大阪での毎日

整形外科の仕事&「職」ではなく「食」へのこだわり

島根のそばといえば

2011年07月30日 | グルメ
縁結びで有名な出雲大社がある出雲市。昔は出雲大社への門前でそばをたべるのが庶民の楽しみだったそうです。そのそばが出雲そば。

名前は知っているが、直接つゆをそばにかけて食べるとは知らんかった。

写真のように三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばが一般的のようです。

店は大繁盛で、ってことは出雲そばのおいしい店ってことになりますが、私はつゆにつけながら食べる一般的なそばの方がだんぜん好きかも。

石見銀山の街並み

2011年07月30日 | 旅行
さきほども紹介したように、石見銀山は銀山エリア以外に、そこで働いたひとたちが暮らした大森エリアがあります。

いまでも古い町並み
が残っていて、観光地となっています。ちょこちょこ店に入るにはもはや自転車は邪魔な存在です。

猫もこの暑さにやられたのか、店の床で気配を消してねているため、
あやうく旦那様に踏まれそうになってました。

大森の町を歩いていると、軒下に「天領」とかかれた灯篭が目立ちます。これは、江戸時代にここが国管轄の領土であった、という意味らしいです。

はじめは龍源寺間歩のしょぼさにテンション落ちまくりの石見銀山でしたが、結局は結構、楽しんで帰ることになりました。

あとから石見銀山のHPを確認すると「大久保間歩」といって、かなり規模の大きい間歩も限定ツアーでみれるらしいです。そこまではいいっか。

島根の世界遺産

2011年07月30日 | 旅行
といえば、石見銀山。よくわからないが、世界遺産、というだけでなんとなく来てしまいました。

今度、行ってみようかな~という人のために、ちょっと詳しく。

まず、駐車場に入るのに一苦労、2時半に到着したにもかかわらず、30分待ち。そこから専用バスに乗って、いざ、鉱山町!

ここは銀山エリアと言って、鉱山へ続くエリアと 大森エリアと言って、鉱山で働いた人たちが生活したエリアにわかれます。両方歩くと時間がないので、レンタル自転車。

しかし!レンタル自転車も混んでて、これも借りた人が帰ってくるのを待つんですが、残念ながら非電動自転車が当たってしまいました。

まずは銀山エリアのメインである龍源寺間歩
を目指します。間歩とは鉱山の入り口のことらしいです。

めちゃくちゃ暑い中、そして電動チャリが優雅に走っていくなか、必死のパッチ(ちょっと古い?!)で龍源寺間歩を目指します。

で、やっと着いた龍源寺間歩の中はほんと、涼しくて、汗だくな体が冷えて寒いぐらいです。でも、えっ!!!!これだけ?と思うぐらいしょぼい・・・ ドイツの鉱山や韓国の38度線のトンネルなどの方がよっぽど規模が大きくて、客を意識しての演出がすばらしい。鉱山なんかよくわからん一般人にとっては何のおもしろみもない、サービス精神0の場所やわ。

でも、ここがなぜ世界遺産になったかというと、「自然環境と共存した産業遺跡」であり、その点が高く評価され、世界遺産登録へとつながりました。とあるように、そういうことらしいです。でもでも、ここまで頑張って自転車漕いできたのに、涼みに来ただけ、みたいになってしまっている。

本当は銀山エリアだけみて帰ろうかと思いましたが、このままじゃ帰れない気分だったので、大森エリアへ。

大森エリアまではひたすらゆるやかなくだりのため、心の余裕もできて
こんなな自然や
田舎道をのんびりみたり、つまり、ここは、早朝から来て、健脚ならば、ゆっくり自然を楽しみながらハイキングするところではないか?!


島根県ドライブ

2011年07月27日 | 旅行
ETCの1000円期間が終わったころに、ETCをやっとつけることになりました。
というのも、12年連れ添った愛車とお別れし、ついに車を買い替えたからです・・・ 

12年も乗っていると、計器がたまに0から動かなくても、お互いのフィーリングでスピードがわかってしまうもんで、より一層愛着がわいてたんですが、計器の中でもガソリンの量がわからないのは私を少し困らせました。

で、新しい車でどっかドライブ、となった標的が島根県です~

まずは松江の宍道湖へ。

松江ではやはり堀川めぐりですか?

3連休というのに、この混雑していない松江がいいですね。立派な松江城があって、今でも江戸時代の街並みがそのまま残っています。そのなかの1件の邸宅が「みみなし芳一」の作者、小泉八雲の家


この人、外人って知ってました?でも、こよなく日本を愛し、この写真のように庭がきれいな家に住んでいたそうです。

松江は山陰の都、と呼ばれただけあって、老舗のお菓子屋さんやお店がたくさんあって、宍道湖に落ちる夕日が美しく、魚介類もおいしいのんびりしたいい街でした。

あなたの骨折リスクは?

2011年07月27日 | 祭り
先日の日本骨折治療学会でおもしろいツールの紹介ありました。

http://www.sheffield.ac.uk/FRAX/tool.jsp?lang=jp

これはFRAXといって、世界保健機構WHOが考案した骨折のリスクを教えてくれるサイトです。

これに年齢や身長、体重、病気などをあてはめていくと、この10年間に大腿骨近位部骨折(高齢者がよく骨折する)がどれくらいの確立で生じるかを%で表示してくれます。

あなたも一度どうですか?

ついに、踏み入ってしまいました・・・

2011年07月09日 | 趣味
K-popのコンサートに。

今までは韓国ドラマの領域にとどまっていた私ですが、ドラマ「アイリス」の歌が気に入ったことから、たまたまその歌の歌手の大ファンの看護婦さんがいて、あれよあれという間にコンサートまで来てしまってました。


かなり写真写りのいい「シン・スンフン」ですが、韓国のバラードの帝王、と言われている歌手です。

声は小田和正をもう少し太い声にしたみたいな、立場的には平井健?!的な感じでしょうか。

韓国を代表する歌手だけに、歌はほんと上手で、聞き飽きない、といっても、やっぱり飽きてくるんですが、そこは、コンサートの演出がよくできていて、3時間、ほんと、楽しませてくれます。

歌詞に「涙」や「雨」、「愛」などが毎度のようにでてくるだけあって、ものすごいナルシストで、また、彼のそのナルシストぶりをみるのが楽しいのです。

ところで、音楽はあまり興味ない、と公言しておきながら、このブログみてたら、結構、行ってますね、コンサート。

第37回日本骨折治療学会 in 横浜

2011年07月09日 | 学会
最近、「あ~、この骨折の手術、難しかったな~」と思う割合が増えているような気がしてたんですが、経験をつめば積むほど、求めるものが大きくなって、より完璧を目指すから難しいのか?それとも?

今回、聖隷浜松病院の森先生の講演「脆弱性骨折の予防にむけて」という発表を聞いてなるほど~

全体的に高齢者の骨折がものすごい勢いで増えているのです。もちろん、骨折の状態にもよりますが、一般的には高齢者の方が骨が脆く、粉砕しているケースが多いので、骨折をきれいに戻して、しっかりと固定する、ということが難しいだけではなく、手術後の機能回復も、元々関節が固い傾向にあるので、非常に難しいのです。

私が医者になった頃と比較しても、お年寄りに多い「大腿骨近位部骨折」つまり、足の付け根の骨折はほぼ2倍である15万件に増加しているそうです。そうなると、医者が足らない理由もわかりますね~

日本の高齢化は世界でも例のないスピードで進行して、高齢化社会(65歳以上が7%)には1970年に、高齢社会(65歳以上が14%)には1995年に、そしてまだ世界でも3国しか突破していない超高齢社会(65歳以上が21%)には2007年には達成してしまったそうです。驚異的な増加! 人口の20%以上が65歳以上で、ほぼすべての人、といってもいいぐらい、病院にかかります。

健康で長生き、これが一番ですが、最近の高齢者の運動能力は一昔前と比較してかなり上がっているようです。ジムに行くと、高齢者の方、多いですもんね~ でも、これが大切なんだと思います。

整形外科医として、自分や周囲の人、患者さんに、「適度な運動を!」啓蒙していきたいと思います。

ソウルの市民の憩い 清渓川チョンゲチョン

2011年07月09日 | ソウル
ソウルには何度も行ってますが、東大門に行くのははじめてです。
残念ながら南大門は火事で焼けてしまったので、現在は幕はって工事中です。

私の目的は東大門での買い物ではなく、6年前にできた清渓川チョンゲチョンの散策です。

この川は約30年前までソウル中心部の西から東に流れていた全長約8kmの川ですが、当時から市民の生活排水を流す清渓川は下水の匂いや洪水などの問題が常にあり、幾度の工事でも改善されず、結局、川の上に高速道路を作って、清渓川はソウルから一旦、完全に消えてしまったんです。

しかし、清渓川高架道路が築30年を経て老朽化し、高架道路を作り直すか、以前ここに流れていた清渓川を復元させるかで大議論となり、2002年の市長選挙で清渓川復元を公約に掲げたイ・ミョンバク市長が当選。2005年の10月、とうとう清渓川が復元されましたということです。

今では若いカップルや年寄が日陰でお昼を食べてたり、と憩いの場所となってます。

いったん消えた川の復活、なんだか素敵ですね。


北村韓屋村

2011年07月09日 | ソウル
日本でも、伝統家屋が軒を連ねる一角が全国にありますが、「北村」はソウルの宮殿であった景福宮と昌徳宮の北に広がる伝統家屋地域です。

600年前からあるこの村は、かつて、住民の大半が朝廷に仕える文官や武官またはそれ以外の兩班(朝鮮時代の貴族)だったそうです、いわゆる高級住宅街だったんです。

韓国の時代劇などをみても、官僚たちが住んでいる家はすべてお屋敷で、敷地がものすごく広い印象でしたが、不思議と、現在の北村にある家はどれもこれも大きいとは言えない家です?!

理由がわかりました。

1920年代後半から 数千坪余りあった家屋は、50~80坪單位の小さな土地に分割され、さらに1960年ごろから漢江の南にある現在の高級住宅街、江南が開発され、お金持ちが移住していたったそうです。

それにしても、北村はタイムスリップしたような錯覚におちいる場所で、小さな博物館などもあって、北村散策ガイド(北村観光案内所でもらえます)を手に、半日ぶらぶらするのは楽しいもんでした。