より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

“12/28 賀川豊彦について学ぶ”

2015-01-02 20:05:49 | 人物・人名

NJさんとこの記事に、「 12/28 賀川豊彦について学ぶ  キリスト教 / 2014-12-30 22:06:58    私が所属する高槻のlds教会(茨木市にある礼拝堂使用)では、日曜学校で一日予備の日が得られたので、貧民救済活動などで知られる賀川豊彦について取り上げた。 ・・・・

とありまして、いやらしやと思われで御座んすが、例によって、フリーメイソンとの関連をかんぐってみたくなったので御座候・・・・首相候補にもGHQから、うぅぅんん・・・・滞米中、結社メイソンに加入したんでしょうねぇぇ、そうじゃなければ、そんな推薦とかってならんでしょうがなぁぁ・・・・

    賀川豊彦 (1888-1950)
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%B3%80%E5%B7%9D%E8%B1%8A%E5%BD%A6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

まぁね、たまWEB的には、以下に、いくつかのサイト記事刮目なんだわさぁぁ、抜粋コピー・ペースト等・・・・たまWEB、仙台市に十代後半から20代前半くらいまで、おったんでした・・・・

    「キリスト教が持つ本来の目的は「洗脳して支配すること」  2013年8月13日 zeraniumのブログ

この建物は以前はフリーメイソンのロッジであり、フリーメイソンのキリスト教宣教師たちの集まる場所であった。秘密の地下室からは、二階の屋根まで通る突き抜けた煙突が立ち上がっており、煙突に見せかけたその高い換気塔からは、時おり拷問を受ける叫喚が聞こえたりしていて近隣からは気味悪がられていた。

   そしてそこに出入りするキリスト教の宣教師たちは、自らの家庭ではキリストの画ではなくユダヤの予言者の画を掲げていたという。彼らはキリスト教宣教師でありながらユダヤ人であり、フリーメイソンでもあったのだ。私が昔、この仙台の東北学院神学部の学生であった頃、学院の院長はシュネーダー博士で、彼が仙台ロータリー・クラブを主宰し、しかもフリーメイソン関係者の指導的存在でもあった。

当時仙台にいたキリスト教宣教師たちであるが、彼らこそが仙台を中心とする東北一帯の諜報組織の中心人物たちであり、英国や米国の指令下にあってしかも彼らは自らフリーメイソンの結社員であると言っていた。

外人宣教師団の秘密を察知して、その対日謀略の手先になることを拒んだ日本人牧師に対しては、彼らの報復手段には先に述べた地下室などでのリンチのほかに、脅迫して殺し、それを自殺に偽装したり、生かしておいて精神的に責めぬく方法があった。そうした外国人宣教師団に隷属していたある若い牧師がおり、その組織から抜け出そうとしたために彼らから苛酷な迫害にあい、耐えかねてピストル自殺を図ったものがいた。偶然行き合わせた私の先輩に救われて何とかことなきをえたが、しかし彼への報復は止まなかった。

   次に彼らはその若い牧師を米国の神学校へ留学させ、一方日本に残した彼の妻に男を近づけて私生児を生ませ、彼と家族との間に深い精神的苦悩を負わせた。それは私が東北学院の神学部に在学中のことであり、その若い牧師の教会の長老をしていたある保険会社の支店長を私が知っていたので、その間の経緯がわかったのである。この牧師は帰国後は牧師をやめ、職を求めて私の郷里の酒田市へ転出した。しかし彼はその後も組織から完全には抜け出せなかったようであり、酒田市が軍機の空襲を受けた時、その手引きをした形跡があった。
」   ユダヤは日本に何をしたか』 渡部悌治著 成甲書房 2003 新版もあり
     http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-0721.html

    「2014年04月08日  「花子とアン」のウソ八百(1/2)  心に青雲 

     http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/394083771.html

     「賀川豊彦の闇 02010/8/6(金)

     http://blogs.yahoo.co.jp/chugamo2008/33758175.html


     賀川の親友北村徳太郎(1886-1968)が依頼した建物・・・・

     「割り切れない奇妙さ [たてもの]  ジャージの王様 
 
注目すべきは、白井に親和銀行の建築を依頼した頭取、北村徳太郎に関する記述です。熱心なクリスチャンであった北村は若い頃から賀川豊彦の親友であり、戦後賀川がアインシュタインらとともに提唱し始めた世界連邦運動に積極的に関わり、日本における会長ともなっているというのです。そして一方で北村を、佐世保経済を振興させた立役者として、トーマス・グラバーの後継者たる役割を担っていたと書いています。

     http://classico-italia.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20


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