本日の映画は1988年のカナダ映画「赤毛のアン アンの青春 完全版」
「赤毛のアン」といえば、ルーシー・モード・モンゴメリの有名な少女文学。その原作の方は読んだことはないのですが、むかしアニメでやっていたのを観たことがあります。そのときは養子にもらわれたが、活発で陽気な少女という印象。なので、この映画で、文学少女になり、また教師生活をも送るというアニメ版アンのその後には驚きました。
生まれ育った町アンヴォーリーを離れて、教師として雇われるアン・シャーリー。
作家として名声を得た彼女は、親友のダイアナが結婚したことにショックを受けるも、自分は我が道を行くと決意したのだった。
だが、赴任先の私立の女子高はやっかい者ぞろい。校長は気難し屋の行き遅れ。クラスの女子学生たちは、新任でしかも小説家として名の知られたアンをからかってやろうとする。その首謀者は、街の有力者ブルックス一族の娘だった。
クラスでも浮いた存在だが聡明なエメライン・ハリスと仲良くなったアンは、しかし、エメラインの父親が学園から娘を退学させたがっていることを知る。
じつは、この父親がアンが故郷にいた頃からの顔見知りだった、という設定。
寄附を募るためにお芝居を催すことになり、そこにクラスの反発分子の嫌がらせが。しかし、アンはみごとに成功させてしまいます。
このあたりのエピソードは、アンの強さと優しさをかいまみせるすばらしい展開。クラスの反抗者だけでなく、寂しさから皮肉屋になっていた校長とも親交をあたためていくのがいいですね。
教師としての信頼を得たアンには、五年間の教師職の安泰が保障される。
しかし、アンの心は揺れ動いています。故郷にいる幼なじみのロバートに、ひそかな恋心を寄せている。しかも、エメラインの父親からも求婚を申し込まれて…。
本作の原作にあたる『赤毛のアン アンの青春』が刊行されたのは、今から一世紀前の1909年。
時代が変わっても、少女から女性へと移り変わるころに抱える悩みは、おなじなんですね。
それが、今でも世界中で愛読される由縁なのでしょう。
監督はケヴィン・サリバン。
主演はミーガン・フォーローズ。
余談ですが、私は国語と英語の先生にはいい想い出がありません。科目自体は嫌いではありませんでしたが。
歴史や化学の先生は研究者肌で授業おもしろかったんですが、国語の先生は地元で同人誌を出しているような文士きどりな方が多くて、あまり他人の作品の旨味を伝えることに長じていない方が多かったのかな、という気がしました。
「赤毛のアン」といえば、ルーシー・モード・モンゴメリの有名な少女文学。その原作の方は読んだことはないのですが、むかしアニメでやっていたのを観たことがあります。そのときは養子にもらわれたが、活発で陽気な少女という印象。なので、この映画で、文学少女になり、また教師生活をも送るというアニメ版アンのその後には驚きました。
生まれ育った町アンヴォーリーを離れて、教師として雇われるアン・シャーリー。
作家として名声を得た彼女は、親友のダイアナが結婚したことにショックを受けるも、自分は我が道を行くと決意したのだった。
だが、赴任先の私立の女子高はやっかい者ぞろい。校長は気難し屋の行き遅れ。クラスの女子学生たちは、新任でしかも小説家として名の知られたアンをからかってやろうとする。その首謀者は、街の有力者ブルックス一族の娘だった。
クラスでも浮いた存在だが聡明なエメライン・ハリスと仲良くなったアンは、しかし、エメラインの父親が学園から娘を退学させたがっていることを知る。
じつは、この父親がアンが故郷にいた頃からの顔見知りだった、という設定。
寄附を募るためにお芝居を催すことになり、そこにクラスの反発分子の嫌がらせが。しかし、アンはみごとに成功させてしまいます。
このあたりのエピソードは、アンの強さと優しさをかいまみせるすばらしい展開。クラスの反抗者だけでなく、寂しさから皮肉屋になっていた校長とも親交をあたためていくのがいいですね。
教師としての信頼を得たアンには、五年間の教師職の安泰が保障される。
しかし、アンの心は揺れ動いています。故郷にいる幼なじみのロバートに、ひそかな恋心を寄せている。しかも、エメラインの父親からも求婚を申し込まれて…。
本作の原作にあたる『赤毛のアン アンの青春』が刊行されたのは、今から一世紀前の1909年。
時代が変わっても、少女から女性へと移り変わるころに抱える悩みは、おなじなんですね。
それが、今でも世界中で愛読される由縁なのでしょう。
監督はケヴィン・サリバン。
主演はミーガン・フォーローズ。
余談ですが、私は国語と英語の先生にはいい想い出がありません。科目自体は嫌いではありませんでしたが。
歴史や化学の先生は研究者肌で授業おもしろかったんですが、国語の先生は地元で同人誌を出しているような文士きどりな方が多くて、あまり他人の作品の旨味を伝えることに長じていない方が多かったのかな、という気がしました。