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マーシュ使徒会長のミルクの話 その2

2013-07-01 14:30:08 | 教会の歴史 

前回のは   2011-06-29 14:01:28 


他に、(マーシュ)で検索だと  http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%A5%DE%A1%BC%A5%B7%A5%E5  

昨日、日曜学校のレッスンに、”背教”ということで、マーシュ使徒会長(1799-1866、1839.3月 破門)のミルクの話があったんでしたぁぁ。

おぉぉぉっ! 手術から無事、回復途上のNJWindowさん、マーシュの話、書いてますね!

" トマス・B・マーシュの挿話、実は・・     / 2013-06-30  

T.B.マーシュは、ミルクをめぐるごたごたで1838年ミズーリ州で教会を去ったと一般に伝えられているが、そうではなさそうである。教会幹部の口から何度もその物語が語られるうちに、その話が定着している。しかし、実際は「ダナイト団」の行き過ぎた破壊活動に賛成できなかつたことが原因で去ったと考えられる。    このT.B.マーシュについての話は、米在住の娘婿ジムが最近私に話してくれた。教会離反者については否定的な説明がなされる傾向があり、それが繰り返されていくうちにその評判が定着していく。しかし、本当の状況や人物像を知るようにしたい、と彼は言う。それは「研究者の視点」であって何ら問題はないし、教会に対する気持ちも変わることはない(レイトン在住の娘婿)。
"

ありがたやぁ~のあ~りがたしぃ・・・・早速ですが、前回ので、間違いありましたん、

「このマーシュ使徒が教会を去った理由としてのミルクの話は、1864年になって、ジョージ・A・スミス長老(1817-75)が、大会説教で語ったのが、最初とされる。で、他にその話を補強するような記録は、見つかってないらしい・・・・んで、破門の本当の理由は、教会員の、ミズーリ州民への暴力や襲撃およびその計画等について、証言したことであったと、その結果、その証言が原因で、恐れた州民が、教会員への襲撃・虐殺に及んだと。つまりは、起因となった教会員による(ダナイトという秘密の機関?)ミズーリ州民に対する暴力行為などに対して、煙幕を張るのが、どうやら、このミルク話の真相ということのようだ。・・・・1864年といえば、マウンテン・メドウ虐殺事件から、7年後だ、さもありなんか・・・・フリーメイソンという巨大な結社に関係しそうで、教会としては、避けたいのかな???

なんですがぁ、

NJWindowさんの記事にあるように、"トマス・B・マーシュの話は実際はジョージ・A・スミスの説教(1856年4月6日)以外には根拠がないようである。"、最初に、話となったのは、1864年は誤りで、1856年でした。たまWEB、どこのソース・資料から、1864年としたのか、わからないんです。

マウンテン・メドウ(メドウ山)の虐殺事件は、1857.9.11。で、ジョージ・A・スミス使徒の関与は、

""そうこうする間、モルモンの指導者たちはインディアンとか、モルモン教徒たちに、襲撃をけしかけることで多忙であった。

 ジョン・D・リーの妻レイチェルの日記(1857年8月16日付)には、次の記述がある。使徒ジョージ・A・スミスの一行がその日ハーモニーにやってきて、翌日スミスと一緒に来たモルモン兵が戦闘態勢でパレードを行い、ハーモニーのモルモン自警団の高官にたいし、「自警団をいかに訓練すべきかを教えた。パロワンのマーティノーがその指揮を執っていた。夕刻7時に全員が集まり、そこで使徒ジョージ・A・スミスが演説をぶち、アメリカ合衆国がモルモン教徒にたいして抱いている精神―敵意と甚だしい悪意―について語った。そして集まった者が全員、父なる神の名によって喜んだ」。

 使徒ジョージ・A・スミスはハーモニーの自警団にたいし新しい高官を任命したり戦闘の志気を高めたりしたが、使徒スミスはジェイコッブ・ハンブリン宛の重要な書簡をも携えていた。ジェイコッブ・ハンブリンはジョン・D・リーの数多い義兄弟の一人である。

 この書簡は1857年8月4日付けのブリガム・ヤングの書簡であり、ジェイコッブ・ハンブリンにモルモン教会のサンタ・クララ・インディアン・ミッションの責任者になるようにという任命書であった。ハンブリンは書簡の内容に忠誠であるべく宣誓をさせられた。

 「直ちにヤングの任命を受け入れ、その任に就くこと。ハンブリンがかねてから(ブリガム・ヤングに)進言していたように、インディアンとは宥和政策を継続し、適切な関係をとることによりインディアンの友愛と信用を獲得すること、なぜならインディアンはモルモン教徒を助けなければアメリカ合衆国はモルモン教徒とインディアンをともに滅亡させるということを知らなければならないからだ・・・ こうした目的のために兄弟たち(インディアンのこと)の心と一体になるよう努めねばならない、そして友愛と一致の聖なる絆で結ばれ、すべてのインディアンがハンブリンの指揮下に入るように努めよ」
 
 この書簡には他にも多くのニュースが含まれていた・・・・
""      「テルマ・ギアーが語る「マウンテン・メドウの大虐殺」淑徳大学 教授 高橋 弘」
        http://garyo.or.tv/kakure/meadows_takahasi.htm
          
ユタ戦争が、1857.5月~1858.7月。

1857.5.5  マーシュ(於いて、ネブラスカ州ダグラス郡フローレンス町)、副管長ヒーバー・C・キンボール宛てに、赦し、教会に加入許可を求めた手紙を送る。この手紙の中で、妻とハリス夫人とのミルクでの諍いがあったこと、後に、夫同士で、お互いの赦しがあったことに触れている。 

再バプテスマを受ける 於いて、ネブラスカ州ダグラス郡フローレンス町

1857.7.12 大会説教で、ヒーバー・C・キンボール副管長が、マーシュと彼の妻について、触れる。

1857.9 マーシュ、ソルトレーク・シティ到着

1857.9.6(日)大会で、ヤング管長の説教中途で、招かれて、背教したこと、赦しを求めるといった内容の話をする。
1857.9.6 バプテスマを受ける(再バプテスマ、2回目ということだ)

      http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22Harris%22+marsh+milk&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

ほな、ご訪問、ありがたや、ありがたや、・・・・  http://www.youtube.com/watch?v=4NqFGiX66T0


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