■ 横浜市長を突然辞職した中田宏氏は胡散臭い人物だ (1/2)
横浜市長を突然辞職した中田宏氏に関するwikipediaの経歴(下記参照)を見ますと胡散臭さが漂ってきます。
特に2000年の総選挙で実質的に民主党の応援で当選したにもかかわらず、2001年の内閣総理大臣指名選挙で会派「民主党・無所属クラブ」に所属しながら自民党総裁の小泉純一郎氏に賛成投票して会派を除名されたのを見ますと、このころから小泉自民党の別動隊の役割を担っていたのがわかります。
横浜市長を突然辞任した理由として、「衆院選と市長選をダブルでやったほうが10億円経費が安くつ」とか「橋下大阪府知事や中村松山市長や山田杉並区らと一緒に結成した首長連合の運動を国民運動として大きくするため」とか言っていますが説得力はありません。
首長の横浜市長を辞職して無役の一国民になった中田氏が寄せ集めの首長連合を引っ張っていけるとは到底思えないからです。
おそらくいくつも抱えているスキャンダルが大爆発する前に辞職して一民間人になって責任を回避するため切羽詰まって辞職したのが真相だと思われます。
(以下はwikipediaからの抜粋です)
1) 来歴
1965年生まれの44才。神奈川県横浜市青葉区出身。神奈川県立霧が丘高等学校時代は空手道に打ち込んだ。卒業後二浪して青山学院大学経済学部入学。1989年卒業後松下政経塾に第10期生として入塾。
2) 国政進出
1992年日本新党の結党に加わる。細川護煕や小池百合子の秘書を務めた後、1993年総選挙に旧神奈川1区より立候補。初当選をトップで飾り、以後3期連続当選。8月には党役員人事で小沢鋭仁政策委員長の下で政策副委員長に就任、その後新進党結党大会に参加して決算委員会理事などを務める。新進党分党後は無所属の会に参加。
2000年の総選挙では実質民主党の支持で内閣総理大臣秘書官経験者の新人江田憲司を破り再選されるが、翌2001年の森喜朗退陣に伴う内閣総理大臣指名選挙では会派「民主党・無所属クラブ」所属代議士ながら自身と同じ神奈川県内小選挙区選出代議士で自身と同じ郵政民営化論者の自由民主党総裁に就任間もない小泉純一郎に投票、独自の動きを示(当時民主党幹事長菅直人は激怒し会派除名、院内では無所属に)。
3) 横浜市長
2002年横浜市長選挙に立候補、組織的な支援を受け4選を目指した高秀秀信市長を破って初当選を果たしている。(同選挙では当時26歳の竹田恒泰も出馬に意欲を示したが結果的に中田支援。ちなみに高秀氏が1990年に初当選した際には、 当時25歳の中田はボランティアとして高秀陣営に参加している)。
市政は、ゴミの分別回収の徹底や保育所の民営化・横浜市立大学の機構改革などで市民からは賛否両論を呼びながらも、自治体における行政改革の模範として政府や全国の自治体から高い評価を受けている。2006年には日本共産党が推薦する海洋学者の松川康夫を破り、再選される。
2009年7月28日、2期目任期途中で市長職の辞職を表明した。尚、退任日は地方自治法第145条の規定に基づき、2009年8月17日の予定である。
(以上wikipedia情報終わり)
大恩のある高秀秀信氏を裏切って横浜市長選に立候補し勝利したいきさつは、次回(2/2)でお伝えしますが、中田氏は人をとことん利用し最後には裏切ってのし上がっていく人物であることが良くわかります。
4) 植草一秀氏「痴漢冤罪事件」
経済学者植草一秀氏が巻き込まれた2004年手鏡事件は、中田宏氏後援会での講演を横浜駅前のシェラトンホテルで行った後の帰り道に起きました。中田氏は小泉純一郎氏を支援するような新自由主義者で植草氏とは相いれない思想の持ち主と思われるのになぜ植草氏に講演を依頼したのか?
「痴漢冤罪事件」の謀略をでっち上げて植草一秀氏を逮捕・起訴したのは、小泉・竹中自民党政権であり、小泉氏・竹中氏と親密な関係を持っていた中田氏も関わっていたのではないのかとの重大疑惑が生じます。
5) スキャンダル
●『週刊現代2007年12月1日号』
横浜市長・43歳 中田宏は海外視察をサボってキャバクラで「ホステスおさわり」 ワイセツ市長のハレンチ追及第3弾。中田氏は週刊現代を名誉棄損で「提訴」。次に「刑事告訴」した。
●『週刊現代2007年12月22-29日号』
ワイセツ首長のハレンチ連続追及第5弾 中田宏横浜市長「消えた選挙資金1000万円」と「税金ネコババ」疑惑 市民団体が刑事告発へ
● 神奈川新聞 2008/12/16
市長公用車運転手の超過勤務命令簿/市会要求の資料を誤廃棄
● 河北新報社 2008/12/25
中田横浜市長に慰謝料求め提訴“元交際相手”クラブ女性
横浜市の中田宏市長と交際していたと主張する市内の元クラブ従業員の女性(30)が25日、市役所で記者会見し、市長を脅しているなどとして名誉を傷つけられた上、周囲の嫌がらせで病気になったなどとして、市長に慰謝料3000万円の支払いを求め、24日に横浜地裁に提訴したことを明らかにした。
訴状によると、市長と女性は2004年春ごろ、女性が勤務していた横浜市中区のクラブで知り合い、市長から「妻と離婚して一緒にいたい」などと言われ、同年夏ごろから交際を始めたという。
その後、交際のうわさが広がり、嫌がらせを受け1人で対処せざるを得なくなり、ストレスなどから腎不全やうつ病の治療を受けるようになったと主張。さらに中田市長側から「交際のうわさを流したのは女性で、女性から脅されている」などと言われて名誉を傷つけられたとしている。
中田市長はこれまでの記者会見で、女性との交際について「弁護士に任せている」と回答。この日は事務所を通じ「訴状が届き次第、弁護士と協議し法的措置を含めて対応する」とのコメントを出した。
(1/2終わり。2/2に続く)
横浜市長を突然辞職した中田宏氏に関するwikipediaの経歴(下記参照)を見ますと胡散臭さが漂ってきます。
特に2000年の総選挙で実質的に民主党の応援で当選したにもかかわらず、2001年の内閣総理大臣指名選挙で会派「民主党・無所属クラブ」に所属しながら自民党総裁の小泉純一郎氏に賛成投票して会派を除名されたのを見ますと、このころから小泉自民党の別動隊の役割を担っていたのがわかります。
横浜市長を突然辞任した理由として、「衆院選と市長選をダブルでやったほうが10億円経費が安くつ」とか「橋下大阪府知事や中村松山市長や山田杉並区らと一緒に結成した首長連合の運動を国民運動として大きくするため」とか言っていますが説得力はありません。
首長の横浜市長を辞職して無役の一国民になった中田氏が寄せ集めの首長連合を引っ張っていけるとは到底思えないからです。
おそらくいくつも抱えているスキャンダルが大爆発する前に辞職して一民間人になって責任を回避するため切羽詰まって辞職したのが真相だと思われます。
(以下はwikipediaからの抜粋です)
1) 来歴
1965年生まれの44才。神奈川県横浜市青葉区出身。神奈川県立霧が丘高等学校時代は空手道に打ち込んだ。卒業後二浪して青山学院大学経済学部入学。1989年卒業後松下政経塾に第10期生として入塾。
2) 国政進出
1992年日本新党の結党に加わる。細川護煕や小池百合子の秘書を務めた後、1993年総選挙に旧神奈川1区より立候補。初当選をトップで飾り、以後3期連続当選。8月には党役員人事で小沢鋭仁政策委員長の下で政策副委員長に就任、その後新進党結党大会に参加して決算委員会理事などを務める。新進党分党後は無所属の会に参加。
2000年の総選挙では実質民主党の支持で内閣総理大臣秘書官経験者の新人江田憲司を破り再選されるが、翌2001年の森喜朗退陣に伴う内閣総理大臣指名選挙では会派「民主党・無所属クラブ」所属代議士ながら自身と同じ神奈川県内小選挙区選出代議士で自身と同じ郵政民営化論者の自由民主党総裁に就任間もない小泉純一郎に投票、独自の動きを示(当時民主党幹事長菅直人は激怒し会派除名、院内では無所属に)。
3) 横浜市長
2002年横浜市長選挙に立候補、組織的な支援を受け4選を目指した高秀秀信市長を破って初当選を果たしている。(同選挙では当時26歳の竹田恒泰も出馬に意欲を示したが結果的に中田支援。ちなみに高秀氏が1990年に初当選した際には、 当時25歳の中田はボランティアとして高秀陣営に参加している)。
市政は、ゴミの分別回収の徹底や保育所の民営化・横浜市立大学の機構改革などで市民からは賛否両論を呼びながらも、自治体における行政改革の模範として政府や全国の自治体から高い評価を受けている。2006年には日本共産党が推薦する海洋学者の松川康夫を破り、再選される。
2009年7月28日、2期目任期途中で市長職の辞職を表明した。尚、退任日は地方自治法第145条の規定に基づき、2009年8月17日の予定である。
(以上wikipedia情報終わり)
大恩のある高秀秀信氏を裏切って横浜市長選に立候補し勝利したいきさつは、次回(2/2)でお伝えしますが、中田氏は人をとことん利用し最後には裏切ってのし上がっていく人物であることが良くわかります。
4) 植草一秀氏「痴漢冤罪事件」
経済学者植草一秀氏が巻き込まれた2004年手鏡事件は、中田宏氏後援会での講演を横浜駅前のシェラトンホテルで行った後の帰り道に起きました。中田氏は小泉純一郎氏を支援するような新自由主義者で植草氏とは相いれない思想の持ち主と思われるのになぜ植草氏に講演を依頼したのか?
「痴漢冤罪事件」の謀略をでっち上げて植草一秀氏を逮捕・起訴したのは、小泉・竹中自民党政権であり、小泉氏・竹中氏と親密な関係を持っていた中田氏も関わっていたのではないのかとの重大疑惑が生じます。
5) スキャンダル
●『週刊現代2007年12月1日号』
横浜市長・43歳 中田宏は海外視察をサボってキャバクラで「ホステスおさわり」 ワイセツ市長のハレンチ追及第3弾。中田氏は週刊現代を名誉棄損で「提訴」。次に「刑事告訴」した。
●『週刊現代2007年12月22-29日号』
ワイセツ首長のハレンチ連続追及第5弾 中田宏横浜市長「消えた選挙資金1000万円」と「税金ネコババ」疑惑 市民団体が刑事告発へ
● 神奈川新聞 2008/12/16
市長公用車運転手の超過勤務命令簿/市会要求の資料を誤廃棄
● 河北新報社 2008/12/25
中田横浜市長に慰謝料求め提訴“元交際相手”クラブ女性
横浜市の中田宏市長と交際していたと主張する市内の元クラブ従業員の女性(30)が25日、市役所で記者会見し、市長を脅しているなどとして名誉を傷つけられた上、周囲の嫌がらせで病気になったなどとして、市長に慰謝料3000万円の支払いを求め、24日に横浜地裁に提訴したことを明らかにした。
訴状によると、市長と女性は2004年春ごろ、女性が勤務していた横浜市中区のクラブで知り合い、市長から「妻と離婚して一緒にいたい」などと言われ、同年夏ごろから交際を始めたという。
その後、交際のうわさが広がり、嫌がらせを受け1人で対処せざるを得なくなり、ストレスなどから腎不全やうつ病の治療を受けるようになったと主張。さらに中田市長側から「交際のうわさを流したのは女性で、女性から脅されている」などと言われて名誉を傷つけられたとしている。
中田市長はこれまでの記者会見で、女性との交際について「弁護士に任せている」と回答。この日は事務所を通じ「訴状が届き次第、弁護士と協議し法的措置を含めて対応する」とのコメントを出した。
(1/2終わり。2/2に続く)