酢豆腐が不得要領にまとめるより、新聞をそのまま読んだ方が正確だ。
〓〓超光速、本当か 「光より速いニュートリノ」 専門家慎重
光より速いニュートリノの発見が事実ならば、特殊相対性理論の前提を否定する「世紀の大発見」になる。だが、多くの専門家は「ひとつの実験結果だけでは信じられない」と慎重な見方を示している。
研究グループに参加する名古屋大教養教育院の小松雅宏准教授(素粒子物理学)は「研究グループで厳密に分析を重ね、内部でやれることはやり尽くしたうえ出した結論だ」と話す。
今回の発見について、欧米メディアも速報した。「確認されれば、革命的な発見」「衝撃的。我々にとっては、大問題になる」「物理学者は新たな理論を構築する必要に迫られるだろう」と世界中の物理学者らの驚きの大きさを紹介。だが、いずれも「もし、本当なら」との条件つきだ。
アインシュタインの理論では、光速を超える物体は「虚数の質量」を持つことになり、その上では時計が未来から過去へと普通とは逆に進む。結果から原因が生まれることになり、「不可能」とされる未来から過去へ旅するタイムマシンの基礎となる。
ただし、懐疑的な見方も多い。長島順清・大阪大名誉教授(素粒子物理学・高エネルギー物理学)は「過去100年にわたって何の矛盾もなく、あらゆる分野で証明されてきた定説が、たった一つの実験で否定されても誰も信用しない」。これまでも相対性理論に反する「光速を超えたのではないか」との報告はあった。しかし、よく調べるといずれもそうではなかった。長島さんは「別の実験法で複数の機関が追試することが必要」と指摘する。
今回の実験については、研究チーム内でも正否への意見が分かれ、論文に名前を連ねることを辞退したメンバーがいる。丹羽公雄名古屋大名誉教授もその一人。「実験そのものの精度は確かだが、ニュートリノの速度を決めるのに必要な飛行距離と飛行時間の基準を全地球測位システム(GPS)に頼っている。GPSの精度が、このような精密測定実験に堪えうるのか検証が必要」と話した。
■科学者たちは公開討論を
現代物理学の根幹を揺さぶるような実験結果が出た。物質が光より速く飛んだというのである。科学界には懐疑論が根強いが、素粒子探究の世界拠点の一つが発信した公式発表なので議論が広がるのは必至だ。
20世紀に確立した物理学の2本柱は、相対論と量子論だ。アインシュタインが1905年にまとめた特殊相対性理論は、光速を超えるものはないことを土台に組み立てられている。
これは「原因があって結果がある」という日常の常識(因果律)を支えるおきてであり、それを破るという想定でタイムマシンSFの着想が生まれたりしている。
今回は、ニュートリノという素粒子が、わずかながら、このおきてを破ったというのだ。実験チームが、データの精度に自信を示しながら「拙速に結論を出したり物理的な解釈を試みたりするには潜在的な影響が大きすぎる」として、意味づけに踏み込まないのも、そうした事情があろう。
物理学者たちの間には疑問の声が多い。
著書「宇宙は何でできているのか」で有名な村山斉・東大数物連携宇宙研究機構長(素粒子論)は、その根拠にノーベル賞受賞者の小柴昌俊さんら日米チームが1987年に見つけた超新星ニュートリノの例を挙げる。16万光年離れた天体の爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時期に地球に届いたが、今回の速さならニュートリノの方が数年早く飛来する理屈になるという。「見落とした実験誤差があるように思う。本当なら、超新星ニュートリノとの違いをエネルギーの差などで説明する複雑な理論をつくらなくてはならない」
この研究が注目を集める背景には、近年の物理学が常識を超えた世界像を描きつつあることもある。その一つが、私たちが実感する4次元時空の陰に、縮こまって見えない余分な次元(余剰次元)があるのではないかという理論だ。
今回も、一つの可能性として、おきて破りのニュートリノが余剰次元という近道を通り抜けたのではないか、という見方が出ているようだ。だが、佐藤勝彦・自然科学研究機構長(宇宙論)は「余剰次元にはみ出るのは、あるとしても重力を伝える粒子くらいだろう」とみる。
前向きにとらえてもよいと思うのは、疑問沸騰の結果を実験チームがあえて解釈を控えつつ世に問うたことだ。科学実験には、いつも想定外の落とし穴がつきものだ。その実験の吟味も含めて、科学者たちの公開討論をみてみたい。〓〓(9月26日付朝日新聞)
ヴァチカンがガリレオ裁判を撤回したのは、なんと1992年。ローマ法王ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのは2008年12月。ついこないだのことだ。実に370年を越える。もちろん宗旨がらみではあるが、それほどに定説は崩れがたい。
まずは真偽だ。実験したスイスの欧州合同原子核研究機関(CERN)は、10億分の2秒という超高精度で測定したそうだ。それでも、「最後にどうしても(光との飛行時間の差である)1億分の6秒が残ってしまった」と先述の小松准教授は言う。「しまった」に戸惑いが込められていて、微笑ましくもある。だが、「科学実験には、いつも想定外の落とし穴がつきもの」らしい。もしそうなら、“世紀の空振り”かもしれず、“世紀の賑やかし”で終わるかもしれない。
真(超光速)ならば、「世紀の大発見」、「革命的な発見」であり「虚数の質量」が存在することになり、「過去へ旅するタイムマシン」も夢ではなくなる。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場する“デロリアン”も荒唐無稽どころか、俄然真実味を帯びてくる。
偽(光速以下)ではあるが観測結果が正である場合はどうか。「4次元時空の陰に、縮こまって見えない余分な次元(余剰次元)」があるとすれば、辻褄は合う。いわば宇宙のショートカットだ。これも興味津々だ。「常識を超えた世界像」に胸が躍る。
いずれにせよ、実験が正確であったかどうかが画竜点睛である。
もうひとつのイシューは、この研究グループの対応だ。
CERNの所長は、「驚くべき観測がなされ、その説明がつかないとき、科学の倫理が求めるものは、精査を進め、第三者の実験を促すために結果を幅広く公開することだ」と語った。実験結果を解釈せず、他の検証を促すという態度である。どういう意味かは解りません、どうぞお試しあれ、だ。腰が引けているようだが、事が事だけに納得はいく。しかも、実験はもともと別の目的だった。だから、瓢箪から駒でもある。朝日が「実験の吟味も含めて、科学者たちの公開討論を」と呼びかけるのももっともではないか。甲論乙駁、大いに結構。ガリレオの時代とは違う。裁判沙汰になることはない。
まあ突き放していえば、事の真偽は学問の世界ではどうあれ市井の活計(タズキ)になんの利も害もない。フクシマが収まるわけでも、カーナビが効かなくなるわけでもない。近い将来に、タイムトラベルが叶うのでもない。なんにも変わりはしない。しかし人生意を得ば須く歓を尽くすべしの心掛けさえあれば、おつむは変わる。世界がおもしろく見えてくるはずだ。おつむが変わらないのは、おむつをしているのも同然だ。
科学の世界が文字通りの「管を以て天を窺う」営為だとすると、人類史には何度か天を覆った瞬間があった。コペルニクスがそうであったし、ニュートンも、アインシュタインもその陣列に連なる。肝心なのはその僥倖に立ち会えるかどうか。これはわが身の運命に属する最難事だ。
ともあれ“世紀の空振り”であろうとも、イグノーベル賞には間違いなく値する。なぜなら同賞は人びとを楽しませ、時には笑わせ、更には考え込ませる研究に対して授与されるものだからだ。はたまた盲亀の浮木か、千載一遇の僥倖に巡り合って「世紀の大発見」ならば、ここでこうしてはいられない! どうするか?
さて、どうしよう? □