陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「我輩はカモである」

2010-06-03 | 映画──ファンタジー・コメディ
1933年のアメリカ映画「我輩はカモである」(原題:Duck Soup)は、チャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドの三大喜劇王に並ぶコメディアンとして名を馳せた、マルクス兄弟が主演するコメディ。チャップリン映画だと笑いのなかにも少なからずあったペーソスといったものがなく、容赦なく観るものを笑いの渦に放り込んでしまいます。

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財政難に陥ったフリードニア共和国は、ティズテイル夫人からの資金援助と引き換えに、ファイアフライを首相に就任させた。このファイアフライ、政権の舵取りには疎く、どうも首相の器ではないが、なぜか軽く悪口を叩いても夫人からは揺るぎない寵愛を受けているため、独裁者然としている。
隣国の大使トレンティーノは、フリードニアを我がものにせんと画策。夫人にプロポーズしたり、ファイアフライをたらし込もうと踊り子を送り込んだりして身辺を探らせようとするが失敗。しかも、スパイとして潜り込ませたチコリーニとピンキーのコンビは失態ばかり。
ファイアフライとトレンティーノとの些細な口論から、両国間に戦争が勃発してしまう…。

スタンリー・キューブリックの核戦争を皮肉った「博士の異常な愛情」を思わせるようなシニカルな政治風刺劇ですが、海苔を貼り付けたかのようなあのひげ面の小男の宰相は、1933年という時代性からしても、アドルフ・ヒトラーを思わせます。ヒトラーといえばチャップリンの「独裁者」が有名ですが、本作が面白いのは、独裁者を上回るこっけいな活躍で舞台を駆け抜けていく、チコリーニとピンキーのコンビ。とくに、ファイアフライの邸宅に戦争の計画書を盗みに入り、ファイアフライの変装をして三者入り乱れての取り替え劇の場面は、拍手喝采としかいいようがない。鏡のシーンは、往年のドリフターズの「8時だよ全員集合」のコントでも見られましたね。

台詞をまったく口にしないピンキーがみせる、時に残虐ないたずらの数々は苦笑せざるをえないけれど、暴力や権力をふりかざす人間に対し臆することなくコケにして笑いを誘う手法は、今も昔も変わらず多くの民衆の支持を得たことでしょう。

クライマックスの敵軍に全面包囲されて家に篭城するファイアフライ、夫人、そしてなぜか寝返っているチコリーニ、ピンキーらが、おまぬけにも自滅しそうになりながら、なぜだかトレンチーノを打ち負かしてしまうあたりはご都合主義とはいえますが、筋書きの整合性よりも喜劇役者のコメディの真髄をみせつけるのが本領の舞台劇といえるでしょう。

葉巻と髭のキャラクターで知られる三男グルーチョ・マルクスが、ファイアフライ。長男チコ・マルクスがチコリーノ、寡黙な道化の次男ハーポがピンキー、そしてのちに脱退する五男のゼッポはファイアフライの腹心の若者を演じています。

監督はスラップスティックコメディの名手であるレオ・マッケリー。1937年の「新婚道中記」でアカデミー賞受賞。同年の「明日は来たらず」が、小津安二郎監督の傑作「東京物語」に影響を与えたとされています。

暗い時代にはいささか過激なギャグで世相の不安を吹き飛ばしたいものですが、原題のコメディ役者は近親者の私生活をいじったりするだけでつまらないですね。自分が道化て笑いをとらず、権力者をあざけるより、政治家に転身して保身に走ろうとする貴族意識の人が多くてあきれます。いちど上手い汁(=Duck Soup)を吸ったら忘れられなくなるせいか、それとも、政権じたいが演出がかってきてドラマにしか思えないのでしょうか。

(2010年1月17日)

我輩はカモである(1933) - goo 映画

【追記】
昨日の鳩山首相の辞任劇を見ていたら、この映画を思い出しました(苦笑)

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