かつこのテラス

日々の思い、時には物語を綴ります!

ぼろぼろにされても 継ぎをあてて

2007-01-30 20:52:32 | Weblog
 母が所蔵していた憲法普及会の「新しい憲法 明るい生活」について書き込みをした日、「かつこのテラス」にコメントをいただきました。
 「日本国憲法が公布された当時の出来事を見聞きする度に、私は自由で新鮮な空気を呼吸した様な、明るい気持ちになります。日本国憲法は、常に最先端の、かけがえのない世界の宝だと、思いますよ(^_^)」
 うれしい反響でした。
 たんすの隅に長い間眠っていた冊子です。ぼろぼろになって、裏表紙には、紙で継ぎがあたっています。母は、なんでもぼろぼろになるまで、継ぎをあてて使うのが常でした。子供の頃、4人兄弟の末っ子だった私は、教科書も、洋服もなにもかもお下がりでした。教科書は、クラスのみんなと少しばかり違っていました。使い古しでぼろぼろ、改訂版ではなく、旧版。でも、便利なのは、姉の書き込みがあったことでした。大事なポイントやこたえがわかるのです。
 洋服は、お正月の登校日に着ていけるように、年末に1度だけ新調してもらえました。中学の制服は、2年の時から肘に継ぎがあたっていて、そんな子はクラスに一人だけでした。すこし恥ずかしかった。ゆかたは、孫たちのおしめ、敷布に、そのあと、雑巾に。見たことのある柄の布が、見事に変身していくのです。
 ぼろぼろになるまで継ぎをあてて使う母によって、戦後の冊子がよみがえりました。今準備中のブックレット「こんどの騙しはてごわいぞ」の巻末(奥付上段)に、普及会会長の芦田均氏の「新しい憲法 明るい生活・発刊のことば」を収録しました。ぼろぼろになっても、時の施政者によってぼろぼろにされても、母のように継ぎをあてて大切にしたいことばです。

優れものの芸術家でなくても・・・

2007-01-29 21:02:51 | Weblog
 KMPの親分 安斎育郎先生の講演で心に留まったこと。
「1937年、日本は中国との全面戦争に突入して行きました。その年の12月13日に、南京虐殺事件が起こったわけです。あの戦争の開始と共に日本政府は、画家たちを戦争画家として指定したわけですね。
 藤田嗣治とか、横山大観とか、宮本三郎、小磯良平とか名だたる画家たちが、戦争画家として、戦争画を描くようになったんですね。いずれも優れた画家です。優れた画家だからこそ戦争に使われたわけです。優れない画家が描いた絵なんていうのは、だれも感動しないので、戦争に人びとを追いやる点で無力ですけれども、優れものほど戦争に使われるわけですね。これは、科学者だけではなくて、芸術家も同じことです。
 1942年アメリカが、マンハッタンプロジェクトっていう原爆製造計画をスタートさせたときに、アメリカ中の最も優れた科学者、技術者が何千何万と動員されて、大量破壊兵器開発にいそしんだのと同じように、 日本では、優れた画家たちが戦争画を描いた。藤田嗣治って人は、日本画の技法をひっさげてフランスに渡り、エコールドパリ派っていうのを作り、あの金のような肌を描く画家として一躍有名になった。戦争中日本に帰ってきて、戦争画を描くことを政府から求められて、彼は、名だたる戦争の名画を描いたわけですね。「アッツ島玉砕」なんていう絵も描きましたが、展覧会で人びとを感動させたわけです」
 ピカソの《ゲルニカ》が、無差別空爆に対する抗議であったのとは対照的だ。科学者、芸術家、学者、宗教者などが、国家の始めた戦争に巻き込まれるだけではなく、からめとられ、先端技術を開発提供したり、鼓舞先導する重要な役割を担わされてきたという歴史が、世界のあちこちにある。「優れものの芸術家」っていうわけではないけれど、厳しい状況下において、どんな姿勢が示せるかは、自分自身に問いなおしていたいと思う。


こんな政治のもとで、小さな会社は喘いでいます

2007-01-26 00:11:55 | Weblog
 「お話があるんです」応接室の隅で、待ち受けていたのは、下請け会社の社長だった。インク汚れで黒ずんだ爪を膝の上にくんで、うなだれている。額に垂れた前髪が、いつもより白く見えた。
 「不渡りを掴まされました。集金に行ってみたら、もぬけの殻でした。資金繰りに頑張ってみましたが、手持ち0円になってしまいました。手前勝手なお願いだと、じゅうじゅう承知はしているのですが・・・2月10日分をいくらかでも前倒ししてお支払いいただけないでしょうか?」
聞けば、昨年1件のお客さんが廃業して、新しいお客さんをと思っていたちょうどそのとき、同業者からの紹介があった。「現金払いが厳しいので、手形で」と頼まれたときも「困っているときはお互い様」と、疑うこともなかった。こうしてつきあいを始め、順調に今まで来ていたという。
 翌日、経理部長を通じて社長決裁が即断で降り、経理の女性が、すぐに銀行へ足を運んだ。その旨を当の社長に伝えると、安堵の表情を浮かべて深々と頭を下げた。「助かりました。こんなことになって何を信じていいのやら、人間不信になってしまいました。でも、こうやって助けてくれる人もいるのだと思うと、救われた気持ちです。」
 廃業、倒産、失業、統廃合、数年前から身近なところでたくさん見聞きするできごと。景気回復、景気上向きなど、騙しのテクニック。大企業の大きな数字が、私たちの暮らしの本当の姿を見えにくくしている。
 「こんなときに何ですが、今度の土曜日、安斎育郎先生の講演会があります。いっしょにお聞きになりませんか。きっと元気になりますよ」とお誘いしてみた。テーマは「こんどの騙しはてごわいぞ-『憲法を守る』から『憲法で守る』へ」。「資金繰りが落ち着いていたら、寄せてもらいます。落ち込んでいましたが、救われました。また、頑張ります」

 

今年は、第4回国際極年

2007-01-23 23:54:42 | Weblog
 マイナス40度、極寒の南極。皇帝ペンギンが、100キロ以上の道のりを何週間もかけて繁殖コロニーまで歩く。風速160キロの嵐のなかで、卵は、父親が温める。3ヶ月間何も食べずに・・・。母親は、海に戻って餌をお腹にいっぱい貯め、再び繁殖コロニーへ。父の懐で孵った子供と初めて対面する。子どもは、父親から母親の懐へ移される。
 元朝日新聞記者の柴田鉄治さんは、1965年から66年にかけて、ジャーナリストとして南極越冬観測隊に同行した。30歳の取材体験が、新聞記者生活で最も感動した現場だったという。柴田さんは、大自然に感動し、各国が協力している姿、そして「南極条約」に心を打たれる。
 「南極条約」は、1959年制定、1961年に発効した条約で、「軍事利用の禁止」「国際協力」「領土権の凍結」「核物質放射性廃棄物処理禁止」を取り決めている。南極から地球を眺めれば、そこには「国境を超えた視点―未来像」が浮かび上がる。「国益優先に地球の未来はない。これからの世は愛国心じゃダメ。愛地球心を育てよう」「次代を担う若い人たちに、そのことを伝えるために、私は『語り部』になります」70歳を迎えた柴田さんは、再び南極を訪れた。
 「南極条約に憲法9条をみた」という柴田さんは、「地球環境と平和」という2つの視点で南極を伝える。資料として添えられた地図も、地球儀を逆さにしたような、南極を中心に据えたもので面白い。(柴田鉄治講演「南極条約を知っていますか?」日本機関紙協会京滋地本主催1/21 in京都 このあと語り部は、京都市伏見区の9条の会へ)

大切に保存されていた冊子

2007-01-14 00:50:07 | Weblog
 母がとりだした「歴史の玉手箱」のなかのひとつ。仕上がりの大きさはハガキ大、黄ばんだ孔版用紙に活版印刷30頁だて、表紙には「憲法普及會編/新しい憲法 明るい生活-大切に保存して多くの人人で回読して下さい」とある。昭和22年5月3日の発行で、普及會会長の芦田均(のちの総理大臣)が発刊のことばを寄せ、さらに本文には、新憲法をわかりやすく解説している。
 「私たち日本國民はもう二度と再び戦争をしないと誓った。(第9条)これは新憲法の最も大きな特色であつて、これほどはつきり平和主義を明かにした憲法は世界にもその例がない」と胸を張って宣言している。「私たちは戦争のない、ほんとうに平和な世界をつくりたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、全くはだか身となつて平和を守ることを世界に向つて約束したのである。・・・戦争のない世界をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう・・・」この冊子は、各家庭に配布され、2000万部が印刷されたという。
 60年後の2007年、安倍政権は、今国会会期内に「憲法改正手続き法案」を通すことを宣言している。60年を経てすっかり黄ばんだ冊子だが、中味は決して黄ばんでいない。改めて、この言葉をかみしめたい。「戦争のない世界をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう」

届かない年賀状

2007-01-08 23:54:48 | Weblog
 元日からぽろぽろとしか届かない年賀状に、実家の母が首をかしげる。「いつもは一日にどっさり届くはずなのに」。2日に届いた年賀状は、たった7通。内2通は、それぞれ違う宛名の誤配だった。まがった腰で歩くのがつらい母に代わって、姉がまたポストへ投函した。
 編集長の出したK9MPの年賀状。「確かに出した」はずの我が家には、未だに届かない。かわりに郵便局からは一通の年賀状が届いた。「今年は郵政事業が、民営化という新たな船出をする年です。・・・サービス向上に一層の努力を・・・」遅配・誤配・サービス向上・・・?
 準備中のブックレット№6「今度の騙しはてごわいぞ」の校正ゲラは、「黒い猫」がくわえてきた。1月3日発送、4日着。「生き残り」のためのローコスト・短納期・サービス向上!!
 

 見えない配達夫   茨木のり子
三月 桃の花はひらき
五月 藤の花々はいっせいに乱れ
九月 葡萄の棚に葡萄は重く
十一月 青い蜜柑は熟れはじめる

地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとに
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には

えんどうの花の咲くときや
どんぐりの実の落ちるときが
北と南で少しずつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった 

三月 雛のあられを切り
五月 メーデーのうた巷にながれ
九月 稲と台風とをやぶにらみ
十一月 あまたの若者があまたの娘と盃をかわす

地の上にも国籍不明の郵便局があって
見えない配達夫がとても律儀に走っている
かれらは伝える ひとびとへ
逝きやすい時代のこころを

世界中の窓まどに 世界中の扉とびらに
すべての民族の朝と夜とに
どっさりの暗示 どっさりの警告
かれらもまごつく 大戦の後や荒廃の地では

ルネッサンスの花咲くときや
革命の実みのるときが
北と南で少しずつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない

未知の年があける朝
じっとまぶたをあわせると
虚無を肥料に咲き出ようとする
人間たちの花々もあった   

 
 茨木のり子さんの詩「見えない配達夫」は1958年11月刊行。季節のこころ、どっさりの暗示や警告を届けるのは、少しまぬけだったり、へまだったり、律儀だったりする配達夫。50年の時を経巡り、季節のずれは少しばかりでなく、へまな人はこっぴどく叱られ、律儀な人は、きりきり舞いをして働いているに違いない。職にあぶれた人が巷にあふれ、人減らしのなかでの、ローコスト・短納期・サービス向上。50年の時を経巡り、未知の年があけた2007年、人間たちの花々は、何を肥料に咲き出でようか。

ゆりかもめに会いに

2007-01-06 20:14:31 | Weblog
 鴨川べりの道は、たくさんのひとびとが行き交う。鳥も集う。
 北風にさらされて鼻を赤くした娘。走りすぎるジョギングの群れ。鳥と見まごうほどに高く、小さく飛び交う凧。糸の端を持つのは、父親らしき人と子供たち。
そこここの土手から、パンくずを放り投げる人々。ベンチにすわってひとりきりで、親子で・・・。鳥たちが群がる。鳩は足元に、鴨は水辺に寄り集まってパンくずを競い合う。緑のビロード頭で、大きな鴨がボスのようだ。「オレ様より先に食うなっ!」とばかり、あたりを蹴散らして、我が物顔だ。
 このボスも、滑空キャッチのうまいユリカモメには勝てない。ときには人と同じ高さに、ユリカモメの目がある。
 午後の3時半を回る頃、ユリカモメは、川の中ほどで、整列し始めた。一斉に川上を向く。
 「きっと体内時計が正確なのね。比叡山を越えて、琵琶湖に行くの。毎日決まった時間、朝は10時ごろやってきて、夕方4時ごろ・・かわいいから、自転車でおいかけるんよ」と、自転車を留めておばさんが語りかける。鴨川は餌場、琵琶湖は安全なねぐら。
 一羽が飛び立つと、つぎつぎに、そして一斉に追いかける。輪をかいて、上空で仲間を待つ。仲間が集うと、上昇気流にのってどんどん小さな粒になっていく。餌に目がくらんで、のり遅れた数羽も、またひとつの部隊になって飛び立っていく。
 年末年始の、長いようで少しも長くない休暇。最後の日は娘たちとユリカモメに会いに行った。ゆるやかな時間を得て、私たちも体内時計を取り戻したいけれど・・・・。

平和は、掴み取るもの

2007-01-05 23:33:30 | Weblog
 年明けは、勤務先の休みを利用して、ひとり暮らしの母を訪ねた。
 88歳の母は、曲がった腰のありったけをのばして、箪笥の奥から箱を取り出した。それは、昭和初期から20年代の、我が家の歴史を刻む書類が詰まった箱だった。丹念に開いていくと、中に「戦時国債」と書かれた薄っぺらな束があった。戦争中、挙国一致の名の下に、貧しい庶民が強制的に買わされ、戦後、只の紙切れと化した国債だという。
 もう一つ目にとまったのが、戦後まもなく憲法普及会が刊行した冊子。新しい憲法に謳われた平和条項がいかにすばらしいか、その喜びが表されたものだった。
 明けて我が家に戻る。2007年1月4日付新聞、トップ見出しが「日米、有事計画を具体化」。防衛庁が9日付で「省」に。さらには、安倍首相は、今通常国会で、憲法改正のための「国民投票法案」を通す目論見。
 戦争で国内外の多くの犠牲を生み、喜びとともに迎えられた憲法が、今危険にさらされている。軍備増強、戦争への足音がひたひたと忍び寄っている。