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【ブログ記事】なぜ野党マスコミは岸信介がCIAのスパイで自民党がCIAの傀儡政党である事を批判しない

2015年03月06日 13時49分57秒 | 政治・社会
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【ブログ記事】2015.03.06
■なぜ日本の野党、マスコミ、政治学者、評論家は、岸信介がCIAのスパイであり自民党 がCIAによってつくられた米国の傀儡政党であることを批判し追及しないのか?

なぜならば、共産党を含めた日本の野党、大手マスコミ、政治学者、評論家は米国支配層に買収され、岸信介や自民党やCIAを批判し追及すると小沢一郎氏のようにCIAの指令で東京地検特捜部によって弾圧されることを恐れているのだろう!

結局のところ日本には、岸信介と自民党とCIAを正面から批判し追及しまともに戦う勢力は、我々【利権特権を拒否する賢明な戦うフツーの市民】と護憲リベラル勢力と少数の良心的な政治家とジャーナリストと評論家しかいないのだ!

米CIAは、安倍晋三の祖父でA級戦犯だった岸信介を1948年に助命・釈放しCIAの工作員として雇った!

米CIAは、保守合同に資金援助し1955年に自民党を誕生させその後15年間にわたり自民党に資金援助し日本の政治を独占させた!

米CIAは、工作員の岸信介を首相にして1960年に【日米安保条約】【日米地位協定】を強行成立させ今に続く日本を米国の植民地にする法的根拠を与えたのだ!

要するに、岸信介は戦争犯罪人であり、CIAのスパイであり、CIAの資金援助で自民党を結成し首相となった米国の傀儡政治家であり、今日まで続く【米国による日本の植民地支配】を完成させた売国奴なのだ!

2008年に発売されたピューリツア賞受賞のニューヨークタイムズ記者ティム・ワイナーが書いた【CIA秘録上】(文藝春秋)には、米CIAと岸信介と自民党の生々し い関係が暴露されて いる!

共産党を含めた日本の野党、大手マスコミ、政治学者、評論家は、なぜ安倍晋三
の自民 党が米CIAによってつくられたことを批判し追及しないのか?

共産党を含めた日本の野党、大手マスコミ、政治学者、評論家は、なぜ安倍晋三
の尊敬 する祖父の岸信介がCIAによって助命され免罪されCIA工作員と なって
首相に就任し日本 を米国の植民地にするために米国の利益のために【日米安保
条約】と【日米地位協定】 を大反対する国民を弾圧して強行採 決したのかを
批判し追及しないのか?

彼らが一切沈黙しているのは、共産党を含めた日本の野党、大手マスコミ、政治
学者、 評論家全てが米国支配層に買収され批判し追及すると小沢一郎氏のよう
に弾圧されるこ とを恐れているのだろう! 

(以下は178P-181Pの全文書き起こし)

「いまやみんな民主主義者だ」

岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出されて四年も
経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。そして いったん
権力を握ると、その後、半世紀近く続く政権党を築いていった。

岸は一九四一年、アメリカに対する宣戦布告時の閣僚であり、商工大臣を務めて
いた。戦後、A級戦犯容疑者として収監されていた間も岸はアメリカの 上層部に
味方がいた。そのうちの一人は、日本によるパールハーバー攻撃があったとき駐
日大使を務めていたジョゼフ・グルーだった。グルーは開戦後 の1942年、
東京の収容所に入っていたが、当時、戦時内閣の閣僚だった岸がグルーを収容所
から出してやり、ゴルフを共にし たことがあった。二人は友人になった。

岸が巣鴨拘置所を出所した数日後、グルーは「自由ヨーロッパ全国委員会」の初
代委員長になった。この委員会は「自由ヨーロッパ放送」などの政治戦 争計画
を支援するためにCIAが設けた偽装組織だった。

釈放された岸はその足で首相公邸を訪れた。そこには弟の佐藤栄作が占領下の政
府で官房長官を務めていた。佐藤は拘置所での制服着替えるようにと、 兄に背
広を手渡した。
「おかしなものだなあ」と岸は弟に言った。「いまやわれわれはみんな民主主義
者だ」。
岸はアメリカ大使館当局者との関係を、珍種のランを育てるように大事に育ん
だ。当初は用心深く行動していた。依然として悪評も高く、警察が尾行す るの
が常だった。

一九五四年五月、岸は東京の歌舞伎座で一種の政治的なデビューを果たした。元
OSS要員で東京大使館の情報宣伝担当官としてCIAとも協力関係に あるビル・
ハッチンスンを歌舞伎観劇に招待したのだ。

幕間に飾り立てた劇場のロビーで、日本のエリートである友人たちにハッチンス
ンを引き回して紹介した。当時としてはきわめて異例のことだったが、 それは
純粋に政治的な見世物でもあった。岸なりに、自分が国際的な舞台に-アメリカ
のお気に入りとして戻ってきたことを公表したものだった。
                    
岸は一年ほどの間、隠密にCIAや国務省の当局者とハッチンスン家の居間で会っ
ていた。「彼がアメリカ政府から少なくとも暗黙の支援を求めていた ことは明
らかだったとハッチンスンは回想している。一連の会談はその後四十年間の日米
関係の土台を築くことになった岸はアメリカ人に自分の戦略は 自由党をひっく
り返し、名前を改め、立て直して自分が動かすことだと語っていた。

岸が舵を取る新しい自由民主党は自由主義的でも民主主義的でもなく、帝国日本
の灰の中から立ち上がった右派の封建的な指導者たちを多くそのメン バーとし
ていた。岸は当初は舞台裏の仕事をし、先輩の政治家に首相の地位を譲っていた
が、やがて

自分の出番がめぐつてきた。岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えて
いくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっ ては微
妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求め
たのは、アメリカからの政治的支援だった。

フォスター・ダレス国務長官は一九五五年八月に岸と合い、面と向かって--もし
日本の保守派が一致して共産主義者とのアメリカの戦いを助けるならば支援を期
待してもよろしい、と言った。そのアメリカの支援が何であるかは、だれもが理
解していた。岸はアメリカ大使館上級政務担当官のサム・バーガーに、自分とア
メリカの主たる連絡役として若手の、あまり日本では知られていない下 級の人
間と直接、話をするのが最善だろうと言った。

その役割は、CIAのクライ ド・マカポイに割り振られた。マカポイは海兵隊上が
り、沖縄戦の生き残りで、一時新聞記者をした後、CIAに加わっていた。マカポ
イは日本到着後まもな く、バーガーによって岸に引き合わせられることにな
る。このとき、CIAが外国の政治指導者との間で培った、最も強力な関係の一つ
が誕生した。

「情報と金の交換」

CIAと自民党の間で行われた最も重要なやりとりは、情報と金の交換だった。金
は党を支援し、内部の情報提供者を雇うのに使われた。アメリカ側 は、三十年
後に国会議員や閣僚、長老政治家になる、将来性のある若者との間に金銭による
関係を確立した。

彼らは力を合わせて自民党を強化し、社会党や労働組合を転覆しょうとした。外
国の政治家を金で操ることにかけては、CIAは七年前に イタリアで手がけていた
ときより上手になっていた。現金が詰まったスーツケースを高級ホテルで手渡す
というやり方ではなく、信用できるアメリカのビジネス マンを仲介役に使って
協力相手の利益になるような形で金を届けていた。こうした仲介役のなかに、
ロッキード社の役員がいた。同社は当時、高高度概略偵察機 U・2を製造中だっ
たが、日本とは岸が強化を目指す新しい自衛隊に航空機を売り込む交渉をしていた。

1955年、「自由民主党」の下に日本の保守勢力は統合された。

CIAは岸に協力し、巧みにトップに上り詰めるなかで、岸は、CIAと二人三脚で、
アメリヵと日本との間に新たな安全保障条約をつくりあげていこ うとする ので
ある。岸を担当していたCIAのクライド・マカポイは、戦後日本の新しい外交政
策に影響をおよぼすことができたのである。

一九五七年六月、囚人服を脱ぎ捨ててからわずか八年後に、岸はアメリカ訪問を
実現させた。ヤンキー・スタジアムで始球式のボールを投げ、アメリカ 大統領
と ともに白人専用のカントリー・クラブでゴルフをした。ニクソン副大統領は
上院で、岸をアメリカの偉大で忠実な友人と紹介した。岸は、かのマッカーサー
将軍の甥に当たる新駐日大便、ダグラス・マッカーサー二世に、もしアメリカ
が岸の権力固めを支持してくれるなら、新安保条約を通過させ、左翼勢力の台頭
も抑え 込める、と語った。

岸はCIAから内々で一連の支払いを受けるより、永続的な財源による支援を希望
した。マッカーサー大使の回想によると、岸は「もし日本が共産化す るとアジ
アのほかの国々が追随しないとは考えにくい」と語って、大使を納得させた。
フォスター・ダレスもこれに同意した。ダレスは、日本には大きな賭け金を積ま
ね ばならないと主張し、岸はアメリカにとって最良の賭けだと言った。

アイゼンハワー自身も、日本が安保条約を政治的に支持することと、アメリカが
岸を財政的に支援することは同じことだと判断していた。大統領は CIAが自民党
の主要議員に引き続き一連の金銭を提供することを承認した。CIAの役割を知ら
ない政治家には、この金はアメリカの巨大企業から提供された ものだと伝えら
れていた。この資金は少なくとも十五年間にわたり、四人の大統領の下で日本に
流れ、その後の冷戦期中に日本で自民党の一党支配を強化するのに役立った。

(書き起こし終り)

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情報発信者 山崎康彦
メール:yampr7@mx3.alpha-web.ne.jp
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