たった数行で『火花』が須臾の間に消える。それほどの快事である。
ノーベル賞に最も近いとされる作家の一人、アメリカのポール・オースターが十数年前に仕掛けた企画がある。『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』だ。コピーにはこうある。
オースターが全米から募り、精選した「普通の」人々の、ちょっと「普通でない」
実話たち──。彼の小説のように不思議で、切なく、ときにほろっとさせられ、
ときに笑いがこみ上げる。少女の日のできごと、戦時中の父の逸話、奇怪な夢
と現実の符合……
寄せられた四千通の中から厳選された三百を超える「ナショナル・ストーリー」が二巻に亘って出版され、センセーションを巻き起こした。
その日本版を内田 樹氏が主導し、高橋源一郎氏とともに選者となって
『嘘みたいな本当の話』
と題して刊行したのが四年前であった。稿者は読みそびれた。文庫本が本年三月。奇しくも芥川賞『火花』と時を同じくする。今月初旬、やっと件の文庫本を手にした。仰けの「快事」とはそのことである。なぜ「快」なのか、忖度されたい。
応募された千五百通から両巨頭が選りすぐった百四十九の逸品が並ぶ。精選の率は米版と同等であろう。一行二十二文字の超掌篇から字数制限の千文字一杯まで、十八のカテゴリーに別けられている。たとえば、
戻ってくるはずがないのに、戻ってきたものの話
犬と猫の話
空に浮かんでいたものの話
おばあさんの話
そっくりな人の話
などなど、本邦版も「不思議で、切なく、ときにほろっとさせられ、ときに笑いがこみ上げる」。
企画の動機を内田氏はこう語る。
◇ある出来事を「嘘みたい」と思うか、「そんなのよくあることじゃないか」と思うかの識別の基準は客観的なものではありません。それはあくまで主観的なものです。「嘘みたい」と思うときに、その人の、余人を以ては代え難い、きわだった個性が露出する(ことがある)。たぶん、そうなんだと思います。常にそうなるとは限りませんけれど、そういうことが起こる確率が高いはずです。
「その人にとってはあり得ないはずのこと」があり得たという事件を語る様々なアメリカ人の証言を通じて、ポール・オースターは「アメリカが物語るのを聞いた」のでした。同じようにして、僕たちも、「日本が物語るのを聞いてみたい」と思います。◇(上掲書より、以下同様)
同類の名を冠したTV番組は散見する。だが、事の真偽ではない。そんな表層を相手になどしてはいない。「嘘」と捉える主観に個性が宿る。ならば、それらの総和は「日本が物語る」ことになるのではないか。気宇壮大な目論見である。
狙いは当たった。米版とは際立った違いがあると、内田氏はいう。
◇得体の知れないものを見たとしても、「あれはきっとお化けだったんだと思う」というふうに定型に落とせば、とりあえずみんなホッとする(笑)。同じ経験をアメリカ人が書いたら、「お化けだった」という結論にはしないと思う。「こんな気持ち悪いことが起きた」「それは名付け得ない経験だった」「そしてそれはいまも続いている」、たぶんそんなふうに、生々しいまま提出すると思うんですよ。「よくある話」に回収されて、納得されちゃうことを生理的に拒むんじゃないかな。◇
「日本人の語る物語には国民的定型がある」とし、「何を書かせても均質的になる」と判ずる。「語り口に階層差や出身地の差が現われない」ともいう。なぜか。氏は識字率の高さや「書き言葉」の優位、国語教育の偏りに解を求めていく。
とまれ、案に違わず今年一推しの文庫である。世は、小説よりも奇なりで満ちている。火花なぞ一瞬で掻き消える。 □