( この写真は、夜の東京護国寺、正面中央あたりに見えるのがK談社の窓明かりである。
《 2007年6月 撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その55
漫画家アシスタントの物語・・・「 雨のドモ五郎 」はそれまでに描いてきた作品と
は大きな違いがありました。 それは主人公への思い入れとストーリーの「 展開 」
です。 この作品は「 漫画大賞確実 」なんじゃないか・・・という確信じみた手応
えがありました。
今度こそ、K談社のヤングM誌で「 死亡少年 」入選。そしてこの「 雨のドモ五郎 」
はS英社ヤングJ誌で漫画大賞を・・・! 相変わらずの捕らぬタヌキの皮算用・・
・・・のままで終わるのか、どうか・・・・・。
さて、「 雨のドモ五郎 」にカリコリとペンを入れている頃に「 死亡少年 」の結果
が発表されました。
最終選考まで難なく勝ち残った「 死亡少年 」ですが・・・結果的には佳作も取れず
に終わりました・・・・・。
『 選考委員長のC・てつや先生は、そんなにオレの作品が嫌いなのだろうか・・
・・? 』
この時は、もうすっかりK談社への色気など無くしていた私は、あっさりと以降の
K談社への投稿を断念します。
発表のあった当日の深夜、ヤングM編集部へ直接出かけてボツ原稿を返却してもら
いに行きました・・・・・。
『 よくも落としやがったなァ、コノヤロ~ッ! 』
『 こんなクソ雑誌、頼まれたって二度と来るかァッ! 』
こんなセリフは勿論口にはしません。表情にさえ出さず。ニッコリ笑顔でボツ原稿
を受け取り、一礼。
この時、原稿を返却してくれた若い編集員が・・・
「 残念でしたねェ( 本当に残念そうに! )是非また持って来て下さい! 」と、や
さしく声をかけてくれたのですが・・・ その時の私の頭には、目の前の編集員と
副編集長のS氏がだぶりながらグルグルと回り・・・・・
『 K談社では絶対に描きたくねェッ! 』というムラムラした怒りで煮えくり返って
いましたから、穏和な編集員の態度に・・・なぜか後ろめたい様な・・・かえって
私の方が未練がましい様な・・・申し訳ない様な・・・なんとも哀しい気分に落ち
込んでヤングM編集部を後にしました。
そして20年・・・K談社とはご縁がありません。
今は何とも思ってはいませんが、私なんぞがどう思おうと・・・大手出版社やその
編集員から見れば私の存在など、昨日出したゴミ袋の中の生ゴミほどの価値しかな
いんでしょうし・・・・・。
「 グワッキ 」「 AIZU2145 」「 僕です! 」「 死亡少年 」ことごとくボツになり、
いよいよ最後の作品に・・・・・。
「 雨のドモ五郎 」を持ってS英社へ・・・。 にぎやかな神保町の交差点から数
分歩いた所にS英社ビルがあります。 「 アラレちゃんビル 」だの「 キン肉マン
ビル 」だのと1980年代の全盛期にあっちこっちと新社屋を建て替えまくっていた
週刊漫画黄金期のあのS英社へ・・・・・。
週刊ヤングJ編集員K氏・・・・
「 ラストはちょっと・・・甘いですね・・・・・ 」
『 カチンッ 』( 頭の中で小さな音が・・・ )
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 結果を出せる人間でさえ利用されるだけで愛されはしない。 いわんや
結果さえ出せない人間をや。 もし、貴方が愛される事を望むなら・・・
ここに立ち入る事はお勧め出来ない。 』
「 漫画家アシスタント 第4章 その56 」 へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第4章 その54」へ戻る 】
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
《 2007年6月 撮影 》 )
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その55
漫画家アシスタントの物語・・・「 雨のドモ五郎 」はそれまでに描いてきた作品と
は大きな違いがありました。 それは主人公への思い入れとストーリーの「 展開 」
です。 この作品は「 漫画大賞確実 」なんじゃないか・・・という確信じみた手応
えがありました。
今度こそ、K談社のヤングM誌で「 死亡少年 」入選。そしてこの「 雨のドモ五郎 」
はS英社ヤングJ誌で漫画大賞を・・・! 相変わらずの捕らぬタヌキの皮算用・・
・・・のままで終わるのか、どうか・・・・・。
さて、「 雨のドモ五郎 」にカリコリとペンを入れている頃に「 死亡少年 」の結果
が発表されました。
最終選考まで難なく勝ち残った「 死亡少年 」ですが・・・結果的には佳作も取れず
に終わりました・・・・・。
『 選考委員長のC・てつや先生は、そんなにオレの作品が嫌いなのだろうか・・
・・? 』
この時は、もうすっかりK談社への色気など無くしていた私は、あっさりと以降の
K談社への投稿を断念します。
発表のあった当日の深夜、ヤングM編集部へ直接出かけてボツ原稿を返却してもら
いに行きました・・・・・。
『 よくも落としやがったなァ、コノヤロ~ッ! 』
『 こんなクソ雑誌、頼まれたって二度と来るかァッ! 』
こんなセリフは勿論口にはしません。表情にさえ出さず。ニッコリ笑顔でボツ原稿
を受け取り、一礼。
この時、原稿を返却してくれた若い編集員が・・・
「 残念でしたねェ( 本当に残念そうに! )是非また持って来て下さい! 」と、や
さしく声をかけてくれたのですが・・・ その時の私の頭には、目の前の編集員と
副編集長のS氏がだぶりながらグルグルと回り・・・・・
『 K談社では絶対に描きたくねェッ! 』というムラムラした怒りで煮えくり返って
いましたから、穏和な編集員の態度に・・・なぜか後ろめたい様な・・・かえって
私の方が未練がましい様な・・・申し訳ない様な・・・なんとも哀しい気分に落ち
込んでヤングM編集部を後にしました。
そして20年・・・K談社とはご縁がありません。
今は何とも思ってはいませんが、私なんぞがどう思おうと・・・大手出版社やその
編集員から見れば私の存在など、昨日出したゴミ袋の中の生ゴミほどの価値しかな
いんでしょうし・・・・・。
「 グワッキ 」「 AIZU2145 」「 僕です! 」「 死亡少年 」ことごとくボツになり、
いよいよ最後の作品に・・・・・。
「 雨のドモ五郎 」を持ってS英社へ・・・。 にぎやかな神保町の交差点から数
分歩いた所にS英社ビルがあります。 「 アラレちゃんビル 」だの「 キン肉マン
ビル 」だのと1980年代の全盛期にあっちこっちと新社屋を建て替えまくっていた
週刊漫画黄金期のあのS英社へ・・・・・。
週刊ヤングJ編集員K氏・・・・
「 ラストはちょっと・・・甘いですね・・・・・ 」
『 カチンッ 』( 頭の中で小さな音が・・・ )
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 結果を出せる人間でさえ利用されるだけで愛されはしない。 いわんや
結果さえ出せない人間をや。 もし、貴方が愛される事を望むなら・・・
ここに立ち入る事はお勧め出来ない。 』
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