伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

やっと掻けた!

2013年03月30日 | エッセー

 10年10月の本ブログ「あー、そこの君はどう考える?」から一部を引いてみる。
〓【教授】それぞれ、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓の臓器移植を待つ5人の患者がいるとしよう。移植以外に生き延びる術はない。君は医者だとしよう。困った。と、隣の部屋で五体満足な男が居眠りをしている。さて、どうする?(場内、笑い) 彼から5つの臓器を取り出して移植するかい? そうすれば、1人の命と引き換えに5人の命を救うことができる。賛成する人は? 
 うーん、ほとんどいない。みんな反対なんだね。先程の質問、ブレーキの効かなくなった電車が工事をしている5人の所へ突進しようとしている。知らせる方法はまったくない。だが、手前に別の引き込み線がある。そこに入ることはできる。しかし、そこでも1人が工事をしている。君が運転手だとしたら、どちらにハンドルを切る? これには、賛否が分かれた。でも今度は反対する。2つの質問は、どこが違うのだろうか? 
 ほかに意見のある人は? あー、そこの君。どうだ? 
【学生】ぼくは、5人の患者のうち1人が死んだら、その患者の残る4つの臓器を移植して4人を助けることができると考えます。
【教授】なるほど! 実にすばらしい考えだ。 …… ただし、1つだけ難点がある。君の意見が、私の哲学的な質問を台なしにしたことだ。(場内、哄笑)
 この調子で授業が進む。教授とは、もちろんマイケル・サンデル=ハーバード大学教授。「白熱教室」(東大安田講堂で)の一齣だ。〓

 『白熱』に火照りながらも、後半部分で抗ってもみた。以下、抜粋。

〓流暢な英語での受け応えは、さすが東大生であった(一部は日本語)。かつ、堂々としている。レスポンスも速い。しかし、内容に若干の未消化が残る。
 前半の設問については、「正義」が舶来の概念である点が不問にされている。司馬遼太郎を引こう。
◇裏切りと寝返りというのは、キリスト教国に育ったひとびとが日本史を理解する上で、解釈にくるしむところであるらしい。ただ歴史の上からみれば、裏切りや寝返りという行為は、対決が激化するとき、一種の生態的な調整作用に似た働きをして、流血の量をよりすくなくした、ともいえなくもない。◇( 「街道をゆく」18 越前の諸道 から)
 西洋でいう“不正義”が、「一種の生態的な調整作用に似た働きをして、流血の量をよりすくなくした」という価値観が存在しうること。これは、次元の異なる観点の提示となる。
 また、宋学、儒教における五常の「義」 ―― 欲望を追求する「利」との対立概念 ―― から「収入の格差自体は不公正」か否かを捉えてはどうか。そこから東西思想の比較へと思索は深まるかもしれない。あるいは、
◇世間と思想は補完的だ。世間の役割が大きくなるほど、思想の役割は小さくなる。私は、「反対語」という、ありきたりの概念はよくないと思う。基本的な語彙で、一見反対の意味を持つものは、じつは補完的なのである。異なる社会では、世間と思想の役割の大きさもそれぞれ異なる。世間が大きく、思想が小さいのが日本である。逆に偉大な思想が生まれる社会は、日本に比べて、よくいえば「世間の役割が小さい」、悪くいえば「世間の出来が悪い」のである。「自由、平等、博愛」などと大声でいわなければならないのは、そういうものが「その世間の日常になかった」からに決まっているではないか。それを「欧米には立派な思想があるが、日本にはない」と思うのは勝手だが、おかげで自虐的になってしまうのである。◇(養老孟司 著「無思想の発見」から)
 との炯眼を踏まえれば、より本質的な意味で「わたしの哲学的な質問を台なしに」する応じ方があったのではないか。
 せっかくの東洋世界での講義である。サンデル教授の土俵をひっくり返すとまではいかなくとも、大揺れに揺するぐらいの対応、ないしは反抗を期待したのだが …… 。断っておくが、講義のテーマは事前に判っていたのだし、ハーバードでの教室はつとに有名なのだから準備はできたはずだ。〓

 あれから2年半。「わたしの哲学的な質問を台なしに」どころか、根刮ぎにする言説に出会った。内田 樹氏だ。それは、岡田斗司夫氏との対談集「評価と贈与の経済学」(徳間書店、本年2月刊)の中であった。(以下、同書から)


内田:真の勝者は誰か? よく聞かれるんです。「危機的状況を乗り越えるために正しい選択をするにはどういう能力がいるんでしょう?」とか。でも実は、そんな問いをしている時点でもう手遅れなんですよ。AかBのどちらかを選んだら生き残る、どちらかを選んだら死の、というような切羽詰まった「究極の選択」状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが「こっちに行かないほうがいいよ」というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。「前門の虎、後門の狼」という前にも進めず、後ろにも下がれずという状況に自分自身を追い込んだのは誰でもない本人なんだよ。
岡田:ぼくも講演会で「どうやれば決断力が身につきますか」って聞かれたときに、 「決断を迫られてるのはもう負け戦だから」って答えています(笑)。
内田:ほんとにそのとおり! 正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷり負けが込んでいるの。
 サンデル教授に「こっちを選ぶと五人死んで、こっちを選ぶと一人死ぬ、さあ、どちらを選びますか?」っていう問題があったけれど、そういう決断をするように追い込まれるってことは「間違った決断」を連続的に下し続けてきたことの結果なんだよ。それは「問題」じゃなくて、「答え」なの。そんな決断しかねる窮地に直面するはるか手前で、そういう羽目に陥らないようにするために、何をしたらいいのかを考えなくちゃ。「いざ有事のときにあなたはどう適切にふるまいますか?」という問題と、「有事が起こらないようにするためにはどうしますか?」という問題は、次元の違う話なんです。
岡田:自分の二人の子どもが溺れてしまった。男の子と女の子どっちを助ける? そんなことになるなら湖に行くなって(笑)。
内田:たぶんアメリカ人には危機的な状況を「予防」するっていう発想が乏しいんだと思う。国民文化として。「すでにトラブルが起きた」というところから話がはじまる。では、こういうときにどういうふうにふるまうのが適切でしょうか、というケーススタディは実に熱心に行うし、そういうときの反射速度はめちゃめちゃ速い。でも、そもそも「どうすればトラブルが起こらないようにできるか」ということには知恵を使わない。例えばWTCのテロのあと、アメリカは手際よく軍事的なリベンジを果たしたわけだけれど、そんなことに手間暇をかけるくらいなら、どうして「アルカイダをテロにまで追いつめないためにはどうすればいいか」について知恵を惜しんだのか。そっちのほうが予算的にも何万分の一で済む話でしょ。いつも強気で相手を責め立てて、窮鼠猫を噛むところまで追い込んで、反撃されると危機的状況に巧みに対応できる反射神経を誇る。これってもう「アメリカの病気」なんだと思う。銃もそうでしょ。「誰かが銃で脅してきたらどうする」からはじまるわけで、人を銃で脅しておのれの欲望を達成しようとするような利己的なマインドはどうすれば抑制できるかということにはまるで手間暇をかけない。


 さすが、というべきか。決してナショナリスティックな意味合いではなく、なんだか一種の爽快感を覚える。やっぱり内田先生のモンだ。合気道の間接技のような決まり具合だ。
──実は、そんな問いをしている時点でもう手遅れ
  「究極の選択」に立ち至った人は、間違った選択をし続けてきた人
  それは「問題」じゃなくて、「答え」
  次元の違う話
  アメリカ人には危機的な状況を「予防」する発想が乏しい──
 どうだろう、この切れ味は。問題ではなくてそれが答えだ、には快哉を叫びたくなる。もちろんサンデル教授の意図は、「究極の選択」を迫ることで哲学的思索に誘(イザナ)うことだ。その手法は斬新で高い評価に値する。しかし「次元の違う話」なのだ。
 どう「違う」のか。内田氏は危機への対処と予防の違いを言っているのだが、穿てばもう一つ違う。想像するに、前記の教授の意図を踏まえると、内田氏のオブジェクションを筋違いあるいは横紙破り、もしくは茶化しだと感じる向きがあるかもしれない。実は、そこだ。
 サンデル教授の主題は「正義」であり、内田氏のそれは「勝負」なのだ。氏の言説に「生き残り」という語句が頻出するのは、何よりの証憑である。少し飛躍すれば、仏典に登場する「毒矢の喩え」(毒の成分を知ることより、先ず矢を抜け)にも通底する。
 教授になくて内田氏にあるもの、それは武道家の感覚、勝負感ではないか。なにより合気道は敵をつくらず、敵を無力化することを目的に掲げる。となれば、教授の設問に対する最も率直で最もふさわしい解は内田氏の言ではないか。だから、上記の「哲学的な質問を台なしにした」学生の回答もあながち捨てたものではない。現場感覚のある、当を得たソリューションといえなくもない。むしろ類型的には現に実行されているのではないか。だから、そのまま往(イ)なしたのは残念だった。うまくいけば、次元の違いが明らかになったかもしれない。ただし、教室は白熱どころか鼻「白」んだであろうが……。 
 2年半の隔靴を終えて、やっと直に掻痒できた。 □


型ということ 2/2

2013年03月29日 | エッセー

 もう一人、忘れてならない人がいる。小林秀雄だ。別けても「当麻」だ。十重二十重(トエハタエ)に智慧で鎧われた極上のエッセーである。今回のテーマに沿うと、間狂言(アイキョウゲン)の段落がくっきりと泛かんでくる。

◇間狂言になり、場内はざわめてゐた。どうして、みんなあんな奇怪な顔に見入つてゐたのだらう。念の入つたひねくれた工夫。併し、あの強い何とも言えぬ印象を疑ふわけにはいかぬ、化かされてゐたとは思へぬ。何故眼が離せなかつたのだらう。この場内には、ずゐぶん顔が集まつてゐるが、目が離せない様な面白い顔が、一つもなささうではないか。どれもこれも何といふ不安定な退屈な表情だらう。さう考へてゐる自分にしたところが、今どんな馬鹿々々しい顔を人前に曝してゐるか、僕の知った事でないとすれば、自分の顔に責任が持てる様な者は一人もゐない事になる。而も、お互いに相手の表情なぞ読み合つては得々としてゐる。滑稽な果無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだらう。さう古い事ではあるまい。現に眼の前の舞台は、着物を着る以上お面も被つた方がよいといふ、さういう人生がつい先だつてまで厳存してゐた事を語つてゐる。
 仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかもしらず、近代文明といふものは駆け出したらしい。◇(「当麻」から引用)

 能面の「奇怪な顔」から受けた「強い何とも言えぬ印象」。比するに、場内に集う「ずゐぶん」な顔には「目が離せない様な面白い顔」は一つもない。「お互いに相手の表情なぞ読み合つては得々としてゐる。滑稽な果無い話」、「面倒な情無い状態」……。
 戦中に認められたため、穿てばその抗いととれなくはない。だが、──美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。──具体に即せ、抽象を捨てよ、が本題であってみれば、このパラグラフは巧妙で含蓄のある伏線といえる。
 翻って「狂言サイボーグ」に瞠目すべき記述がある。(◇部分は抜粋)

◇狂言を「素手の芸」と呼ぶ人がいる。
 能舞台という一種の裸舞台の上で声と身体のみで演じるからであろう。大きな舞台セット、照明効果、音響効果などはない。メーキャップもしない、神、鬼、動物、魔女、老人以外は面を着けない。素顔で演じるのである。
 狂言で普通の女を演じる時には面を着けず、素顔で演じる。美男蔓と呼ばれる晒状の白い布を顔に巻きつけるだけである。男性のあごや頬の骨格を隠すだけで女性的に変身することができる。狂言とは「素手の芸」であるが、「素顔に素直な芸」でもある。
 我々能・狂言に携わる者は生な演技、即ち日常を引きずった演技を忌み、また生の肉体を曝すことを嫌って来た、が故に装束で身を固め、能に至っては面で顔も覆い尽くす。つまり首と手以外、生身を曝すことなど有り得ないのである。これぞ無機的リアリズム。
 狂言に「目の演技」というものは存在しない。
 そもそも我々の演技は「面をかけている」ことを前提にしている。面をかけていない情況を「直面(ヒタメン)」と呼び、自分の顔も面として扱う。面の目は当然ながら視線が定まっており、それを変える為には面自体の角度を変える必要がある。首の角度も変えるが、主には上体を使って面の角度を変える。◇

 一々の照合をせずとも、「当麻」の引用部分とは見事な対偶をなしている。ネガに対するにポジともいえる。つまり、同じことだ。
 能・狂言は「生の肉体を曝すことを嫌って来た、が故に装束で身を固め、能に至っては面で顔も覆い尽くす。つまり首と手以外、生身を曝すことなど有り得ないのである。これぞ無機的リアリズム」と、萬斎氏はいう。小林は「不安定な退屈な表情」にかまけず、「着物を着る以上お面も被つた方がよい」という。能・狂言は「生の肉体」を嫌って「無機的リアリズム」を追う。「仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかもしらず、近代文明といふものは駆け出したらしい」との小林の糾弾を先取りしたかのようだ。蓋し、「無機的リアリズム」とは言い得て妙だ。これこそ「型」ではないか。
 かつて内田氏は「身体は一般論を語らない」と述べた。その言を逆手にとると、一般に供するためには身体性を封印せねばならぬ。玄奥な表現にとって邪魔な身体性、身体の個性を消すために能は面を用い、狂言は素面の芸で立ち向かう。意外にも、現身(ウツシミ)のリアリズムはぎりぎりに純化された「無機的」な型に依って成就される。「花」の美しさなどという抽象を潔く捨て去り、美しい「花」という具体をそのまま突き付ける。そのための「型」だ。「サイボーグ」とは「無機的リアリズム」の異名であろう。唸るほどに巧みなネーミングだ。
 人との出会いにも似て、良書との偶会には千鈞の重みがある。 □


型ということ 1/2

2013年03月27日 | エッセー

「萬斎さんは“個性”を育てる教育を受けてここまできたのではない。『型』の教育を受けて、世界に通用する、極めて個性的な表現者は誕生した。」

 教育学者・齋藤 孝氏による解説のこの一文に、一冊のすべてが凝縮されている。
 狂言師・野村萬斎といえば「陰陽師」。へえー、本も書くんだと軽く手にしたものの、なんと十分に重みのある中身であった。

  狂言サイボーグ  (文春文庫、本年1月刊)

 文章そのものに能・狂言を彷彿させる無駄なく隙なく、キリリとした風情がある。品のいい清涼感だ。博覧強記、実に好著である。  

 教養とは「知識として暗記したもの」ではなく、「生きていくために身につけるべき機能」のことだといい、
◇狂言師が舞台をつとめるための教養は「型」である。その「型」を個性・経験でアレンジしながら使っていくことで表現になる。これが狂言の一つの道筋である。
 弟子である子供が、声と身体を中心にして親の真似をすることで覚えていく行為は、動物が身を守ったり餌を取ったりすることを、親の真似をしてすべて覚えていくようなものである。子供の教育にとって、個性の尊重が大切だとよく言われるが、教養を身につけていない子供に個性を求めても仕方がないのではないたろうか。私たち狂言師にとっての幼い頃の稽古は、個性の尊重などとは無縁である。◇(◇部分は上掲書より抄録、以下同様)
 と、徹して「型」を重んじる。

◇古典芸能というのは、型やカマエといったデジタルなものを、アナログな人間が動かしているものだと説明できる。人体は一種のハードウエアのようなものだ。知識ではなく身体で「型」や「カマエ」といったソフトウエアを体得させた精巧なコンピュータを持っていれば、実はそれだけ個性を発揮する力にもなる。◇
 「体得」とはさしずめ“インストール”であろうか。好個の例は片方に三つもある座りダコだ(写真も掲載されている)。
◇能楽の面を着けてみれば分かるのだが、足下は見えない。今自分がどこに立っているか、常に不安である。ゆえに足下を探りながら歩いているうちにスリ足歩行になったというのは私が良く使うジョークなのだが、半ば嘘でもない。絶対的下半身の安定感の中で我々の仮面劇は成立するのである。私の右足の甲には「座りダコ」が三つある。正座の賜物なのだが、三点倒立にも似て三点で私の身体を支えてくれている。◇
 さすれば、書名の「サイボーグ」という些か不似合いな言葉にも頷ける。
◇私にとっての「自然体」とは生身の個人というよりも、型を身につけているデジタルな演技という意味である。◇
 つまりは、そういう謂であろう。
 
 再び齋藤氏の解説を引く。──「型」とは先人達が残した最高の教育プログラムだ。反復練習で身体に埋め込むことにより、誰もがその道の達人になれる、最良の基礎が濃縮されている。この型の威力を忘れたころから日本人は危うくなってきた。たとえば江戸時代の人々にとって、精神をつくる型は「論語」であった。意味はわからなくとも毎日素読しなさいと、くり返し読ませる。大人にとって一番大事なものを子供には“生のまま与える”という発想だ。すると気付いた時には「論語」を暗唱していて、一生使える精神の型ができている。素読もまた型の修練となっていた。──齋藤氏は文の人だが、「型」には同じように向き合っている。
 ここまでくると、内田 樹氏が当然想起される。奥方は能楽師であり、本人も嗜む。武道家としてはつとに高名だ。合気道は形稽古、型が始終である(先月、本ブログ「合気道にありと見付けたり」で触れた)。それもこれも、身体性への徹した拘りから生まれたものとみたい。
 となると、養老孟司氏である。脳化社会への警告と身体性の復権、身体こそ個性。つとに名だたる高説である。そこで冒頭の引用に返ると、野村氏は狂言師にとっての教養とは「型」であるとする。だから狂言師にとっての幼い頃の稽古は「個性の尊重などとは無縁である」とし、「身体で『型』や『カマエ』といったソフトウエアを体得させた精巧なコンピュータ」を手中にすることだと言っている。つまりは、身体の個別性を覆うもの、コンピュータでいえばOS(オペレーティング・システム)が「型」なのだ。身体に纏い付く荷厄介な個性を捨象し高次に統べる営為ともいえよう。
 まことに3氏は揆を一にする。鼎談でも組まれれば、話は尽きないのではあるまいか。実は、尽きないのはこの稿もである。次稿でも愚案を続けたい。

*本ブログは今日より8年目に入ります。駄文にお付き合いいただく皆さま方に満腔の謝意を捧げ、向後の御愛顧を伏してお願い致します。 □


ラッキーセブン 2/2

2013年03月25日 | エッセー

 二つ目。今月17日、朝日新聞は「核燃料の再処理―韓国も一緒にやめよう」と題する社説を出した。使用済み核燃料の処理は韓国でも深刻だ。米国との協定で韓国は再処理ができない。しかし貯蔵施設は満杯になる。だから再処理したい。日本にだけ再処理が許されているのも不満だ。だが再処理すると、原爆に直結するプルトニウムが生まれる。そこが問題だ。日本でも再処理は頓挫している。「日韓が共に再処理を放棄して、北朝鮮の非核化を強く求めるのがいい」と主張した。
 07年2月本ブログで、この人類が抱えるアポリアに「核廃棄物、もしくは廃棄核兵器をロケットに詰めて、宇宙の果てに飛ばしてはどうか。できれば、ブラックホールめがけて。」と、荒唐無稽の提案をした。タイトルは、文字通り『奇想、天外へ!』。タイトルだけはキマッている。
 それから4年、3・11の2カ月後、「昔の伝でなぜいかない?」と題して再び触れた。抄録してみる。

〓実は、「宇宙処理」はかつて検討されたことがあったそうだ。しかし採用はされなかった。かつての(それがいつごろかは寡聞にして不明)技術陣(おそらくNASAか)が、打ち上げ失敗による地球全体への拡散被害を恐れたのが真相らしい。
 20世紀後半に至るまで、地球は「無限性」に満ちていた。なかでも海は、すべてを受け容れるプラネット・アースの「無限」であった。あるいは空も無窮の空間であり、地もまた無尽の母性であった。ありとあらゆる塵芥(チリアクタ)の類(タグイ)はそれら「無限」に向けて放出され、またガイアの懐へ戻された。そこには倫理的抵抗感はなかったはずだ。なにせ、相手は無限で無窮で無尽だったのだから。
 それが明らかに変化した。地球の「有限性」が声高に叫ばれはじめた。地球温暖化問題はその最たるものであろう。温暖化の原因を何に求めるかは議論の分かれるところだが、プラネット・アースの有限性については異論がない。ならば『昔の伝』で(かつて無限の海がすべてを受け容れたように・引用時註)、「無限性」を宇宙にスライドさせればよいではないか。
 ところが、ふたたび「宇宙処理」を俎上に載せる気配はない。まったく眼中になさそうだ。はて、どうしたことか──。〓

 続けて内田 樹氏の論稿を引いて、「人類の『霊的成熟』が宇宙処理の技術的失敗という恐怖と打算を超えたとみるのは、能天気に過ぎるだろうか。」と問いかけ、結んでいる。
 小耳に挟んだところによると、半減期を驚異的に縮めるイノベーションが進んでいるという。ならばいいが、今のところ「トイレなきマンション」は確実に地球を覆いつつある。そのうち、エイリアンだって寄りつかなくなる。「トイレなき」なら自然に戻すこもとできようが、どっこいこれは還せない。依然としてアポリアだ。「はて、どうしたことか──。」、またしても繰り返さざるを得ない。
 
 前稿冒頭で一つ二つ振り返るといったが、ここにきて欲が出てきた。三つ目をお許し願いたい。
 時期は前後するが、ブログ開始直後の06年3月「野球 大発見!」である。以下、抄録。

〓こんなかったるいスポーツはない。なにせ、極端な話、ピッチャーとキャッチャー、それにバッター。これだけで成り立ってしまうのだ。球が飛んでこない限り、野手は寝ていても問題はない。(ルール上は知らないが……)攻撃側の8人は、塁上にいない限りベンチでヤジを飛ばすしか『仕事』はない。かてて加えて、間が長すぎる。投手と捕手でのやり取りのまどろっこしさ。やっとサインが決まって投げるかと見せるや、一塁へ牽制 ―― もう、いい加減にしてよ、だ。
 以下、門外漢のほとんど腰だめに近い計算 ――
 ピッチャーの手から球が放たれて一つのプレーが終わるまで、10秒を超えることはないだろう。投球、バッターが打つ、打球が飛ぶ、走塁があり、野手が捕る、送球がある。この一連のプレーを『1プレー単位』と仮に名付ける。この『1プレー単位』を10秒とすると、3(プレー単位)×54(アウト)=162(プレー単位)×10秒=1620秒で27分となる。さらに、すべての打席がフルカウントだとして、5(投球)×2秒=10秒×54(アウト)=540秒で9分。合計36分となる。一試合2時間として、その30%が、正味のプレー時間ということになる。
 90分間、動き詰めのサッカーと比べれば、こんな間延びしたスポーツはない。間尺に合わないのだ。世界一競技時間の短いスポーツである相撲でさえ、4分ごとに必ず決着がつく。野球は36分の競技を観るのに、1時間24分は待たされることになるのだ。
 この計算が正鵠を射ているかどうか、それは分からない。オーソリティーからは一笑に付されに違いないが、筆者の気分を正当化してみようとの戯れ事と、勘弁願いたい。
 ところで、WBC! たしか、三度目の韓国戦の最中。ふと「野球は将棋と同じだ」という想念が浮かんできた。長考ののち、棋士の手から駒が盤上に放たれる。その動きは一瞬だ。まさに刹那の攻防。そして対局者の長考が始まる。ありとあらゆる局面が予想され、百千のシミュレーションが展開され、選択肢が絞り込まれていく。そして、決断の時。ふたたび、盤上に駒が放たれる。
 ああ、そうか。あの『1時間24分』は『長考』なのだ、と俄に合点がいったのである。としてみれば、グランドのプレーヤーは『盤上の駒』か。なるほど、そう捉えればオモシロくなってくる。プレーの一齣づつに間を配して、観客にまで『長考』をさせてくれる実に親切な造りになっているのだ。サッカーは始まってしまえば、選手を替えること以外、ベンチは手の下しようがない。
 実は、野球こそ十分に間尺が合っていたのだ。そう、わが身の不明を恥じ入る次第となった。『野球 大発見!』『WBC 万歳!』である。〓

 19世紀初頭マンハッタンに、ボランティア消防団を創設したアレクサンダー・カートライトという人物がいた。彼が消防団員の結束と運動不足解消のため採り入れたのが、イギリス生まれの球技「タウンボール」であった。さらに彼はバラバラだったルールを統一、今日のベースボール誕生へとつながった。
 消防団というのが、実に因縁深い。すわ火事だ、が出番である。数少ない偶(タマ)のお勤めに備え、日頃から長い長い鍛練を繰り返す。『プレーは一瞬、ほとんど長考』と揆を一にするし、なにより『長考』のあわいを埋めるために案出されたこと自体が因縁めく。(オマケの方が長くなって面目ないが、ついでにひと言)
 「芸術は爆発だ!」に倣えば、「野球は将棋だ!」である。 □


ラッキーセブン 1/2

2013年03月23日 | エッセー

 この27日で起筆満7年になる。性懲りもなくよく続いたものだ。連綿たる愚考の数々に赤面のいったりきたりである。それでも数打った下手な鉄砲のうち、一つ二つは的の端っこに当たった弾もある(多分、気のせい)。記念に、その一つ二つを振り返ってみたい。

 先ずは投稿100回目、07年6月、「奇想! 寅さんの声が聞こえる」である。哲学者・山折哲雄氏の「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(集英社新書)で語られるヒンドゥー教の「四住期」から寅さんの生きざまを考えた。
 以下、前掲書から(◇部分)。

◇第一の住期を「学生期」といい、師について勉学に励み、禁欲の生活を送る。
 第二の住期は「家住期」と称する。この時期は結婚し、子どもをつくり、神々を祀って家の職業に従事する。
 第三の住期は「林住期」。これは妻子を養い、家の職業も安定した段階で、家長が一時的に家を出て、これまでやろうとして果たすことのできなかった夢を実行に移そうとする人生ステージである。
 第四の住期、それが最後に到達すべき「遊行期」である。「遁世期」ともいう。百人に一人、千人に一人、ほんの一握りの人間だけが入っていく「住期」である。そしてこの第四ステージに入った者は、もはや家族のもとにはもどらない。自分を育んでくれたかつての共同体には引きかえさない。
 彼(林住期のブッダ・引用者註)はときどき妻や子どもの顔を見るために家に、こっそりもどっていたのかもしれない。一日二日、あるいは数日を家族とともに過ごし、ふたたび放浪の旅に出ていく。心を鬼にして、しかし後ろ髪を引かれるようにして、家を出ていく。それのくりかえしだったのではないだろうか。第二ステージの「家住期」の生活にもどるべきか。それともつぎの第四ステージの「遊行期」に進んでいくべきか。その中間のところで立ちどまり、考えあぐねて、挫折と決断をくりかえしている、悩める人間シャカが見えてくるのである。それが、シャカにおける放浪期「六年」の意味だったのではないかと私は思う。◇

 そして、わが愚考がつづく。
〓さあ、みなさん!お立ち会い。もう、四の五の言うことはあるまい。それこそ、釈迦に説法だ。あるいは、この罰当たりめとお叱りをいただくかも知れぬ。それは覚悟の前だ。

 奇想、天外より来る。 ――「林住期」の現代的体現者、それが寅さんだった。

 ただ寅さんの場合、27年の特別に長い林住期を経て、ついに「遊行期」には至らなかった。そのまま黄泉に旅立ってしまった。
 また「心を鬼にして、しかし後ろ髪を引かれるようにして」というよりも、いつも喧嘩別れ。後ろから突き飛ばされるように、といったほうが相応しいかもしれない。しかし、である。じっと瞼を閉じて、柴又駅、さくらとの別れのシーンを甦らせてほしい。
 …… 電車が心(ウラ)悲しいホームに滑り込んでくる。扉が開く。一言、二言さくらに声をかけて寅は電車の中へ。ドアが閉まる。駅員の吹く笛がピーと鳴る。電車が走り始める。車窓とともに寅の顔が去っていく。夜の帳(トバリ)に電車が吸い込まれていく。……
 寅さんは、寂しい目をしていた。再び「林住」に還る、「家住」を振り切る哀切の目ではなかったか。心を鬼と化していたに相違ない。
 想像だが、「林住」といっても林ばかりで暮らしたわけではあるまい。所謂市井を含めてのことであろう。つまりは「家」を「出」ることの表徴としての「林」ではないのか。それほどに世俗たる「家」は重かったというべきか。「脱世俗」としての「林」である。
 だから、お定まりの『失恋』は当然であった。色恋は俗も俗。そのようなものが稔ってよかろうはずがない。林住期を全うするためだ。刻苦勉励、克己復礼。溢れんばかりの無念を抱きながら、寅さんはフラれ続けた。〓
 少し盛ってはいるが、『林住期の現代的体現者』とは結構おもしろいのではないか。さすれば、寅さんの生きざまが鮮明に縁取られてくる。あの「フーテン」に理屈が付くというものだ。寅さんの荒唐無稽が「林住期」の再現不能にあると考えれば、現代のヒーローと呼ぶに如(シ)くはない。観衆の彼への笑いは嘲笑ではなく、羨望の溜め息なのだ。
 司馬遼太郎はこう述べた。

◇“寅さん”の映画には英語版などがあって、海外で意外な人気があるという。その英語版の“妹さくら”の英語の声がミア夫人だときいて、目のさめる思いがした。
 「寅さんとその家族って、リアリズムじゃないでしょう?」と、ひかえめに言った表情を、いまでもおぼえている。容易ならざる質問で、煮つめてゆくと、江戸っ子は実在するか、というむずかしい主題になる。
 言いきってしまえば、長兵衛さんのような江戸っ子など、存在しない。が、ひょっとすると東京の下町のどこかで存在しているのではないかという願望が、百年、二百年、もたれてきた。つまりその熱っぽい願望がリアリズムに類似する化合物になって、つねに立ちのぼってきた。その気分が古典落語になったり、“寅さんとその家族”(『男はつらいよ』)という、長期シリーズをつくらせてきたのである。◇(「街道をゆく 39」から)

 「熱っぽい願望がリアリズムに類似する化合物になって」とは、いかにも司馬らしい物言いだ。つまりはヒーローへの羨望が「熱っぽい願望」であろう。しかしリアルではない。近似した偶像たる「化合物」を設(シツラ)えるほかはあるまい。と、そういう経緯(イキサツ)ではないか。
 それにしても米国人女性の「リアリズムじゃないでしょう?」との問いかけは、文化の質的差異を際立たせて興味深い。まさに有無による世界観だ。無いものを描こうとすれば、とびきり桁が外れてしまう。ハリウッドである。中間がない。「リアリズムに類似する化合物」は生まれようがないのだ。その点を含んで、内田 樹氏は「空虚」という日本文化の深層から寅さんに論及する。

◇たぶん、日本文化の根本には、たおやかさや、ある種の女性性みたいなものや、すべてを受け入れてしまう包容性のようなものがある。ヨーロッパ的な、実定的でポジティヴなものを重ねてゆき、あらゆる隙間を埋め尽くしてゆく、という文化ではなく、空虚さに社会や人間の実質があるというような考え方が、日本人の美意識の内には抜き難く入り込んでいる。(略)
 どうして長嶋さんは誰からも悪く言われないのかというと、長嶋さんはたぶんその中核に非常に「虚ろなもの」を抱え込んでいるからなんだと思います。真ん中に核がない、空虚なキャラクターです。
 長嶋茂雄を見ている観客はすごく気持がいいわけです。その快楽は、他のすぐれた運動能力を持つ選手(たとえばイチロー)の活躍を見ているときの快楽とは次元が違うんです。長嶋茂雄は空虚なんですよ。彼が空虚な通路だからこそ、彼をシャーマン的な媒介として、観客はボールゲームの本質に全面的に、直接的に触れることができるわけですよね。ああいう無欲無心の人というのが、日本人のもっとも好きなキャラクターなんです。
 寅さんもまた、ある意味では中空の人ですね。定住することもなく、何も所有せず、自己実現すべきものもない、モノを売ってはいるけれど、その商品にはほとんど実用性がない。寅さんが売っているものは、たぶん祭りから家に戻ったら、そのままごみ箱に投げ捨てられそうなものですよね。それは祭りの場でだけ貨幣と交換されうるコミュニケーションの純粋記号みたいなものです。女の子もやってきては去っていく、すべては彼を「通路」にして、通過していくだけです。寅さんは彼自身何ものでもなく、いろんな人間たちのすべてを統合する「クッションの結び目」ですよね。彼がいるおかげであの物語に出てくる全員が共通の記憶を共有していて、それによって、彼を中核にしてリンクされて、ひとつの物語世界を作っている。ああいうキャラクターが日本人は大好きなわけです。◇(「期間限定の思想」から)

 まさに圧巻だ。
 「空虚さに社会や人間の実質があるというような考え方が、日本人の美意識の内には抜き難く入り込んでいる」とは、件のミア夫人への鮮やかな反証でもある。さらに「中空の人」とはなお鋭い。まさに「林住期」のありようではないか。ホームレスではない。定住をしないのだ。テキ屋稼業という俗と反俗のあわいを歩く。マドンナはことごとく彼を「通路」として彼方へ去って行く。人生のバイパスのように。ならば、通路そのものは空でなければ用をなさない。それが寅さんの失恋の意味だ。とまれ、「中空の人」と呼ぶにふさわしい。
 長嶋を「空虚なキャラクター」と捉えるのは恐るべき炯眼である。「シャーマン的な媒介」であり、「無欲無心の人」が「日本人のもっとも好きなキャラクター」であるとする。内田氏は引用部分の後に、「天皇型キャラクター」を典型として挙げている。宜なる哉だ。
 我利我欲のように見えて、まったくの「無欲無心の人」が寅さんだ。一度でも観た人なら、すぐにそれは了簡できる。では「シャーマン的な媒介」(ここが長嶋とイチローの違いである)とは、どうだろう。それが俗であって俗でない、寅さんの立ち位置そのものではないか。毎回飽くことなく繰り返されるあのドタバタこそ、俗と脱俗とのせめぎ合いである。巫者は善悪に通ずる。災厄を「媒介」する場合もあるのだ。ただし毎回飽くことなく恋の「媒介」も果たす。これは善だ。また時として寅さんは託宣の如き人生訓を呟く。それらアフォリズムの数々は、日頃の行いとは似ても似つかない。まるで人が変わったようだ。だからこそ、巫者たる所以といえる。
 「クッションの結び目」とは、結び目でありつつクッションのように柔軟であるとの謂であろう。深奥を極める洞見であり、巧みな表現である。「彼自身何ものでもなく、いろんな人間たちのすべてを統合する」。「彼がいるおかげであの物語に出てくる全員が共通の記憶を共有していて、それによって、彼を中核にしてリンクされて、ひとつの物語世界を作っている」。蓋し、「天皇型キャラクター」を想起すれば合点は速い。
 
 「林住期」から「化合物」へ。そして、「中空の人」。まことに寅さんは深い。深いものほど、切り口は多い。その好個の例だろう。ちなみに本ブログの初回は「寅さんの声が聞こえる」であった。断ち難い因縁か。

 「ラッキーセブン」という。野球に由来するらしい。7回ともなると、投手は疲れ、打者は馴れて来る。打ち時である。ゲームの潮目だ。筆者、果たして投手か打者か。あわよくば、後者でありたい。(なお、次稿は2/2を予定) □


うんちくゆうぞー

2013年03月18日 | エッセー

 居酒屋での、おじさんたちの一番の肴は「蘊蓄」を傾けることであろうか。へぇーなどと返されようものなら、ますます悦に入る。へぇ~ボタンが三度(ミタビ)四度(ヨタビ)に及ぶと、ブタもおだてりゃ木に登る、完璧に図に乗ってしまう。周りの迷惑を尻目に、杯を傾けるかわりに大いにこれを傾けつづける。終(シマ)いには少なからぬ顰蹙を買って、座は白ける。しかしおじさんは空気も読めず、一人御満悦だ。ま、こんな図が全国津々浦々で散見される今日このごろである。
 
  ◇「ねぎま」の「ま」は何でしょう? 
    「間」じゃ、ないんです。は、は、は。教えてあげない。

  ◇ビールの大瓶はなぜ、633ミリリットルという半端な分量なのか? 
     偶然ではありません。これも教えない。

  ◇「肴」のいわれは? 
    魚には因みません。なんだ、知らないのか。言わないでおこー。

  ◇ウイスキーの水割りはどこで生まれたか? 
    水割りこそ通の飲み方。御存じないでしょーな。今は教えません。

  ◇ビアホールの生ビールはなぜ美味い? 
    ホントは市販ものと中身は同じ。理由が味わい深い。でも、言わない。

  ◇日本人はアルコールに強い? 弱い? 
    答えは弱い。でも、説明できますか。できないでしょー。

  ◇おしぼりが古事記に出てくるってご存じ? 
    ここまでくれば、蘊蓄も極まれりですな。えへん。

  ほかに、「お通し」「おてもと」「無礼講」「忘年会」の意味は? 
  そもそも「居酒屋」はどのように生まれたか? 
  さらに、関東で鰻を背開きにするわけは? 

 いやはやネタは尽きませんが、ここでは一切お答えいたしません。知りたいお方は、下記へどうぞ(ネタばらし!)。

   うんちく居酒屋

 メディアファクトリー新書から先月末発刊。著者は漫画家の室井まさね。もちろん、コミックである。               

「さあ、いつ読みますか? 今でしょ!」

 林先生なら、きっとそうおっしゃいます。
 イントロには、
〓人びとが集い、語り、精神を解放させる場所「居酒屋」
 そこに突如現れ、
 ありとあらゆるジャンルの「酒のうんちく」を
 語り尽くして去っていくなぞの男がいる。
 男の名は雲竹雄三。
 これは、彼に出会ってしまった人々が
 役に立つかもしれない、
 立たないかもしれない「うんちく」を
 獲得していく物語である──。
 本書には、酒と居酒屋に関する
 300以上のうんちくが収録されている。
 会話の合間のクイズも併せて楽しんでほしい。〓
 とある。まことに赤ちょうちんはおじさんたちのオアシスだ。人間砂漠のオアシスだ。そこに咲かせる「役に立つかもしれない、立たないかもしれない」蘊蓄の徒花を嗤ってはなるまい。なにせおじさんご自身が、「役に立つかもしれない、立たないかもしれない」約(ツマ)しくも慎ましき徒花と化しつつあるのだから。
 一言付け加えれば、かの雲竹雄三さんは全くの下戸である。それがまた涙を誘う。なお、最終章のタイトルは「酒と女は二合まで」。心配ご無用。んな甲斐性ないよなー、御同輩。 □


2013年03月17日 | エッセー

 幼いころ山間部にある親戚を訪ねると、「えき」という言葉が飛び交うのに面食らったものだ。鉄道がないのに、なぜ「駅」なのだろう。訊いてみると、どうも大きなバス停をそう呼ぶらしい。なんだ、「駅」を真似したのか。そう合点していた。
 長じて、こちらのまちがいが判った。
 「駅」は八世紀初年、文武朝の大宝律令によって生まれた。駅制・伝馬制である。古代の情報、交通制度である。中央集権国家建設にとっての肝心要だ。情報こそが国家統治の画竜点睛であることを知っていたのだ。千三百年前もの古(イニシエ)に先人達は大きな絵を描き、健気に形を創っていったといえる。
 なにより速さが勝負だ。もちろん馬を使う。官道である駅路(エキロ)に一定間隔で、馬を備え役人の食事、休憩、宿泊に供する施設を置いた。それが駅家(ウマヤ)である。「?」は連ねるが字源、「馬」を次々に乗り継いでいくから「驛」だ。一字で「うまや」とも訓む。ともあれ、駅は馬から始まった。つまりは、「駅」が先にあって後から鉄道が来た。鉄道に限らず、情報や交通の中継点が「駅」なのだ。筆者の理解はあべこべだった。まことに無知の極みというべきか。
 
 人が出会い、かつ去れば悲喜劇が生まれる。人が集い、かつ散じれば哀楽が残る。港もそうだが、劣らず駅も多くの詩歌を育んできた。映画の舞台にも数知れず供してきた。

    ふるさとの訛なつかし
    停車場の人ごみの中に
    そを聴きにゆく
 
 上野駅には、この歌碑がある。東北本線の終着駅だ。
 さらに「ああ上野駅」の歌碑も同駅に建つ。

   〽就職列車に 揺られて着いた
    遠いあの夜を 思い出す
    上野は おいらの 心の駅だ
       ・・・・・
       お店の仕事は 辛いけど
    胸にゃでっかい 夢がある
 
 「就職列車」、なんとも懐かしい。ステロタイプの権化のような詞がいい。昭和三十九年の歌だ。『三丁目』に『夕日』が射し、東京オリンピックに沸いたころだ。「胸にゃでっかい 夢がある」、今では限りなくジョークに近いが、本邦にもそういう時代があった。
 となれば、筆者としては「制服」を挙げざるを得ない。岡本おさみの作詞、昭和四十八年の曲だ。

   〽東京駅地下道の人ごみの中
    ひと群れの制服の娘たちがいる
       ・・・・・
    真新しいスーツ・ケースを提げて
    集団就職で今着いたらしい
       ・・・・・
    里心だけはまだ田舎の家に置き
    それでも家を出てくる魅力に負けて
       ・・・・・
    どうですか東京って奴に会ってみて
    とうですか東京って奴の御挨拶の仕方は
    みんな押し黙ったままのこの人ごみは
    そうこれが都会って奴の御挨拶の仕方なんだよ
       ・・・・・
    ぼくはこれから大阪へ行くところ
    制服が人ごみの中に消えてゆくのを
    振りかえりながらぼくは見送っている

 この時点でまだ「集団就職」が残っていただろうか、という疑問が湧く。ひょっとしたら岡本おさみの回想かも知れないが、視点は明らかに四十八年のそれだ。「ああ上野駅」から十年。いまだ「娘たち」に熱は残っているものの、「東京って奴」は冷めている。その温度差がこの曲の基調音だ。
 さらに十年、昭和五十九年の作品に「大阪行きは何番ホーム」がある。こちらは詞、曲ともに拓郎の作品だ。

   〽19の頃だったと思うけれど 家を出る事に夢をたくして
    1人きりで暮らしてみようと 希望に満ちていた時があった
 
    たとえ都会の片隅であろうとも 何かが起りそうな気がして
    後ろ髪をひかれる想いを 明日のために断ち切ってしまった
 
    恋に破れるむなしさで 酒におぼれてしまった事もある
     人を信じるはかなさが 心の形を少し変えてしまった
 
    愛をむさぼる気持ちのまま 1人の女との生活が始まり
     幸福という仮の住いに 子供の泣き声まで加わっていた
 
    外の景色が変わって行く中で
     人とのかかわりがわずらわしくなり
    1人の男であった筈だと 真実を隠したまま旅に出た
 
    家を捨てたんじゃなかったのか
       ・・・・・
    今 東京駅に立ち尽す僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ
     大阪行きの電車は何番ホーム
     繰り返し 繰り返し 旅に出ている 

 「集団」ではなく「1人」で、「就職」のためではなく「夢をたくして」、主人公は東京をめざした。これほどまでに時代は変わっている。
 「東京って奴」での暮らし。愛憎の渦、有為転変のなかで、「真実を隠したまま旅に」。「旅」とは仕事の旅であろうか。人生の行路を言ったか。両意を重ねたか。蓋し、東京を捨てて帰郷するわけではなかろう。「大阪行きの電車」を探す東京駅の雑踏で去来するのは、「家を捨てたんじゃなかったのか」という自責の念だ。「19の頃」の「家を出る事に」託した夢を問うているのだ。穿てば、捨てたはずの「家」を繰り返しつくろうとする自らの愚を詰(ナジ)っているのだ。……啄木から八十年、それほどに歌は複雑になっているといえなくもない。

 話はあらぬ方へ進んでしまった。駅は中継であるとともに転轍点でもあるから、これもよしとするか。 □


ツブヤキ風に

2013年03月13日 | エッセー

 今場所も大関が弱い。横綱めがけ疾風怒濤のごとく大関を駆け抜ける力士は近頃絶えて久しい。大関といえば、元々は最高位であった。ところが今や最終位と勘違いしている者ばかりではないか。粗製乱造の報いだ。ここらで大関昇進の基準を引き上げてみてはどうか。それとも1場所負け越しで降格にするか。


 クラシックとは最上級の謂だが、ワールド・シリーズを最優先するアメリカ大リーグのスタンスを考えるとWBCの看板に偽りありか。それほど大騒ぎする値打ちがはたしてあるのだろうか。それに前2回に比して、あまりに役者の格が落ちた。それでもやっぱり中継は最後まで観てしまう。ああ、悲しい性(サガ)。


 NHKの女子アナは概して声が低く美声である。森田美由紀アナはその典型だし久保田祐佳君にしてもそうだ。民放はおしなべて甲高い。顔で選ぶからか。ところがラジオで朝の帯番組のアンカーを勤める女子アナは例外的に声が高く悪声だ。切り回しはそつないが、下卑た声だ。NHKらしからぬ人選である。


 大した事ではないが、“スマホの極意はタップしないことと見つけたり”だ。長所は短所。スマホの使いにくさはタップにある。だから極力タップを避ける。文字ではなく音声入力を多用し、フリックを巧く使って切り替えを行う。通知パネルからいきなり入るのも賢い手。裏口、裏技、なんと胸高鳴る言葉だろう。

 

 
 マスコミは挙げて招致の大合唱。反対意見など皆無のようだ。成熟国家・日本がいまさら一時の経済効果や国威発揚もあるまい。一押しは断然、イスタンブールだ。上り調子の国勢、初のイスラム圏での開催。歴史にエポックを画すにちがいない。どうぞお先に。これぞ大人の振舞だ。三丁目の夕日はもう古い。


 安倍内閣で、最も好感できるのは小野寺五典防衛大臣である。何よりあのおどおど感、困った感がいい。閣僚ともなると全能感に溢れた人物が多い。全くの虚勢だったが、前政権は特にそうだった。またT元防衛相の能天気とは対極だ。真面目と誠実が事の重大さに直に戦いている。そんな顔と物言いがいい。

*ツイッターを気取って、140字づつにまとめてみた。 □


2年目の3.11

2013年03月11日 | エッセー

 あれから2年になる。このあわいに全国から、世界からさまざまな励ましの言葉が送られた。「もう帰るんですか」と、一刀両断にそのさもしい心根を裁かれた陳腐な政治屋もいた。その汚らわしい輩は論外として、それぞれが万感を託してメッセージを発した。空前の規模に及んだであろう。その中に、忘れられない宝石のような言の葉があった。

 昨年5月福島を見舞った皇后は、幼い子供2人を連れて避難していた婦人に、
「子供たちを守ってくれてありがとう」
 と言葉を掛けた。しかも、正座して。
 さらに店舗が流される中、間一髪で助かった婦人に、
「生きていてくれてありがとう」
 と語りかけた。

 寄り添い、目線を合わせ、家族同等に呼びかける。「くれて」とは、万言に勝る労りではないか。巧んでできることではない。皇室論議は別にして、かの「人間宣言」は60有余の星霜を経て見事なまでに結実している。

 07年3月、本ブログ「人格ということ……投稿満一年に」でこう記した。
〓人格とは、すなわち想像力であろう。境界を超える力だ。肉体の痛みを共有することはできぬが、想像することはできる。哀しみもそうだ。苦汁も、そして時には歓びも。想像する力が国境を跨ぎ、民族を超えた時、人は人ならぬ高みに達する。〓
 他の苦悩に同感するのは知能の働きだ。かなり高度な知能による想像力だ。知能が劣るほど動物は同族であろうとも同感することはない。否、それらの死に対して無関心でさえある。境界をどこまで超えるか、それが人格の核心であろう。

◇個性とは、じつは身体そのものなんです。でもふつうは、個性とは心だと思ってるでしょう。話は逆じゃないんですか。心に個性があったらどうなるか、まじめに考えてみたことがありますか。心とはなにかといえば、共通性そのものです。なぜなら私とあなたで、日本語が共通しています。共通しているから、こうやって話して、あなたがそれを理解します。同じ日本語で話しても、それが理解できなかったら、どうなりますか。つまり通じないわけです。通じなかったら、話す意味がありません。通じるということは、考えが「共通する」ということでしょうが。◇(PHP新書「養老孟司の<逆さメガネ>」から)

 身体の個別性を超えるものは心である。心とは共通性そのものだ。挙証の日本語は、そのまま知能の例示であろう。ならば知能の際(キワ)が共通性の際となる。知能下等な動物がほかの固体に無関心である道理だ。蓋し、養老氏の洞見は深甚の示唆に富む。

 きょう朝日は「原発、福島、日本──もう一度、共有しよう」と題する社説を掲げ、「私たち皆が、まさに当事者なのです」と訴えている。それは、私たち皆の知能が問われている、と書き換えてもいいのではないか。 □


ゴーストについて

2013年03月09日 | エッセー

 司馬遼太郎はこう記した。
◇儒教の教祖である孔子は、霊魂のようなおどろおどろしいモノの存在を考えまいとした。孔子は、「神秘主義は私とは無縁だ」といったふうに、『論語』のなかでのべている。「怪力乱神ヲ語ラズ」。また「鬼神ヲ敬シテ之レヲ遠ザク」。さらに、門人の季路(子路)が死について問うたとき、「未ダ生ヲ知ラズ、焉ゾ死ヲ知ラン」と答えた。季路が問うたのは、死後の世界はどうなっているのでしょう、ということである。人間は死ねば鬼(霊魂)になる、というのは孔子以前からの中国における信仰だから、孔子もあえて否定することはしない。ただ敬してこれを遠ざけている。『論語』における孔子のもっともあざやかな姿勢といっていい。◇(「街道をゆく」28)
 「おどろおどろしいモノ」は「敬して遠ざける」が孔子のスタンスであった。「もっともあざやかな姿勢」とは、いかにも司馬遼太郎の言葉である。徹して現世(ウツシヨ)に拘りつづけた孔子はこの論件のプライオリティーをうんと下げた。今はそれどころじゃないんだと言わんばかりに、棚上げもしくはペンディングを決め込んだのであろう。そのあたりの呼吸を、司馬遼太郎はこれまた実に「あざやかな」口調で語ったといえる。
 余談かもしれぬが、内田 樹氏が「敬語」について触れた、これもまた「あざやかな」論攷を引いておく。
◇「敬」という漢字の原義は「身体をよじる」という意味だ。人間がどういう場合に身体をよじるのかを想像してほしい。足が地面に固着しているときに、何か「危ないもの」が接近してくると、人間は身体をよじる。死球をぎりぎりで避けるバッターの姿を想像すれば分かる。「敬する」とは本質的にそういうことだ。「それから逃れることができないが、じかに接触してはならないもの」とかかわること、そのときのマナーを古代の中国人は「敬」という字に託した。「敬語」というのは、「自分に災いをもたらすかもしれないもの」、権力を持つもの(その極端な例が鬼神や皇帝だ)と関係しないではすまされない局面で、「身体をよじって」、相手からの直接攻撃をやり過ごすための生存戦略のことだ。◇(「街場の現代思想」から)
 閑話休題。
 しかし、論題が片付いたわけではない。内田 樹氏と高橋源一郎氏との対談集「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」(ロッキング・オン刊)から、長い引用をする。

◇高橋:村上(春樹)さんの中にも、「僕たちが生きている共同体がすべてではない」というテーマがあると思うんだよね。どこかに、もしかすると自分のすぐ横に、もうひとつの、あるべき共同体が存在するのではないか、っていう感覚が強い。ここではないことはわかっている。しかも、遠くでもない。
内田:壁1枚向こうなんだよね。
高橋:そう。つまり自分のリアルにフィットした共同体があるっていう幻想によって生きてる。「そういう共同体を提示しろよ」っていうのは、いわば近代的な考え方だよね。今は、あるものの形を提示するんじゃなくて、あるものがない、という形で提示することしかできないのかもしれない。
内田:浅田次郎もそうだよ。浅田次郎の小説も、すごく幽霊が出てくるの。その幽霊は、壁の1枚向こう側にいる。自分たちの日常の論理や、言語が通じないんだけど、非常に親しいものなんだ。それとの関わり合いを構築していくことが、人間の生きていく意味なんだ、っていう。村上春樹と浅田次郎だけだよね、作品の幽霊出現率が9割超えてる作家って。
 ただ、いつも文学の最優先のテーマが幽霊であるのと同じように、哲学もそうなんだよ。フッサールの超越論的主観性も、ハイデッガーの存在も、レヴィナスの他者も、全部幽霊なのよ。もうそれは世界共通というか、人類普遍のことであって。手触りがあって、これが現実だと僕らが思ってる現実が、本当は現実の全部じゃなくて。その周りにカッコがある、自分たちの“現実性”みたいなものを成立させている外側があるってことは、みんな知ってるの。外側には回路がある。その回路から入ったり出たりするんだけど、そこに出入りするものっていうのは、こちらの言語には回収できないし、こちらのロジックでも説明できない。でも、明らかにあるの。そのことをちゃんと書いてる人たちが、やっぱり、哲学でも文学でも、ずっとメインストリームなのよ。
高橋:で、近代文学はそうじゃないよね。
内田:近代文学は違うんだ?
高橋:うん。近代文学は「この世界」が中心だった。この、目に見える世界、これをどうするかっていう問題を扱ってきたと思う。
内田:わりと、我々の共同体も、実はそうなんだよね。死者たちの思いっていうものを継承したり、彼らの夢をつないでいったりっていうような形で、死者の声を聞く、あるいは恨みを聞きとっていく。それを、まだ生まれていない次の世代に送っていくって考えた場合に、きわめて平凡な、内田家累代之墓みたいなところっていうところにも、死者の声と、まだ来たらぬ子孫の声みたいなものが、輻輳してるわけで、平凡な共同体といえども、他者を含まずには成立しないんだよ、やっぱり。
高橋:だから、他者のひとつは時間なんだよね。普通、共同体っていうと空間だと思うけど、時間なんだよ。◇

 下手の考え休むに如かず、である。凡愚は賢哲の言に誘(イザナ)われるほかあるまい。
──壁1枚向こうにある自分のリアルにフィットした共同体があるっていう幻想によって生きてる──
 これを嗤う知性は現代的知識に呪縛された貧しい知性だ。人類の持ち得た知識がどれほどのものか。ハヤブサとiPS細胞への狂喜をどう説明するのだろうか。世界は未知で充満している。
 高橋氏が「幻想」といい、内田氏が「幽霊」といっているのはおそらく同じものだ。四の五のいわずに四捨五入すると、現実を支える目に見えない世界のことだ。電波だってそうだといえるが、科学の目ならはっきりと見て取れる。そうではなく、果たして哲学の目はその世界に何を見るか。とりあえずの命名が幻想であり、幽霊だ。
──幽霊は、壁の1枚向こう側にいる。自分たちの日常の論理や、言語が通じないんだけど、非常に親しいものなんだ。それとの関わり合いを構築していくことが、人間の生きていく意味なんだ──
 「非常に親しい」のは霊感に依るのではない。 「人間の生きていく意味」を思案すれば、誰にでもたちどころに発現する世界、目に見えない世界だ。だから、「それとの関わり合いを構築していくこと」が最大のイシューとなる。
 またしても大括りに括ると、文学はその「関わり合い」を例示することとはいえまいか。だから、
──浅田次郎の小説も、すごく幽霊が出てくるの。(略)村上春樹と浅田次郎だけだよね、作品の幽霊出現率が9割超えてる作家って。──
 とはドラマツルギーにではなく、「文学の最優先のテーマ」との真摯な格闘に対する熱賛といわねばならない。
 浅田作品に触れ染めたころ、『ゴースト』を辻褄合わせ、さらには禁じ手と揶揄した。だが、それは短見であった。今は、浅慮に恥じ入るばかりだ。
 引用末尾の高橋氏の
──普通、共同体っていうと空間だと思うけど、時間なんだよ。──
 は深甚な洞察だ。人は長遠な時間に包(クル)まれて生きている。拘(カカ)わりのなかった過去は今を抱(イダ)き、拘わりのない未来は今の腕(カイナ)に擁(イダ)かれている。だから、浅田文学に登場するゴーストたちは自在に光陰を駆け巡るのだ。
 「おどろおどろしいモノ」を「敬して遠ざけ」ず、つまりは「身体をよじる」ことなく「直接攻撃」と向かい合う命懸けの「生存戦略」。それこそが浅田文学といえるのではないか。(前々稿の積み残しをなんとか始末しようとしたが、またしても竜頭蛇尾。不首尾、陳謝) □


蛙を見詰める目

2013年03月07日 | エッセー

 雨上がりの水溜に、蝦蟇と覚しき十センチほどもある大きな蛙がいる。それをしゃがみこんでじっと見詰める男の子。坊ちゃん刈りに半袖、半ズボン、ゴム草履。食い入るように蛙に視線を注ぐ。脇に御河童頭で少し強ばった表情の女の子。アングルはかなり低い。背後に広がる田圃。遠景には茅葺きの家も写し込んでいる。巧い構図だ。しかも、稀なシャッターチャンスをものにしている。モノクロ、L判、今も鮮明。かなり高級なカメラで、しかも余程の腕前であったとみえる。
 もう五十八年も前の写真だ。数字が正確なのは、写真の持ち主と被写体の男の子が同じだからだ。五歳の時の写真だという。いきなり持ってきて、これを拡大してくれという。きっとひょんなことから発見したに相違ない。
 奴が五歳の自分になにを感じ取ったのか。止み難き懐古の情に咽んだのか。まあ、それは考え辛い。情緒不安定ではあっても、およそ情緒溢るる人品とは言い難い。ひょっとして齢ここに至り、突如として御幼少の砌にタイムスリップしたくなったか。しかし、ファンタジーからも遠い性格だ。それとも、古き良き時代の寸景を孫にでも見せるのか。それはあるかもしれない。とまれ、この等輩の挙措は量り難い。
 訊けば、亡父の遺作だそうだ。教職にありつつ当地では名の知れた書道家でもあったが、写真も玄人裸足だったといえる。母堂も書道家だ。だが、長男である奴は人後に落ちぬ悪筆である。それに芸術的素地も奴を乗打って、弟たちに継がれたらしい。替わりにもらったのが、如上の蛙を見詰める目だ。
 付き合いは、件の写真と同じぐらいの年月になる。小学二年で同じクラスになり、妙に波長が合った。爾来周波数は大いに変動してきたのたが、袖振り合ったばかりの腐れ縁がどうにも切れないでいる。
 動物が好きな子供だった。子供はみんなそうだが、並外れてそうだった。動物のお医者さんになる、が口癖であった。ありきたりな少年の夢である。ところがどっこい、奴はその通りの道を進み夢を叶えてしまった。ほとんど敬するところのない古馴染みであるが、それだけは讃して余りある。蓋し、なかなかできるものではない。はち切れるほどに膨らました子供のころの夢が、しだいしだいに窄んでいくのが人世の常だ。終いには、およそ夢想だにしなかった境遇に我が身の不運を嘆く。レ・ミゼラブルだ。
 「夢、これ以外に将来を作り出すものはない」とは、ヴィクトル・ユゴーの箴言である。勿体ない気もするが、奴にこれを贈るか。代わりにといっては変だが、同じくユゴーの「不運は人物を創り、幸運は怪物を創る」を自らへの励みとしたい。
 なにを見詰めるか、見詰めつづけるのか。人ひとりの航跡はそこに掛かるともいえよう。夏の田舎道で蛙を見詰めた目が一人の動物のお医者さんを生んだように。
 悔しいが、奴はいまだに蛙を見詰める目をしてやがる。 □


「一路」

2013年03月04日 | エッセー

〓アートは近年、経験主義的になってきており、メタなもの.抽象的なものから移行しつつある。むろん思想としての経験主義はより客観性を基軸にしており、個々の体験について語るものではない。その意味であえて《経験主義的な》という用語を用いるのであるが、これを突き詰めていくと、アートが生の現実を見せるのではなく、変容や抽象化を前提とするものであり、観客に多様な想像力と解釈の領域を開くという美の技の存在意義が問われることになる。
 シンボルやイコンによって芸術の文脈を形成してきたアートに、かつて大きな変化をもたらしたレディメイドやファウンド・オブジェクトの参入をしのぐ、圧倒的な勢いで、断片的なインデックス=現実をそのまま刷りとったような「痕跡」が流れ込んでくる。それは時代の変化の《緊急性》から押し出されている。ラマダンの作品も現実の断片にシンボル性を付与したものといえる。そこに政治的・宗教的な多くの意味の層を含み込みながら。
 開かれた意味性(小文字のシンボル性といったもの)を付与していく作家たちの営為は、時代の中で生き、その作品が証言となりうることの自覚に基づいている。
 そしてシンボルとイコンの館である美術館を時代に開き、柔軟に適応させていきながら、その価値を拡張し、更新し続ける連続性の中にキュレーターの仕事はある。意識的なキュレーターの中には、今芸術品と呼ばれているものの価値がいつかすべて忘却され、無価値なオブジェによって占められる《廃墟》と化す場面が、たえざるオルタナティヴな未来のヴィジョンとして潜んでいるのである。
 キュレーター、この罪深き職業の《罪の極北》は、美術館、芸術品の終焉のヴィジョンを覚悟しつつ、最も誘惑的な声で美術館、芸術品の存続の意味を語り続ける二面性にあるのだ。〓
 佶屈とまではいわぬが(本ブログはその通りだ)、気鋭のキュレーターによる極めて難解な論稿である。このような難儀のあとに次のような文章に行き当たると、まことに弥生のおとないにもまして爽快である。

◇猛り立つ炎の輪の中に、二人は向き合っていた。式台に端座する父と、その膝元にかしこまる一路は、示し合わせたようにふるさとの夜空を見上げた。天の星ぼしは炎にも煙にも超然として輝いていた。
「見よや、一路。星はひとつに見えてひとつではない。目を凝らせば、その耀(カガヨ)いにはあまたの星が群れておる。正義とは星ぞ。いかに夜空の闇が広うても、正義が孤独であろうはずはない。義のあるところ、必ず星ぼしは群れ集うて輝く。目覚めよ、一路。起き上がって歩み始めよ。残る中山道を千里万里とするもわずか三十二里とするも、ひとえにおまえの覚悟じゃ」◇(下掲書より)

 浅田次郎著

 一路 (いちろ)

 である。先月、中央公論新社より刊行された。10~12年にかけて「中央公論」に連載された作品である。新聞広告で目にした時、なぜか“Get Back”が連想された。Beatlesが音楽的絶頂を極めたのち、原点に回帰したとされる曲だ。プログレッシブで複雑な造りではなく、極めてシンプルな“ロックンロール”である。「樹高千丈」の暁に、「落葉帰根」を目指したともいえる。(本年1月の本ブログ「落葉帰根」で触れた)
 予感は当たった。まさしく“Get Back”だ。浅田文学の、というより小説界の原点回帰である。12日の旅日記を夜っぴて追っかけ、2日で読み了えた。
 上巻の帯には、

   いざ、江戸見参の道中へ──。
   小野寺一路、十九歳。
   父の不慮の死を受け、御供頭を継いだ若者は、
   家伝の「行軍録」を唯一の手がかりに、江戸への参勤行列を差配する。
   <幕末の参勤行列を舞台に、一所懸命に生きる侍たち>

 とあり、下巻の帯には、

   江戸参勤は実に行軍である。
   雪の和田峠越え、御殿様の急な病、行列のなかで進む御家乗っ取りの企み。
   到着遅れの危機せまるなか、一行は江戸まで歩みきることができるのか。
      <江戸までの中山道で、繰り広げられる悲喜こもごも>

 とある。しつこいけれども、“Get Back”。変な言い方だが、絵に描いたような小説、である。文字通り起点と終点が明瞭で、12日という時の区切りも定まっている。けつかっちんだ。弥次喜多ではないが、道中記である。「繰り広げられる悲喜こもごも」に読者は哀楽を誘われるにちがいない。加えて黄門よろしく「行列のなかで進む御家乗っ取りの企み」とくれば、まるっきり“絵に描いたような”小説ではないか。加うるに、「江戸参勤は実に行軍である」とは250余年を経て形骸と化した参勤交代の原点である。
 「アートが生の現実を見せるのではなく、変容や抽象化を前提とするものであり、観客に多様な想像力と解釈の領域を開くという美の技の存在意義」とは、なにも美術に限った話ではなかろう。小説も歴としたアートである。「断片的なインデックス=現実をそのまま刷りとったような『痕跡』が流れ込んでくる」現今のアートの直中で、先に引用した一節などは読者に「多様な想像力と解釈の領域を開くという美の技」の一典型ではないか。でなければ、象眼されたアフォリズムが心中を響もすはずはなかろう。巧むか巧まざるかは措き、小説の原点は言の葉の『技』だ。小説「一路」は、まっすぐにそこへ“Get Back”した作品と観たい。

 お馬さん同士の会話、池の鯉の独白。本邦マラソンの祖といわれる「安政遠足(トオアシ)」を巧みに取り込む博覧強記。艱難辛苦の旅程と暗殺の危機が緩急自在に糾われるストーリーテラーの面目躍如。章によって微妙にパースペクティヴが変わる妙技。常に増してこの作家の十八番が、次から次へと繰り出される。ただし、ひとつだけ出なかったものがある。「出なかった」。そう、ゴーストだ。村上春樹と並び、浅田作品のゴースト出現率は9割を超えるといわれる。なのに、なぜ。ギリギリの場面はあるにせよ、やはりお出ましにはならなかった。なぜだ? ……と、沈思する仕掛けか。まさか。蓋し『一路の旅』だったから、としか凡愚の頭には浮かばぬ。後日この件とは別に、“ゴースト”について改めて愚考を巡らすつもりだ。
 ともあれ、ハッピーエンド。絵に描いたような大団円であった。一服どころか十服余の清涼感に満ちて長い物語の幕は下りた。
 身贔屓ではなく、世に浅田作品ある限り「今芸術品と呼ばれているものの価値がいつかすべて忘却され、無価値なオブジェによって占められる《廃墟》と化す場面が、たえざるオルタナティヴな未来のヴィジョンとして潜んでいる」などは、こと文学に限っては杞憂に過ぎぬ。往時の中山道という『美術館』に、登場人物という『美術作品』を蒐集し配置し縦横に見せる。浅田次郎こそ、文学のキュレーターといえなくもない。
 「オルタナティヴな未来」においても、人は依然として人であろう。人の「一路」がオルタナティヴなはずはない。その原点見参の一筋の道を、稀代の作家が一直線に駆けた。道理で、「一路」だ。 □