かつこのテラス

日々の思い、時には物語を綴ります!

本当に求めているものは この超過密ハイペース?

2007-03-25 23:58:23 | Weblog
 年度末は、駆け込みの仕事が入って、あわただしい。
 通勤途上も、あちこちが掘り返され、おびただしい数の道路工事。
 デジタル化が、各業種、各部門の短納期、ローコストを推し進めてきたことは間違いない。本来、技術革新は、「使う側の役立ち」を目指して開発されたはず。それがどうだろう。アナログ時代に不可能だったことが、可能になることによって拍車がかかる短納期。
 素早くできるようになったぶん、生活にゆとりができるはずが、実はその逆だ。
 かくて、年度末の仕事をこなすために、私は毎日、深夜の帰宅。
「妖怪 一反木綿」のように薄っぺらで長く伸びた「妖怪 疲れ」が背中に張り付いたかのような週末を迎えた。
 ようやく訪れた日曜日の今日、別世界の時間を過ごして、やっと息を吹き返した。背中の「妖怪 疲れ」も退散したかに見えるが・・・。
 人びとが本当に求めているものは、本当にこのハイペース?
 過密スケジュール? 
 退職者と現役の差もありすぎない?


遠くの雷鳴も 受け止めて

2007-03-23 23:00:44 | Weblog
 2月25日、北野天満宮の梅花祭を、娘と二人で訪ねた。縁日には、大層の人がにぎわい、紅梅、白梅が、咲き競っていた。
「東風吹かば にほひ起こせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
これは、菅原道真が、左大臣藤原時平のねたみをうけ、無実の罪で左遷されたとき詠った歌。道真は、903(延喜3)年、陰暦の2月25日に、九州大宰府で没した。道真の死後、天変地異が次々と京の都を襲う。人びとはこれを「道真の怨霊の祟り…」と噂し、北野にその霊を祀った。天神さんの市は、この日にちなんだものだそうである。
 梅の開花時2月25日の梅花祭では、国宝の「北野天神縁起絵巻」が、宝物殿で公開された。絵巻には、雷神が清涼殿の藤原時平を襲う様子が描かれている。湧き起こる黒雲が朱塗りの柱を覆う。背なかに連太鼓を背負った真っ赤な雷神が、稲妻を連れてやってきて雷を落とす。屋根の下では逃げ惑う殿上人や公卿たち。時平が、太刀を振りかざして虚空をにらんでいる。雷鳴と、悲鳴が一時に聞こえてきそうな臨場感。雨が降り始めると、女官たちは、洗濯物を取り込むのに大わらわだ。縁沿いの離れには、そんな騒ぎはどこ吹く風と、「花札の様な遊び」に打ち興じる人足風の男たち。
衣服、建物、遊び、風俗など、その時代特有のものを今に伝えて興味深いが、一方、どこか現代に通じるところもある。そのひとつが、起きている事柄に対する人びとの捉え方の温度差。渦中の人と、その周辺、遠ざかるほど受け止めが鈍くなるさまを、絵巻は面白く伝えている。
 社会情勢、さまざまな変化に対して、どのように受け止め、どう対応するか。温度差をどのように埋めるかが、時々に試される。私たちは、事象や背景をより正確に把握することと、「一人ひとりが主人公」の意識をもつことが、大切ではないだろうか。現代に生きる私たちに、絵巻はそんな警鐘を鳴らしているかのようだ。
 

 「障害って、社会がつくるもの」 かつこから安積さんへ

2007-03-12 01:10:15 | Weblog
 「おはがきと御本をお送りいただきまして、ありがとうございます。K9MPのブックレットを読んで感動されたとのこと、お手紙うれしく拝読致しました。全国へ広がることで、平和への1歩を進める力になることを願います。
 お送りいただいた御本を読ませていただきました。自分をさらけ出す勇気、そして、そこから得る喜び、生への力強さ、身体の痛みや、望まない治療による辛さが、文面から伝わってきました。書くこと、伝えること、行動されていることに、改めて敬意を表します。
 私の身近なところでは、編集統括の柴野さんも難病を抱え、今病気と向き合いながらも、残された時間をK9MPからのメッセージ発信に精力的に費やされています。病人だと言うことを忘れさせるほど意志的な働きぶりです。私の娘も「保健福祉手帳」を持つ身。今は、日々少しでも楽に過ごせたら、喜びが感じられたらなどと模索、格闘、楽しみ中。
 そして、義兄が右腕のない方で、少年の頃、つまり戦争中、近くに落ちてきた焼夷弾の破片が突き刺さって右腕を切り落とす治療(?)を受けたとのこと。姉は、知り合いから何故手のない人といっしょになったのか、と質問され、「好きになった人にたまたま手がなかっただけ」と答えたそうです。何十年も前、結婚が決まったとき、私たち家族も全く当たり前に受けとめたのでした。ただ腕をなくされたご本人は、未だになき手が痛むこともあり、左手への負担も大きく、大変な努力も必要だった事と思います。
 お手紙をいただいて、御本も読ませていただいて、いろいろ考えました。戦争や人災(公害など)による被害は、あってはならないこと。事実を知ったからには、まず知らせること。専門家との連携で、告発するべきだと思います。これ以上拡大させないため、やめさせるための力は、広く多くの人びとが知って、大きなうねりにしていくことが大切なのだと思います。
 ただ、「もぐらの坊や」のお話は、推敲を重ねるに従って(10回以上手を加えています)当初書かれていた大切な数行を落としていたことに気付きました。
「右手の丸いクッキーちゃんは、知りたがりやの3歳になりました。ママの焼いたクッキーを左手でじょうずにつかんでお口へ運びます。
『ママ もっか ってなぁに?』
『今ってことよ』
そうです。今、・・・」
 たった数行なのですが、クッキーちゃんは、ママやパパ、みんなに育まれて、知りたがりやの女の子に成長している、ということが伝わるはずの数行を省いてしまっていたのでした。遊歩さんからのお手紙を読んで、改めてそのことに気付きました。増刷の折には追記しようと思います。
クッキーちゃんは、イラク帰還兵マシューさんの娘、サラーミさんは、アフガンの女性がモデルです。
 映像のなかで、この女性は、身体の不調が本当につらそうでした。他にもこの地方には、白血病、癌患者が急増し、まともな治療も受けられないまま亡くなっていること、アメリカ帰還兵の方からは、子どもへの影響が多く出ていることが伝えられています。これは、「劣化ウラン弾被害」というドキュメンタリー番組で報道された事実をもとに書いたお話でした。腹立たしいことに、劣化ウラン弾を開発したブラー博士は、テレビのブラウン管を通して、おはなしのなかのブレッド博士と同じ科白を吐いたのでした。
 それぞれの関係者の告発、専門家の証言を通して、実態がわかります。でも日々の暮らしは、誰もが豊かに育まれ、営まれなくては・・・。遊歩さんのメッセージに同感です。
 障害(障がい)という言葉ひとつとっても、本来だれもが当たり前に生きやすく、暮らしやすくなるためには、社会の側の障害が取り除かれなくてはならないのだと思います。当たり前に暮らせない社会が障害をつくっているのだと・・・。その最たるものが戦争だと思います。
 大事なご指摘をいただいて本当にありがとうございます。略」

 この手紙を投函後、しばらくして、我が家のポストに安積さんからの返事と2冊目の本「車椅子からの宣戦布告(太郎次郎社)」が届いた。
 「勇気の源は何ですか?」の増刷に当たって、私は「モグラの坊や・・・」の数カ所に手を加えた。






いただいた本 その2

2007-03-10 23:58:02 | Weblog
 もう1冊、正確にいえば、もう2冊いただいた本がある。1冊は、安積遊歩さんの『ねぇ、自分を好きになろうよ』。
 昨年12月の事務局会議のあと、須田事務局長から、封書を手渡された。宛先は、連名で編集統括と私宛。さっそく開封すると、絵はがき3枚に先ほどの書籍が同封されていた。
 「はじめてお便りします。ブックレット『そのとき赤ん坊が私の手の中に』と『勇気の源は何ですか』を読んで、とても感動しました。(略)何に感動したかと言いますと、コスタリカの子ども達の力強さです。のみならず、かしこさに尊敬の念を感じています。そのことをブックレットでシンプルに伝えてくれているので、ぜひ若い人達に呼んで欲しいと思っています。ロベルトさんのことは、前から知っていたのですが、日本のピースボートで働いているということは、何という柔軟性とかしこさだろうと、これまた感動しました。メッセージもとてもいいですね。日々暗くなるようなニュースばかりの多い日本の中で、心から敬意を表したいと思います。本当にありがとうございます。
 ただ、1点変えて欲しいところがあります。おはなし『モグラの坊やだってやるときはやるんだ』のクッキーちゃんと、サラーミさんのお話のことです。私は、骨のもろい先天的な障がいを持ち、車椅子を使って生活をしています。自分のこの体を自分自身であると受け入れるまでには、そして、愛おしむまでには、本当に長いたたかいがありました。身体はどの人にとっても唯一のものです。そのことを認め受けとめることは、まさに自分自身の平和活動とさえ言えるものでした。クッキーちゃんが指のない自分を被害者、犠牲者として生きていくことは、あまりにもつらい事で、それこそ平和運動とは反対の立場となってしまうでしょう。ですから、このクッキーちゃんとサラーミさんの状態(身体の個性)を、平和を脅かされたことだというふうには描いて欲しくないのです。劣化ウラン弾は生きる自由をぶちこわしにする、命を踏みにじるものだという点をのみ強調して欲しいのです。参考までに、私が10代の人に書いた本を贈りますので、ぜひお読みください。障がいを持つ人の基本的人権と平和がともに守られますように」
 難問を突きつけられたように思いながら、私は、いただいた本を読みすすめた。小さい頃から、治療と称して、痛い思いを何度もしてきた安積さんの「どんな人でもみんな、この世界に抱きしめられて、生まれてきたんだよ」と語る言葉に、「モグラの坊や」のおはなしのなかでいつの間にか削除していた大事なことばがあったことを、私は思い出したのだった。安積さん宛の返事を投函したとき、本を受け取ってから、すでに一月もが過ぎていた。


命を刻んだ本

2007-03-06 01:11:01 | Weblog
 本を仲立ちとした繋がりが広がると、本をいただくことがある。
 昨年の夏、大津の黒川泰男さん宅へ、編集長のお供で、ブックレットを持って伺った。探し訪ねて、やっとたどり着き、呼び鈴を鳴らしても、返事がない。先ほど、 電話で道を尋ねたばかりだというのに、おかしい。数回鳴らして、あきらめかけたときだった。引き戸が開いて、そこにうずくまるようにして現れたのが、黒川さんだった。寝間着姿のまま、いざりよって玄関までたどり着いた黒川さんは、申し訳なさいっぱいの私たちを、茶の間に据えたベッドのそばまで招き入れた。
 ネルソンさんのブックレットを通じて、時代の話、旅の話、さまざまな話をかわすうちに、黒川さんが、かつて、日本福祉大学で教鞭を執っていた英語の先生だったことも知った。日福大が、現在の知多半島に移転する前、まだ、名古屋市内の八事にあった頃のことである。70年代の八事付近を歩いているような思いにとらわれ、なつかしさがふつふつと湧いた。70年安保の年、私は、日福大のすぐ隣、急な坂道を登った先にある南山大の門をくぐり、来る日も来る日も、英語を習う身となった。そのうち、授業をさぼることを覚え、アルバイトや部活、自治会活動へと傾斜していったのは、入学後、数ヶ月が経ってのこと。日福大との交流も時折あり、ひょっとすると、黒川教授とどこかですれ違うこともあったのかもしれなかった。
 お体の具合も優れないのに、黒川ご夫妻のおもてなしを受けて、話を弾ませた私たちが、座を辞そうとすると、「ちょうどできたところだから」と、「世界ふたり旅」という御本を取り出された。お二人で旅をされた旅行エッセイで、美しい色合いの絵が添えられた、心優しい本だった。英語を通して、世界を見る、黒川さんの澄んだ目が、そこに映されていた。
 本の見返し部分に黒川さんは、「We have hopes And dreams 黒川泰男」と書いてくださった。

 先日、黒川とし子さんから、封書をいただいた。本の代金に添えられた手紙には、こう書かれていた。
「突然失礼いたします。こちらは、昨年7月1日に本をお預かりした黒川泰男の妻でございます。夫は、昨年8月末日に死亡いたしました。おいでくださった時は、病気で1時退院をしたばかりの時でした。(略)夫は、見舞客や知人に、また死亡の1ヶ月前に車椅子で参加した夏の新英語教育研究会にも本を持って行って買ってもらうよう頼んでおりました。(略)」
 這うようにして玄関まで出てこられた黒川さんの姿が浮かび、自ら事務局に注文をして最期まで、私たちの刊行した本を手に、命を刻んでおられたことに胸を突かれる思いがした。

 We have hopes And dreams 

桃の節句

2007-03-03 02:12:42 | Weblog
 子どものころ、我が家のひな壇には、ひな人形が一人もいませんでした。
 母の話によれば、戦争中に、大切なものはみんな、防空壕に避難させたそうです。戦後、取り出してみると、おひな様は、壕の中でぼろぼろになって土にとけていたのだと。木製のたんす、長持ちの類だけが、とけもせず、焼けもせず残っていたのだそうです。
 「ほんとに惜しかったねぇ。おばあちゃんが買ってくれた物やったのにねぇ」
 母は、残念そうでした。
 それっきり、ひな人形を買う経済的ゆとりもなく、それでも、毎年3月3日になると、こどもたちがつくった、折り紙のおひな様や、家中のこけしやぬいぐるみたちを、煤けたようなたんす、長持ちといっしょに飾りました。
 我が家のひな壇は、一風変わっていましたが、一堂に会した人形達のハレの日のようで、こども心にちょっぴりうれしかったことを覚えています。
桃の節句がくると、母が、買ってくれた木目込み人形を飾りながら、昔、我が家であった人形達の饗宴を思い出すのです。
 今年はすこしふざけて、段をしつらえないで、無礼講で飾ってみました。なにやら騒がしそうな人形たちです。
 
 ところで、毎年、人形を片付けるときに、前後の日付の新聞を入れます。
 
 今年の3月3日付朝日新聞は、「安倍首相 改憲国民投票法を最優先」「(憲法)改正手続きを定めるのは、まさに国会議員としての責任を果たすことではないか。60年間放置されてきた責任をしっかりと果たしていかなければならない」

 首相は1日の衆院予算委で、こう力説した。自民党に憲法記念日までに国民投票法案を成立させるよう指示した首相にとって、政府予算の早期成立は至上命題。2日の予算委で予算案の採決を強行したのも、国民投票法案の審議日程を確保するためだった」
 
 ここ20年で、最もきな臭い内容。