ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

井上ひさしの『自家製 文章読本』ほかを読んで

2016年01月28日 | 本(小説ほか)
ブログを書き出して6カ月以上になった。その間に感じたことは、記事を書くって中々しんどいなということ。
自分の思っていることのイメージがまとまらない、やっと、こうかなと思っても文にならない。
なら、何か多少でも参考になるものはないかなと、ちょっと思ってみた。

そこで、決していい読者とは言えないけど、昔から馴染みがあって好きな井上ひさしの諸作品を買ってきて読んでみた。
一応、文章に関係しそうな『私家版 日本語文法』(新潮文庫)、『自家製 文章読本』(新潮文庫)、『本の運命』(文春文庫)、
『井上ひさしの日本語相談』(新潮文庫)、『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』(新潮文庫)、『日本語教室』(新潮新書)。

全部読んでみて、では自信がついたか。
結果は全然である。

“日本では、小学生にむやみに「読書感想文」を書かせようとする。
自分が何を感じたか、思ったか、頭の中の感情や情緒を文章で表現することはむずかしい。
ましてや、「本を読んで、どう思ったか」というのは書評を書くのと同じ。
これは僕らにとってもむずかしい仕事です。”とある。

今現在、小学校でどのくらい読書感想文を書かせているかは知らないが、プロの作家が感想文は難しいと言っている。
私のブログもどちらかと言えば、映画の感想文。
ああ、そうか。スムーズに書けなくっても当然だなと、妙に納得してしまう。
それと、井上ひさしの文って、すごく読み易くってスラスラ書いているみたいにみえて、原稿用紙1枚が約1時間かかるという。
遅筆だったと聞いてはいたけれど、プロがこんなならシロートが、真っ白な用紙(?)に向かってどうしようかと悩むのは当然といえば当然。

書く時、そもそも自分の語彙不足が実感させられる。
言葉が足らないということは、知っている言葉の数だけでなく、思考そのものがあやふやだから、そちらに原因があるのではないかと思ってしまう。
では、思考、物の見方を深く追求し、人に納得してもらえる文にするには。
井上ひさしは、直接には言っていないけれど、やはり名作と言われている良い本をたくさん読むより方法はないかなと感じた。
しかし、最近はひと頃に比べ読書量も随分と落ちているし、これは中々の難題だなと途方にくれてしまった。

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『パプーシャの黒い瞳』を観て

2016年01月27日 | 2010年代映画(外国)
レンタル店で何があるかなと見ていて、ひとつのモノクロのパッケージに惹かれた。
作品は『パプーシャの黒い瞳』(クシシュトフ・クラウゼ、ヨアンナ・コス=クラウゼ監督、2013年)。

1910年。ポーランドのある小さな町で、まだ若いジプシーの母親が一人の赤ん坊を出産し“パプーシャ(人形)”と名付けた。
1921年。少女のパプーシャは、樹の穴から盗品の包み紙に文字が印刷されているのを見る。
ジプシーたちは、文字をガジョ(よそ者)の呪文、悪魔の力と忌みきらったが、パプーシャは町の人に頼み、読み書きの仕方を教えてもらって文字を覚えた。
1949年。秘密警察を殴って追われている作家・詩人のイェジ・フィツォフスキが、パプーシャたちのジプシーに匿ってもらうためにやって来た。
ある日、ジプシーたちと暮らすフィツォフスキは、パプーシャの口から出る言葉を耳にして、彼女に詩の才能があることに気付いた・・・・

この作品は実在人物“パプーシャ”ことブロニスワヴァ・ヴァイス(1910?-1987年)の半生の物語である。
彼女は、書き文字を持たないジプシーの一族に生まれながら、 歴史上初めてのジプシー女性詩人となる。
しかし、古くから伝わるジプシーの秘密を外部にさらし掟を破ったとして、彼らのコミュニティから追放され、神経も病む。

ジプシーについて、バイオリンを奏でながらみんなで舞曲を踊るというイメージのみで何の知識もない私にとって、「ジプシーの秘密」が何かわからない。
もう少し、知らねばと思う。

ポーランドの広い農地の中の道を、定住地を持たないジプシー達が馬車で行く。
美しいモノクロの画面。風景写真を見ているか、絵画を見ているような気分に襲われる。
それが、内容とよくマッチしている。

また、第二次大戦中のナチスによるジプシーの迫害。
戦後の政府による徹底した同化政策、定住政策が実施された史実。
これらのことも物語に溶け込ませ、内容の濃い映画となっている。

ポーランド映画は、好きな監督アンジェイ・ワイダがらみで多少は知っているつもりでいたけど、この監督夫婦のクラウゼについては知識が全くなかった。
夫のクシシュトフ・クラウゼ監督は一年前ほどに亡くなったという。
残念だが、今後は単独でもヨアンナ・コス=クラウゼ監督が良い作品を生み出してくれると信じている。

“ジプシー”という名称について。
1971年の第1回世界ロマ会議以降、“ロマ”と呼称することが提唱された。
現在、ジプシーは差別用語、放送禁止用語とみなされているけれど、ジプシーにはロマ以外の民族も含まれていて、この名は本来彼ら全体を代表するものではない。
この名を使わないグループも多数存在し、彼らの中には“ロマ”とは異なるアイデンティティをもち、「自分たちはロマではない」と主張する者もいるという。
(Wikipediaより)
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『愛、アムール』を観て

2016年01月25日 | 2010年代映画(外国)
前々から観ようと思いながら、中々その気にならなかった『愛、アムール』(ミヒャエル・ハネケ監督、2012年)をやっと観た。

パリ都心部の風格あるアパルトマンに暮らすジョルジュとアンヌは、ともに音楽家の老夫婦。
その日、ふたりはアンヌの愛弟子のピアニスト、アレクサンドルの演奏会へ赴き、満ちたりた一夜を過ごす。
翌日、いつものように朝食を摂っている最中、アンヌに小さな異変が起こる。
突然、人形のように動きを止めた彼女の症状は、頸動脈の病による発作であることが判明。
成功率が高い手術だったが、運悪く失敗に終わり、アンヌは右半身不随の不自由な暮らしを余儀なくされる。
医者嫌いの彼女の切なる願いを聞き入れ、ジョルジュは車椅子生活となった妻とともに暮らすことを決意する・・・・
(Movie Walkerより一部抜粋)

この作品は、『男と女』(クロード・ルルーシュ監督、1966年)のジャン=ルイ・トランティニャンと
『二十四時間の情事』(アラン・レネ監督、1959年)のエマニュエル・リヴァの二人が、
いつの間にか老人になってしまって懐かしい、とのんびり観ておれる内容ではなかった。
やはり、観る気がちっとも進まなかった予測どおりの荷が重い映画だった。
勿論、内容そのものは素晴らしくて、身にひしひしと迫ってくるものがあった。
この二人に、決して同情を求めるわけでもなく、ましてや押しつけがましくもなく、単調なほど淡々と描いていく手法が何ともいえず良かった。

なに不自由なく暮らしていて、ある日から今までと違った生活に入る。
一対一で看病する、あるいは看病される、そういう生活を続けていく。
映画は、あなただったらどうする、と問い掛けてはいないけれど、受け手のこちらは必然的に考えさせられてしまう。
その時はどうするか。どう考えても、今の段階では明確には答えられない。わからないと保留するしかない。
要介護4の親を抱え、本人の思考能力がほとんど衰えてしまっている我が家でも、
まだディサービスに行けるほどだから、やはり、一対一の看病は実感が湧かない。

この映画は、閉ざしておきたい心の奥底を、そぉっとこじ開け、するどい問いをこちらに向けて発してくるような作品だった。
それだけに、しんどいな、きついなとつい思ってしまった。
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忘れ得ぬ作品・2〜『エル・スール』

2016年01月22日 | 1980年代映画(外国)
1985年にビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』(1973年)が日本公開され、その評判からか同年に、長編二作目の『エル・スール』(1983年)も公開された。
前作のみずみずしさに感銘し、この作品が公開されるや、すかさず観に行った記憶が残っている。

場所は、スペインの北の地。
父アグスティンがもう帰ってこないと、エストレリャが予感したのは15歳の時の、1957年秋、夜が明けるベッドの中。

エストレリャの年少時代に遡って。
一家は、城壁がある川沿いの町の郊外の、“かもめの家”と呼ばれる家に移り住んだ。
県立病院に勤める父は、振り子を使った霊能力で村人に尊敬されている。
そんな父を慕い、一緒にいられることだけで嬉しいエストレリャ。

エストレリャの初聖体拝受の前日、南の地から祖母と父の乳母がやって来た。
その乳母から、スペイン内戦の政治的主義の違いから、父は祖父と仲たがいして家を出たと、エストレリャは聞かされる。
南に想いをはせる父。そして、雪が降らないという南を知ってみたいと憧れるエストレリャ。
祖母たちが南へ帰ったある日、エストレリャは、父の机の中にあった封筒に、ひとりの女性の名が繰り返し書かれているのを発見した。
母にその名をそれとなく尋ねてみても、母も知らなかった・・・・

エストレリャの回想による父についての思い出の物語。

ある日の学校帰り、エストレリャは映画館の壁に貼ってあるポスターの中に、ひとりの女性の名、イレーネ・リオスを見つける。
車の陰で映画館から父が出てくるのを待つエストレリャ。
その父は、喫茶レストランに入って手紙を書く。
それを窓の外から眺めるエストレリャには、そのことの意味合いがまだのみ込めない。
だが、理由も分からずに不安だけが残る。

それ以降、父、母、エストレリャの心は、それぞれに異なった方向へ進んでいく。
少しずつ、穏やかで平和だった家庭に重苦しい空気が流れ、崩壊していく。
エストレリャは、父を苦しめているもの、過去の謎を子供ながらに解明しようとするがわからない。

15歳になったエストレリャは、どことなく淋しげで孤独な少女に成長している。
憧れの父も、人生に疲れ切った憐れな様子の男になっている。

ある日のこと、学校の昼休みに珍しく父アグスティンが来て、エストレリャを昼食に誘う。
ホテルでのレストランで、幼い頃の疑問をエストレリャは聞いてみる。
イレーネ・リオスって誰?
父は、その名の人は知らないと曖昧に答える。
エストレリャは、その名を何度も書き連ねていた封筒を見たこと、
映画館でその名を知ったこと、その後で父が手紙を書いていたことを話す。
アグスティンは黙って洗面所へ立つ。
隣りの部屋では、結婚式の宴会が行われていて、舞踏曲のメロディーが流れている。
その曲は、初聖体拝受の日、家で父とエストレリャが楽し気に踊った曲だった。
エストレリャは父に手を振り、学校に帰っていく。これが父を見る最後だった。

静かに流れる物語に、そこはかとなく哀感が漂う。
そして、ラストのホテルのレストランの場面のように、余分な会話がない。
それでいて、何もかも、いろんなことが凝縮されている。

映像だって、そう。
父親が国境と呼ぶ、家の前の並木道が象徴する意味。
庭にあったブランコがなくなって、樹だけになっている風景。
さりげなく映しながら、その底では緻密に計算されている映像の数々。
それらが心に沁みつき、記憶の奥底に残って忘れられない作品となっている。

最後の場面で、エストレリャは南に向かって出発する。
この作品は、本来この先、“南(エル・スール)”での物語が続いていくはずだったという。
資金不足でプロデューサーからストップが掛かり断念したと聞いている。
エストレリャに異母兄弟がいて、父アグスティンの過去の秘密が具体的になって、自殺した真相も明白になる内容だと思っている。
といっても、作られなかったから、この『エル・スール』の作品自体の評価が下がるというわけではない。

ビクトル・エリセの長編映画は40年以上の期間に、わずか三本だけである。
まだまだ現役の監督であるから、是非『エル・スール』の後半等を作ってもらいたいと、ファンの一員として願っている。

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中学生のころ・7〜『フランケンシュタイン』

2016年01月19日 | 戦前・戦中映画(外国)
『ミツバチのささやき』の関連で、『フランケンシュタイン』(ジェイムズ・ホエール監督、1931年 )について書いてみる。

この作品を観たのはいつ頃だったか。
メモに『フランケンシュタインの怒り』(フレディ・フランシス監督、1964年)の鑑賞が高校2年となっていて、それより以前に観ているから中学の時だろうと思っている。

科学者ヘンリー・フランケンシュタインは、古い時計台の実験室で助手フリッツを使いながら、ひとり、死体から生命を創造しようと研究に没頭している。
ある夕暮れ、墓地で埋葬したばかりの棺桶を掘り起こし、次いでに縛り首の死体も盗んだ。
でも、首の骨が折れているので脳は使えない。
そのためフリッツを使い、中退した医科大学の研究室からアルコール漬けの脳を盗み出させた。が、それは犯罪者の脳であった。
嵐の夜、雷鳴が轟く中でヘンリーは、稲妻を浴びせて新たな人間を創るという、いよいよ待ちに待った実験に取り掛かった。
落雷が起こり、そしてついに死体の手が少しずつ動き出した。
しかし、時が経つにつれ、徐々に凶暴化の兆しを怪物はみせて・・・・

当時の印象を振り返ってみると、人造人間の怪物が手をブラブラさせながら歩いた先で少女に出会い、その後、みんなに追われることはよく覚えている。
しかし、この映画を観てどのように感じたか、今では記憶にない。ので、もう一度観直してみた。

そしたら意外や意外。怪物・モンスターの中心内容ではなく、ヘンリーの婚約者、父親のフランケンシュタイン男爵、友人、大学時の教授等がほどなく絡んだドラマだった。
だから、怪物が生まれ出るのは中盤近く。
じっくり観てみると、この怪物だって、犯罪者の脳を埋め込まれたとしてもそんなに悪い人物ではない。
松明の火をかざされて恐怖で暴れただけだし、少女と水辺で花を浮かべる表情は、まだ知恵知識を覚える前の子供といっしょ。
だから、少女を池に放り込んでも、無くなった花の代わりの意味しかなく、うろたえるばかり。
それを、市民がこぞって怪物を追いかけ回す。
少女の父親の怒り、嘆きは当然だけど、それ以外の人たちが付和雷同的になることが怖ろしい。

ラスト、放火した風車小屋と共に怪物は消滅させられ、父親フランケンシュタイン男爵は乾杯する。
私は怪物がかわいそうに思う。
科学者の私利私欲で生を与えられ殺される。人間的な感情が芽生えかける可能性もあるだろうにと思う。
科学に対する驕り。今でもこの傲慢さは至る所にあるのではないだろうか。
皮肉にもそんなことを思わせる作品であった。
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忘れ得ぬ作品・1〜『ミツバチのささやき』

2016年01月17日 | 1970年代映画(外国)
このブログは、過去の作品を自分の思い出と共に時系列的に記事にしようと思って始めたが、書きたい作品の順番が中々まわって来ない。
と言うわけで、今後は記憶を先に進めたり、後戻りさせながら書いていこうと思う。

今回は、心の襞に深く刻まれたまま忘れることができない作品のひとつ『ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ、1973年)について。

時は1940年頃、スペインのカスティーリャ地方の小さな村。
この村の公民館に移動巡回映画がやって来た。映画は『フランケンシュタイン』。
少女が水辺でフランケンシュタインと出会うシーンに魅せられた6歳のアナは、
姉イザベルから、フランケンシュタインは怪物ではなくて精霊で、村のはずれの小屋に隠れていると教えてもらう。
学校帰りに、イサベルに誘われたアナは村はずれの小屋へついて行った・・・・

少女アナはフランケンシュタインの友達になりたくて仕方がない。
それは単に子供の想像の世界だとしても、アナにとっては一番重要な関心ごとである。
それがある日、村はずれの小屋で実現する。
アナが鞄から取り出して兵士にリンゴを差し出す。
このようにして、自分のフランケンシュタインと巡り合ったアナの幸福感。

しかし、現実世界は子供の想像世界に容赦しない。
まだ、この現実社会を知らないアナを襲う衝撃。
医者は、時がたてば徐々に忘れていくだろうと言う。
本当にそうだろうか。
強烈な印象を受けた出来事は、いつまでも記憶に焼き付いたまま残るのではないだろうか。
現に、私だってこの作品のこの場面が焼き付いたままだから。
現実を受け入れられない少女は、またフランケンシュタイン・精霊を求めて想像の世界に入っていく。

この作品は、必要最小限のセリフと静謐な映像で、とても印象深く余韻も後々まで残る。
だけど、ほとんど語られていないスペインの1940年の時代背景も知っておく必要がある。
母親は手紙を書いては投函しているのに、兵士が射殺された後は手紙を焼いてしまう。
母親は誰に手紙を書いて、脱走兵と思しき兵士がなぜこの村で列車を飛び降りたのか。
これを繋げはエリセが言わんとする内容が想像できる。
このように省略した映像を見ながら、受け手はそれぞれの想像力を湧きたてられる。
かの『フランケンシュタイン』の作品と共に、アナの表情、瞳が脳裏から離れない。

(注:フランケンシュタインの名称について フランケンシュタインとは本来、モンスターを創造した男爵家の名であるが、
   モンスターには名がなく、モンスターはフランケンシュタインというイメージが昔からあって、そのまま使用した)
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『アンジェリカの微笑み』〜キネ旬ベスト・テン3位を疑問に思う

2016年01月12日 | 2010年代映画(外国)
ミニシアターで、正月映画の『アンジェリカの微笑み』(マノエル・ド・オリヴェイラ監督、2010年)をまだやっていたので観て来た。

ポルトガル、ドウロ河流域の小さな町。
雨の降る夜、写真が趣味の青年イザクの元に、一人の執事がやってくる。
執事は、若くして死んだ館の娘アンジェリカの最後の写真を撮ってほしいと依頼する。
依頼を引き受けたイザクは、下宿先を出て富豪の邸宅に向かった。
親類縁者が集まる中、白の死に装束に包まれたアンジェリカに、イザクはカメラを向ける。
ところが、死んでいるはずのアンジェリカが瞼を開けて、ファインダー越しに彼に微笑みかけてきた。
イザクは衝撃を受け、目を疑いながらもその瞬間に一目ぼれして・・・・

正直いって、どうと言うこともない作品だった。
幽霊というか、アンジェリカの幻影とイザクが夜空を飛びたって行っても、なぜか、なんのイマジネーションも湧かない。
ああ、そうですかと思うぐらい。内容に普遍性がないためかな。
駄作とは言わないけれど、印象が薄い感じは否めない。
それに室内場面が、靄がかかったみたいな映像で頂けなかったのも原因かもしれない。

これが2015年度のキネマ旬報のベスト・テン3位の作品である。
なにも、キネ旬を絶対視しているわけではないけれど、見落とした作品の参考にはしている。
これは、相当昔からの私の映画の鑑賞方法である。
だから、ベスト・テンを掲載している決算特別号(現在はベスト・テン発表特別号)は、1968年度から毎年欠かさず購読している。
因みに、外国映画の場合の選考委員は、1968年度が41名(読者含む)、昨年2014年になると62名となっている。
このキネ旬のベスト・テンは1924年からであるから、やはり伝統だと思う。
しかし最近、良い作品を探す指標として、次世代にも引き継いでいく作品を選ぶべきはずの投票が、どうも個人レベルの趣味だけに陥っている選者がいたりする。
それも、一部の人しか知られていない優れた作品を世の中に広める目的があればいいが、独りよがりで喜んでいる選者がいる。
そんな人は、自分のブログだけで大いに騒いでいてくれればいいのにと思う。

というわけで、今回の『アンジェリカの微笑み』。
ポルトガルのオリヴェイラ、101歳の作品。
現役最高齢の劇映画監督で昨年4月、106歳で永眠。
劇場公開が12月。まだ印象が鮮明。
これらの肩書、キャッチフレーズを剃り落として作品のみを鑑賞した時、果たして本当にその評価なのか、疑問に思う。
そんなに優れた作品なら、どのような所がそうなのか、正直に教えてほしいものである。
2月5日発売の2015年ベスト・テン発表特別号の、この作品を評価した委員の講評が楽しみである。
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『おみおくりの作法』を観て

2016年01月09日 | 2010年代映画(外国)
イギリス映画、『おみおくりの作法』(ウベルト・パゾリーニ監督、2013年)を観た。

ロンドン、ケニントン地区の公務員ジョン・メイは、民生係として孤独死した人の葬儀を執り行っている。
几帳面な彼は、死者の家族を見つける努力を怠らず、その人のために葬礼の音楽を選び、弔辞を書く。
ある日の朝、ビリー・ストークという年配の遺体が、ジョンの真向いのアパートで発見される。
ジョンは、近くの住まいにいながらビリーのことも知らず、その孤独死にショックを受ける。

その日の午後、ジョンは、仕事に時間をかけすぎるという理由で、解雇を言い渡される。
最後の案件となったビリーのために、彼はこれまで以上に情熱を傾ける。
ビリーの部屋にあった古いアルバムから、笑顔の少女の写真を見つけた彼は、ビリーの家族を求めて列車に乗る・・・・
(Movie Walker のあらすじを簡略化)

なぜか、アキ・カウリスマキの作品を観ているような錯覚に襲われ、親しみを感じる。

淡々と流れる物語りに、実直なジョンの姿が浮き上がってくる。
その彼を、突然襲うリストラの通告。
それでも、死んだ人のことを思って行動する、その行為。
自分を捨てて他人のために。

だが、独り身のジョンは孤独と絶望の淵まで行きそうになる。
そこに現れた幸せの兆候。
人生はまんざら捨てたものじゃない。
しかし、人の運命は気まま。皮肉な人生。

そんな皮肉な運命でも、誠実に生きて来たなら、見守ってくれる沢山の祝福がある。

じんわりとした感動がふつふつと甦ってくる。
とってもいい映画を観たなと嬉しくなった。
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『アッシャー家の末裔』を観て

2016年01月05日 | サイレント映画(外国)
元旦に続いて凄く古い作品、フランス映画でサイレントの『アッシャー家の末裔』(ジャン・エプスタン監督、1928年)を再度観ようと思った。
この作品は1時間以内の上映時間だから、手の空いた時に観るには丁度よい映画だった。

アッシャー家の主人ロドリックから、彼の友人に「不安だ、是非来てくれ」と言う手紙が来る。
友人は、アッシャー家に向かう途中で、嫌がる宿屋に金を積んで馬車を頼む。
妖気漂うアッシャー家。
着いた友人をもてなすロドリック。
しかし荒廃した屋敷は、広間に隙間風が吹き、枯葉が舞っている。
その寒々とした屋敷には、ロドリックと心を病んだ妻のマドリーヌ、その主治医に執事、その四人しかいない。
ロドリックはマドリーヌをモデルに、アッシャー家に代々伝わる妻の肖像を描いている途中だった。
夕食後、友人を散歩に追いやり、取り憑かれたように絵筆をふるうロドリック。
肖像画が生気を帯びれば帯びるほど、絵に生命を吸い取られていくマドリーヌ。
愛しげに、ついに完成した妻の肖像画を見つめるロドリック。
それと共に、床に崩れ落ちて変わり果てるマドリーヌ。
ひょっとして、まだ生きているかもしれないと、泣き叫ぶロドリック。
マドリーヌの棺に釘をすることさえ許さないほど打ちのめされるロドリック。
うら寂しい森の中への、四人だけの野辺送り。
その墓所で、ついに棺に釘が打たれ・・・・

流れる濃霧に覆われた林と沼。枯れ木。
激しく揺れ動く天井からのカーテンと舞う枯葉。
大きな柱時計の振り子、その時計の歯車。
本棚から大量に崩れ落ちる本。
突然、ギターの弦が切れる不安さ。
無数のロウソクが溶け崩れる様。
林の中を舞う純白のヴェール、等々。

計算され、いろいろと工夫されたショット。
鮮明さと相まって、妖しさを漂わせるその映像の美しさ。
そして、音が今にも聞こえて来そうな場面の数々。
特に後半には目を見張らされる。

サイレントからト-キーになって、安易にセリフに寄りかかってしまっている作品が少なからずある中で、
原点に返り映画とは何かを、
怪奇と幻想の頂点をきわめたサイレント末期の傑作、と言われるこの作品から学ぶべきことは多いと思う。

因みに、この作品の全編をYouTubeでも観ることができるが、映像が鮮明でなく、折角の作品の味わいが損なわれているのが残念である。
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『ブロードウェイ・メロディー』を観て

2016年01月01日 | 戦前・戦中映画(外国)
正月の雰囲気にふさわしいのはないかと、持っているDVDの中から『ブロードウェイ・メロディー』(ハリー・ボーモント監督、1929年)を引っ張り出した。
正月にしては随分と古過ぎる作品だけど、まあいいかと思い鑑賞してみた。

田舎から夢を抱いてブロードウェイにやってきた、ヴォードヴィル出身のハンクとクィニーのマホーニー姉妹は、
歌手でハンクの婚約者でもあるエディと会い、エディ作の歌「ブロードウェー・メロディ」を引きさげてザンフィールド一座に斡旋してもらう段取りを整える。
しかし、そこでエディは、以前会ったときより見違えるほど美しくなった妹のクィニーの方に心を奪われてしまう。
そして、それはくしくも、クィニーのエディに対する感情と同じであった。
クィニーは、エディを愛する姉のことを思い、ステージのリハーサルで出会った富豪のジャックと付き合うことでエディから離れようとする。
しかし、金に物を言わせ心ないジャックとクィニーが付き合うことは、エディにとってだけでなく妹思いのハンクにとっても、耐えられないことだった。
クィニーがジャックとデートに行くのを、それぞれの理由から必死に食い止めようとするエディとハンク。
そしてある日、ついにエディは必死さのあまり、ハンクもいる場で本心をもらしてしまい・・・・
(ウィキペディアのあらすじより)

トーキー初期の作品で、第2回アカデミー賞作品賞の受賞作。
そして、全編トーキーによる世界初のミュージカル作品である。
だから、凄く印象に残る作品だろうと期待感は高まるが、正直言って、まあ上手にできた単純な内容だなというところか。
と言っても、それは現在の眼で見ての感想であって、当時であったなら違う感じ方だろうとも思う。
歌あり踊りあり、会話も聞く事ができるし、おまけにそのセリフの調子もよいとなれば、その時代の人は大満足で劇場を後にすることが出来たではないだろうか。
レビュー劇場の舞台裏話によるミュージカルの草分け的な作品として、その後のミュージカル作品に与えた影響は多大なものがあったはずである。
たまには、初期の作品から学んでみるのもいいもんだと、正月に思う。
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