花かんむり─』(〇八年十月刊行)のレヴューです。
話題の巻ですので、まだお読みになれていない方ほぼいらしゃらないかと思いますが、以下猛烈ネタバレですので要注意。
もう、表紙をご覧になればおわかりですね。薔薇の戴冠式をうける瞳子と、さずける祐巳。見守る祥子。そう、この巻は新生紅薔薇姉妹誕生のお話なのです。といってもさんざんフラグたってましたから、既成事実つくってしまいな巻なのですが。この表紙とシチュはおなじではありませんが、ロザリオ授受には祥子さまも立ち会うことになるのですね。
この三人の構図って、キリスト教絵画になにか似たような図があったような気がしますが、思い出せません。でもなにかいいですね、三代姉妹がそろい踏みって斬新で。トリオといえばだいたい二年生娘で表紙を飾るのが多かったですし。
でも、この巻の主題はそれじゃない。意外とあっさりすんでしまうロザリオ授受。ストーリーの主軸は、祥子さまの「奇行」および「三年生を送る会」そして「薔薇さまを見送る会」に移っていきます。
ちなみに祥子さまの件は、先般レヴューした『キラキラまわる』号であきらかにされますが、もうこの巻で察しはつくでしょう。
みどころはそこじゃなくて、注目すべきは晴れて姉妹となった祐巳・瞳子の関係。すでにして次代紅薔薇としての貫禄じゅうぶんな主人公ですが、しっかり者の妹には翻弄されることもあって。
また瞳子に抜き差しならぬ愛情を寄せていた演劇部部長、高城典(つかさ)さんとの対峙も見もののひとつ。祐巳ができないしかたで、瞳子を輝かせてみせると言い放つ彼女に、ひそかな闘志と親しみを感じる祐巳。この場面、いい挿絵があったのですが、ぜひとも映像でみてみたい。そういえば、この演劇部部長を川澄さんの声で推す意見をきいたのですが、ナイスアイデア。ぜひとも実現してくださらないものかな。(いったいどこの『ひとひら』ですか?)
この巻は嬉しいことに、ひさしぶりに祥子・祐巳の甘い対話(って書くとアヤシいですが、あくまでコバルト文庫コードにひっかからないレベルです(笑))がふんだんに盛り込まれていました。対瞳子と対祥子では、あきらかに作者の描写力に差があるのは気のせいでしょうか。
傷だらけな瞳子は放置して祥子さまのガリ勉のほうを気にかける祐巳、やはり新しい縁よりももうすぐ終わる関係に未練があるのか。にしても、最後の最後まで祐巳の気をひいて離さない祥子さまが、なんとなく天然悪女に思えてきました。しかも卒業までの貴重な時間をつかった遊園地イベントなのに、どうしてふたりっきりにしないのかな。作者の策略です。
ほかにも由乃を影ながら気づかう令さまの思いやりがかいまみえたり、乃梨子の瞳子に対するかたい友情が感じられたりと、まさに百合風味たっぷりなできばえ。新聞部の三奈子さまや、「サンタさん」もご健在。ひさかたぶりに『マリみて』らしい『マリみて』といえるでしょう。ただし、祥子・祐巳のパートはお笑い要素も含んでエンターテインメント性も豊か。
最後は思いもよらない一年生組の活躍で、感動のフィナーレ。
次回持ち越しの宿題も気にならないくらいの爽快な読後感です。
あいかわらず、ひねくれすぎていない伏線をはりながら読者の期待をあおって、ぐいぐいひっぱっていく力量はさすが。私がすごいと思うのは、いまどきのアニメのような大仕掛けな事件が設定されておらず、日常のささやかなできごとのなかに、少女時代の多感な心情をいかんなくねじり込んでいく手法です。彼女たちのこころは、もろくはかなく、すぐさま変わる。そしてそれが昭和時代のリアリティーをおびているということでしょうか。
そういえば、『キラキラまわる』のあとがきで、『マリみて』をファンタジーだと定義されていましたが。単に携帯電話やファッションなど持ち物だけでなく、児童文学のような「安全さ」がそうさせるのでしょう。だって、いまね、少女漫画でもあけすけにベッドシーンとか描く時代で、それこそが少女のリアリティーっていわれているんですから。
ところで最近、多視点ドラマが板についたこのシリーズですが。私は妹になったあとの瞳子視点からみた祐巳の実況中継を読んでみたいものです。
『卒業前小景』とあわせて、本日待望のモノを入手。
まさかまだ売ってるとは思いませんでした。詳細は後日。
ついに、ついに、来ました。運命の瞬間です。全国数千万人の乙女の皆さま、お待ちかねのあの瞬間です。苦節数年、思えば「妹オーディション」から、いったいなんど待ちぼうけを喰らわされたことでしょう。そんな悶々とした日々もきょうでおわりです。
──という台詞をちょうど一年前にいうべきでしたよね。
ええ、そうなんです。いまさらなんです。でも、どうしてもするんです。
『マリア様がみてる─薔薇の花かんむり─』(〇八年十月刊行)のレヴューです。
話題の巻ですので、まだお読みになれていない方ほぼいらしゃらないかと思いますが、以下猛烈ネタバレですので要注意。
もう、表紙をご覧になればおわかりですね。薔薇の戴冠式をうける瞳子と、さずける祐巳。見守る祥子。そう、この巻は新生紅薔薇姉妹誕生のお話なのです。といってもさんざんフラグたってましたから、既成事実つくってしまいな巻なのですが。この表紙とシチュはおなじではありませんが、ロザリオ授受には祥子さまも立ち会うことになるのですね。
この三人の構図って、キリスト教絵画になにか似たような図があったような気がしますが、思い出せません。でもなにかいいですね、三代姉妹がそろい踏みって斬新で。トリオといえばだいたい二年生娘で表紙を飾るのが多かったですし。
でも、この巻の主題はそれじゃない。意外とあっさりすんでしまうロザリオ授受。ストーリーの主軸は、祥子さまの「奇行」および「三年生を送る会」そして「薔薇さまを見送る会」に移っていきます。
ちなみに祥子さまの件は、先般レヴューした『キラキラまわる』号であきらかにされますが、もうこの巻で察しはつくでしょう。
みどころはそこじゃなくて、注目すべきは晴れて姉妹となった祐巳・瞳子の関係。すでにして次代紅薔薇としての貫禄じゅうぶんな主人公ですが、しっかり者の妹には翻弄されることもあって。
また瞳子に抜き差しならぬ愛情を寄せていた演劇部部長、高城典(つかさ)さんとの対峙も見もののひとつ。祐巳ができないしかたで、瞳子を輝かせてみせると言い放つ彼女に、ひそかな闘志と親しみを感じる祐巳。この場面、いい挿絵があったのですが、ぜひとも映像でみてみたい。そういえば、この演劇部部長を川澄さんの声で推す意見をきいたのですが、ナイスアイデア。ぜひとも実現してくださらないものかな。(いったいどこの『ひとひら』ですか?)
この巻は嬉しいことに、ひさしぶりに祥子・祐巳の甘い対話(って書くとアヤシいですが、あくまでコバルト文庫コードにひっかからないレベルです(笑))がふんだんに盛り込まれていました。対瞳子と対祥子では、あきらかに作者の描写力に差があるのは気のせいでしょうか。
傷だらけな瞳子は放置して祥子さまのガリ勉のほうを気にかける祐巳、やはり新しい縁よりももうすぐ終わる関係に未練があるのか。にしても、最後の最後まで祐巳の気をひいて離さない祥子さまが、なんとなく天然悪女に思えてきました。しかも卒業までの貴重な時間をつかった遊園地イベントなのに、どうしてふたりっきりにしないのかな。
ほかにも由乃を影ながら気づかう令さまの思いやりがかいまみえたり、乃梨子の瞳子に対するかたい友情が感じられたりと、まさに百合風味たっぷりなできばえ。新聞部の三奈子さまや、「サンタさん」もご健在。ひさかたぶりに『マリみて』らしい『マリみて』といえるでしょう。ただし、祥子・祐巳のパートはお笑い要素も含んでエンターテインメント性も豊か。
最後は思いもよらない一年生組の活躍で、感動のフィナーレ。
次回持ち越しの宿題も気にならないくらいの爽快な読後感です。
あいかわらず、ひねくれすぎていない伏線をはりながら読者の期待をあおって、ぐいぐいひっぱっていく力量はさすが。私がすごいと思うのは、いまどきのアニメのような大仕掛けな事件が設定されておらず、日常のささやかなできごとのなかに、少女時代の多感な心情をいかんなくねじり込んでいく手法です。彼女たちのこころは、もろくはかなく、すぐさま変わる。そしてそれが昭和時代のリアリティーをおびているということでしょうか。
そういえば、『キラキラまわる』のあとがきで、『マリみて』をファンタジーだと定義されていましたが。単に携帯電話やファッションなど持ち物だけでなく、児童文学のような「安全さ」がそうさせるのでしょう。だって、いまね、少女漫画でもあけすけにベッドシーンとか描く時代で、それこそが少女のリアリティーっていわれているんですから。
ところで最近、多視点ドラマが板についたこのシリーズですが。私は妹になったあとの瞳子視点からみた祐巳の実況中継を読んでみたいものです。
『卒業前小景』とあわせて、本日待望のモノを入手。
まさかまだ売ってるとは思いませんでした。詳細は後日。