陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

アニメ映画「もののけ姫」

2011-07-09 | 映画──ファンタジー・コメディ
1997年の映画「もののけ姫」は、宮崎駿監督、スタジオジプリ製作の和風ファンタジー。金曜ロードーショーで放映していました。観るのはおそらく三度目になるはずなのですが、いつも内容が詳しく思い出せません。なぜでしょう。

この映画はかいつまんでいえば、正義感溢れ勇気ある青年武者と、野生の少女との出逢いなんですよね。公開当時は興行収入の新記録を打ち出したことにくわえ、一般文芸誌などで製鉄文化に詳しい文化史論者からも絶賛の寄稿があり、文字どおり娯楽であるアニメを文化財産として高めた作品といってもさしつかえはないでしょう。

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舞台は室町時代あたりのさる農村。
右腕にかけられてしまった呪いを解く方法を求めて旅に出た青年アシタカは、製鉄を生業とするある集落タタラ場に立ち寄ります。その集落を襲ったのが、山犬に乗ったサンという少女。集落の長であるエボシ御前の指揮のもと、村人が森を切り崩してきたのを恨んでのことでした。

まずこの作品は、よくある自然対人間の物語ではありますが、人間側も自然側も勢力がもろもろ入り乱れており、いったいどこが正義の要なのかがはっきりしません。

いっけん文明開発の被害者のように思える森の住人たちは、人間の意図を超えて暴走するおぞましいかたちとして表される。サンの育ての親の犬神モロの君などが美輪明宏のめだたしい声いろとあいまって極めて個性的な人格の持ち主として描かれるが故に、終盤の自我をうしなった猪神の乙事主の目も当てられないすがたは、残忍極まりないもののように思えます。

さらに、人間側も一枚岩ではなく、サンを助けようとするあまりタタラ場から疎まれてしまうアシタカ、そして犬神に親の仇のような敵愾心をむき出しにするエボシ御前、その憎悪につけこんで森の支配者シシ神(ニホンカモシカのような姿をしている)の首を入手せんと狙うジコ坊たち、さらには森にかかずらわって守りが手薄になったタタラ場を乗っ取ろうとするサムライたち。けっきょく、アシタカの説得に応じてシシ神の首を返すことで森の悪しき化身は収まり、森は平穏を取り戻すというのがおおかたの粗筋なのですが、宮崎アニメのご他聞にもれずこれといって悪い人もいない、というまとめ方です。

さらに、いつ観てもふしぎなのはアシタカが終始サンに対し、猛烈なアピールをするんですよね。「そなたは美しい」とか歯の浮くような台詞を吐くんだけれども、なにかそれは人間の男との色恋どころか、まともに人の親からの愛情も授かった事のないサンにはなしのつぶてで、かなりすれ違っているように感じざるをえないわけです。「天空の城ラピュタ」みたいにヒロインの危機を果敢に救う少年の男気といったものが感じられないんですよね。もちろん、このアシタカ青年はタタラ場の奥様がたがこぞって噂しあうぐらいの美男子であり、かつ、傷ついた自分の足代わりとなる大カモシカですらいたわるほどの慈愛にあふれた好感度の高い人物なんですけれど。呪いのために憎悪をふくらませていると説明されても、はたしてそうは思われない。寡黙な男という昔ながらのキャラクターなんです。

最後にいちばん気になるのはヒロインたるサンの扱われ方。
「もののけ姫」というタイトルながら、実はこの作品ではサンは脇役に過ぎないんですよね。主役はもちろんアシタカで、サンは姫と呼ばれながらその実、超人的な能力を備えているわけではない。赤ん坊の頃森に捨てられたまさに「野生のエルザ」状態なだけで、彼女自体にはまったくのドラマがないわけです。そのためタイトルに掲げられるほどの存在でありながら重みがない。むしろ、エボシ御前のほうが作品のなかでは生き生きと描かれています。ナウシカのような美しくも気高い理想をもって生き物すべてを育む森を守ろうとする戦闘ヒロインをもとめて、この映画を観られた方はひじょうに肩透かしをくらってしまったことでありましょう。最後の最後に事態を収束させたのはアシタカであって、サンの役割などほとんどなかったようなものだからです。アシタカの風貌や声優が、ナウシカのアスベル少年と似ているだけになおさら関係を探ってしまわざるを得ない。

さらに野暮なことを言わせてもらうならば、赤ん坊の頃捨てられて山犬に育てられ(その後、いっさい人間社会となじんだことがないという前提で)たのだとしたら、十代半ばの少女でもろくに言葉は話せず二本足で歩くことすらしないような。アシタカの向ける恋心を理解するほどの知能があったのかどうか疑わしいように思われます。もちろんアニメなので、こんな批判はどうでもいいのですが、こういう批判を招くほど響いてくるものがあまりない作品だったといいますか。映像としては美しいと思うのだけれど、なぜなんでしょう。

さて、この映画、一本気な青少年と人間離れした少女のボーイミーツガールとしてならば、いまの萌えアニメの典型にじゅうぶんあてはまるのですが、犬耳がついていないというのがジプリ流というべきか。「猫の恩返し」で猫耳少女は登場しましたけれど、個人的にはいまいち。

本作は物語そのものというより、日本文化史の資料的価値として高く評価されたといえるのではないでしょうか。

(2011年7月1日)

もののけ姫 - goo 映画<

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