伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

わが青春の味

2009年10月30日 | エッセー

 わたしは人後に落ちぬ新しもの好きで、かつ人並み以上に食い意地が張っている。したがって、新食品にはすぐに飛びつく。
 カップ麺の時もそうだった。38年も前になる。発売日を待ち兼ねるようにして手に入れ、電気ポット一つきりの3畳一間の下宿で、胸の高鳴りを抑えつつ厳かに喰らいついた。湯を注ぐだけ。待つのは、たった3分。具材はすべて入っている。なんと便利な。今様の文明開化か、わが国における文化大革命か。はたまた宇宙飛行士にでもなったような、あの時の感動はいまでも鮮明だ。(やはり、食い意地のせいか?)

 日清カップヌードルは、わが青春の味だ!

 だれが、なんといおうと …… 。水団が戦争を体験した世代に特別な感慨を呼ぶように、それぞれの世代には、分かち難い味覚がある。買い物に出かけると、ついカップヌードルに目が行き手が出る。荊妻が怒(イカ)る。だが体にいいの悪いのとは、あまりにも無粋な非文化的決めつけではないか。こちらは単に食品を喰らうのではない。カップヌードルという名の文化を、ひたすら味わっているのだ。わが青春を、しみじみと噛みしめようというのだ。精神の栄養補給である。第一、車が恐くて街が歩けるか、防腐剤が怖くてコンビニの弁当が食えるか …… と、自らを励ます今日このごろである。
 
 10月29日、いつもはさっと読み飛ばす新聞の経済面で、小さな記事に目が止まった。「カップヌードル」の文字に引かれたのだ。(やはり、食い意地のせいか?)
〓〓改良カップヌードルなど好調、日清食品が増収増益 
 日清食品ホールディングスの09年9月中間連結決算は、「カップヌードル」など主力商品の刷新が販売増につながり、純利益は前年同期比82.2%増の104億円だった。売上高は同2.4%増の1785億円、本業のもうけを示す営業利益は同7.5%増の123億円だった。
 「カップヌードル」や「どん兵衛」の具材やめんを改良。退職給付費用の増加分を売り上げ増で吸収した。低価格志向には、オープン価格の商品や小売りとの共同開発品を拡充することで自社ブランド商品の値崩れを防いだ。〓〓(朝日新聞)
 インスタントラーメンの開発が、55年。それから16年経った71年にカップラーメンが登場。袋入りからカップ麺へと主流は代わったが、いまや「インスタントラーメン」という堂々たるカテゴリーを成すに至っている。また「地ラーメン」のカップ化や、限りない本物指向など進化は止まぬ。その中で、オールインワンのカップヌードルも日進月歩だ。
 忘れてならぬのはCMだ。各社のカップ麺はつねにCM界の先導役でありつづける。古い記憶は失せたが、近ごろでは日清カップヌードルの「Are you Hungry?」シリーズ。時代を逆撫でする機知に富んでいた。「宇宙船」シリーズもかつての名画と同じ曲をバックに流し、味な演出だった。最近では、キムタクの「コロ・チャーマーチ篇」「ダンス篇」があか抜けしていて、シャレが効いて、出色の出来だ。
 さらに、さらに、「カップスター」のCMソング。これを書き忘れては天罰を受ける。
                                              
  〽カップスター 
   食べたその日から
   味のとりこに とりこになりました
      サッポロ一番 カップスター〽

 何代目かは判らぬが、99年に拓郎もアレンジして歌った。ベースのイントロは非常に印象的だった。詞は古風だが、歌は耳朶に残って離れない。いわば、「オペラ歌手の鼻歌」だ。 ―― 誰だかは失念したが、三島由紀夫の「潮騒」をこのように評した文人がいた ―― 鼻歌ではあっても、力量が違う、格が違う。

 さて、記事について。「退職給付費用の増加分を売り上げ増で吸収」とは喜ばしい。日本の企業にはまだまだ知恵と工夫が残っている。捨てたもんじゃない。「進歩するわが青春の味」と括ればなお嬉しい。

 わたしの場合、青春の味はいたって即物的だ。呻吟の塩っ辛さも、やるせない甘味(アマミ)も、蹉跌のほろ苦さも、すべてあの掌(テノヒラ)大のカップに閉じ込められて日常の彼此(オチコチ)にある。呼び起こすには熱湯だけあればいい。 □


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