( この写真は、リョウさんが初めて東京で暮らした新宿区中落合の商店街です。右側に当時よく
行った定食屋さんの「宮城野」(後に廃業)がありました。そして、さらにこの通りの先を
少し行って右に曲がった所に有名な「トキワ荘」があったのです。《 2008年12月、撮影 》)
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その3
これから始まる物語は1988年( 昭和63年 )の9月。Jプロスタッフに起
こった事件(?)を当時の関係者の協力の下で記事にしました。
では、前回に引き続き「 主人公 」であるリョウさん( 仮名:内海遼一、
岡山県出身、33歳 )について書いていきたいと思います・・・・・。
漫画家を志望し19歳で仕事をしていた大阪( の酒屋 )から上京してJプ
ロにやって来たリョウさん・・・。最初は自分の荷物だけを仕事場に送り
つけて先輩アシスタントたちを驚かせた話は前回書かせていただきました。
かと言ってズーズーしい人物でも、礼を欠いた人物でもありません。「 ま
じめ 」「 堅物 」「 実直 」を絵に描いた様な人物です。
Jプロ在職15年間( 74年から89年 )の間、病欠以外では無遅刻無欠勤。
嘘も借金もない。そして、ついでに女もない。( と、これは余計だった
かも )
耳にかかる長髪といつも遠くを見る様に目を細め、口数少なく。 そして、
ゲラゲラとバカ笑いする様な事もなく、人に声をかけられると薄っすらと
微笑みながらやさしく対応する色白の紳士でした。
服装は何時も青系。ブルージーンズにシミもシワもない青いシャツ。そし
てトレードマークの様な黒いブーツ。
上京後(74年)、すぐにアパートに入るのではなく、J先生の仕事場であ
る新宿区中落合のWマンションに住み込む事になります( 数ヶ月 )。初
任給は3万円(当時の大卒初任給は7万円)。食事はJ先生のツケで近くに
ある定食店「 宮城野 」さんを毎日利用していたそうです。
Jプロに入った当時は、まだ読書に熱中する事もなく、好きな落語を聞い
たり、テレビの連続ドラマを見たり、少しづつ吉川英治の時代小説などを
読んだりしている普通の青年だったのです。
そのリョウさんが後に「 歩く幕末 」と言われる様になるきっかけは・・・
やはりJ先生( 74年当時31歳 )の一言でした。
Jプロに来るまでは、ほとんど読書をしなかったリョウさんに・・・
「 おめィ~は本を読んでねィ~からなァ・・・これィでも読んでみ 」
そう言って、司馬遼太郎の「 竜馬がゆく 」を勧めてくれたのです。 今
から思えば、この瞬間にリョウさんの人生が決まってしまいました。
人の一生というものが、本当に些細な一言で決まってしまう・・・そんな
事が実際にあるのです・・・・。
草むらをフラフラと歩いていた子供が、一つの目的に向かってまっしぐら
に突き進む頼もしい(?)青年に変貌したのです。
しかし、その先には「 悲劇 」が待っている事をまだ、誰も知りませんでし
た。
J先生も先輩スタッフも、そして、本人も・・・まったく想像もしていな
かったのです・・・・・・
「 漫画家アシスタント 第6章 その4 」 へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第6章 その2」へ戻る 】
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 拙ブログ「漫画家アシスタント物語」(第1~4章収録)が書籍化!
全326ページ。第1章の一部漫画化! 秘蔵未公開写真19点、描き下ろ
しイラスト18点を含む画像総数148点! デビュー漫画「雨のドモ五郎」
を完全収録! 《ネット通販を見る》
★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』
( 劇画「覇王の船」 + 小説「蟹工船」の二本立て! )が発売中!
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
行った定食屋さんの「宮城野」(後に廃業)がありました。そして、さらにこの通りの先を
少し行って右に曲がった所に有名な「トキワ荘」があったのです。《 2008年12月、撮影 》)
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その3
これから始まる物語は1988年( 昭和63年 )の9月。Jプロスタッフに起
こった事件(?)を当時の関係者の協力の下で記事にしました。
では、前回に引き続き「 主人公 」であるリョウさん( 仮名:内海遼一、
岡山県出身、33歳 )について書いていきたいと思います・・・・・。
漫画家を志望し19歳で仕事をしていた大阪( の酒屋 )から上京してJプ
ロにやって来たリョウさん・・・。最初は自分の荷物だけを仕事場に送り
つけて先輩アシスタントたちを驚かせた話は前回書かせていただきました。
かと言ってズーズーしい人物でも、礼を欠いた人物でもありません。「 ま
じめ 」「 堅物 」「 実直 」を絵に描いた様な人物です。
Jプロ在職15年間( 74年から89年 )の間、病欠以外では無遅刻無欠勤。
嘘も借金もない。そして、ついでに女もない。( と、これは余計だった
かも )
耳にかかる長髪といつも遠くを見る様に目を細め、口数少なく。 そして、
ゲラゲラとバカ笑いする様な事もなく、人に声をかけられると薄っすらと
微笑みながらやさしく対応する色白の紳士でした。
服装は何時も青系。ブルージーンズにシミもシワもない青いシャツ。そし
てトレードマークの様な黒いブーツ。
上京後(74年)、すぐにアパートに入るのではなく、J先生の仕事場であ
る新宿区中落合のWマンションに住み込む事になります( 数ヶ月 )。初
任給は3万円(当時の大卒初任給は7万円)。食事はJ先生のツケで近くに
ある定食店「 宮城野 」さんを毎日利用していたそうです。
Jプロに入った当時は、まだ読書に熱中する事もなく、好きな落語を聞い
たり、テレビの連続ドラマを見たり、少しづつ吉川英治の時代小説などを
読んだりしている普通の青年だったのです。
そのリョウさんが後に「 歩く幕末 」と言われる様になるきっかけは・・・
やはりJ先生( 74年当時31歳 )の一言でした。
Jプロに来るまでは、ほとんど読書をしなかったリョウさんに・・・
「 おめィ~は本を読んでねィ~からなァ・・・これィでも読んでみ 」
そう言って、司馬遼太郎の「 竜馬がゆく 」を勧めてくれたのです。 今
から思えば、この瞬間にリョウさんの人生が決まってしまいました。
人の一生というものが、本当に些細な一言で決まってしまう・・・そんな
事が実際にあるのです・・・・。
草むらをフラフラと歩いていた子供が、一つの目的に向かってまっしぐら
に突き進む頼もしい(?)青年に変貌したのです。
しかし、その先には「 悲劇 」が待っている事をまだ、誰も知りませんでし
た。
J先生も先輩スタッフも、そして、本人も・・・まったく想像もしていな
かったのです・・・・・・
「 漫画家アシスタント 第6章 その4 」 へつづく・・・
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全326ページ。第1章の一部漫画化! 秘蔵未公開写真19点、描き下ろ
しイラスト18点を含む画像総数148点! デビュー漫画「雨のドモ五郎」
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「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
今年も身体に気を付けてほどほどに頑張りましょう!
あんまり気合入れるとコケるからね、ほどほどがいいんですよ!
第6章は初っ端から引きが強いですね!
無事最後まで書かれる事をお祈りしてます。
A・О! 明けましておめでとう!
貫きました~~ッ!!
>あんまり気合入れるとコケるからね・・・
気合いを入れなくてもコケるかもしれませんが・・・とりあえず・・
・・・・ほどほどに!
今年もよろしくお願いいたします!
>銀次郎さん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明けましておめでとうございます!
>無事最後まで書かれる事をお祈りしてます。
出だしは、何とか「無事」にすすんでおります。 この調子で・・
・・・・行けたら良いのですが・・・・
とりあえず、今年もよろしくお願いいたします!
更新されるのが楽しみになってまいりました。
週刊誌だと「次号期待」。
もっと引っ張ってくださいね。
yesどん、次回は「トキワ荘」があった場所のデジカメ写真を掲載していただけたら、うれしいのですが・・。
定年再出発より
昭和25年、手塚治虫は「ジャングル大帝」の原稿をもって大阪から上京してきた。
新進のマンガ家としてその名前は知れるようになったものの、関西という地の「利」では思うこともままならず、やはり東京の出版社との関係を持たねばならないと考えての上京だった。たまたま訪ねたのが、「漫画少年」を発行していた学童社である。
そこで社長の加藤謙一に手塚は「ジャングル大帝」を見せたところ、加藤はすぐにこの作品を「漫画少年」に掲載しないかと持ちかけた。ここから手塚の全国区での活躍が始まる。大阪と東京を往復しながら、手塚は漫画を描くことになる。当時、手塚は阪大付属病院の医者とかけもちをしていたのだ。東京でのねぐらとして、学童社は椎名町にあったトキワ荘を手塚に斡旋した(昭和28年)。そこには加藤の次男も新婚で住んでいた。---
http://mizumakura.exblog.jp/5896149/
トキワ荘の建設は、昭和27年、漫画化が集まってきた最盛期は昭和30年から昭和35年、しかし、30年後の57年に取り壊されることとなった。
豊島区南長崎3-16-6(当時は豊島区椎名町5-2253)
意外と短命であった。
しかし、この椎名町5-2253の大どうり(通称日大病院どうり)をはさんで反対側(徒歩15分)に、ほぼ、同様の外観、間取り---4畳半が8部屋の、各部屋にガスメーター・電気メーターががあるアパートが要町にあり、平成21年の現在も、ほぼ健在で生きています。53年たった今でも、健在なのです。これが、灰色ねずみの実家なのです。親はそのとなりにDKを建てて住んでいる。(昭和31年建設)
明けましておめでとうございます!
>引っ張って引っ張って・・・
ちぎれるほどに「引っ張って」おりますが・・・伸び切ってしまう
という事もあり・・・ほどの良いところで本筋に入ろうと思ってい
るのですが・・・
本筋に入るのを邪魔する様にあれもこれもと細かな話が湧き出
てきてしまう・・・(壊れてた蛇口の様に)ので申し訳なく思って
おります。
未熟な「引っ張」り過ぎに懲りずに、今年も、どうかよろしく
お願いいたします!
>灰色ねずみさん、へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>次回は「トキワ荘」があった場所のデジカメ写真を・・・
検討したいと思います・・・。実は以前にもこの辺の写真をアップ
した事があるのですが・・・。
今回、改めて違うアングルから撮影してみようかとも考えたり・・・・。
まだ、ハッキリとはしませんが・・・出来るだけリクエストにお応
えしたいと思っています。
次回の拙ブログ更新まで・・・しばらく、お持ちください!
私以外の参加者は、全員プロのマンガ家の経験がある人ばかりで、お話について行くのが大変でした。
ちょっと油断すると、お話について行けなくなるので、
せっかくの豪華中華料理なのに、味わう余裕がなく、
「おしゃべり」と「ご飯を食べる」のに忙しく、何度か舌をかんでしまいましたw
次回、似たようなイベントがあったら、「豪華中華料理」よりも、「飲茶でお茶会」レベルにした方が、
「お話に集中できる」し、「費用も安くあがる」ので、ええんじゃないかと思いまスタ
>した方が・・・
ホント、そんな感じかもしれません・・・・・ 今回は、私の「趣味」
とあきらめていただき、次回、チャンスがあれば「飲茶でお茶
会」といきましょう!
なんだか、今から楽しみです!
ところで、昔(10年以上前)に渋谷のNHKの近くに「クワニチカ」
(本当は漢字)という喫茶店(室内黒一色の桟敷)があり、ここ
はNHKや演劇関係者がよく利用していたアングラ系の喫茶店でし
たが、ここの様に落ち着いて膝を接しながら話し込める場所が今
はないのではないかと・・・
それが残念でなりません。 もし今も「クワニチカ」があったら、
躊躇なく皆さんをご案内するのですが・・・・・
去年は大変お世話になりました。
今年もいろんなことが起こりそうな気配がしています。
頑張って突っ走ろうと思います!
私の今年は、もう「いろんなこと」なんぞ起こらないだろう・・・
・・・と、いう気配がしていますが・・・・・
jonyさん、「起こりそうな気配」があると、本当に起こります
ので、期待が持てます!
jonyさんが「突っ走る」のを私は黙って見送るのみですが・・・
どうか、良い旅を・・・・!