かつこのテラス

日々の思い、時には物語を綴ります!

不戦の希い 憲法の心~平和省・韓国9条の会など

2007-09-29 17:34:56 | Weblog
このところ、K9MPにジョイントのおさそいが舞い込みます。ひとつが先日の平和省地球会議の京都交流会。翌日が、韓国に「9条の会」を作りたいという人たちのツアー一向との交流会。そして来月は、「週刊金曜日」との共催で、京都でのシンポジウム集会。
一つ一つの取り組みを大切に、大同小異は調整して「不戦の希い 憲法の心」の1点で。こうした取り組み自体が、「平和を紡ぐ」ことなのだと思います。

【平和省地球会議(9/27)京都交流会の詳細は、活動報告ブログとトップページで後日報告】
まずは、海外からの参加者 発言からすこし拾って紹介します。

●セネガル・アフリカ
日本は、ヒロシマ・ナガサキで壊滅的な被害を受け、廃墟から復興を遂げました。これは、素晴らしいことです。日本は、平和活動に関して、世界を引っ張っていくという立場だということを自覚してください。
 
●インド 
日本は、歴史と伝統を保ちながら、同時に新しい機器を使いこなす、古いものと新しいものをたいせつにしている国。9条は、充分とはいえません。膨らませてください。でも絶対手放してはいけません。
 
●イスラエル
多くの若者・学生がこの会場に参加しています。わたしの国なら、一人もここには参加できないでしょう。若者は徴兵されているからです。皆様方は、繁栄を享受されています。この会場が満席でないことが、残念です。平和の問題で、人を集めるのは難しい。スポーツなら、溢れかえることでしょう。でも、平和こそ、みなさんの夢をかなえることだと思います。

●ウガンダ
数日間日本に来て感じました。何マイルも離れた日本の政府にプレッシャーをかけることができることを。ラシオ・テレビ局、そして政治家にプレッシャーをかけましょう。わたしの国には9条はありません。紛争、飢餓で、毎日、多くの死体が運び込まれています。若い人たちに世界で起こっているできごとに関心を持つ勇気をもって欲しい。

●フィリピン
私の息子は14歳です。私にコンピュータを教えてくれます。私が日本に行くというと「ワォ」と叫びました。 日本は、世界から吸収して先端技術を持ち、平和憲法9条を持つモデルでもあります。私の国は、日本を目指している。
でも、ともすれば、過去にとりつかれます。過去の囁きに耳を傾けてはいけないと思います。「ノー・モア・ウォー」をともにすすめていかなくては。


またとない機会~平和省地球会議

2007-09-19 18:03:58 | Weblog
平和省地球会議 京都歓迎交流会は、1週間後の27日(木)PM7.00~立命館大学国際平和ミュージアムの2F会議室で開催。

Australiaオーストラリア/Canadaカナダ/Costa Ricaコスタリカ/Indiaインド/Italyイタリア/New Zealandニュージランド/pakistanパキスタン/Philippinesフィリピン/Romaniaルーマニア/Senegalセネガル/South Africa南アフリカ/USAアメリカ/Ugandaウガンダなど、参加予定の国々です。まだビザがおりない方もあるようですが・・・。

「世界の人たちの声が聞きたい」「こんな機会めったにないから、是非行きたい」「9条って世界からはどう思われているの?」
「企画を聞いただけで、視野が広がる感じ」
「日本の現状だけをみていると、暗い気持ちになるけれど、平和を望む声が、世界中に湧き起こっていることを知ると、明るい気持ちになる」

友人にチラシを配っただけで、こんな反応です。
またとない機会、ぜひおこしください。



ニューカレドニアの日系人~津田睦美さんからのコメント

2007-09-18 17:39:48 | Weblog
6月のテラスで、平和ミュージアムで開催された特別展示「ニューカレドニアの日系人」について、感想とともに紹介しました。
幾度もの現地取材を通して、この企画展を実らせた津田睦美さんから、先だって、コメントをいただきましたので、ご紹介します。

お礼 (津田睦美)
偶然このブログを見つけました。展覧会を見て下さってありがとうございます。
「君が代」そうなんです。ご指摘通り。
この展覧会は、11月に広島と沖縄で開催して、いよいよおわり。
カレドニアから沖縄展にあわせて43名の日系の方がやってきます。

コメントをありがとうございます。(かつこ)
津田さんの仕事がなければ、私たちは、そうした事実を知ることもできませんでした。私たちにとっては「知る」「知らされる」ことが、たいせつな「はじまり」なのだと思います。
そして、当事者にとっては、それ以上に、大きな救いになることと思います。
素晴らしい仕事に、出会えたことに感謝します。


【企画展示概要】 テラス再掲載(抄録)
 「タイトルの「FEU NOS PERES(フー・ノー・ペール)」は、「私たちの亡き父」という意味。子供たち(日系二世)が今も抱く亡き父親への追慕をとおして、戦争によって失われた楽園の物語を少しでも伝えたいという思いが込められている。真珠湾攻撃後のオーストラリア強制収容所に焦点を当てながら、写真作品、ビデオ作品とともに当時の手紙や古い写真、日記、遺品を交え、視覚的演出による展示で構成」

【参観の感想】
 「現地に何度も足を運んで取材された津田睦美さんの写真が、美しい。手紙や日記、写真、収容所で使われた手作りの日用品などを通して、戦争によって、突然引き裂かれた家族と、大きく変わらざるを得なかった日常が胸に迫る。館内に流れる透明な歌声も、哀切さ、無念さを一層かきたてた。
 館内上映のDVDで、最後に2世の女性が歌う『君が代』もまた物悲しい。日本は、この曲と日の丸を掲げて、軍国主義に突き進んでいった。幸せの想い出は、父の口ずさんだ「君が代」だが、父と彼女を引き裂いたのも、また『君が代』なのだ。」


企画展「FEU NOS PERES(フー・ノー・ペール)」今後の予定です

広島(広島県)
会場:広島県立文書館
   〒730-0052 広島市中区千田町三丁目7番47号
会期:2007年11月1日(木)- 30日(金) (調整中)

那覇(沖縄県)
会場:琉球新報社本社ギャラリー、多目的ホール
   〒231-0001 那覇市天久905
会期:2007年11月12日(月)~11月25日(日)
タイトル:津田睦美展「マブイの往還」
イベント:2007年11月12日(月)講演会、コンサートを予定


コバウさんの目には 何が見えますか? 安倍首相辞任

2007-09-12 17:58:03 | Weblog
烏丸御池にある京都国際マンガミュージアムで、9/17まで朝鮮戦争スケッチが公開されている。

何10万という民間人が殺された朝鮮戦争をキムソンファン(金星煥)さんが、記録に留めた。当時17歳のキムさんが目の当たりにした光景は、たとえば「ゴミの山のてっぺんに投げ上げられた一人の少年の遺体」。 「戦争とはこういうものなのだ」ということを、1枚のスケッチが語りかけてくる。韓流がもてはやされるなか、知らされることの無かった韓国の歴史が胸をえぐる。

日本の「繁栄」は、こうした「朝鮮戦争・ベトナム戦争特需」という、他国の痛みの上に築かれたものなのだ。

「コバウおじさんを知っていますかー新聞マンガにみる韓国現代史」(チョン・インキョン著)。コバウさんは韓国の日刊紙に連載された4コママンガの主人公。ハゲ頭に毛が1本のとぼけたコバウさんは、1960年代、70年代の韓国軍事独裁政権の圧制と弾圧に、様々の反逆と抵抗を試みた。このコバウさんを45年間もの長期にわたって書きつづけたのが、キムソンファンさんだ。

コバウおじさんは、日本の政治状況にもいち早い反応を示した。84年大統領訪日を前に、「過去に惨害をおかけしたことを深く反省する」と発言した中曽根首相を、テレビ録画したコバウさん。「ビデオで毎日36年も見つづければ少しは胸の内も・・・」とつぶやく。

企画展の最中、金星煥(キムソンファン)さんが来日し、図録にサインをいただいた。名前のとなりには、さらさらとマンガ「コバウさん」。「手を額にかざして背伸びをしている。隣にならんだ愛犬も同じく」。時代を冷徹に見つめ、静かに告発し続けたコバウさんの、見晴るかすその先には、何が見えるのだろう。

時、安倍首相辞任表明のニュース。任期中の1年間に「防衛庁を省に格上げ」「憲法の兄弟分・教育基本法の改悪」「改憲のための国民投票法案」・・・。
伸び上がったコバウさんの目に見えるものが、「ファシズムへの道」であってはならないはず。


お昼休みのほんのひととき~勤務先の友人と~

2007-09-07 21:36:26 | Weblog
「多彩な顔ぶれがあつまったんやね」
「あっ 『テラス』読んでくれてたんやね。ありがとう」
「うんうん。活気が伝わって、合宿の様子がよくわかって よかったわぁ」
「よかった。まずは2-3本書き始めてみたら、人にもけしかけられて・・・。ドンドン書いてたら・・・あんなになってしまってん。まだまだ、ひろいきれてないんやけどね.ちゃんと聞き出せば、もっと、みんなのオーラを引き出せたかもしれんのにね」

「今度から、そのつもりで『わたし 書く人』って割り切って、どんどん聞いて回ったらいいんと違う?」
「ウンウン、休憩時間とか、部屋とかへも行ってな・・」

「でも、地元の9条の会の人たちは、少なかってんなぁ」
「こんな多彩な人たちの集会やってよくわかるし、私も、K9MPの催しいっぺん行ってみたいと思うよ。それにしてもいろんな人がいるんやねぇ。いろんな暮らし方してる人がいて、どんな暮らししてもいいんやなぁ・・・って」

そう、勤め人の一日は、日々変化はあっても、時間的しばりのきつい1日。(この間に得たものも大きいけれど、失ったものも計り知れない)
長い間働きどうしに働いた私たちは、このところ「暮らし転換」のしどころを狙っている。

それから、話は、阿部ひろ江さんの暮らしぶりや、金城久美子さんの歌、今度開催される平和省地球会議に及び、まだまだ話はつきませんでしたが、無情にも、お昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いたのでした。

雄琴合宿⑫ 心の目で見たスケッチ

2007-09-06 15:08:02 | Weblog
2日目、集会終盤は、柴野編集長による「K9MP緊急の呼びかけ提案」。
題して「いま、草の根市民運動こそが この国を救えます それは あなた自身の行動から始まる!」

本題は、K9MPのあらゆる出版物の「はじめに」の言葉やHP活動報告などに集約されているので、ここでは割愛する。
耳にたこができるほど聞きつづけてきた私は、ひたすらに時計が気になった。
予定していた20分間を超え、ほぼ倍の35分が経過しても、編集長は熱弁を振るい続けた。予感的中!! 時計を持たない彼は、しばしば時を忘れ、メンバーをはらはらさせる。中国、方明(ファンミン)の「有理・有利・有節」に、自ら「有熱」を加えただけのことはある。<註A>

ただ、断っておくが、編集長の話は、単に「耳たこ」ではない。
しばしば引用されるビクトル・E・フランクル著「夜と霧」。
「自分の未来を信じきることができなかった者は、(アウシュビッツ)収容所内で滅亡していった。そういう人は、未来を失うとともに精神的なよりどころを見失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだった・・・」
「本当にたいせつなものは目に見えないんだ。心の目で見ないとね・・」(サン=テグジュベリ「星の王子さま」)
「なんのために だれのために」

これらの一節は、渦中にいるときは、沼地に足を取られて見えなくなっていることも多い。
また彼が力説すればするほど、やたら(照れ)くさかったり、「またか」意識が働いたりで、かえって遠ざかったりもする。
が、ある日、その一節が、ふとした日常の一こまに立ち表れ、燦然と輝きを放つ。それは、事の結果が出始めた時かもしれない。
「話のなかに散りばめられた、隠し味こそが醍醐味だ」ということが、この時、ようやくわかるのだ。

私は、「東北の農家の嫁」だった一時期がある。
歌をうたえば「鼻歌歌うは芸者のすること」
こどもに絵本を読み聞かせれば「子どもと、へらへらばりして、働らかねぇ嫁ごはいらねぇ」
「晴耕雨読」ならず「晴耕雨掃除」という環境のなかで、嫁ごの文化は無用の長物。私などは「役立たずのでくの坊」だった時代。
そこから、「子どもを道連れに、六畳一間の豊かな暮らし」を選んで、既に20年が経つ。

2003年春「福島 登詩集」刊行祝賀会の時に彼が語った「文化・芸能・芸術は民族の宝」という言葉は、だからこそ、今も私の心のなかに木霊(こだま)し続け、支えにもなっている。

この集会でも、「民族の宝」がいかんなく発揮されたのなら、そんな嬉しいことはない。その事こそが、憲法の精神を生かす真髄とも言えるのではないだろうか。


<註A>
運動が発展するために不可欠な4つの条件
有理=目的が正しく道理と理想、夢があること
有利=利益になる。得るものがあること
有節=節度と展望があること。見通しと希望があること。
有熱=情熱と創造性、感動と真剣さがあること(編集長の追加したことば)


合宿を終えて10日が経ちました。集会の最後に、皆さんからの感想が聞けずじまいだったのが心残りです。雄琴合宿12枚のスケッチは、私の「心の目で見た」スケッチです。今回でひとまず終了します。テラスには、この間、3500あまりの方々に訪れていただきました。ありがとうございました。

雄琴合宿⑪ ゆらり ゆらゆら ギターつま弾いて

2007-09-06 00:27:10 | Weblog
私のパソコンは、「あべ」と入力すると、一発で「安倍」と出るように学習している。
昨年、安倍内閣がスタートしたときに、そう覚え込ませたのだから仕方がない。
でも、今日は、この「安倍」は出てきてもらっては困る。
最初が肝心なので、しっかり「阿部」を選択して、スタート。

「わがK9MPの専属シンガーソングライター阿部ひろ江さんに歌っていただきます」
司会のいずぶちさんはこう紹介。
苦笑いしながら、阿部ひろ江さんは、ギターをつま弾き始める。お友達のギター作家特製の小型ギターが、腕のなかにしっくりとおさまっている。
初日、夕食後第2部の始まりと、翌朝の始まりは、阿部ひろ江さんの弾き語りで開幕。
阿部さんは、京都市北区の自宅町家を開放して、交流や情報発信の場(エイコンズビレッジ)を主宰する一方、日本や世界のあちこちを旅して回っている。特製袋入りのマイギターを抱えて、ロシア、ベラルーシ、ネパール、北朝鮮、アメリカ、フィリピン、カナダ等を訪ねて、路上でも歌う。
「歌は、出てこないときは、さっぱりだけれど、突然、おりてきますね。たとえば飛行機のなか。弾くわけにいかないから、あわててコードをメモするのだけれど・・・」
「これや これや」と思うひらめきが、あとからどうしても再現できないときもあるようだ。


昨年、阿部ひろ江さんのライブツアードキュメンタリー「ゆらり ゆらゆら」(下之坊修子監督)が完成した。その宣伝チラシ(フライヤー)には、こう記されている。
「チェルノブイリや、孫の歌をうたいながら、世界の子どもの幸せを願う。
シングルマザーの阿部さん、女が生きにくかった社会からどれだけ変わったのだろうかと、
自殺未遂を繰り返した我が子と向き合いながら考える。
気持ちよい生活は便利な社会とは違うと訴える。」

夕食後に土鍋カフェ楽ちゃんからなだれ込んだ若者は、「フェアトレードを通して環境・平和のことがわかるようになってから、フィリピンに行った。イーストリバーコミュニティで、元慰安婦の人の話を聞いた」そして、ここにも阿部さんが訪れていたと付け加えた。
阿部さんは、養護学級の教師を長年勤めたあと、今の暮らしへと転換した。
脱定職を数年先に宣言した、やはりシングルマザーの私は、こんな阿部さんに出会うと、嬉しくなる。
自分の行く手にどんな暮らしが形作られるのかは、未知だけれど、阿部さんを質問攻めにしては、その答えに頷き、なにかしら自分にもできることがありそうな気がしてくるのだ。 


雄琴合宿⑩ 渋谷のメリーさんへ

2007-09-05 12:20:14 | Weblog
メリーさん
まだまだ暑い日が続きますが、お元気でお過ごしですか?
その節は、大変お世話になりました。
メリーさんと2人で頭を寄せ合って作った雄琴荘の部屋割表、まるで、修学旅行の下見のようでした。
部屋を回って、「ここは、夫婦部屋ね」「琵琶湖が見えて眺めがいいわね」「ここは、呑み助たちの2次会の部屋」「足のふらつく人には、よくわかった人が一緒の方が・・」「同じ地方の人は一緒の部屋にしましょうよ」
メリーさんが担任の先生で、私は学級委員にでもなったような気分でした。
最後に読み合わせをして完成!
ややこしそうな部屋割りも、てきぱきさっさとできてしまったのが何よりでした。
「大船に乗った気持ち」とは、まさにこのことを言うのでしょうね。
「わかりやすく、簡潔。オチやコマーシャルがあって面白い」
メリーさんの授業は、きっとそんな魅力に満ちていたのでしょうね。教壇にたつメリーさんが、目に浮かぶようです。
そして、メリーさんの発言を聞いていて私はいつも思うのです。
「やり手だぁ」

やり手のメリーさん、
雄琴草の根集会では、在職中に実践した「身近な人たちの戦争体験聞き書き学習」から生まれた2冊の本を紹介していただきました。
「15歳が聞いた東京大空襲」「15歳が受け継ぐ平和のバトン」
こんどは、「かつこのテラス」で紹介させてください。             かつこ


         ■十五歳が受け継ぐ戦争体験の意味(抄録)
                 渋谷のメリー(元女子学院中学国語科教諭)
 「東京の空襲体験を描いた作文を集めてほしい」という作家の早乙女勝元さんのお話を受けて、手元に残された作品の中から16編を選びました。25年間にわたる女子学院中学校の戦争体験聞き書き学習によって、約6000人の体験が記録されてきたのですが、その2割が東京を舞台にし、多くは3月10日の記録です。
 「すまないね、順子」の筆者下岡正子さんは、あの炎の夜に生き別れた娘を思い続ける祖母の言葉を次のように綴っています。
《37年たった今でも、あの時と同じ考えだね。戦争でいちばん苦しむのは子どもや女たちだよ。あと一回でもくり返したら、人間はおしまいだね。順子のことは、そうだね、それもあの子の運命だったのだと思っているよ。》
 おばあさんはこれを語られた15年後に89歳で亡くなられ、「順子にそっくりだ」と言われた正子さんは、今では2人の子を持つ母親です。
 
 「身近な人たちの戦争体験聞き書き学習」を女子学院中学校国語科が初めて取り組んだのは1980年夏でした。敗戦から35年、戦争を知らぬ世代が国民の半数を超えていました。時代は高度経済成長のただ中にあり、歴史を振り返るゆとりを失っていました。このままでは戦争体験が風化してしまう、戦争の悲惨さを語る者がいなくなるとき、世は戦争への道を急速に転がり始めるだろう。語ってくれる人がいる間にその受け継ぎを急がなければならない。
 そんな思いから出発した実践でしたが、生徒と家庭から積極的に受け止められて、中学3年生夏の国語科学習の定番となって25年、語り手が父母から祖父母へと移る中で、祖父母と孫との新たな結びつきが生まれてきました。
 今、日本の国は大きな曲がり角に立っています。「あと1回でも繰り返したらおしまいだ」と語られた道を歩まないために、聞き書き学習の意義は今いっそう大きいのではないでしょうか。
 
 女子学院中学校国語科の実践が、早乙女勝元さんのご発意によってこのような形でまとめられることを嬉しく思います。語り継ぎのランナーたちの協力と、高文研のお骨折りに感謝申し上げます。また、オビに推薦文を寄せてくださった海老名香葉子さん、ありがとうございました。
 国民学校1年生の夏に疎開先で敗戦を迎えた、戦争を身をもって知る最後の世代の一員として、この本がひとりでも多くの方に読み継がれ、「平和のバトン」が次世代へ手渡されていきますように願っております。(2005年1月15日)

雄琴合宿⑨ 反戦自衛官を支える会

2007-09-04 12:20:14 | Weblog
自衛隊員のなかに、反戦の人たちがいることを知ったのは、「反戦自衛官を支える会」の叶田さんを通じてだった。

「私は、反戦自衛官を支える運動をしている。イラクの人たちは次のように言っていた。『日本人の過半数はイラク派兵に反対している。憲法9条で日本は、2度と戦争をしないと誓った。だから私たちは自衛隊に対して空砲を撃つ。もし日本が9条を変え戦争をする国になったら、我々にはいつでも自衛隊を全滅させられるだけの力はある』と。憲法9条は、自衛隊員の命を守っているのです」

雄琴交流会で、叶田さんは、自らの戦争体験を語り「私は、戦争は絶対反対です。自分の残り時間を賭けて、反戦自衛官を支える運動をすすめていきます」と締めくくった。

       隊員が一番困ったときに相談できるのは反戦運動
         (反戦自衛官インタビュー記事から要約)
9.11以降の「テロ対策3法」を境に、自衛隊員側の意識変化は、
それまでは、安定した国家公務員という職業についたという意識だったのが、「アメリカが始めた戦争に参加して、自分も死ぬかもしれない」という意識に変化。
米軍などの場合、軍隊に入ることは自分も戦争をすることを意味する。戦前の日本もそう。

自衛隊は戦争しないことになっていた。それが根本的に変わる。
かつて、小泉首相が「自衛隊は命をかけている」と言ったが、自衛官は入隊の時、宣誓書を書かされている。入隊式の時、一列に並んで、署名捺印する。 「事にのぞんでは身の危険を省みず、もって国民の負託にこたえることを誓います」と。
18.19歳で入隊。そのときの説明は、給料や待遇のこと。子どもを持つ身になった今になって、昔の誓約書をひっぱりだして、「命をかけろ」と。
自衛隊は憲法違反だから、あいつら敵だ、というのではない。隊員も一番困ったときに相談できるのは反戦運動。上官じゃない。大勢仲間がいることがわかれば、自衛官もたたかう勇気がわいてくる。」

こんな記事や、叶田さんの訴えを知ると、K9MPの安齋育郎代表「もし総理大臣になったら」の施政方針演説での提唱が、一層輝きを増してくる。
「『自衛隊を災害救助隊に』再編し、平和と安全、隊員の雇用確保に努める」



雄琴合宿⑧  沖縄補足~県民半数への普及をめざして

2007-09-03 17:43:03 | Weblog
「昨日はコーデネーターのIさんと3人で電波ジャック(地元ラジオ放送)して縦横にブックレットセンターとブックレットの宣伝、若者の感性豊かな感想文の紹介をしました。添付フアイルで、スポットの原案をお送りします。 聞きやすく心に収まるような100字の呼びかけにしたいです。お知恵をお貸し下さい。(沖縄ブックレットセンター K)」

8月10日、編集長から上記のメールが転送されました。
沖縄では、K9MPブックレットを県民の半数に読んでもらおうと普及大作戦を展開中。
電波ジャックなんて、かっこいい!! あの手この手の創意工夫が素晴らしい!!

さっそく考えたのが下記です・・・。
編集長は、ご自分の案とあわせて2本の案を沖縄に送ったとのこと

[尊い命の犠牲から生まれた
うちなんちゅの言葉 命どぅ宝
憲法9条の改悪は ふたたび戦への道

読みやすい
心が震える
1000円札1枚で
本当のことがわかる4冊の本
沖縄 憲法9条ブックレットセンター
お問い合わせは090-9787-5244
あしたの読書じゃ間に合わない]


沖縄の方は、今すぐ、上記にお電話を。あしたの読書じゃ間に合いません。