伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

デモクラシーは『印籠』ではない

2009年11月27日 | エッセー

 『国家』で、プラトンは国制について「名誉支配制」から「寡頭制」、次に「民主政」、そして「僣主政」へと必然的に順次推移すると論じた。かねてより、民主政の次に僭主政が位置付けられていることが腑に落ちなかった。弟子アリストテレスは、民主政を「邪道にそれた国制」と断じた。いよいよ不可解であった。師のプラトンは「哲人政治」を理想とした。確かにそこから民主制は遠い。しかしそれにしても激しい排斥だ。なぜなのか。現代人の常識とはまるで逆だ。先ずは往々にして思考停止を強いる常識から問い直してはどうか。さらに極点に視座を置いて考えを巡らすのも一計ではないか。極論と評されるものには時として珠玉が蔵される。毒気も強いが、薬効も大きい。そこで採り上げたのが長谷川三千子(埼玉大学教授)著「民主主義とは何なのか」(文春新書)である。
 
 世人は何事かが民主主義に適うか否かは問うても民主主義は理に適うか否かとは問わないと、氏は言う。「『民主主義』という言葉は、すべての議論をそこでおしまいにしてしまう力をもっている」と指摘する。かの葵御紋の『印籠』と同じく、この言葉は一切の異論を封殺し思考を停止させる。なぜ民主主義は自明の常識になったか。それは、二度に亙る「『世界戦争』において、それを掲げた側か勝った、というその事によって、『紛れもなく正当な言葉』になったのである」と明かす。かつてはどうだったのか。氏によれば「いかがわしい言葉」だったと言う。
 ギリシャ語「デーモクラティア」とは、「デーモス」¨=民衆が「クラティア」=支配する ―― 「クラテイン」=力で打ち勝ち、征服するから派生 ―― という意味である。出自に闘争性を帯びている。ここだ。闘争には敵があり、力を要する。力の論理である。理性の対極だ。だから、「不和と敵対のイデオロギー」はデモクラシーの宿痾であると氏は説く。以下、前掲書を抜き書き、要約しつつ愚考を交える( …… 部分)。

●フランス革命の頃から、或る明確な主張、イデオロギーを表わす言葉として「デモクラシー」の語が使われていた。「民主主義」という言葉が「はなはだいかがわしい言葉」であったということは、その出発点そのものの内に、そういう嫌悪と警戒をひきおこす何かがあったと考えるほかないのである。
 …… かつて「共産主義」という言葉が抱えていた負のイメージを想起すればよかろうか。もしも共産革命が世界規模で成されたなら、「共産主義」が世界標準になっているはずだ。18世紀末葉、フランスでは「民主主義」が革命の大義に掲げられ、革命を主導し、恐怖政治の陰惨を引き起こした。「嫌悪と警戒をひきおこす何か」とは、デモクラシーの宿痾である「不和と敵対のイデオロギー」ではないか。
●僣主というものはいわば絶対の悪であるから、それを打ち倒し、打ち殺すこと「僣主の誅殺」という暴力によって成立した「デーモクラティア」はよき政治体制である、ということになる。
 …… 氏は古代ギリシャには抜きがたい「僣主政恐怖症」があったと言う。これがカギだ。病的なまでの僭主への戦き。この心性を踏まえねば理解は及び難い。だから ……
●古代ギリシャの人々にとって「選挙」こそはもっとも警戒を要するものだった。何故ならば、選挙とは民衆の支持と後押しが束ねられて、その力が一人の人間の手に握らされる、というメカニズムにほかならない。選挙を避けるべしということは、僭主政防止の鉄則だった。
 …… 意表を突く視点だ。人間が群れなす生き物である以上、リーダーは必要だ。問題はそれをどう決めるか。便法として選挙がある。だがそれは諸刃の剣でもある。同じルールが恐るべき僭主を生むかもしれない。つまり ……
●僣主政を生み出すメカニズムが民主政のメカニズムそのものであるからこそ、異常なほど神経質に警戒しなければならなかったのである。民主政と僣主政の近さは、一口に言えば、どちらもが「民衆の力」を原動力として行われる政治である、ということの内に存する。
 …… 非合法に権力を奪い帝王の名を僭称することをもって「僭主」といい、貴族政治から民主政治への過渡期に出現する ―― これが一般的理解である。しかし氏は合法であろうと、たとえ善政と評されようとも、一人の手に統治権が握られる形態を僭主政と呼んでいる。かつ古代ギリシャにおいては、僭主政を禁ずる掟が「父祖伝来の法」として存在していたとし、「古代ギリシャにおける僭主政への嫌悪と恐怖は、いわばすべての体験、すべてのイデオロギーに先立って存在している」と述べる。だから ……
●「陶片追放」は、「選挙」とは逆の方向にむけて行われる。僣主を選り出して、つまみ出してしまえ。これは、そんな発想にもとづいた制度であった。ただし、この陶片追放は、有名な割には、あまり活躍せずに終った。また、実際にはさほど苛酷な制度だったわけではなかった。
 …… デモクラシーに対するプラトンの嫌悪には、師であるソクラテスを苛んだ貝穀追放の蛮行もあったにちがいない。氏は苛酷ではなかったと言うが、10年間の追放は辛酸を極める。なにより名誉に係わる。弟子として心安かろう筈がない。
●アテナイにおいては、弾劾裁判の制度が、きわめてしばしば国家の政治指導者に対して用いられ、過度の過酷さが見られたという。その背後にはほとんど「僣主政恐怖症」とも言うべきものが見られる。
 …… 病的な心性が、出る杭を打つ妄動を横行させた。なぜなら ……
●民衆の好意が或る一人の人物に集まるということこそ、僣主政の第一歩として警戒されてきたことなのであった。
 …… だが、アンヴィバレンツに陥らざるを得ない。
●アテナイ市民は、かれらの公共の福利と安全の確保のためには、優秀な「指導者」を必要とする。しかし、その「指導者」の存在そのものが、たえず彼らを不安にする。そして、その不安が、時として彼らを(文字通りの)パニックへとかりたてるのである。
 …… この病理を氏は ……
●民主政の自己防衛機能というものが異常に昂進した結果、自己自身の内臓を攻撃し、破壊し始めてしまう。「自己免疫異常」の病状である。
 …… と解く。まとめれば …… 
●「デーモクラティア」は、その本質からして「争い、殺し合い、血を流すことによって生じてくる国制」なのであり、それが理念上の血であろうと、その誕生はつねに血によって彩られていなければならない。民主政はいわば必然的に僣主政へとさしむけられている。
 …… となる。「民主政はいわば必然的に僣主政へさしむけられている」このプラトンの慧眼は、はたして ……
●本物の僣主は、近代デモクラシーにおいて、あるいはロベスピエールとして、あるいはヒトラーとして出現してきた。しかも、これらの怪物たちがどこから生まれてきたのかを見ようとせずに、ただ「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」と呼んで、それと敵対するのみなのである。
 …… 「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」を生んだのはデモクラシーだ。ついに氏は矯激ともいえるこの結語に達する。
 
 冒頭で記した「極点に視座を置い」た論考のいくつかを列挙してみる。これらは幹である。忽せにできないのは根であり土壌であるが、それは前掲書や氏のその他の著作に当たっていただくしかあるまい。しかし「毒気」には要注意だ。薬効を得る前に倒れてはなるまい。
◆結局のところ、民主主義とは何なのかと言えば、民衆が、力によって支配権を得る体制である。それは「われとわれとが戦う病い」から生まれ出て、しかも、その病をどこまでも引きずり続けるイデオロギーである。
◆近代民主主義の理論として受け入れられている「国民主権」「人権尊重」といったものも、実はすべて、「われとわれとが戦う病い」を正当化するために拵え上げられた理屈にすぎない。
◆「討論と説得」などというものは、議論のもっとも堕落した形の一つにすぎない。
◆「国民の意思」や「民意」という言葉が、「理にかなった結論を得る」という大目標を蹴ちらしてしまう。
◆もともと人間は群れを作って、そのなかで生きてゆく生物であり、国家というものもその延長上に生じてきたのである。ところが、民主主義の錯乱した「理論」は、国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。
 「国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきた」は、傾聴に値する。どうやらここに氏の問題意識があるらしい。
 さて、素通りしてきた論点がある。「僣主政恐怖症」についてだ。前掲書では触れられていないが、それを生んだ因子とはなにか。
 「プルターク英雄伝」(古代ギリシア、ローマの政治家の業績等を比較評価した列伝)から示唆を得たい。
 ―― 「正義の人」アリスタイディーズが陶片追放に掛けられた。投票日、文盲の男が彼に近づいて本人とは知らず、「ここに、アリスタイディーズと書いてください」と頼んだ。彼は男に尋ねた。「彼は、何か、あなたに悪いことをしましたか」「いいや迷惑なんぞ一つだってありやしない。当人を識ってもいないんだが、ただどこへ行ってもあの男が正義者、正義者と呼ばれるのを聞きあきたまでさ」と男は答えた。彼は黙って自分の名前を書いて、男に渡した。そして、追放された。 ――
 プルタークは綴る。「最近の戦勝によって思いあがり、うぬぼれきった民衆の心は、自然に通常以上の名声を有するすべての人にたいする嫌悪の情をいだいた。それゆえに四方よりアテネに集まった彼らは、アリスタイディーズの名声に対する嫉妬に専制忌怖の名目を与えて、彼を貝穀追放に処した」
 件の恐怖症は嫉妬が生んだものであった。アテナイは、他に勝り、勝る者を貶めようとする暗い情念の渦巻く「嫉妬社会」であったのだ。嫉妬は人間存在に纏わる属性の一つだ。かつ相当に手ごわい。この情念は理非を超え、人と世を陰惨な暗闇に引きずり込む。忌むべきではあるが、超えがたい情念である。
 民主政はデーモスばかりではなく、嫉妬にもとば口を開けたのだ。

 では、どうするか。デモクラシーを代替するものがあるだろうか。ウィンストン・チャーチルは言った。「デモクラシーは最悪の政治形態だ。これまで試されてきたどんな政治形態よりもましだが……」彼もまた有事に重用され、平時を引き寄せたとたん今様の陶片追放に処された。しかしなおこの信念を譲ることはなかった。
 前掲書を再び引く。
●そもそも「主権者」が一人の人間であるかぎり、主権者の意志がどこにあるか、などというのは全く問題にならないことなのであるが、「主権者」が複数になったとたんに、「主権者の意志」の決定ということはたちまち難しい問題を生じる。まして「主権者」が何千万人もいる場合には、いったい「主権者の意志」などという言葉に意味があるのかどうかすら怪しくなってしまう。そして、もしも「主権者の意志」という言葉が無意味であるような場合には、「主権者」(最高の力をふるって政治の決断を下すことが許されている者)という言葉自体が無意味となってしまうのである。
 …… ラディカルな問いかけだ。ベンサム流の「最大多数の最大幸福」などという功利主義に安易に凭り掛かるのではなく ……
●この問題について、言うならば頭ごなしの解答を与えようとしたのが、ルソーの「一般意志」という考え方であった。(1762年に出版された『社会契約論』で使っている)「人民は、ほっておいても、つねに幸福を欲する。しかし、ほっておいても、人民は、つねに幸福がわかるとはかぎらない」と彼は言う。そして、本当に「一般意志は、つねに正しい」と言うことができるためには、「公衆の啓蒙」ということが不可欠であると主張するのである。
 …… 「啓蒙」に胡乱臭さを感じる向きもあろうが ……
●ここでルソーが言おうとしているのは、要するに、正しい政治的決断を下すためには、「理性」「悟性」のはたらきが不可欠だ、ということなのである。人民が愚かか賢いか、などということが問題なのではない。重要なことは、「主権者」たるべき人間の一人一人が「その意志を理性に一致させるように」する、ということであり、その結果全体として「社会体の中での悟性と意志との一致が生まれ」るということなのである。そして、そうであってはじめて「一般意志」というものを語りうる ―― これがルソーの考えなのである。
 …… 「理性」「悟性」。これは限りなく人間観の問題だ。アポリアの深淵を覗き見るようだ。ルソーの期待に反し、「つねに正しい」「一般意志」は見果てぬ夢に終わるかもしれない。
 しかし複数の「主権者の意志」、言い換えれば「民意」をどう裁量するか。すでに社会が動いている以上、これは喫緊を要する。だが、これも泥濘のアポリアだ。今に引き寄せれば、選挙制度こそ泥濘そのものである。「選挙を避けるべしということは、僭主政防止の鉄則だった」ことを、まずは逆説を十全に孕んだ教訓と受け止めよう。なぜなら、チャーチルの言を借りればどんな形態より「まし」なそれを騙し騙しでも使っていくしかないからだ。アプリオリな欠陥を回避しつつ漸進するしかあるまい。祖型を古代ギリシャに求めることはできても、祖型に属性を見極めることはできても、かつその属性が今に禍を及ぼしていても、いまさら出生をやり直す訳にはいかないからだ。つまりは、どう選ぶかだ。選ばねばならない以上、問題は選び方だ。

 さらにイシューを当今の日本に絞れば、少なくとも小選挙区制はアプリオリな欠陥を露呈こそすれ回避からは余程遠い。「われとわれとが戦う病い」を重篤化し、「不和と敵対のイデオロギー」の相貌を露わにする。さらに、「民主政と僣主政の近さ」を嗅ぎ取るのは神経過敏であろうか。
 さらに「民意」の前提となる「民度」の難関がある。前記の「見果てぬ夢」だ。ルソーが言う「公衆の啓蒙」である。ルソーの主張の点睛は「一般意志」を無条件に容認してはいないことだ。これとて、現今のポピュリズムやその逆照射ともいうべき「テレビ政治」の瀰漫は「公衆の啓蒙」どころか民意の操作でしかない。いまや定番となった「世論調査」も、実のところ科学や客観性に名を借りた虚構の民意でしかない。そのことについては、07年2月12日付本ブログ「うへぇー! 世の中、ゴミだらけ!!」で触れた。明らかに世の大勢は、ソクラテスやプラトンが忌み嫌った「衆愚」へと向かいつつあるように見える。特にテレビメディアでは形を変えた、より大規模で強力な「貝殻追放」が散見されるようになった。底流にアテナイと同じ「嫉妬社会」の蠢動を感じるのは偏見による斜眼であろうか。
 民主主義の正当性を問うことをアナクロニズムと等閑してはなるまい。迷ったら原点、である。なにはともあれ、『印籠』を掲げられて思考停止する愚は避けたい。□


「宣言撤回」宣言

2009年11月18日 | エッセー

 愛読の諸先生に申し上げる。
 本年1月7日本ブログに於いて発表いたしたる処の「レイディオ宣言」を、昨日、遂に撤回するの止むなきに至った。

 何を隠そう、地デジなる放送受信装置が吾が陋屋に突如闖入し、既存装置を駆逐して己(オノ)が占拠を高らかに宣言したのである。
 真珠湾が近いとはいえ、全くの奇襲であった。虚を突かれた。電気店の技術者が新装置を抱(イダ)いて乗り込み、瞬く間に作業を終えて行方をくらましたのである。須臾の出来事であった。余りに唐突で防ぐ暇(イトマ)もなく、まったくお手上げの状態で為(ナ)す術とてなかったのである。    

 事の真相はやがてかかってきた電話で判明した。かの装置とは、愚息と愚娘が相い携えて贈ってきた還暦祝いであった。
 二人は「伽草子」を知らない。従って、「レイディオ宣言」なる父親の高邁な志を弁えるはずがない。大きな親切、大きなお世話である。まことに親の心子知らずである。とはいえ、突き返す訳にもいくまい。子の心親知らずとなってしまう。ともあれ人としての道を踏み外す無軌道は断じて避けねばならぬ。而(しこう)して実に苦汁の決断と相成った次第である。まことに慚愧に堪えない。
 だが己(オノレ)が片々たる宣言と人道の美徳とを秤に掛けれるならば、選択は自ずと明らかであろう。抑え難き断腸の念を踏み拉き、ここに私情をかなぐり捨てて子等の赤誠を甘受するに決したのである。

 「レイディオ宣言」では、以下のように記した。
〓〓わが家には、いま、壊れかけのTV(ティーヴィー)がある。時として色褪せ、気儘に沈黙する。とても再来年まではもつまい。だから荊妻はしきりに地デジへの買い替えを勧める。しかしここは一番、お上と世の大勢に抗して蟷螂の斧を構えてみたい。レイディオに先祖返りだ。2011年の7月24日が来たら、「レイディオ宣言」を高らかに打ち上げるつもりだ。幟を立てて、町内を触れ歩いてもいい。顰蹙は買っても、地デジは買わない。
 その時、『壊れかけのTV』は「本当の幸せ」を教えてくれるだろうか。それとも、おととしの戯言(タワゴト)などすっかり忘れた節操のないおじさんが、地デジの前に釘付けになっているであろうか。あとふた歳(トセ)、すぐそこだ。〓〓
 駆逐された「壊れかけのTV」は跡形もない。格好良く振り上げた「蟷螂の斧」は無慚に折れた。「おととし」ではなく舌の根も乾かない同じ年の「戯言などすっかり忘れた節操のないおじさんが、地デジの前に釘付けになっている」嗚呼、穴があったら入りたい。赤面のいったりきたりである。
 かくなる上は、嘘つき、法螺吹き、はったり、妄言、食言、虚言、詭弁、無節操、無定見、無責任、破廉恥、大言壮語、大風呂敷、変節漢、果ては背信、恥知らず、裏切り、非国民、売国奴等々、ありとあらゆる罵詈雑言を受けるであろうことは覚悟の前である。今後絶交、絶縁され、場合によっては闇討ち、暗殺に会わぬとも限らぬ。昨夜来、夜道は一人で歩かず、万やむを得ざる場合は荊妻を伴うことに決めた。護衛にはならずとも、そのやたら水平に張り出した体躯で盾ぐらいの役目は果たすであろう。
 
 言い訳と受け取られても致し方ないが、ただ一点明らかにしておきたいことがある。それは、件の宣言で地デジを拒絶したのはお上の有無を言わさぬ強権的手法が故である、という点だ。決して文明の利器を拒んだのではない。筆者、因業な野蛮人ではない。
 
 以上、事の顛末と宣言撤回の宣言である。敬愛する先生方には、どうか微衷を斟酌いただき寛大なる御心(ミココロ)で御納受賜りたい。そして一日も早くアナログ受像機などという陳腐なものに拘泥することなく、地デジの絢爛たる世界へお越しいただくよう伏してお願いするものである。 文明人・欠片拝 □


外注社会

2009年11月16日 | エッセー

 「おくりびと」への違和感がずっと尾を引いていた。本年2月27日、拙稿「禁じ手」で取り上げて以来だ。
 さて過日、町内で不幸があった。二日くらいは出張(デバ)らねばなるまいと心積もりをしていたが、いっかな沙汰がない。町内会長に問い合わせると、一切合財業者に任せるので近隣の手間は要らないと言う。
 そうだ、これかもしれない。ふと、「外注」という言葉が浮かんだ。
 筆者が住居(スマイ)する片田舎でも、葬儀の外注化が進んでいる。会場を自宅から業者の持つ儀典場にしたり(公の施設と違い、ほとんどの場合遺体のままで行える)、会場の設営から儀式の司会・進行は業者に任せ、賄を仕出しにしたり、という変化が起こっている。近隣総出で何から何までという光景は絶えて久しい。ついに今度は、丸投げにまで行き着いたようだ。
 映画「おくりびと」のモチーフとは離れて、それが絵になるほどに流麗なものであればあるほど葬送の外注化という後景を退かせるのではないか。どうも違和感の根はその辺りにあったらしい。
 「村八分」、火事は残るにしても、もう一分は空文化してしまったようだ。もちろん社会構造の変化がある。核家族化、高齢化、住宅事情、経済状況の変化など多くの要因がある。意図せざる『村九分』現象は、別けても地域社会の紐帯が緩み、希薄化し、霧散していく、その一典型ではなかろうか。
 阪神・淡路大震災の折、高齢者の救出が最もスムーズに行われ一人の行方不明者も出さなかったのは淡路島北淡町であった。年寄りの寝ている部屋が判るほど町内の繋がりが濃密な地域であったそうだ。これは重要な教訓ではないか。

 養老孟司氏によれば、「都市化」は自然を否応なく排斥していく。排斥の一形態として外在化や外注化があるとすれば、おくりびとによる送りは本来自然(身内)に属するもののなにかが確実に外在・外注化されている。
 徳川体制の軛を解き放って日本は身分制社会から決別した。社会の在り方がドラスチックに変わった。だから明治維新は革命であった。生まれ落ちて、家業を継ぎ、老親を看取る ―― 2千年来の祖型から脱皮した。爾来1世紀半、とりわけ戦後60年の歩みは急劇であった。遮二無二都市化した。その中で外在・外注化が進んだ。手っ取り早い例では、出産も介護も死亡もいまやほとんどが自宅以外の施設(病院)に外在化されている。人生の終焉を自宅で迎えようとする動きも芽生えているが、病院のベッドではなくわが家の畳の上で往生するのはいまや至難である。出産も然り。わが家で生まれるのはむしろ事故に近い事例だ。とりわけ人工授精や代理母は外注の極みだ。00年には介護を社会化する制度ができた。つまりは外注化である。遠距離介護の経験をもつ元厚労大臣もいたが、それは例外に属す。

 次元をずらして言葉を援用すれば、戦後日本は国防も外注してきた。身も蓋もないが、有り体にはそうだ。日米安保条約とは、安保外注条約である。では自前で、といっているのではない。近ごろでは身も蓋もほしがる向きが増えてきたが、憲法9条を忘れる訳にはいかない。
 食糧も外注だ。食糧自給の問題だ。このことについては私見を披露したことがある。(08年7月26日付本ブログ「食、二話」)
 企業や行政でも「アウトソーシング」が流行(ハヤリ)だ。スリム化には格好の手法だが、「事業仕分け」などという的外れなアウトソーシングは困る。(前稿で触れた。国会権能のアウトソーシングは国の基に抵触する)

 ふと、浮かんだ「外注社会」。この括り方は結構おもしろいかもしれない。
 最近の子どものたちにとってお袋の味とはコンビニ弁当だという笑えない話がある。あるいはデパ地下やスーパーのデリカテッセンか。親子でもないのに「お袋の味」を看板にする店もある。御婦人方のお叱りを覚悟の前で言えば、炊事の外注化であろうか。
 …… 時流は抗しがたい。棹さすほかはないかもしれない。しかし、外注がなにものかと引き換えになされる冷厳な現実も忘れてはなるまい。 □


金さんはすっこんでろい!

2009年11月12日 | エッセー

「やかましいやい! 悪党ども!! 黙って聞いてりゃ寝ぼけたことをぬかしやがって。この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜ!」
 桜吹雪も紙吹雪もなかったが、行政刷新会議の事業仕分け初日を見て遠山の金さんに連想が跳んだ。
 丁々発止の遣り取りである。霞ヶ関から出張った役人たちは「悪党ども」、潜入捜査の「金さん」が自治体職員や民間有識者で、「北町奉行遠山左衛門尉」はさしずめ民主党国会議員といったところか。「必殺! 仕分け人」だそうだ。
 
 しかし、なんだか変だ。 …… これはおかしい! 
 以下、朝日の社説(11月11日付)から抜粋。

〓〓事業仕分け 国民だれもが点検できる 
 来年度の予算案づくりに向け、行政刷新会議の事業仕分けがきょう始まる。
 民主党の国会議員と自治体職員、エコノミストら民間の有識者が「仕分け人」となり、役所の担当者と議論しながら、ひとつひとつ事業の必要性を吟味する。
 作業にあたるのは枝野幸男元政調会長ら民主党の国会議員7人のほか、民間の有識者56人が起用された。目標は、95兆円に膨らんだ来年度予算の概算要求から3兆円規模の削減を生み出すことだ。仕分け対象は政府の全事業の約15%にあたる447事業。
 ▽費用に見合う効果はあるのか▽縦割り行政のなかで重複はないか▽財政が苦しい中で今やる必要はあるのか▽地方や民間に任せるべきではないか、といった観点からの検討である。
 特筆したいのは、仕分け作業が全面的に公開されることだ。会場で傍聴できる人は限られるだろうが、インターネットで中継され、全国どこでも見ることができる。国民からの意見を受け付ける仕組みも検討しているという。
 予算査定の生の現場が公開される。納税者としてこの機会を見逃す手はない。私たちの納めた税金がどのように使われようとしているのか、しっかり目をこらしていこう。民主主義の原点を確認する機会にもなる。〓〓

 社説はいささか能天気に過ぎないか。同紙の翌日の報道を引用する。
〓〓やりとりをすべて一般に公開したのは、鳩山政権が掲げる「ムダ削減」を鮮明に切り込む姿を見せて、世論を味方につける狙いからだ。仕分け初日に「廃止」を打ち出しやすい事業を集めたのも計算づくだ。
 法律上の職務権限がない民間人が政策決定にかかわり、国の事業の存廃に影響力を持つ根拠は不明確だ。議論の時間も1時間ほどにすぎない。所管事業の「廃止」を決められたある省の幹部は語った。「これは公開処刑だ」
 ただ、派手な廃止劇の一方で、予算の大きな削減につながる「大玉」案件は「見直し」にとどまった。制度の改正や大規模な予算の組み替えにつながりかねず、政治判断が必要だからだ。〓〓
 まずおかしいのは、手の込んだパフォーマンスであることだ。小泉政治は「劇場型政治」と呼ばれたが、そのお株を奪う。いけないというのではないが、公開には副作用が伴う。衆人環視であれば見栄えが気になる。大向こうを意識する。中身の論議が冷静になされるであろうか。同等の立場での遣り取りであろうか。はなはだ疑問だ。なんのことはない、テレビでお馴染みの政治ワイドショーの焼き直しではないのか。現に「寝ぼけたことをぬかしやがって」風の発言や、「やかましいやい!」とばかりの発言掣肘が目立った。前記の「公開処刑」は印象的だ。
 まあ、分からぬではない。長い冷や飯生活からほっかほかの銀しゃりにありついた連中である。一世一代の晴れ舞台だ。見得でも切って六方でも踏みたいところだろう。国会からは民主党だけが参加。だから国民新党はおいしいところの独り占めだとねじ込んだ。社民党はシカトされたと膨れっ面である。
 対象は「政府の全事業の約15%にあたる447事業」である。事業数の割りには目標額3兆円とはいささか少なすぎないか。概算要求の3%である。獲物に比して仕掛けが大きい。鶏を割くに牛刀を用いる類いだ。大袈裟なのだ。だから歯に衣着せねば、お為めごかしともいえるし、譲っても、パフォーマンスでしかない。なにはともあれ、『前』とは違うんだというところを見せようとする気負いばかりの印象を受ける。
 さらにグランドデザインがない。基本となるコンセプトもない。木を見て森を見ざるではないか。庭の結構も決めずに、石を並べ換え木の剪定をするようなものだ。順序が逆だ。国民目線、市民参加と聞こえはいいが、よほど見極めねばなるまい。体よく乗せられては、大怪我をする。「公開」に吊られて後悔してはなるまい。

 予算は、執行後のチェックは会計検査院が担う。執行前のチェックは財務省主計局の役割だ。「事業仕分け」は双方の権能をもつ。だが、なんらの法的根拠のないヌエのごとき存在である。実は、ここが一番おかしい。
 古い話と嗤うなかれ。迷ったら原点、迷わなくても原点だ。社説がいう「民主主義の原点」だ。
 1215年、マグナ カルタが制定された。イングランドのジョン王に縛りを掛けた憲章である。つまり王といえども「法の支配」を受けるということだ。民主主義の原点であり原典だ。全63カ条。その第12条では、王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができないと定めている。
 「法の支配」は後の清教徒革命にも、アメリカ建国にも連綿と竜骨を成し今日に至る。何度も取り上げてきた「リヴァイアサン」を封じ込める牆(カキ)でもある。
 下って1265年イギリスで、さらに37年後にはフランスで初の議会が開かれた。有り体には民意を問うなどという代物ではなく、極めて便宜的なものであった。租税の改定のため一々の貴族(領主)に契約の変更を飲ませるのは面倒である。そこで貴族の代表を集め討議させ、十把一絡げで了承を取り付けた。また、貴族からすれば議会があることで王の独走に歯止めを掛けられる。自分たちの利益と特権を護れる。両者の思惑が一致して議会が誕生した。だから出自は決して綺麗事ではない。金絡み、別けても税金を取る取らないの沙汰であったのだ。

 括っていえば、「法の支配」を父とし税金を母として議会は生まれた。だから税金はアプリオリに議会に属す。議会の専権事項だ。いかな遠山の金さんでも立ち入れない領分なのだ。
 建前では、「事業仕分け」は諮問の位置付けである。しかし敢えて「公開」し、大々的に喧伝する以上は、実態的には内閣、首相を拘束する。これはおかしい。法的権能のない機関が国政の核心部分に容喙する。行き着くところは、議会制民主主義の否定にならないのか。上記の成り立ちに照らしても、税の審議というただ国会、国会議員にのみ委ねられた最大の職責、職権はどうなるのか。与党の大半は、小沢流の「起立要員」でしかないのか。野党はなぜ静観するのか。国会軽視、いなベクトルは議会制度の骨組みに向かっている。大仰なと言う向きには、大本営の暴走を想起願いたい。ともかくも、蟻の一穴を怖れねばならぬ。それだけの負の遺産をわが国は抱えていることを夢寐にも忘れてはなるまい。修羅場を脱してまだ64年でしかない。 □


老兵は死なず、ただ消え去るのみ

2009年11月09日 | エッセー

 Old soldiers never die,they just fade away.

 離日の時だとばかり勘違いしていた。そうではなく、ダグラス・マッカーサーが本国へ召還されたのち米議会でぶった退任演説、その仕舞に使ったフレーズであった。                           
 かつて陸軍士官学校の兵士の間で唄われていた戯れ歌の一節だそうだ。「老兵」とは将官ではなく、一兵卒のことらしい。ろくな食い物も与えられず消耗品扱いされる身の上を自虐した歌だ。
 中国の参戦による朝鮮戦争の泥沼化、膠着。華々しい戦績、業績が躓く。もともと反りの合わなかったトルーマン大統領との齟齬。解任、更迭、帰国。大統領選出馬の不首尾。ついに退場となる。だからこの言葉には、彼の鬱屈した心情が込められているにちがいない。少なくとも晴れやかな引退の弁ではない。

 数えで区切るのが本来だが、今様に満年齢で11ケ月分鯖を読んできた。いよいよ12日で足の速いこの魚に追い越される。アラカンのど真ん中に至り、このランキング・サイトの年代枠を一つ進むことになる。だが、そうはしない。当方「鬱屈」なしで、「老兵は死なず、ただ消え去る」ことにする。次の年代枠は「 ~」である。ケツカッチンではないのだ。例の「後期高齢者」のようで、これがどうにも合点(ガテン)がいかない。ために、お世話になったこのサイトの運営者に満腔の謝意を表しつつも、そうする。
 足掛け4年といえども結構な歴史だ。ランキングにエントリーした時は、わずか25人だった。今、その22倍を超える。トップ10もいろいろと盛衰し変遷した。この4年の間、ほとんど切れ目なしにへばり付いてきたのは「伽草子」だけではないか。ただ一つの、密やかな自負である。数カ月間トップ1にあったことも、数日間トップ10を外れたことも捨て難い思い出となった。昨年は入院、手術で三途の河原まで繰り出してキャンプを張り、『現地ルポ』も試みた。わずか1年前だが、遥か昔のような気もする。
 ともあれ長きにわたりこのような佶屈聱牙、郢書燕説にお付き合いいただき、投票までしていただいた方々に心より感謝申し上げたい。ただ、ブログを閉じるわけではない。URLも同じである。引き続きの御愛顧を重ねてお願いいたしたい。このサイトからのアクセスは11日で終わりとなるが、このブログと書き手は「死なず」である(多分)。早とちりなさらぬように。

 「一兵卒」ながらも存在証明のために始めたブログが、近頃では生存証明になってきた。これからは「老兵」にふさわしく、ゆったりとしたペースで続けたい。とはいうものの、どうなるか。いつでも、なんでも、どれだけでも、どのようにも書けるのがブログの売りだ。ブログの「ログ」とは航海日誌の意。擱座を繰り返す『欠片丸』の航跡を綴り残すのも一興だ。そうだ、今日の日誌の仕舞はこうしよう。

 Old soldiers never die,they just fade away. 


大きなお世話のお薦め、好番組と好著

2009年11月06日 | エッセー

 これはいい番組だ。さすがはNHKである。
 「ブラタモリ」
 タモリとしてはNHK初の冠番組。同局への出演も9年ぶり、レギュラーは実に20年ぶりだそうだ。10月から始まった。木曜日(不定期)夜10時から。全15回、来年3月までの放送予定である。
 タモリは有名な地図オタク、地図魔である。「いいとも」のために、どこにも行けない。金は腐るほどあっても、時間は極貧だ。かくなるうえはと、地図によるお得意の『妄想』となったらしい。
 番組はオールロケで、しかも構成はアドリブ。つまり、ぶっつけ本番だ。タモリが古地図を手に東京各所を逍遥し、近代都市TOKYOに残る歴史の痕跡を探ろうという試みだ。専門家も登場。CGを使っていにしえを再現する工夫もある。
 偶然観た第一回は早稲田。タモリの母校でもある大学の界隈だ。大隈重信が明治14年、「東京専門学校」を創ったころは文字通り早稲を作る田圃であったことを繙いていく。
 神田川沿いでは、かつてその川水を使って染色業が盛んであったことを紹介。また区名表示がスクランブル状であることを発見し、流路の付け替えが行われた史実を詳らかにする。
 さらに『懐かし』の「胸突き坂」へ。手摺りはアルミ製の立派なものに付け変わったものの、当たり前だが傾斜は変わらない。タモリは高名な(?)『坂好き』で、暇さえあれば坂巡りをするそうだ。ここで一齣(クサリ)、「坂」談義が挟まる。  
 つづくは隣接する一山(イッサン)丸抱えで宴会・イベント施設という「椿山荘」。古地図と地形から太古、東京湾が山裾まで迫っていたことを熱っぽく語る。
 2回目が上野、次が二子多摩川、銀座と続く。なにせ東京は500年を超える歴史を抱(イダ)く古都だ。新旧取り混ぜ、「歴史の痕跡」だらけだ。また、これほどメタモルした都市もない。通ならずとも、興趣は尽きない。
 エンディングテーマは、タモリとは断琴の交わりである井上陽水の作詞・作曲。しっかりと陽水節で、しかもテーマを彷彿させる上出来の作品だ。
  ―― 以上、某国営(?)放送になり代わってのバンセン(番組宣伝)である。

 「ブラタモリ」の連想で、好番組の次は好著だ。「好著」とは賢(サカ)しらぶるようで気が引ける。
 司馬遼太郎著「街道をゆく」である。
 なにを今更という向きもあろうが、実は「今」読んでいるのである。司馬作品については、既刊はほぼすべてを読んできた。理解が及んでいるかどうかは甚だ心許ないが、読むには読んだ。ただ一つ(?)残ったのが本書である。「週刊朝日」の連載物だったから、完結して単行本にでもなったら読もうと打遣(ウッチャ)っていたのが悪かった。失念が長期に及び、迂闊にも連載途中であっても小口切りで刊行されることに考え及ばなかった。そんな具合であったから、本屋で目に入っても意識が留まることはなかったのであろう。
 読み始めたのは一昨年の秋からだ。発端は新聞の広告である。はたと件(クダン)の失念に気づいた。早速1巻から折々に読み始め3巻目に至ったころ、ふと差し込みの宣伝を見て愕然とした。なんと既刊が40巻を超えるではないか。作者にとって遺稿となった作品だが、これではこの間抜けな読者にとっても『遺読』になってしまう。集中して完読するか、それとも頃合いで止めようか。とこう逡巡した結果 ―― ままよ、『遺読』で結構ではないか、愛読者冥利というものだ、ここは腰を落ち着けてじっくり向き合うか ―― そう心組みをした。今はまだ3分の1を超えたところ。先は長いが、作品がこれ以上長くなる心配はない。こればかりを読むわけにはいかぬが、ともかく挑戦である。
 さて「街道をゆく」は71年から25年間、「週間朝日」に連載された短編紀行である。ほとんどは国内だが、時にはオランダ、モンゴル、韓国などにも足を伸ばしている。街道をゆきながら、つまりは地面を縫いつつ各地の風土と文化、人と歴史を描く。随所にというか、すべてが前人未踏の歴史的造詣からの洞察である。時に目眩がするほどに慧眼が光り、場景を書き採る筆致は枯れ山水のごとき滋味を帯びる。当地縁(ユカリ)の人との間合いは近からず遠からず、いつもほどよい。この種のものにありがちな、過度の感情移入によって描写がべとつくことはない。なにかの拍子には、友愛の籠もった諧謔が同行の士へと向けられ読者を和ませる。
 ある意味で、司馬史観の現場ルポルタージュともいえるのではないか。現代の「土佐日記」と称して遜色はないし、いなそれを超える好著、名著ともいえる。一級の地誌であり、最高峰の風土記でもある。
 同行の士とは主に、挿絵を担当した須田剋太画伯である。のち、桑野博利氏が承け、遺稿に至る5年間を安野光雅氏が筆を執った。すでにあるのかどうか、挿絵集がほしいところだ。また長編小説ではないし、ほぼ全国が網羅されているから、郷里をはじめ随意にピンポイントでも読める。と言えば、宣伝めくが …… 。
 
 比較にならないのを承知でいうと、四捨五入して「ブラタモリ」が虫の目線、「街道をゆく」は同時に鳥の目線を併せ持つといえよう。大きなお世話であろうが、この二つ、観のがし、読み逃すのは惜しい。 □


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2009年10月の出来事から

2009年11月04日 | エッセー

<政 治>
●羽田空港を「ハブ空港に」
 前原国交相が「24時間国際空港化をめざす」と表明(13日)
 ―― 「9月の出来事から」で友人Y君の人物評を紹介した。
 前原 国交大臣 …… 秀才気取りのスタンドプレー アンちゃん。Y君曰く、あの顔はどう見てもアンちゃんだ。およそ人格的香りがない。というものであった。 
 わたしなりに解釈すれば、『アンちゃん』とは政治的未熟をいうのではないか。つまりは、政治というものが解っていないようだ。司馬遼太郎の言う「政治という理外の理のような機微」が掴めていない。
 寝耳に水の千葉県知事は直談判に及んだが、なんだか腰砕けに終わったようだ。なんとも絵にならない人物だ。いっそ剣道着に身を固め、竹刀でも振り回しながら東京湾岸を駆け上って国交省を目指せばよかったのに。潮風を浴び、砂浜を蹴りながら。
 本ブログで、最近癖付いている手を使う。
 かなり古いが、「アンコ椿は恋の花」。
  〽三日おくれの 便りをのせて
   船が行く行く 波浮港
   いくら好きでも あなたは遠い
   波の彼方へ いったきり
   あんこ便りは あんこ便りは
   あ・・・・あ 片便り〽
 「波浮港」は「ハブ港」に、〽「いくら好きでも なりたは遠い」、〽「アンちゃん便りは・・・片便り」に聞こえてしょうがないのだが、いかが。「片便り」とはもちろん、一方的で極めて稚拙な政治的センスをいう。

●10年度当初予算の概算要求まとまる
 総額95兆380億円で過去最大に(16日)
 ―― その前に、鳴り物入りで切り込んだ補正予算。新政権は、2割を削減できたと胸を張った。しかし事を逆さにすると、削るに削れなかった8割は必要不可欠、正当であったことになる。税金の追徴課税ではないが、解釈の違いを2割とすると、前政権の組んだ補正はつまるところ正解だったといえるのではないか。坊主憎けりゃで袋だたきにした補正の方に軍配が挙がったといえる。
 カン違い君は「霞ヶ関は大バカだ」と宣(ノタモ)うたが、大バカが80点は取れまい。立派な合格点だ。まあ、こんな物言いしかできない品性下劣な輩がなんとか室の担当大臣とは、新政権の未来も決して明るくはない。何様のつもりだろう。だから君を、「カン違い」と呼ぶのだ。
 予算について、『要求大臣』ではなく『査定大臣』にがスローガンだ。概算「要求」とは形容矛盾だが、それは言うまい。スローガンだから。ただ、前政権の昨年度予算を上回ることだけは確実だ。関空95個分の金で、さて何をする? 

●日本郵政社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏決まる
 「脱官僚」に反すると批判も(21日)
 ―― 首相「斎藤氏は旧大蔵省の事務次官だが、退官後14年間、民間で勤務した経験がある。したがって、真にこれは適材適所だと判断して、能力のある方に就いていただいた」(自民党議員の質問に答えて)。(日銀の総裁人事で元官僚を拒んだとについては)「日銀の独立性から判断したもので、(民間で勤務した)年数によって決めたという判断ではない」
 要を得ない発言だ。ほかに問題は二つ。一つは、指名委員会で社長を指名して取締役で決めるという手続きが飛ばされている。コンプライアンスに反する。
 二つ目に、小沢人脈からの起用であること。小沢氏とは長く浅からぬ因縁をもつ。ともに細川政権の時、「国民福祉税」を打ち上げたのは有名。別に誰の人脈であろうと文句はないが、『泥亀』君が幹事長の歓心を買ったか、威を借りたか、したたかで巧妙な悪知恵を弄したことに大文句がある。その辺りは同じ自民党のDNAをもつ二人、阿吽の呼吸であろう。蚊帳の外だったのは総理である。実態は『鳩』が豆鉄砲だったにちがいない。前政権党でさえやらなかった二重権力の醜怪な図である。いな、権力は一つなのに、あたかも官邸にもそれがあるように見せるオザワならぬコワザが怖い。だからこの人事は「脱官僚」を超えて「脱法」と「脱内閣」へ、権力が手玉に取られていく悪夢を見るような怖気がする。

<経 済>
●日本航空・再建方針発表
 官民ファンドの企業再生支援機構に支援を要請(29日)
 ―― 9月下旬に発足した「JAL再生タスクフォース」の提案によるものなのか、別途の意志決定によるものか、要請への成り行きがよく見えない。
 何より納得できかねるのが、8千億円の企業年金債務を削減するため退職者の年金を減額できるように特別立法を検討している動きだ。これは法治国家の名に悖る企みではないか。政府内には「企業年金を削減しなければ、税金の活用に国民の理解が得られない」との意見が根強いそうだ。「国民の理解」なるものは、果たして錦の御旗か。その御旗の下にOBにまで累を及ぼそうとするのか。新政権には社民党もいる。旧社会党出身者もいる。連合も一翼を担っているはずだ。この種の事柄に一番敏感であるべき彼らは、なぜ沈黙するのだろう。JALには多数の労働組合が輻輳し、身動きが取れないのであろうか。他企業も他人事(ヒトゴゴ)ではない。法の恣意的運用どころか、恣意的立法が易易として行われるのなら、もはや法治国家でもなんでもない。独裁国家と呼ばれても仕方ないだろう。

<社 会>
●景勝地「鞆の浦」の埋め立て認めず
 アニメ「崖の上のポニョ」の舞台めぐり広島地裁(1日)
 「崖の上のポニョ」などどうでもいい。それは枝葉にもならぬ話だ。(第一、わたしは宮崎某が好きではない)それよりも、以下の一文を頂門の一針として拝したい。
〓〓私どもはさまざまな点で奇民族だが、景観美についても、倭小な精神をもっている。すぐれた景観の自然のなかに村があっても、家々に塀があって、塀の囲いの中にちまちまとした庭をつくり、その小庭のほうをながめてよろこぶ通癖をもっている。「そとはすばらしい自然じゃないか」と、私の知人のイギリス人が私に理由の説明をもとめたことがあるが、私には説明ができなかった。ひょっとすると、自然や都市美を共有する精神がないのではないか。それにしても自分の小庭の植物は観賞に堪えうるが都市空間の植物についてはその私有植物の延長とも見ないというのはおもしろい。〓〓(「街道をゆく」第14巻より)
 これは公共建築物のために森が消える危機について司馬遼太郎が綴った一節だ。だれかが提起していた地下道案でもいいのではないか。「倭小な精神」から抜け出る一策だ。

●07年貧困率は15.7%
 低所得者の占める割合を示す「貧困率」を政府として初公表(20日)
 ―― 「相対的貧困率」とは所得を世帯人数に振り分けて高い順に並べたときに真ん中の所得(228万円)を基準に、その半分に満たない人が占める割合を示す。逆にいえば、中間層の細り具合だ。04年ではOECD加盟30カ国中、アメリカに次いで4番目に悪かった。
 日本が戦後の経済発展を成し得た最大の要因は中間層の育成にあった。中国、インドの急成長も中間層の増大に因る。ここを外さず、どう手を打つか。舵取の要だ。

●足利事件で再審初公判
 菅家利和さんが改めて無実を訴え(21日)
 ―― 「たとえ千人の真犯人を逃すとも、一人の冤罪者を生むなかれ」の鉄則を、再度肝に銘じたい。それにつけても、あの捜査段階の録音テープは貴重だ。検察としては早く幕を引きたいだろうが、是非とも活字に起こして公開を願いたい。

●JR西歴代3社長「起訴相当」
 宝塚線(福知山線)脱線事故で、神戸第一検察審査会(22日)
 ―― 水に落ちた犬を打つのではない。責任の所在も大事だが、滅私奉公から『滅私奉社』に至る連綿たる日本的文化の深層に切り込めないものか。至難ではあるが、せめてその端緒にと願う。

●閣僚らの資産公開
 鳩山首相の資産は約14億4千万円・閣僚の平均額は1億4045万円(23日) ―― 他人の財布を覗いてもしょうがないが、さすがに政党の『オーナー』だ。それにつけても、「故人献金」の怪。当人は口を噤んで語らぬが、自分の財布さえ管理できぬ者が国家の財政を取り仕切れるであろうか。これもひとつの怪である。
 報道によれば、「首相の次に資産が多かったのは福島瑞穂消費者・少子化相で2億5千万円。3位は藤井裕久財務相の2億214万円だった。首相以外の閣僚の資産を合計しても、首相に届かなかった」そうだ。すげぇー。
 桁が違うとはいえ、福島大臣の2位には驚いた。インタビューで、弁護士時代の稼ぎが大半だと言っていた。夫も弁護士で …… と。その報道コメントで、さらに驚いた。大臣は事実婚であるそうな。これはまた隅に置けぬ。Y君は『ブリッ子』と評したが、なかなかどうして。やるときゃ、おやりになるようだ。自身のお立場と少子化との係わりについて、ぜひ伺いたいものだ。

<哀 悼>
●三遊亭円楽さん(正統的古典落語を得意とした落語家)76歳(29日)
 ―― 大病を患い復帰した後、自らの芸に納得がいかぬと引退した。まことに潔い進退だった。貴重な『言葉の職人』をひとり、日本は失った。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げた。すでに触れた話題、興味のないものは省いた。見出しとまとめはそのまま引用。 ―― 以下は欠片 筆)□


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歌は世につれ・・・

2009年11月02日 | エッセー

  〽格子戸をくぐりぬけ
   見あげる夕焼けの空に
   だれが歌うのか子守唄
   わたしの城下町
 可憐な乙女『だった』ころの小柳ルミ子が唄った「わたしの城下町」である。Windows 3.1を振り返る時、「格子戸をくぐりぬけ …… 」がなぜか甦る。
 「プログラムマネージャ」 ―― いまや涙が出るほど懐かしい言葉である ―― から事は始まった。格子のような窓が開(ヒラ)いていく。ソフトが立ち上がる。まさに「格子戸をくぐりぬけ 見あげる夕焼けの空」だ。カラスは飛ばないまでも、画面には夕焼けのように美しき展開が連なり、わが胸は紅(クレナイ)にときめいた。さすがに「子守歌」は聞こえなかったが、開幕のジングルが鳴り響き、目の前の金属の箱が「わたしの城」となって立ち上(ノボ)ったのだった。
 …… Windows 3.1は、そのようにして始まった。93年、格段に利便性が向上し、PCがDos時代からメタモルフォーゼを果たした歴史的快挙であった。

 95年にはWindows 95がデビュー。インターネットの拡大、本格化とともにPCの世界が大きく変貌した。猫も杓子もの大狂乱となり、PCを持たない人まで深夜の発売に並んだという。 …… 一体、なんのために? 
  〽踊るアホウに 見るアホウ
   同じアホなら 踊らにゃ
      損 損
      といったところか。まことに日本民族は尻が軽い。可愛げがあるともいえるし、だから怖くもある。
 電話の相談では、「マウスを上げてください」の指示にマウスを高々と持ち上げた人もいたとか。はてはウソかホントか、「窓を開いてください」に家中の窓を開け回ったすげぇー勘違いがあったそうな。明治初年電信の開闢期に、電線に荷物をぶら下げた笑い話があったと聞く。決して昔の話ではない。今でも同じことが立派に起こる。

 98年にはWindows 98がリリースされた。95ほどの衝撃はなかったが、意外と定着したOSとなった。

 Windows Me が00年。ミレニアムに乗せた鳴り物入りの製品であった。だがこいつが、意に反して癖のようにフリーズを繰り返す。9Xシリーズの宿命でもあった。<システム復元>機能が加わったものの、過信は禁物。わたしの周辺では、『フリーズ フリーズ ミー』と呼び慣らわした。もちろんBeatlesの「Please Please Me」のもじりだ。
   〽Please  please  me
      ではなく
      Freeze  Freeze  Me
      で
    〽oh Yea
   だった! 

 次はちょっと無理矢理だが …… 「ひと夏の経験」。
   〽あなたに女の子の一番
   大切なものをあげるわ
    ・・・  ・・・  ・・・  ・・・
    ・・・  ・・・  ・・・  ・・・
   誰でも一度だけ 経験するのよ
   誘惑の甘い罠  
 夏はとっくに過ぎた01年10月、PCが「女の子」にもごく普通のアイテムになっていたころ、マイクロソフトが「大切なものを」くれた。Windows XP だ。
 『 experience 』、飲み込めないネーミングだった。使ってみれば判るとの自信か、新しいPCライフへの誘(イザナイ)いか。ともかく9X系からNT系に移行して見違えるほど安定性を増し、「一度だけ」どころか「経験」は完全に日常化した。「在位」6年間、今までのシリーズで最長のヴァージョンとなった。ために、ネット世界の「誘惑の甘い罠」にいつも晒されるハメとなった。

  21世紀に入って、やはり世界は動いた。Googleをはじめとする新手が勃興してきた。難攻不落を誇ったマイクロソフトの牙城を揺さぶり始めた。PC自体がひとつの飽和を迎え、ネットの末端もさまざまに分岐してきた。またクラウドコンピューティングという新しい地平も開かれようとしている。そんな中で07年、MSが霧中に放ったのが、Windows Vista だ。
 「見通し」はきいたか。「眺望」は得られたか。 …… これが期待に反して、芳しくない。遅い、重いのである。ハードの高性能化に寄りかかり、メタボが相当に進行してしまった。二兎どころか、五兎も六兎も追っては一兎をも得られるわけがない。そこで ……

   〽セブン セブン セブン セブン
   「セブン セブン セブン」
   「セブン セブン セブン」 
   はるかな星が 郷里だ
   ウルトラセブン ファイターセブン
   ウルトラセブン セブン セブン
    ・・・  ・・・  ・・・  ・・・
   倒せ! 火をはく 大怪獣を
    ・・・  ・・・  ・・・  ・・・
   守れ! ぼくらのしあわせを
 当たり前と言えばその通りだが、「ウルトラセブン」の主題歌にはやたらと「セブン」が出てくる。たしか、43回。ラッキーナンバーとはいえ、なんとも多い。
 それにあやかったか、奇しくも7作目となるヴァージョンが先月、世に出た。Windows 7である。
 正確には、NO.1=Windows 1.0、NO.2=Windows 2.0、NO.3=Windows 3.x、NO.4=4.x (95, 98, 98 SE, Me)、NO.5=5.x (Windows 2000, Windows XP)、NO.6=6.0 (Windows Vista)とあって、その後継、7番目である。
 ウルトラセブンはM78星雲からやって来たが、こちらのセブンはMS星雲かららしい。「はるかな星が 郷里だ」。敵は「火をはく」Google「 大怪獣」。地球侵略を防がねばならぬ。奴は地球の知を独占しようとしている。セブンよ、「ぼくらのしあわせ」を「守れ!」
   〽セブン セブン セブン セブン
 なんとピッタシの歌か。ただ問題は、「ぼくら」とは誰か、である。まさかMSではなかろう。ならば、世界中のユーザーか。ぜひ、そう願いたい。
 かなりスリム化して、スピードアップしたらしい。『窓』の拡大に初めてストップが掛かった。画期的だ。ターニングポイントだ。そうなのだ、「大きいことはいいことだ」はすでに古い。古語であり、死語である。世の流れに逆行する。

 さて、わが机上のマシンはWindows Vistaである。ユーザーの人生と軌を一にしたのか、なかなか『眺望』が開けない。期待外れに臍を噛むことしきりの2年間である。「ウルトラ警備隊」を頼ろうか、「ウルトラセブン」を呼ぼうか。決めかねる日々がつづく。前稿で語った「新しもの好き」には苦痛の毎日だ。
  …… 待て待て、急いては事を仕損じると古人は教えたではないか。産声を上げてまだ一月(ヒトツキ)にもならぬ。ここは、洞ケ峠にしけこむに如(シ)くはない。それつけても、持ってくマシンはどのヴァージョンだ? □


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