『国家』で、プラトンは国制について「名誉支配制」から「寡頭制」、次に「民主政」、そして「僣主政」へと必然的に順次推移すると論じた。かねてより、民主政の次に僭主政が位置付けられていることが腑に落ちなかった。弟子アリストテレスは、民主政を「邪道にそれた国制」と断じた。いよいよ不可解であった。師のプラトンは「哲人政治」を理想とした。確かにそこから民主制は遠い。しかしそれにしても激しい排斥だ。なぜなのか。現代人の常識とはまるで逆だ。先ずは往々にして思考停止を強いる常識から問い直してはどうか。さらに極点に視座を置いて考えを巡らすのも一計ではないか。極論と評されるものには時として珠玉が蔵される。毒気も強いが、薬効も大きい。そこで採り上げたのが長谷川三千子(埼玉大学教授)著「民主主義とは何なのか」(文春新書)である。
世人は何事かが民主主義に適うか否かは問うても民主主義は理に適うか否かとは問わないと、氏は言う。「『民主主義』という言葉は、すべての議論をそこでおしまいにしてしまう力をもっている」と指摘する。かの葵御紋の『印籠』と同じく、この言葉は一切の異論を封殺し思考を停止させる。なぜ民主主義は自明の常識になったか。それは、二度に亙る「『世界戦争』において、それを掲げた側か勝った、というその事によって、『紛れもなく正当な言葉』になったのである」と明かす。かつてはどうだったのか。氏によれば「いかがわしい言葉」だったと言う。
ギリシャ語「デーモクラティア」とは、「デーモス」¨=民衆が「クラティア」=支配する ―― 「クラテイン」=力で打ち勝ち、征服するから派生 ―― という意味である。出自に闘争性を帯びている。ここだ。闘争には敵があり、力を要する。力の論理である。理性の対極だ。だから、「不和と敵対のイデオロギー」はデモクラシーの宿痾であると氏は説く。以下、前掲書を抜き書き、要約しつつ愚考を交える( …… 部分)。
●フランス革命の頃から、或る明確な主張、イデオロギーを表わす言葉として「デモクラシー」の語が使われていた。「民主主義」という言葉が「はなはだいかがわしい言葉」であったということは、その出発点そのものの内に、そういう嫌悪と警戒をひきおこす何かがあったと考えるほかないのである。
…… かつて「共産主義」という言葉が抱えていた負のイメージを想起すればよかろうか。もしも共産革命が世界規模で成されたなら、「共産主義」が世界標準になっているはずだ。18世紀末葉、フランスでは「民主主義」が革命の大義に掲げられ、革命を主導し、恐怖政治の陰惨を引き起こした。「嫌悪と警戒をひきおこす何か」とは、デモクラシーの宿痾である「不和と敵対のイデオロギー」ではないか。
●僣主というものはいわば絶対の悪であるから、それを打ち倒し、打ち殺すこと「僣主の誅殺」という暴力によって成立した「デーモクラティア」はよき政治体制である、ということになる。
…… 氏は古代ギリシャには抜きがたい「僣主政恐怖症」があったと言う。これがカギだ。病的なまでの僭主への戦き。この心性を踏まえねば理解は及び難い。だから ……
●古代ギリシャの人々にとって「選挙」こそはもっとも警戒を要するものだった。何故ならば、選挙とは民衆の支持と後押しが束ねられて、その力が一人の人間の手に握らされる、というメカニズムにほかならない。選挙を避けるべしということは、僭主政防止の鉄則だった。
…… 意表を突く視点だ。人間が群れなす生き物である以上、リーダーは必要だ。問題はそれをどう決めるか。便法として選挙がある。だがそれは諸刃の剣でもある。同じルールが恐るべき僭主を生むかもしれない。つまり ……
●僣主政を生み出すメカニズムが民主政のメカニズムそのものであるからこそ、異常なほど神経質に警戒しなければならなかったのである。民主政と僣主政の近さは、一口に言えば、どちらもが「民衆の力」を原動力として行われる政治である、ということの内に存する。
…… 非合法に権力を奪い帝王の名を僭称することをもって「僭主」といい、貴族政治から民主政治への過渡期に出現する ―― これが一般的理解である。しかし氏は合法であろうと、たとえ善政と評されようとも、一人の手に統治権が握られる形態を僭主政と呼んでいる。かつ古代ギリシャにおいては、僭主政を禁ずる掟が「父祖伝来の法」として存在していたとし、「古代ギリシャにおける僭主政への嫌悪と恐怖は、いわばすべての体験、すべてのイデオロギーに先立って存在している」と述べる。だから ……
●「陶片追放」は、「選挙」とは逆の方向にむけて行われる。僣主を選り出して、つまみ出してしまえ。これは、そんな発想にもとづいた制度であった。ただし、この陶片追放は、有名な割には、あまり活躍せずに終った。また、実際にはさほど苛酷な制度だったわけではなかった。
…… デモクラシーに対するプラトンの嫌悪には、師であるソクラテスを苛んだ貝穀追放の蛮行もあったにちがいない。氏は苛酷ではなかったと言うが、10年間の追放は辛酸を極める。なにより名誉に係わる。弟子として心安かろう筈がない。
●アテナイにおいては、弾劾裁判の制度が、きわめてしばしば国家の政治指導者に対して用いられ、過度の過酷さが見られたという。その背後にはほとんど「僣主政恐怖症」とも言うべきものが見られる。
…… 病的な心性が、出る杭を打つ妄動を横行させた。なぜなら ……
●民衆の好意が或る一人の人物に集まるということこそ、僣主政の第一歩として警戒されてきたことなのであった。
…… だが、アンヴィバレンツに陥らざるを得ない。
●アテナイ市民は、かれらの公共の福利と安全の確保のためには、優秀な「指導者」を必要とする。しかし、その「指導者」の存在そのものが、たえず彼らを不安にする。そして、その不安が、時として彼らを(文字通りの)パニックへとかりたてるのである。
…… この病理を氏は ……
●民主政の自己防衛機能というものが異常に昂進した結果、自己自身の内臓を攻撃し、破壊し始めてしまう。「自己免疫異常」の病状である。
…… と解く。まとめれば ……
●「デーモクラティア」は、その本質からして「争い、殺し合い、血を流すことによって生じてくる国制」なのであり、それが理念上の血であろうと、その誕生はつねに血によって彩られていなければならない。民主政はいわば必然的に僣主政へとさしむけられている。
…… となる。「民主政はいわば必然的に僣主政へさしむけられている」このプラトンの慧眼は、はたして ……
●本物の僣主は、近代デモクラシーにおいて、あるいはロベスピエールとして、あるいはヒトラーとして出現してきた。しかも、これらの怪物たちがどこから生まれてきたのかを見ようとせずに、ただ「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」と呼んで、それと敵対するのみなのである。
…… 「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」を生んだのはデモクラシーだ。ついに氏は矯激ともいえるこの結語に達する。
冒頭で記した「極点に視座を置い」た論考のいくつかを列挙してみる。これらは幹である。忽せにできないのは根であり土壌であるが、それは前掲書や氏のその他の著作に当たっていただくしかあるまい。しかし「毒気」には要注意だ。薬効を得る前に倒れてはなるまい。
◆結局のところ、民主主義とは何なのかと言えば、民衆が、力によって支配権を得る体制である。それは「われとわれとが戦う病い」から生まれ出て、しかも、その病をどこまでも引きずり続けるイデオロギーである。
◆近代民主主義の理論として受け入れられている「国民主権」「人権尊重」といったものも、実はすべて、「われとわれとが戦う病い」を正当化するために拵え上げられた理屈にすぎない。
◆「討論と説得」などというものは、議論のもっとも堕落した形の一つにすぎない。
◆「国民の意思」や「民意」という言葉が、「理にかなった結論を得る」という大目標を蹴ちらしてしまう。
◆もともと人間は群れを作って、そのなかで生きてゆく生物であり、国家というものもその延長上に生じてきたのである。ところが、民主主義の錯乱した「理論」は、国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。
「国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきた」は、傾聴に値する。どうやらここに氏の問題意識があるらしい。
さて、素通りしてきた論点がある。「僣主政恐怖症」についてだ。前掲書では触れられていないが、それを生んだ因子とはなにか。
「プルターク英雄伝」(古代ギリシア、ローマの政治家の業績等を比較評価した列伝)から示唆を得たい。
―― 「正義の人」アリスタイディーズが陶片追放に掛けられた。投票日、文盲の男が彼に近づいて本人とは知らず、「ここに、アリスタイディーズと書いてください」と頼んだ。彼は男に尋ねた。「彼は、何か、あなたに悪いことをしましたか」「いいや迷惑なんぞ一つだってありやしない。当人を識ってもいないんだが、ただどこへ行ってもあの男が正義者、正義者と呼ばれるのを聞きあきたまでさ」と男は答えた。彼は黙って自分の名前を書いて、男に渡した。そして、追放された。 ――
プルタークは綴る。「最近の戦勝によって思いあがり、うぬぼれきった民衆の心は、自然に通常以上の名声を有するすべての人にたいする嫌悪の情をいだいた。それゆえに四方よりアテネに集まった彼らは、アリスタイディーズの名声に対する嫉妬に専制忌怖の名目を与えて、彼を貝穀追放に処した」
件の恐怖症は嫉妬が生んだものであった。アテナイは、他に勝り、勝る者を貶めようとする暗い情念の渦巻く「嫉妬社会」であったのだ。嫉妬は人間存在に纏わる属性の一つだ。かつ相当に手ごわい。この情念は理非を超え、人と世を陰惨な暗闇に引きずり込む。忌むべきではあるが、超えがたい情念である。
民主政はデーモスばかりではなく、嫉妬にもとば口を開けたのだ。
では、どうするか。デモクラシーを代替するものがあるだろうか。ウィンストン・チャーチルは言った。「デモクラシーは最悪の政治形態だ。これまで試されてきたどんな政治形態よりもましだが……」彼もまた有事に重用され、平時を引き寄せたとたん今様の陶片追放に処された。しかしなおこの信念を譲ることはなかった。
前掲書を再び引く。
●そもそも「主権者」が一人の人間であるかぎり、主権者の意志がどこにあるか、などというのは全く問題にならないことなのであるが、「主権者」が複数になったとたんに、「主権者の意志」の決定ということはたちまち難しい問題を生じる。まして「主権者」が何千万人もいる場合には、いったい「主権者の意志」などという言葉に意味があるのかどうかすら怪しくなってしまう。そして、もしも「主権者の意志」という言葉が無意味であるような場合には、「主権者」(最高の力をふるって政治の決断を下すことが許されている者)という言葉自体が無意味となってしまうのである。
…… ラディカルな問いかけだ。ベンサム流の「最大多数の最大幸福」などという功利主義に安易に凭り掛かるのではなく ……
●この問題について、言うならば頭ごなしの解答を与えようとしたのが、ルソーの「一般意志」という考え方であった。(1762年に出版された『社会契約論』で使っている)「人民は、ほっておいても、つねに幸福を欲する。しかし、ほっておいても、人民は、つねに幸福がわかるとはかぎらない」と彼は言う。そして、本当に「一般意志は、つねに正しい」と言うことができるためには、「公衆の啓蒙」ということが不可欠であると主張するのである。
…… 「啓蒙」に胡乱臭さを感じる向きもあろうが ……
●ここでルソーが言おうとしているのは、要するに、正しい政治的決断を下すためには、「理性」「悟性」のはたらきが不可欠だ、ということなのである。人民が愚かか賢いか、などということが問題なのではない。重要なことは、「主権者」たるべき人間の一人一人が「その意志を理性に一致させるように」する、ということであり、その結果全体として「社会体の中での悟性と意志との一致が生まれ」るということなのである。そして、そうであってはじめて「一般意志」というものを語りうる ―― これがルソーの考えなのである。
…… 「理性」「悟性」。これは限りなく人間観の問題だ。アポリアの深淵を覗き見るようだ。ルソーの期待に反し、「つねに正しい」「一般意志」は見果てぬ夢に終わるかもしれない。
しかし複数の「主権者の意志」、言い換えれば「民意」をどう裁量するか。すでに社会が動いている以上、これは喫緊を要する。だが、これも泥濘のアポリアだ。今に引き寄せれば、選挙制度こそ泥濘そのものである。「選挙を避けるべしということは、僭主政防止の鉄則だった」ことを、まずは逆説を十全に孕んだ教訓と受け止めよう。なぜなら、チャーチルの言を借りればどんな形態より「まし」なそれを騙し騙しでも使っていくしかないからだ。アプリオリな欠陥を回避しつつ漸進するしかあるまい。祖型を古代ギリシャに求めることはできても、祖型に属性を見極めることはできても、かつその属性が今に禍を及ぼしていても、いまさら出生をやり直す訳にはいかないからだ。つまりは、どう選ぶかだ。選ばねばならない以上、問題は選び方だ。
さらにイシューを当今の日本に絞れば、少なくとも小選挙区制はアプリオリな欠陥を露呈こそすれ回避からは余程遠い。「われとわれとが戦う病い」を重篤化し、「不和と敵対のイデオロギー」の相貌を露わにする。さらに、「民主政と僣主政の近さ」を嗅ぎ取るのは神経過敏であろうか。
さらに「民意」の前提となる「民度」の難関がある。前記の「見果てぬ夢」だ。ルソーが言う「公衆の啓蒙」である。ルソーの主張の点睛は「一般意志」を無条件に容認してはいないことだ。これとて、現今のポピュリズムやその逆照射ともいうべき「テレビ政治」の瀰漫は「公衆の啓蒙」どころか民意の操作でしかない。いまや定番となった「世論調査」も、実のところ科学や客観性に名を借りた虚構の民意でしかない。そのことについては、07年2月12日付本ブログ「うへぇー! 世の中、ゴミだらけ!!」で触れた。明らかに世の大勢は、ソクラテスやプラトンが忌み嫌った「衆愚」へと向かいつつあるように見える。特にテレビメディアでは形を変えた、より大規模で強力な「貝殻追放」が散見されるようになった。底流にアテナイと同じ「嫉妬社会」の蠢動を感じるのは偏見による斜眼であろうか。
民主主義の正当性を問うことをアナクロニズムと等閑してはなるまい。迷ったら原点、である。なにはともあれ、『印籠』を掲げられて思考停止する愚は避けたい。□